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「ボクは勉強しようっと。レイ、先生やってくれる?」 リルが大テーブルに勉強道具を広げ始める。 「ああ、どこからだっけな」 レイも、すっかり慣れた様子で付き添う。 「えへへ、ありがとー。ここからー」 リルの指すページを覗き込もうと、レイが椅子を隣に引き寄せて座る。 レイは、前回の終わりを確認してから、パラパラとページをめくって今から教える内容を頭に入れた。 「ここはな……って、リル聞いてるか?」 顔を上げると、リルはぼんやり遠くを見ている。 「どうした。久居達が心配か?」 聞かれて、リルが首を振る。 「あ。ううん、今日はフリーと修練しないんだなって思って」 「ああ、なんだっけ、学校の余暇活動かなんかだったか? カロッサさんは、それで今日を選んだんだろうな」 「うん……。フリーは学校忙しそうだから、きっとボクは、家でひとりぼっちになるんだろうな……」 寂しそうに目を伏せて呟いたリルが、パッとレイを見上げる。 「ねえ、久居のお引越しって、やっぱりレイも一緒に行くの?」 「いや、ほんと、それな……。どうするのが良いんだろうな」 レイが、教科書を握ったままの手で頭を抱え、ため息と共に机に突っ伏した。 「……じゃあさ、この小屋で、ボクと一緒に暮らす?」 リルの言葉に、レイが教科書をわずかに持ち上げて、片目だけでリルを見る。 リルの顔は、まるで助けを求めているかのようだ。 「お前、本当に村に帰りたくないんだな」 「うーん……、ボクが嫌なんじゃなくて、村の皆が、ボクが居るのが嫌なんだよ。……まあ、だから、ボクもやっぱり嫌なんだけど……」 ごにょごにょと言い訳をするリルに、レイが頭を悩ませる。 自分の仕事を考えれば、久居のそばにいるのが最良だろう。 カロッサの時のように上から見張っていて、結果、間に合わずにあんな思いをするのだけは避けたい。 だが、リルはまだ一人で暮らすにはいささか幼すぎる。 「親父さんに相談してみたらどうだ?」 「うぇぇ。おとーさんと二人暮らしはやだよう……」 「そうなのか?」 「うん……久居無しであの生活はね……うん……辛過ぎるよ……?」 リルが、思い浮かべかけた何かを振り払うように首を振る。 「あーあ。ボクも久居達について行けたらいいのになぁ」 リルが伸びをして、大きく空を仰ぐ。 秋の空は、どこまでも高く涼やかに広がっていた。 「それ、久居には言ってないのか?」 「……言ってもいいと思う?」 レイが心底驚いた顔でリルを見る。 (あの、リルが、遠慮してるのか!?) 「……レイ、なんか失礼な事考えてるでしょ?」 リルがじとっとした目で見つめ返す。 「いや、その、……まあ、ちょっと驚いただけだ」 レイが誤魔化すように目を逸らした。 「言ってもいいんじゃないか? あの二人なら、なんとか都合付けてくれるだろう」 「だからだよ。レイが付いてくるだけでも、きっと大変なのに、ボクまで行きたいって言ったら、久居もコモノサマもすごく大変になるんじゃないかな」 リルに言われて、レイがぐっと詰まる。 (確かに、少し、図々しいかなとは思っていた。思っては、いたが……いや、本当に図々しいな俺……) ずううううんと沈んでしまったレイを見て、リルが苦笑する。 「ボク、早く大人になりたいなぁ」 リルが、空の向こうを眺めるように、目を細める。 「一人で、誰にも迷惑かけないで生活できるようになったら、クリスに会いに行って、それで、ボクのこと知ってる人がいないところで、暮らしたいな……」 「……」 レイは机に突っ伏していた顔をそのまま横に向けると、リルの透き通るような横顔を見た。 まだ、見た目ほんの十くらいの少年の、将来の夢が、それでいいのだろうか。 「……大人になったって、誰にも迷惑かけずに生きるのは難しいぞ」 レイのどこか不満げな呟きに、リルがキョトンとレイを見て、笑った。 「そうだね。レイは、いっつも久居に迷惑かけてばっかりだもんね」 途端、レイが顔色を変える。 「リ、リルは、俺のこと、そんな風に思ってたのか!?」 「えっ。違うの?」 くりっと小首を傾げて、リルが不思議そうにレイを見つめ返してくる。 その瞳があまりに真っ直ぐで、カケラも疑いがなさそうで、レイはガックリと肩を落とした。 「……いや……。違わない……」 「久居、昨日も言ってたよ『レイには困ったものです』って」 「…………リルにそう言ったのか?」 「ううん。えっと、お茶の整理してた時かな、ひとりごとだったけど、聞こえちゃった」 「うぐ……」 お茶と言われれば、レイには確かに心当たりがあった。 一昨々日、闇に呑まれ、久居に強制入眠させられたレイだったが、実はその翌日にも同様に久居の手を煩わせていた。 一昨日、頭痛で倒れたレイは、昼食も夕食も食べそびれたまま寝続け、最悪な事に、夜中に目覚めてしまった。 闇の濃い時間に覚醒し、急激に闇に呑まれたところを、気付いた久居に強制入眠させられたのだが「まさか、二日連続とは……」と言う久居のぼやきだけは、意識の薄れたレイの耳にも届いていた。 「ああ……俺も、もっと大人にならないとな……」 何やら深く反省している様子のレイに、リルが苦笑しながらも優しく声をかける。 「でも、レイはボクよりずっと、久居達の役に立てるよね」 そして、微笑みを僅かに崩して続ける。 「ボクにも何か、久居達にしてあげられる事ってないのかなぁ……」 レイは、すぐに答えた。 「リルは力仕事もできるし、炎も出せるだろう? 十分役に立つんじゃないか?」 「そうかなぁ……」 「ああ。もしリルが役割を見つけられないなら、俺も一緒に探す。見つかるまで一緒に考えてやる。だから心配いらない」 レイが露草色の瞳を細めてふんわり笑うと、金色の髪がサラサラ流れて輝いた。 リルは驚いたような顔をして、レイを見た。 「ボク、今ちょっとだけレイが天使に見えたよ?」 「……いや、俺は元から天使だからな?」 二人は少しだけ笑い合う。 「ほら、勉強の時間がなくなるぞ」 「うん!」 リルが立ち直ったのを確認すると、レイは、開いたまま握っていた教科書をリルの前に出し、途切れていた解説をもう一度始めた。

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