奏芽が聖と話をしようとしていたのは個人的なことだったが、同じ中学だった神近姫子を誘う為に話をした結果、姫子からミヤビに今日の待ち合わせの話が伝わった。そしてそれをミヤビが選手間の連絡用メッセージで共有し、アリテニ所属のジュニアメンバーで歓迎会をサプライズしようということになったそうだ。 「ワリィな、こいつら大半バカでよ」 集まったアリテニ所属の同世代のジュニアは聖を含め男女合わせて約20名ほど。先日の試合の時は10人ちょっとといった具合だったが、聖の噂を聞きつけなんやかんやと集まってきたらしい。そして、今日来てはいないOBの素ノ山田先輩なる人物から 「ナメられないよう第一印象ビシっと決めろ」(意訳:面白いことやれ) と言われ、それぞれ持ち時間約1分の自己紹介ネタを仕込んできたという。 「反対したんだよ。オレは。付き合い長いしお前がこういうのニガテだって知ってるから。けどうちの連中は愉快なノリが好きでよ。隙あらばネタ見せしようとしてくんだ。相手がどうとかお構いなしに」 奏芽はなんでオレがお前らの為に言い訳しなきゃならねーんだとブツクサ文句を言っているが、怒るというよりは呆れている様子だ。昔からこういう役回りを演じがちで、何かと誰かの世話を焼いている。見た目や振る舞いに反して面倒見が良い。 「いやでも面白かったよ、唐突過ぎて意味わかんなかったけど」 「なん……だと」 フォローのつもりが意味不明と言われ露骨にショックを受けるマサキ。その様子を男連中がカラかってやいのやいの言っている。同世代の男同士、くだらない事でバカ話に花を咲かせるのは久しぶりで、気付けば聖も輪に混ざって笑い合っていた。皆、気のいいやつばかりでこれなら一緒に仲良くやっていけそうだと安心出来た。会話を楽しみながら聖は何気なく一人ひとりの顔と名前を頭の中で反芻してみた。 最初に自己紹介のネタを披露したのが君塚正樹。アゴが尖っている。 続こうとして奏芽に止められた巨漢が高鬼亮。通称デカリョウ。 天パで小太りなお調子者が沼沖文学。ブンと呼ばれている。 3人共、聖とは同学年だ。 そして今年から高3の先輩が2人。 爽やかで優しそうな雰囲気の葛西悠乃。丸眼鏡が似合う。 長髪で分かり易く美男子な千石透流。高三でリーダー。 高2の先輩は全部で4人いるらしいが、大会出場のため今日は全員欠席らしい。 「あともう一人、オレ等とタメで能条蓮司ってのがいる。前髪長くてちょっと暗い雰囲気の。選抜試験の時来てたが覚えてるか?」 奏芽が言っているのは、あの時ミヤビの横にいた小柄な少年のことだろう。 彼の目付きを思い出すと、多分よく分からないけど嫌われてるような気がしたのを思い出し、今日ここに来ないのは偶然ではないのかもしれないと聖は思った。彼ともそのうち友達になれると良いのだが。 <V系、アゴ、デブ、天パ、眼鏡、チャラ男か。オマエが一番キャラ立ってねェな?> 頭の中で新しい友人たちに対する失礼極まりない評価を下すアドに辟易としながら談笑していると、女子の1人が聖の方を見てニコニコしながら席に近づいてきた。なんとも人懐こそうな雰囲気の娘だ。 「ね~、そろそろ新人クンこっちに回してよ~。独占すんなよな~」 「いやよ!あたらしら男同士で楽しんでるんだから!」 「そうよ!女は女同士で乳繰り合ってりゃいいのよ!」 マサキとブンが裏声を使い女口調でいう。 「うるせ~。社会の厳しさ教えてやんだから邪魔すんな~。ほら、こっちおいで」 聖の腕を強引に掴んで立たせると、そのまま女子の集まる席へ引っ張っていく。マサキ達が大袈裟に、人さらいじゃ~!だの、息子を返せェ~だのと喚いているが一切止めようとはしない。先輩であるトオルは「マホロ、あんまいじめんなよ~」と茶化していた。 「あ、来た~」 「いらっしゃ~い」 店内の奥にある一番広い席を独占していた女子メンバーは、私服だったりテニスウェアだったりと恰好は様々だ。 <オイオイ、こりゃ随分レベル高ェなァ!!> 失礼だとは思いつつ、聖もアドには同意見だった。男子が個性様々だったのに比べると、女子の面々は不自然なぐらいに容姿の整った娘ばかりだ。テーブルを囲んで女子ばかりが座っているのを見て、聖はドラマや映画でみたキャバクラを連想する。 「ささ、どうぞ新人クン、座りたまえよ~」 聖を強引に連れてきた娘に促されるまま席に着く。なんともいえない甘い匂いが充満している空間で、ちっとも落ち着かない。そんな聖の様子を女子メンバーはしげしげと見つめてくるので、視線がこそばゆいったらない。誰とも視線を合わせないようにするせいで自分でも分かるぐらいに視線が泳ぎ、やがて男の本能か一番目立つ山で視線が止まってしまった。 「あ!見た!やっぱり見た!」 座っていた1人が嬉しそうに声を上げる。 「も~、男はすぐこれだよ~」 「スズさん白ニットは狙いすぎ~」 「なんか今日いつもより盛ってな~い?」 「逆だよ~、いつもが抑えてんの♪」 女子同士できゃっきゃとはしゃぐ様子についていけない聖。アドは頭の中でたまんねー、そこ替われよてめー、などと喚いている。せめてアドのリンクだけでも切ってやろうか。 「ごめんごめん、ちゃんと自己紹介しなきゃね」 初対面の、それも年の近い女子ばかりの場で挙動不審になってしまっている聖の様子を察したミヤビが気を遣い、会話の切れ間に言った。ふざけていた女子メンバーも一旦静かになり、それぞれ一言ずつ自己紹介をしてくれた。この場にいる女子は9名。 聖が思わず目を止めてしまった特に発育の良い、しかし童顔な偕鈴奈、高3。 同じく高3で台湾からの留学生、李紫薇。 高2で既に顔見知りの雪咲雅。 聖を女子席に引っ張ってきた人懐こそうな清霜真幌。 雰囲気にも振舞いにもお淑やかさが滲み出ている秋涼もみじ。 そして聖と同学年、ショートカットで目付きが鋭く美男子に見える羽切棗。 全く見分けがつかない一卵性双生児の桐澤雪乃と雪菜。 女子メンバーの中でもっともギャルっぽい装いの古賀薫子。 「今日来てないけど一年にあと1人、二年はあと2人、三年にあと1人いるよ」 ミヤビが最後にそう補足してくれて、一通りの自己紹介が終わった。 <たまんねェ、選り取り見取りじゃねェか。お嬢なんてどうでもいいわ> 油断するとうっかりアドにつられて同意しそうになるが、先にアドが余計な事を言ってくれるお陰で聖は辛うじて変な気分にならずに済んでいる。さすがにこれだけ美人が揃うと理性よりも本能の方が力を増してくるのも無理はないかもしれない。気付かれないよう深呼吸をして気を落ち着けようとしていたところに、マホロが聖に言った。 「ところで聖クン!」 「は、はい」 「ちょっと、真面目に答えて欲しいんだけどサ」 雰囲気に似つかわしくない真剣な面持ちに替わるマホロ。徹磨との試合について何か聞かれるのかと思い、気を引き締め直す。真剣な眼差しで聖の瞳をじっと見つめるマホロ。かたちの良い眉に長いまつ毛。子供の人懐こさと、大人になりかけている少女の不思議な美しさが同居しているマホロの相貌。視線を外せない聖は無意識に唾を飲む。やがて、蕾がゆっくり花咲くようにマホロの口が開いた。 「こん中で、誰が一番カワイイと思う?」 聖が固まる様子を見て、心底嬉しそうな笑い声が店内で響いた。 ★ 「ただいま~……」 心底疲れた様子で帰宅した聖は、玄関で姉の瑠香と鉢合った。 聖の様子を見た瑠香は眉をひそめ、心配そうに尋ねる。 「アンタ、身体平気?無理したんじゃないの?」 「へーき、筋肉痛はあるけど。あ~……疲れた」 すれ違いざま、瑠香の鼻を甘い匂いがくすぐる。 「アンタ、彼女でも出来たの?」 「は~?何いってんの?」 「女と遊んできたでしょ」 「ちげ~よ……あ~、まぁ違くもないけど思ってるのとは違うよ」 説明するのが面倒だったので聖は取り敢えず否定だけして自室に向かう。 そんな弟の様子を見送りながら、姉はそろそろ反抗期かなと思うのだった。 自室で部屋着に着替え、ベッドに倒れ込む聖。 筋肉痛もきついが、何よりも今日は精神的にとても疲れた。 <い~ご身分だなァ~~~。これから夢のハーレム生活かァ~~~~> アドがおちょくるように煽りたてるが、相手するのも面倒臭い。 <おめーがハーレムルート行けるとは思えやしねェが、いずれにせよあの連中とは仲良くしとかねーとな?なんせ大事なチームメイトだからよ> 聖の気を重くしているのは、まさにその事だった。 歓迎会事体は楽しかったし嬉しくもあったが、いきなり大勢の人と長く話をしたり、年上から思う存分いじられたので多少の気疲れは勿論あった。とはいえ皆、本当にいい人ばかりで、これから先アリテニに所属してプロを目指す上で彼らと共に切磋琢磨していくことそれ自体に不安はなく、むしろ楽しみですらあった。 問題は別のところにある。 てっきりひたすら個人で実績を積み上げていくと思っていた聖の想像とは裏腹に、団体に所属する以上ついて回る義務が生じてしまった。平たく言えば、聖は団体戦のメンバーに選出されていたのだ。 「今の日本テニス協会が制定しているプロ試験の受験資格が、ITF(国際テニス連盟) Jr.ランキング10位。そのランキングを得るにはITF公認大会でポイントを稼ぐ必要がある。ITFへの選手登録自体はアリテニに所属することで申請すれば代行してくれるから良いとして問題は……」 <大会参加と、それに伴う費用の捻出、だな> ITF公認大会は世界中で開催されている。 当たり前の話だが、近所で開催されている大会の数などたかが知れている。 「なるべく最短でITF10位になる為にどのぐらい大会に出て具体的にいくつポイントが必要なのかは後々調べるから良いとして、決して少ない数じゃ済まないだろうしな。実績ゼロからスタートするわけだし」 <片っ端から優勝すればすぐだろうがな?> 「それでも、県外への遠征は絶対必須だ。海外は現時点で個人じゃ絶対無理。国内ですら近隣ならともかく北海道とか九州とかは無理だよ。親に頼むにしたってうちはそんな裕福じゃないもん。そもそもアリテニ入るのも部活の延長だと思ってるっぽいし」 <で、そんなお困りのキミを助けてくれそうなのが団体戦のチーム、と> 団体戦。 男子だけのものもあれば男女混合の試合もある。 日本のテニスブームの火付け役となったグランドスラムミックス優勝は、それ以前の日本のテニス業界の「ダブルス主流」を加速させた。世界規模の視点で見ればテニスの人気はシングルスの一強だ。メディアの注目度やビジネス的な広告塔としての役割、経済効果を鑑みて、シングルスで栄光を掴むことが即ちテニス界の挑戦を意味する。 だが、日本は昔から国土の狭さや雨の多い気候でテニスにおいては世界標準に対して大きく後れをとったいわゆるテニス後進国だ。競技そのものの成熟度が足らないことはもちろん、テニスコートの面数自体が競技人口に対して足りておらず、必然的に複数で行えるダブルスが中心となっており、コートサーフェスも雨に強い砂入り人工芝が主流であるなど、あらゆる面で世界の常識とは乖離してしまっている。 日本テニスが世界で活躍出来ない要因はその国民性と環境にあると指摘されるほど、日本のテニス環境で強力なシングルスプレイヤーを排出するのは難しく、時折出現する類まれな人材の登場に頼らざるを得ないうえ、その人材を育てるのは専ら海外のアカデミーだった。 しかしそこへ、ミックスでのグランドスラム優勝の報が世界のテニス事情の風向きを変えた。野球やサッカーのようなメジャー競技のようにチーム戦を流行らせたいというメディアや企業のビジネス的な狙いから徐々にテニスの団体戦、とりわけ男女混合団体戦に協賛する動きが活発になったのだ。 団体戦を流行らせようとする動きは日本だけに留まらず、グランドスラム開催国であるイギリス、アメリカ、フランス、オーストラリアなどでも徐々に盛んになっていった。テニスのスポーツビジネスとしての側面を強化しようという目論みが国際テニス連盟を中心に行われ、世界的に見てもテニスの注目度はここ数年で最も高まっている。 「特に次世代を担うジュニア達の活躍の場として、各国代表チームによる国別対抗団体戦がグランドスラムに次ぐ注目のスポーツショウビジネスとしてその地位を確立した、か」 <その団体戦に向けた国内での試合であれば、旅費だのなんだのは所属してるテニスクラブが大半を負担してくれる、だったな。団体戦をやるついでに地方のITF公認大会へ個人参加してポイントを稼げる、と。上手いこと出来てンな?> 早い話が、団体戦のメンバーであれば個人ポイントを稼ぐための大会に参戦するハードルがぐっと下がる、というわけだ。 「まさしく渡りに船だろ。何をそんな気に病んでやがるんだ?」 いつの間にか少年の姿を現わし、ニヤニヤした顔で問うアド。 「分かってるクセに。今の僕じゃ両方出て結果を出すのはほぼ不可能じゃないか」 虚空の記憶。 現在過去未来、遍く全ての事象を記録した全宇宙の記憶概念。その超常的な力を、聖は一時的に借り受けることで、テニスにおいて聖は無敵状態になれる。 叡智の結晶と呼ばれる能力があれば、テニスで負ける事は有り得ないといって差し支えない。だが、この能力には色々と条件や制約がある。 「撹拌事象の時は良い。正直どんな相手であろうと、それこそ世界No.1が相手でも戦えるから。問題はそれ以外の――」 撹拌事象は「未来の可能性の撹拌」を目的とした、いわば虚空の記憶側の事情で実行される強制イベントだ。聖の意志と関係なく能力を行使するため、叡智の結晶の使用は無制限となる。 だが、そうでない時。「非・撹拌事象」は別だ。 これは聖が自分の意志で叡智の結晶を使用する場合を指す。この場合、聖は能力を100%発揮出来ない。自分の身体の強さに応じて出力が制限される上に、使用に伴う代償を支払わなければならない。 「代償、失徳の業が発生すると、1日以上文字通り身動き取れなくなる。これが大問題だよ。試合はこの前みたいに1日1試合とは限らない。試合で結果を出すには、少なくとも今は叡智の結晶に頼らないといけない。それに、撹拌事象だって試合中にいきなり終わったりするし」 恨めしそうな視線をアドに向ける聖。それを受けてニヤニヤ笑うアド。 「プロになる為の筋道が立ったのは良いけど、今の僕の手札じゃ早々に詰む」 団体戦のメンバーになったら、自分の敗北がチームの敗北に繋がりかねない。勿論、自分が負けても仲間が勝てば勝利することは可能だ。しかし、日本男子No.1を特殊ルールとはいえ一度倒している自分がアッサリ敗けようものならどんな評価を受けるか分からない。 更に聖個人の事情で言うならば、団体戦メンバーとしての評価を落とさない為に団体戦の試合で叡智の結晶を非撹拌事象で使用してしまうと、発生する失徳の業によって行動を制限され、肝心の個人戦が戦闘不能になりかねない。団体戦のメンバーに選ばれたことで個人戦の参加ハードルは下がったものの、両方で勝つ必要が生じてしまった。 「はン、小賢しく色々知恵を絞ってるけどよ、要はやるこたァは1つじゃねェか」 挑発するように口角を上げるアド。この姿でそういう顔をするとやけにサマになる。 「たった1つの単純な答えだ。オメー自身が強くなるンだよ」 結局、そうなる。 聖は大きくため息を吐いた。世の中、そう簡単に話は進まないようだ。 幸い、聖が叡智の結晶を使用する事で得られるメリットは2つある。一つは、出力が制限されるとはいえ、非撹拌事象であっても任意で能力を扱えること。もう一つは、能力を使用することで若干のフィードバックが得られ、聖自身のテニスレベルが向上する功徳の業があることだ。 後者についてはアド曰くオマケのようなものらしいが、つい数日前まで初心者同然だった聖の現在のテニスレベルは、一般中級程度まで向上している。個人差はあるが、学生が真面目に部活で毎日練習した想定で1、2年ぐらいの熟練度と言える。 アドの説明によれば、テニスレベルが低いうちはこの功徳の業による伸び率はかなり高いようだが、それは徐々に下がっていくらしい。とはいえ、本来ならば時間と労力をかけなければ手に入らない経験値を数十倍の速度で得られるのだ。聖はこの特性を活かし、少しでも早く素の状態での強さを伸ばす必要がある。 「黒鉄さんとの試合、非撹拌事象でオレが能力を使用したのは約10分。それによって発生した失徳の業が27時間だっけ。どういう算出をされるのか分からないけど、単純計算するにしても5分で12時間以上か。きついな……」 能力を任意で使う度に毎回倒れていては話にならないし、聖の健康状態を疑われる。とはいえ、なんとかしてここを上手く使って少しでも功徳の業を溜めていくより他に有効な手立てがない。 「でも2分なら約6時間って考えると、翌日に支障は無さそうか。であれば最後の問題は」 「失徳の業発生のタイミングだな。基本的には能力解除から数分以内だ」 「なんとかならない?」 ダメ元だが上目遣いで下手に出てみる聖。 「男が上目遣いしてンじゃねェよ気色ワリィぶっ殺すぞ」 「だよねぇ」 聞いた自分がアホだった、と諦める聖。 <ご希望であれば、失徳の業発生を一時的に遅らせる事は可能です> 不意に、書記の声がした。 「え?ホント」 「あ、テメェ、甘やかすンじゃねェよ!」 <不適切な指摘です。撹拌者には未来の可能性の撹拌を担う役目があり、その為に我々は彼に能力を貸し与えているのです。我々は目的を最優先としていると同時に、協力者である彼の人生の妨げにならないよう配慮すべきです。多少の融通を利かせることでお互いの利害を一致させるのは必要なことであり、決して甘やかすということではありません。また、管理者が過去、彼に対する説明で不手際を起こしたことで我々の行動に遅延が生じました。それについての補填が完遂されていません> 書記の言葉でみるみるうちに顔をしかめていくアド。対照的に普段はあまりしない悪い顔でニヤニヤした笑みが抑えられない聖。2人は散々言い合いをしたが、結局のところ、失徳の業の発生はその量に応じて能力の使用後30分~1時間後に調整してもらうことになった。 「ケッ、んじゃそーすればァ?ご自由にドーゾ」 捨てセリフを吐いたかと思うと、アドは姿を消して見えなくなった。 思わず笑ってしまった聖だったが、すぐに思い直して言った。 「書記、ありがとう。助かるよ」 すぐに反応は無く、聞き流されたと思った聖はシャワーでも浴びようと立ち上がった。 <どう、いたしまして> 遅れて聞こえた書記の言葉に、思わず和やかな笑みを浮かべるのだった。 ★ トレーニングを終え、息を整えてから能条蓮司はロッカールームへ向かった。時刻は既に22時を回っており、時折スタッフとすれ違うだけで他に利用客は誰もいない。無人のロッカールームに併設されたシャワーで汗を流し着替えを済ませると、携帯端末に未読メッセージの通知があるのに気付いた。 miyabi:今日、なんで来なかったの~? miyabi:聖君やっぱりメッチャ良い子だったよ。仲良くしなね 「フン」 蓮司は返事をせず、端末をカバンに放り込んだ。 若槻聖。 素襖春菜の幼馴染で、婚約者だって? これまで一度たりともジュニアの大会には出てこなかったヤツが、今さらノコノコ出てきやがって。そのうえ、6先ノーアドの緩いルールとはいえガネさんに勝ちがやった。 穏やかで人の良さそうな聖の顔を思い出すと同時に、黒鉄徹磨との壮絶な試合を思い出す蓮司。あんなヤツが、自分と同じ年で今度から一緒に練習する? 思わず、拳に力を込めて握りしめる。 上等だよ。相手が誰であろうと関係ない。 あんなやつには敗けない。絶対に敗けない。 人知れず心に固くそう誓い、思わず声が漏れる。 「一番強いのはオレだ」 幼さの残るその瞳には、明確な敵意が宿っていた。 続く
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