「これから変態を呼ぶわね」 カロッサは、真剣な顔で、リルとレイの顔を順に見て言った。 「………………は?」 おそらく、真面目に聞かねばならなかったのだろうその言葉は、レイには理解不能だった。 「リルは、変態には会ったことあるの?」 「ううん。お母さんが変態を呼ぶ時は、絶対家に居なさいって言うから、見たことない」 「そうでしょうね……」 カロッサが目を逸らし、苦い顔をする。 どうやら、分かっていないのはレイだけで、リルにはそれで十分通じたらしい。 「ええと……、その、変態とおっしゃるのは……?」 レイの声に、カロッサがぐるんと勢いよくレイに向き直り 「レイ君、リル君をお願いね。あの変態に、リル君を! 絶っっっ対!! 渡しちゃダメよ!!?」 「え、あ……はいぃっ!」 人差し指を立てたカロッサにぐんぐん距離を詰められて、レイは真っ赤になりながら答えた。 あれから、少し遅れて目覚めたリルも、食事や身支度を済ませていた。 しかしまだ疲れが残っているのか、時々眠そうに目を擦っている。 きっと久居なら、まだ寝かせてやるんだろう、なんて思いつつ、レイは、とぼとぼ歩くリルの手を引いて広い湖の反対側まで移動した。 「こんなに離れる必要があるのか……?」 振り返れば、カロッサの姿は豆粒……いや、砂粒ほどの大きさだ。 「んー……なんか、変態はすごく耳とか鼻がいいんだって、お父さん言ってたよ」 またこしこしと顔を擦るリルの声は、やはり眠そうだ。 レイは先程の話を振り返る。 変態と呼ばれているのはリルの父親の従者だという話だ。 治癒のできる久居がこうなってしまった以上、久居を治すためには久居以外の治癒術者が必要になる。 それで、久居の治癒術の師であるという、リルの父親に協力を求めようという事らしい。 が、その肝心の父親はいつも仕事で方々を飛び回っているらしく、連絡を取るためにはその変態とやらを呼び出すしかない。 ……と言うのがレイがカロッサから聞いたすべてだった。 「いやでも、別に敵じゃないわけだろ? なんでこんなに警戒するんだ?」 レイが首を傾げつつ疑問を口にするも、それに答えられそうな者はここには居なかった。 「ボクも会ったことないから、分かんないよ……」 こくりこくりと船を漕ぎ始めたリルを「おい、まだ寝るなよ」と揺するが、「んー……」と返事をしたリルは、間もなく寝息を立て始めた。 「いてて……」 リルが、レイのマントにしがみつくように寝てしまったので、指を解こうとするのだが、握力が半端ない。 このマントは、中間界にいる際にレイの羽を布のように見せているだけの物なので、血も通っていれば痛覚もある。 そこにぶら下がられれば、当然、重いし痛い。 仕方なく、レイは片腕でリルを抱き上げる。 「……軽いな」 カロッサに、リルを守るためなら少々攻撃してもいいと言われた以上、両手は空けておきたかったのだが、仕方ない。 そもそも、攻撃してもいい連絡係とは、一体どう言うことだ……? レイはまた一人首を傾げる。 カロッサは遠目でよくわからなかったが、何やら地面に向かって叫んでいるようだった。 「早く連絡が付くといいな」 ぽつりと呟いた言葉は、広がる湖面に溶けていった。 ---------- 一方、カロッサも、変態の一刻も早い登場を願っていた。 それはもう。心から。 カロッサは顔を赤く染め、じわりと嫌な汗を滲ませながらも耐えていた。 そこらに落ちていた焼け残りの植木鉢を逆さに地面に置いて、カロッサはその穴に向かって叫んでいる。 「クザンかっこいー! クザンすーーてーきー!!」 叫ぶごとに、自分の中の気力がゴリゴリと削られていくのを感じる。 「閻王さんちのクザンさーんっっ、まーあ、できがいいわあー!! だぁぁぁれが育てたのかしらぁぁー!?」 (あーっもーっっ毎度恥ずかしいんだから! 早く出てきなさいよ! 変態め!!) 苛立つカロッサの背後で、ゆらりと地面が揺れる。 「ぐふ、ぐぐふふふふふふふ……」 不気味な笑い声と共に、その変態は血の底より現れた。 「そぉぉぉぉうでしょうとも!! 私の! 私の玖斬様は!! この世に唯一無二の、貴くやんごとなきお方ですから!!?」 やっと解放されたカロッサが、もううんざりとばかりに、ため息をつきながらげっそりした顔で振り返る。 「……はいはい。来てくれて助かるわ……」 「玖斬様の噂のある所! この火端、何処であろうと馳せ参じましょうぞ!!! それがたとえ中間界であろうと、獄界の底であろうと、この世の果てであろうと!!」 「用件言ってもいい?」 まだまだ止まりそうに無い変態の話に被せて、カロッサが無理やり切り込む。 「リリーのとこに行くように、伝えてくれる?」 「玖斬様へのご伝言ですね、確かに承りました」 キチッとした仕草で一礼する変態。 クザンより頭ひとつ分以上は大きいだろう背丈に、シミひとつない真っ白な中華風の服が、キチッと締められた首元から足元まで真っ直ぐなラインを作り出している。 学者を思わせるような五角形の帽子からは、さらさらした臙脂色の髪がのぞき、額からは白い肌と同じ色の二本のツノが生えている。 帽子と肩にかかる布の色は、敬愛するクザンの色なのだろう、クザンの髪と同じ檜皮色をしていた。 白目に対して控えめな大きさの赤い瞳が、変態をより変態らしい三白眼にしていた。 (それでも、黙ってれば、頭良さそうに見えるのに……) と、カロッサが思い終わるより先に、変態が口を開く。 「……玖斬様に似た匂いがしませんか?」 「っ!! しないしないっ! 緊急の伝言だから、すぐ伝えに行って――」 カロッサの言葉が、風に煽られて掻き消される。 次の瞬間には、変態はレイの目の前に居た。
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