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そこには熱気と煙が立ち込めていた。 瓦礫と化していた家屋は、焦げ溶けて、まだあちこちに火が燻っている。 久居は満身創痍で倒れていたが、まだ意識は残っていた。 (リル……) 肺は焼かれてしまったのか、酷く息苦しい。 (こちらに来ては……いけません……よ……) ローブの少年は、そんな久居のそばまで来ると、蹴りを入れた。 蹴られた体がびくりと跳ねるのを見て「まだ息があるのか」と呟く。 果たして人間が、こんなに頑丈なものだろうか。と、ローブの少年がほんの少しの疑問を感じようとしていた時、人の声がした。 「なっ……なんだ、これは……」 灯りを手に、様子を見にきた野次馬のようだ。 手短に殺すつもりが、随分と時間をかけてしまったと、少年は気付く。 見回せば、あちこちの家々から、既にたくさんの人が窓を開け、戸を開け、外に出ようとしている。 「命拾いしたな」 ローブの少年は小さく舌打ちを残すと、久居が捕らえていた男を連れて去った。 (何故……退いたのでしょうか……) 久居は、右腕を支えになんとか体を起こそうとする。 あの少年の勝ちは間違いなかった。あの鬼は、こちらを殺す気だったのに、何故トドメを刺さずに去ったのだろうか。 いつでも殺せると思える実力差だった、という理由もあるだろうが、どうやら、彼らは街中で騒ぎになると困る立場にあるようだ。 「お……、おい」 傷だらけの久居に、最初に声をかけてきた野次馬男が、こわごわ声をかける。 「一体何が……。っ大丈夫か?」 灯りを掲げた男が、久居の酷い姿に息を呑む。 「……はい、大丈夫です。ありがとうございます……」 掠れた声で何とか返事を返しつつ、久居は自分の体の状態を確かめる。 受け身を取れない状態での、最後の蹴りで、肋骨も折れたようだ。 折れた骨は、内側へと曲がっている。 (内臓を破る前に……早く治癒しなくては……) そこへリルの声がした。 「久居っ!!」 喜びの雫をポロポロ零しながら、リルは久居へ飛び付いた。 「無事だったんだね!?」 ぎゅっとしがみ付かれて、久居は一瞬、死がそこまで迫った気がした。 が、久居はそれを告げることすらままならない。 声も出せず、冷や汗にまみれる久居を、リルが不思議そうに見た。 駆け付けたクリスも、久居の生存に、ホッと胸を撫で下ろす。 (よかった……生きててくれて……) その姿は、とても無事には見えなかったが、それでも生きていてくれて、クリスは本当に嬉しかった。 「と……、とりあえず移動しましょうか……」 (こんなに人が居ては治癒術も使えませんし……) 呼吸のままならない久居の、声になりきれない掠れた言葉も、リルには聞き取れた。 「肩を……貸していただけますか?」 「うんっ」 リルが指先で嬉し涙を拭き取りながら、久居へ肩を差し出す。 思ったよりもずっしりと、その体重を預けられて、リルが気付く。 「久居、もしかして足折れてる?」 小声で問うと「すみません、重いですか……」と息も絶え絶えな中、返事が来る。 「ううん、全然! 大丈夫だよっ」 リルは、久居の力になれた事が、嬉しくて仕方なかった。 「えへへ、お役立ちー」とにこにこで呟いている。 まだ小柄で幼い体つきのリルだったが、鬼の血の成せる技なのか、単純な腕力だけなら久居よりも上だった。 右腕の力のみでリルの肩にしがみつく久居が、自身より小柄な背に体を預け切れずにずり落ちる。 リルは、その体をよいしょと支えた。 (あれ? というか治癒しないのかな?) クリスが、そんな二人を覗き込む。 「……大丈夫?」 「うん、平気ー」 重くもなんともない顔で答えながら、リルは気付いた。 (あ、クリスがいるからか……) 「クリス、お願いがあるんだけどいいかな?」 「何?」 「水を汲んできてもらってもいい?」 「なんだ、そのくらい。いいわよ」 リルの頼みを、クリスは快諾する。 「じゃあ、ここで待っててね」 駆け出すクリスに『俺様も行くぜ』と牛乳が付き添う。 「うん、ありがとー。気をつけてねー」 とリルは声をかけると、周りに人の音がないことを確認しながら、久居を壁際におろした。 久居は左腕も動かないらしく、溶けかけの右手だけで何とか座り込むと、すぐに胸へと手を当てた。 リルは、久居が治癒を始めたことにホッとしながら、クリスの去った方向を見る。 (クリス、いい子なのになぁ……。なんであんな目に遭ってるんだろう) 「うーん……夜遅いし、ボクも付いて行った方がいいかなぁ?」 心配そうなリルに、ようやく声が出るようになった久居が答える。 「いえ、大丈夫でしょう。彼女も、運だけで一人生き延びていたわけではないようですし」 まだ不明な点は山積みだったが、分かってきた事もある。 「流石に今夜は彼らも、もう来ないでしょうから」 「そっか」 リルは久居の言葉を素直に信じたようで、ほっとした顔になる。 久居は治癒を続けながら、今日までに分かった事を整理する。 此処での騒ぎを避ける彼らの拠点が此処であり、そこに腕輪がある事。 これはまず間違いないだろう。 そうでなければ、此処に家もなく、知り合いも居ないというクリスがこの街に居続ける理由がない。 「クリスが戻って来そうになったら、言うからね」 リルの言葉に、久居が礼を述べつつ尋ねる。 「……リル。クリスさんは、あの敵の事を、何か仰っていましたか?」 小さな背がびくりと揺れたのに、久居は気付いた。 「……うん……。人間じゃないのが居るって言ってた……」 リルの瞳には、その時のクリスの顔が、まだくっきりと残っていた。 「鬼……だったんだよね?」 リルは、久居を振り返る。 「はい。角などは隠していましたが、鬼火を操っていましたので、おそらく……」 久居の答えに、リルはまた久居に背を向けた。その表情は、暗く沈んでいる。 「……クリスは……、その鬼の事、すごく嫌いみたいだった……」 (ボクが鬼だって知ったら……、クリスは、ボクの事……嫌いになっちゃうのかな……) 普段の、明るいクリスの微笑みと、あの鬼に向けた険しい表情が、リルの中でぐるぐると巡る。 「そうですか……」 久居は、確信を強める。 そんな危険な相手がいると知ってなお、一人で腕輪の奪還を試みるという事は、やはり彼女には、対抗手段になりうるだけの、何らかの力があると思って間違いないだろう。 ---------- 屋敷の裏庭では、両腕と足を縛られたコートの男が、それを重くもなさそうに小脇に抱えてきたフードの少年によって、地へ転がされたところだった。 少年は、無表情のままその手を振り上げる。 「ま、待て!!」 焦りを浮かべる男へ、少年はその手を振り下ろした。 「俺は何も喋ってな……!!」 ヒュッと風切り音が聞こえた時には、男を縛っていた縄は切られていた。 「あ……」 言葉を失う男に、少年はなるべく低い声で告げる。 「分かってる。二度とこんなヘマするな」 「あ、ああ!」 コートの男は、どこか怯えた様子で逃げるように駆け去った。 ローブの少年は先程のことを思い返す。 二人の会話は、ハッキリ聞こえていた。 あの時、コートの男は、黒髪の青年にすっかりのまれていた。 こんな小物の口、あの青年なら簡単に割れただろう。 何故、すぐそうしなかったのか。 あの青年はこう言っていた。 『私が一人になったのは、これから貴方に対して行う事を、あの二人に見られたくなかったからです』 それがもし本当だとしても、あんなに離れる必要があるだろうか。 少年は、あの青年が張った障壁をもう一度思い浮かべる。 確かに、あれと似た術式をどこかでみたような気がする。 けれど、それがどうしても思い出せない。 (……あの男は、一体何者なんだ……) 少年は、フードの下で赤い瞳を伏せると、苦々しく眉をしかめた。

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