ドンッ!! と、激しく何かがぶつかる様な音に、リルは音のした方を振り返った。 リルの目には、夜空に舞う粉塵が見えた。 「……何……? 今の音……」 クリスの耳にも、その音はかすかに届いたらしく、不安げに顔を上げる。 (久居……) リルは、久居が戦闘に入ったことを知った。 「ねえ、今の久居さんが向かって行った方向じゃない?」 「うん……」 リルは、耳にかかる布を、耳を包むようにした両手でほんの少し広げながら、集中して音を拾う。 「久居さん、何かあったんじゃない!?」 クリスに問われて、リルは答えた。 「うん……。誰かと戦ってるみたい……」 「え……?」 クリスの脳裏に、フードとローブの少年の姿が過ぎる。 (まさか……あいつが……) ドンッ! ドンッ! と続けて二度の衝撃音に、クリスが駆け出す。 「私達も行かないと……!!」 「だ、ダメだよっ!」 クリスの手を、リルは必死で捕まえた。 クリスが驚きの表情で振り返る。 「ここに居ろって言われたときは、そこから動いちゃダメなんだ……」 リルの胸を、あの日の後悔が埋め尽くす。 あの日、フリーの声が聞こえて、つい、城に向かってしまった……。 ここにいると、約束したのに。 そのせいで、ボクは石を落としてしまった。 あの石がなければ、あの人は上まで来れなかったのに……。 フリーも、コモノサマも、あんな事にはならなかったのに……。 ……あの時、ボクが約束を守っていたら……。 後悔に沈むリルの様子に、何か訳があることだけは感じつつも、クリスが叫ぶ。 「ーーっでも! その久居さんが危ないのよ!?」 クリスの声に、リルは不安を押し込めて答える。 「……大丈夫だよ。ボクは、久居のこと信じてる」 「久居さんが強いのは、私も分かってるけど……」 クリスは、遠い日の炎を、その熱を思い出しながら続ける。 「あいつは、違うの……」 あの日、クリスは母の背に庇われて、火の海の中にいた。 母が対峙していた相手は、ローブを纏いフードを目深に被っていた。 炎は、その手から際限なく生まれ、全てを焼き尽くした。 「あんなの……あんなのっ、人間じゃないもの!!」 クリスの、涙まじりの鋭い言葉に、リルがハッとする。 三人で修行をしていた頃、いつまでも術が使えるようにならないリルに、クザンは言った。 『いいか、リル。久居は強い』 『うんっ』 『けどな、それは「人間にしては強い」って事だぞ?』 『うん?』 『俺や、お前みたいな化け物が出てきてみろ。あいつじゃ太刀打ちできなくなる』 『ボク化け物じゃないよー?』 首を傾げるリルの頭を、クザンが撫でながら言う。 『その時のために、お前はちゃんと修行しないといけないんだぞ? 分かってんのか?』 『うんっ。ボク頑張るよっ』 リルは、先ほどまで激しい音が続いていた、今は静かになってしまったその方向を見る。 薄茶色の瞳には、堪えきれない不安が溢れている。 (久居……) 音を聞く限り、久居は劣勢のようだった。 ---------- 瓦解した住宅の、瓦礫の中に、久居は倒れていた。 赤い血が服のあちこちに滲み、服が吸いきれなかった鮮血が、手を伝い指先からポタポタと零れ落ちる。 顔の左半分にも浅い傷が大きく入っており、左眼は開きづらそうにしている。 左腕は動かないのか、久居は右腕だけで、なんとか体を起こした。 「人間にしちゃ頑丈だな」 ぽつりと零された言葉に、久居は思う。 (……やはり、この男は人間ではないのですね……) 左腕から少しでも血を逃さぬよう、久居は右手の平で左腕の傷口を押さえつける。 「安心しろ、最後くらい楽に死なせてやるよ」 そう言って、少年は手の内に炎を生んだ。 (あれは鬼火!?) 久居は、その炎に見覚えがあった。 (彼は、鬼ですか!!) 炎は大きく膨れ上がると、激しい熱気を撒いて久居へ飛びかかる。 「くっ」 久居は歯を食いしばり、右手を伸ばして障壁を張った。 手の平から、円を描くように広がった輪が、瞬時に盾となる。 「へぇ、障壁まで張れるとは器用な奴だ」 ローブの少年が、感心するように、そして憐れむように呟いた。 「ま、そんな薄い壁じゃ、到底防げねぇけどな」 久居の障壁は、見る間に炎に焼かれ、燃え尽きようとしている。 ローブの少年は、その障壁の術式を、どこかで見た事がある気がした。 しかし、それを確かめる間も無く、薄く広がる盾は消滅する。 圧倒的な炎の波が、久居を押し流した。 ---------- ドン! という音は、腹の底に響くような音だった。 クリスの手を掴んだままのリルと、掴まれたままのクリスが、同時にそちらを見る。 家々の向こうから、黒い煙が夜空へのぼってゆく。 リルは聞き覚えのある音に、青ざめる。 (今の……、確かに炎の音だった。お父さんが炎で攻撃するときの音……) 「行くわよ!!」 クリスが駆け出そうとする。 しかし、リルはクリスの手を掴んだまま、その場から動こうとしない。 「どうして!? 久居さんは、リルにとって大切な人なんでしょ!?」 ほんの数日共にしただけのクリスにだって分かるほど、二人はいつも互いを大事にしていた。 「それはもちろん、そうだけど……」 リルは、自分が行ったところで、何の役にも立たないだろう事を知っていた。 むしろ、足手まといになるだけだろう。リルは、自分が久居の迷惑になってしまうことが、一番怖かった。 「もういいわ! 私だけ行くから!!」 クリスは黙ってしまったリルの手を、思い切り振り払った。 (腕輪のせいで人が死ぬのは、もうたくさんよ! 私が絶対止めてみせる!!) 少女は、決意を胸に走り出す。 「クリス!!」 取り残され、少女の後ろ姿に手を伸ばすリルは、その光景にあの日のフリーの背を見る。 届かなくて、止められなくて、姉は走って行ってしまった。 あの日、届かなかったリルの手は、今もまだ、フリーに届かないままだ。 「待って、クリス! ボクも行くよ!!」 泣きながら叫ぶリルの声に、クリスは足を止める。 『あんな奴置いて行こうぜ、足手まといになるだけだ』 牛乳が足元でうったえるが、クリスは躊躇わずに振り返った。 「うんっ! 一緒に行きましょ!」 あたたかく差し出されたその手を、リルはぎゅっと握って、二人は一緒に走り出す。 (久居……今行くからね……)
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