「!!」 カエンの顔色が変わる。 五匹の蛇を総動員して、カエンは自身を包むように周囲に炎の壁を作る。 轟々と燃え上がる強力な炎の渦に、久居は数歩後退ったが、その表情は変わらなかった。 「がっ……あ゛……ぐぅっ!」 炎の渦の中から、酷く苦しげなカエンの呻きが漏れる。 程なくして、炎の渦が消えると、そこにはカエンが地に伏していた。 「な……にを……」 彼は両手両足を動かせないらしく、顔だけで久居を見上げる。が、その表情には驚愕だけでなく、恐怖がありありと映っている。 「環の力は、貴方もご存知でしょう?」 久居は残り二人の反撃を警戒しながら、カエンへとゆっくり歩を進める。 だが、あまりに急な主の敗北に、一人は吹き飛ばされた場所で、もう一人はその場で立ち尽くしたまま、動く気配はない。 「ゔ……ぁ……」 見ただけでは分からなかったが、久居がもう一度環を使ったらしく、カエンがさらに生気を失う。 久居としては、両手足を潰しても、鬼はリルのように体のどこからでも炎が出せるはず。と思ってのほんの少しの追加攻撃だったが、やはりこの環は力に溢れていて、調節が難しい。 「少しやり過ぎてしまったでしょうか。治癒をお願いできますか?」 久居が大男に視線を送る。 「お前は、一体……」 大男は、その浅黒い肌のせいで分かり辛かったが、どうやら青ざめているようだ。 負けるはずがないと思っていたのだろう。 あまりに信じられない光景に、まだ事実を受け入れられずにいた。 「貴方の主人が、亡くなりますよ」 もう一度言われ、大男が駆け寄り治癒を始める。 久居は内心ホッとした。 負けてしまった主人など、と切り捨てられてしまえば、自分が治す他なかった。 「久居……もう終わったの?」 背中から、おそるおそるかけられた声。 「もうしばらく、炎を維持してください」 「う、うん。わかった」 まだ動ける鬼が二人。 長身の男は動かないだけで、動けないわけではないはずだし、大男にいたっては無傷だ。 リル達は、しばらく額に汗を浮かべて治癒に励む大男を黙って見ていたが、カエンの状態は中々良くならない。 「……ダメだ。私の技術では延命がやっとだ」 絞り出すような大男の言葉。 久居にとってはちょうど良い塩梅だった。 「カエンさん、意識はありますね?」 仰向けに寝かされていた男が、視線だけで久居を見上げる。その瞳には先程までの溢れるような自信はなく、目前に迫る死への恐怖に染まっている。 「貴方が、もう私達に関わらないと約束するなら、命だけは助けましょう」 コクコクと、必死にカエンが動かせる精一杯で答える。 「貴方も、分かりますね?」 久居が大男を見据えて言う。 「分かった。誓おう」 大男が片手で見慣れない印を切る。誓いの仕草なのだろうか。 「リル、刀に炎をお願いします」 久居の手に、スラリと長い結晶が生まれる。 「何を!?」 大男が驚きと怒りの混ざった声を上げる。 リルが刀に炎を宿すと、久居が冷酷に告げる。 「手足は、完全に凍っているので落としますね。 そうすれば、死ぬことはありません。 手足は後ほどゆっくり治してください」 「……っ」 その言葉に、治癒をしていた男も実感から納得ができたのか。渋い顔をして後ろに下がる。 「リルは後ろの男を見ていてくださいね」 久居の小さく囁く声が驚くほど優しくて、リルは慌てて後ろを向いた。 両腕と脚は、凍りついていたせいか、炎を纏う刀で焼き切られたせいか、一滴の血を流す事もなく離れた。 おそらく痛みもほとんどなかったのだろうが、カエンの恐怖は相当だったのか、ひとつ、またひとつと切り離される度、声にならない声を上げていた。 続けて、久居がもう一つの環で凍えた臓器を温める。 「あとは治癒をお願いしますね」 さらりと振られて、大男が主人に駆け寄った。 久居は心の隅で、主人に駆け寄る事が許される大男を羨ましく思いながら、それに気づかないフリをして背を向ける。 「リル、少し離れましょう」 大男と入れ替わるかのように、久居がリルの手を引いて足早にその場を離れる。 「え、うん、え? なんで?」 スタスタと歩く久居に引っ張られるようにして、リルが長身の男の吹き飛ばされた方へ向かっていると、背中から断末魔とでも言えば良いのだろうか、魂に恐怖を刻み付けられた者の叫びが上がる。 ようやくカエンが声を発せる程度に回復したらしい。 狂ったように叫び続けるその声が止むまで、リルの両耳は久居の両手でガッチリ押さえられていた。 「怖い思いを、させてしまいましたね」 久居のしょんぼりした声。 「そんな事……」ないよ、と言いかけて、やっぱりやめる。 リルは今も酷く怯えていた。 「うん。怖かった……」 小さく呟いた声は、自分でも驚くくらい震えている。 怖かった。でも、怖かったのはカエンじゃなかった気がする。 みんなが怖がってたのは……。 久居をチラと見上げると、心配そうな顔でリルを見ている。 きっと、リルの震える声にも肩にも、気付いていて、それを申し訳なく思っているんだろう。 久居の手が、そっとリルの背を宥めるように撫でる。 「……でも、大丈夫だよ」 ぎこちなく笑顔を見せると、久居がホッとしたのが分かった。 (あんなに皆を怖がらせて、全然平気そうにしてるのに。久居はいつも、ボクを傷付ける事を凄く怖がってるんだよね……) 久居の黒い瞳を見る。真っ黒で、奥が少しだけ赤い、不思議な色。 「リル?」 久居がまたその瞳に不安の色の浮かべる。 それがなんだかおかしく思えて、リルは笑った。 「大丈夫!」 震えは、いつの間にかおさまっていた。
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