機嫌を少しなおしてくれたミハイルと、二人で混浴温泉へと向かう。 大きな自動ドアが開くと、そこには別世界。 温泉というよりは、ナイトプールに近い。 外はもう真っ暗で、静かな別府の温泉街を一望できる展望スパが売りのようだ。 上から下に向け、段が設けられていて、前に座っている人の背中を気にせず、夜景を楽しめる。 どこからか、心地よい音楽が流れていて、水中は所々ライトラップされており、ランダムで光りの色が変わっていく。 空を見上げれば、都会の博多とは違い、たくさんの星々が地図を描いている。 なんて、きらびやかな世界なんだ。 おまけに、左手には、高らかに立ち上る何本もの噴水が、踊るようにショーを繰り広げている。 リキが言っていたことを思い出す。 『女ってのはさ。星空とか、夜景とか、非日常的な光景に弱いもんなのよ』 確かに一理ある。 これだけ、非日常的な光景を目の当たりにすれば、意中の女性を落とせそうな……妙な自信が湧いてくるってもんだ。 その証拠に、辺りを見れば……。 「なぁ、いいじゃん」 「も~う、部屋まで待てないのぉ~」 水着とはいえ、彼女の胸をまさぐる彼氏さん。 だが、その彼女も笑っていて、抵抗しようとはしていない。 そんなカップルばかりが、スパを貸し切り状態。 クソがっ!? どこか、他でやれや! 俺が歯を食いしばって、拳に力を入れていると、柔らかい指が力んだ腕をほぐす。 「タクト? どうしたの?」 隣りに立っているこいつ。ミハイルは確かにカワイイ。 だが、男の子なんだ! 「いや……ちょっとな」 「しょーせつのことでも、考えてたの?」 下から上目遣いで、俺の顔色を伺う。 腰をかがめているせいか、胸の谷間が露わになる。 もう少しでトップが見えそうだ。 クッ! だから、男モードのミハイルは苦手なんだ。 防御力がなさすぎなんだよ。 「ま、まあな。この旅行も舞台として、いいかもな……。だが、今夜は取材対象が不在だからな」 つい、ぼやいてしまう。 そうだ。女装しているアンナとなら、デート気分を味わえたかもしれない。 「そ、そっかぁ……そうなんだ。ふーん、タクトって今、そんなこと考えてたんだ☆」 なぜか一人、嬉しそうに頷くミハイル。 あ、本人が目の前にいるのを忘れてた。 ※ 俺とミハイルはさっそく、展望スパに入ってみる。 水温は、思った以上に暖かい。というか、熱いぐらいだ。 ちゃんと温泉なんだなと感じる。 プールと同様、けっこう水深があったので、今度は溺れないように、俺はミハイルをおんぶしてあげた。 「うわぁ、キレイだなぁ☆ タクト!」 「あぁ、確かにこいつは、なかなか拝めないもんだな」 思えば、一ツ橋高校に入学して色々なことがあった。 ぼっちだった俺が、今では……後ろで、はしゃいでるコイツがいるからな。 何もかもが、一変してしまった。 生徒の中にはうるさいやつらもいる。だが、悪くない。 と、人が感傷に浸っているのも束の間、俺の背中に柔肌がプニプニと当たってくる。 ないはずの胸がなぜか気持ち良い。 絶壁最高! 「タクト! あれ、なんていう星かな?」 かなり興奮しているようで、グリグリと胸を頭にこすりつけてくる。 「あれか。オリオン座だな」 「すごいすごい!」 俺も股間がすごいことになってるよ。 ※ 少しのぼせた俺たちは、一度、スパから出た。 事前にミハイルが用意してくれていた飲み物で、喉を潤そうと。 スパの周りには、ビーチチェアがあったので、そこで寝そべって、乾杯することにした。 俺はアイスコーヒー、ミハイルはいちごミルク。 「じゃ、タクト。かんぱ~い☆」 「ああ。乾杯」 少しぬるくなってはいたが、火照った身体にはちょうど良い。 一気にがぶがぶ飲んでしまった。 「んぐっ、んぐっ……ぷはっあ! ハァハァ……おいし☆」 相変わらず、いやらしい飲み方するな、この人。 「でも、オレたち。本当にここまでやってこれたんだよね?」 嬉しそうに瞳を輝かせる。 「ん、なんのことだ?」 「一ツ橋高校でちゃんと単位取れたこと☆」 「ああ……」 天才の俺には、超普通というか論外な授業やレポートに試験だったが、おバカなミハイルには、かなり頑張ったということか。 「タクトのおかげだよ☆」 はにかんで見せるその笑顔に、思わず、ドキッとしてしまう。 「いや、俺は別に。なにもしてないさ……」 動揺を隠すように視線をそらす。 「そんなことないよ! タクトがいてくれたから、スクリーングもちゃんと来れたし、テストも頑張れたもん☆ ありがとなっ☆」 「う、うむ。まあ、来期も一緒に頑張るか……」 男同士だってのに、なんだか小っ恥ずかしい。 視線を戻すと、ミハイルは満面の笑顔でこう言う。 「ところでさ、リキのこと。いつから、マブダチになったの?」 笑ってはいるが、声が冷えきっている。 ヤベッ、まだ誤解されているよ。 「あ、あれはだな……」 必死に弁解しようとするが、グイッとミハイルの小さな顔が近づいて来る。 笑顔で。 「ねぇ。『スキ』ってどういうこと?」 目が笑ってない。狂気だ。 「それは……俺に向けられたものではないんだ。実はここだけの話だが、リキは今片思いしているんだ」 「タクトに?」 いつもはキラキラと輝いて、魅力的なグリーンアイズだが、今はとても暗く感じる。 まるでブラックホール。恐怖でしかない。 「ミハイル、あのな……ちゃんと話を聞いてたか? リキは俺が好きなんじゃない。同じクラスメイトの女子に恋をしている」 そこでようやく、彼の瞳が輝きを取り戻す。 「えぇ!? リキが女の子を好きになったの!?」 めっちゃ驚いている。 あいつだって、見た目おっさんだけど、俺たちと同じティーンエージャーなんだぞ。 誤解が解けた瞬間、身を乗り出して、質問攻めが始まる。 「だれだれ!? リキが好きになった女の子って? オレが知っている子?」 こいつって、けっこう恋バナ好きというか、意地悪いな。 「ほれ。あれを見てみろ」 とある二人の男女を指差して見せる。 少し離れたスパで、噴水ショーを楽しむハゲと、競泳水着を着た女子。 「あ、ひょっとして……ほのかが好きなの!?」 ミハイルも予想外の相手に驚きを隠せないようだ。 「そういうことだ。アレのなにがいいのか、わからんが。俺に相談されてな……腐女子の攻略方法なんざ、俺は……」 言いかけている最中で、ミハイルが俺の肩を掴んで、叫ぶ。 「さいっこうじゃん!」 「は?」 「あの二人、絶対くっつけようよ☆」 めっちゃ楽しそう。拳を作って、ガッツポーズ決めちゃってさ。 まだ、ほのかという、生態をちゃんと把握できてないのに。 「なんで、お前が乗り気なんだ。ミハイル?」 ちょっと、冷めた目で彼を見つめる。 「だってさ。ちょー、おもしれぇじゃん☆ オレも応援してるよ、リキのこと☆ で、いつ告白すんの?」 こいつ……人の恋愛だからって、楽しんでんな。 「さあな、今夜かもしれんし、明日かもしれんし、一生わからないな」 「ダメだゾ、タクト! マブダチの恋愛なんだから、ちゃんと本気になって、応援してあげなきゃ!」 あんた、さっきまで、そのマブダチのことで怒ってたじゃん。 「いや、こればっかりは、本人たちの意思というか、相性の問題だろ……」 「ダメダメ! 力づくでもいいから、リキがほのかと結ばれないと、な☆」 それって、犯罪だろ。 「あのな……」 俺たちが、他人の恋バナで言い合っていると……。 ドーンッ! と凄まじい轟音が鳴り響く。 色とりどりの花火が、一斉に打ち上げられていく。 「すごい! 花火だ☆」 「そういえば、そうだったな」 ドンッ! ドンッ! と次々に、大きな花火で夜空が明るく照らされていく。 花火なんて、小学生の時以来だな。 身体にまで響き渡るこの音さえ、心地よい。 「いいもんだな、たまには、旅行ってのも……」 ふと、隣りのミハイルに話しかけてみたが、花火の音で聞こえてないようだ。 彼と言えば、なにか考えごとをしているようで。 小さな唇に人差し指を当てて、ブツブツと独り言を漏らしていた。 途切れ途切れでしか、聞こえてこなかったが、なにやら変なことを口にしている。 「ふふっ、ほのか……と、リキをくっつけて……タクトの周りの……女たちは……全員消えて……」 ファッ!? 俺の視線に気がついた彼は、ニコッと笑って見せる。 「楽しいな、タクト。旅行ってさ☆」 「う、うん……とても」
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