トスが上がる。 放り上げられたボールが一瞬空で止まり、逆再生するように今度は落下していく。その時にはもう身体の反応が始まっていた。意図しているのかどうかすら知覚できないのに、そこにはハッキリとした意志が感じられる。激しい打球音と共に鋭く放たれたボールはサービスボックスの角へ突き刺さる。そしてバウンドが最高点に達するより早く、聖のラケットがボールを捉えて叩き返した。サーブのモーションを終えて次に備えようとしていた相手は反応すら出来ない。 <これが元世界No.1且つ史上最高の『瞬跳の迎撃手』だ。そして> 聖は自分の打ったラケットをぼんやり見つめている。 <現在・過去・未来、遍く全ての事象と記憶を網羅した虚空の記憶の加護を得た、オメェの力だ> ★ 油断大敵と頭で意識していても、心の隙を自覚的に埋めることは難しい。徹磨の打った渾身のサーブは見事に打ち返され、反応する間も無く迎撃された。 「0-15」 やや遅れて篝コーチがカウントをコールした。その声にも驚きが混じっている。驚いて固まったままの徹磨の様子を見て、篝はすぐに声を掛けた。 「徹磨、ボールパーソンはいない。自分で拾え」 篝の言葉で我に返った徹磨は、後ろに転がったボールを拾いに行く。ここ数年ボールバーソンのいる試合にしか出場していない徹磨にとって、自らボールを拾いに行くなど久しぶりだ。しかしそんな感慨にふける余裕も無いほど、徹磨の心中は驚愕に満ちていた。 なんだ?今のは。 充分に手応えのある、自分でも納得のいくサーブだった。しかし結果は完璧に捉えられものの見事にカウンターを食らった。サーブが良かった分、カウンターの威力も跳ね上がっていたのだろう。ここ半年で徹磨の1stサーブをこれほど完璧にリターンした選手はいない。サーブに絶対的自信を持つ徹磨だが、当然時にはリターンエースを食らうこともある。しかしまさか、コイツに決められるとは思いもしなかった。 ふと、素襖春菜の横顔が徹磨の脳裏に浮かぶ。 テニス界の至宝とまで呼ばれるあの圧倒的センスを持つ彼女の婚約者。 どうやら、女のケツを追いかけてプロになろうとしてる中途半端な軟派野郎というわけでは無さそうだ。 「上等ォ」 徹磨は聖を睨みつけながら、獰猛で好戦的な笑みを浮かべた。 ★ 試合は激しいラリー戦となった。 徹磨のプレースタイルはサーブとフォアを主力とした後方積極攻撃型だ。一方、聖が今使っている叡智の結晶のアンドレ・アガシも同タイプ。 違いがあるとすれば、徹磨がややベースライン後方に立つのに対し、聖はほぼベースラインの真上に立ってラリーを展開している。約1m未満の差ではあるが、テニスにおいて基本立ち位置は極めて重要な役割を果たす。戦術方針が同じでも、この僅かな差は試合の趨勢に影響する要素となり得る。 「(信じられねェ!マジかこの野郎ッ!?)」 激しい打ち合いの最中、徹磨は驚愕を抑え切れなかった。 徹磨は利き手・逆手共に完成度が高く、穴が無い。特にその強烈な利き手はサーブに次ぐ主力と言って良い。恵まれた体格を持つ徹磨の利き手による攻撃を凌ぎ続けるのは極めて困難だ。それ故、徹磨を知る選手は大半が徹磨に利き手を打たせないよう逆手狙い中心のゲームメイクをする。 利き手を得意とする選手は当然多い。テニスをする者が一番初めに覚えて試合でも一番使用頻度の多い技術である為、否応でも技術練度は高まっていく。イップス(故障の一種。怪我を伴わない精神的な故障)などの特殊な事情を除けば、利き手に対する苦手意識を持つ選手は極々僅かだ。 利き手を主力とする選手に対して逆手を狙うのは定石であり、当然狙われる方はそれを見越した上で展開を考える。少しでも相手の配給が甘ければ、逆手側に来たボールに対して回り込み、得意の利き手をお見舞いする。 だが、徹磨は利き手に頼らない。戦術的な理由もあるが、単純に逆手にも自信があるのでわざわざ回り込む必要性を感じていない。得意なショットを軸にゲームメイクするのは普通のことだが、得意なショットに頼ってしまうと崩れた時のリスクが大きい。 コート上を高速で飛び回るボールを追いかけながら正確にコントロールしなければならないのがテニスだ。いくらその道のプロとはいえ、その日の体調や感覚、相手のプレーとの相性、ほんの僅かな気持ちの揺らぎがプレーの質を大きく作用する。得意なショットがいついかなる時であろうと勝利のカギを握る訳ではないのだ。 「(てっきり逆手狙いで来るかと思ったが、野郎、ひたっすら跳ね際でぶっ叩いて来やがるッ!)」 一方、聖が使用している能力の源であるプロ選手、アンドレ・アガシのプレースタイル最大の特徴は、相手のボールが1度バウンドした後、最頂点に達するより前に打つ跳ね際打法にある。この打法は相手の打つ球が速ければ速いほど、自分は更に速いタイミングでボールを打ち返すことになる為、相手は自分がボールを打った後の準備時間が大きく削られる。 自分が打ってから相手が返球してくるまでの準備時間は、目まぐるしく変化する戦いのリズムを担う重要な要素だ。テニスでは常にバランス、リズム、タイミングを調整しながらボールを打ち合う。その為には、次の相手の攻撃に備えて自分がボールを打った後に素早くニュートラルな状態へ復帰する必要がある。準備時間が削られてしまえば、それだけ自分が不利な状況に立たされることとなる。 また、ボールがバウンドして最頂点に達する前というのは、ボールの推進力が失われていない状態を意味する。打ち返す側は自分から速い球を打とうとしなくても当てるだけで勝手にボールの威力が出せる。つまり相手の球威を利用して強い球が打てる為、体力の温存にも繋がる。 無論こうしたメリットがある一方で、ライジング打法は難易度が極めて高い。自分がコート上を動き回りながら、高速で飛んで来るボールを通常よりも速いタイミングで打ち返すということは、それだけシビアな精度が要求される。また、速いリズムで打ち返すのに慣れ過ぎると、逆にゆっくりしたボールに合わせ辛くなるといった側面もある。ライジングは攻撃において非常に強力な反面、常に大きなリスクがつきまとう。 そんなライジングを極め世界の頂点に立ったのが、アンドレ・アガシという選手だ。 「(野郎、ライジングのリスクをものともしやがらねェ)」 徹磨の打つショットは既に世界水準だ。それをこうもあっさりと的確にライジングで打ち返し続けるなど、素人では有り得ない。試合前の雰囲気とは裏腹に、聖の実力は徹磨と並ぶか、それ以上のものだと徹磨は痛感した。 「(ナメるンじゃねェ!!)」 聖の高速ライジングに対し、徹磨も負けじとその豪腕から攻撃的なショットを繰り出すが、球威に押されてミスしてしまう。ラリー戦を得意とする徹磨だが、予想外過ぎる相手の攻撃力に焦りを覚え始めた。 優し気な容貌とは裏腹に底知れぬ力を秘めた眼前の青年に対し、徹磨は怖れを感じずにはいられない。こんな経験は初めてだ。格上相手に手も足も出ず叩きのめされたことはこれまでに何度もあった。だが、テニスで怯えを自覚するなど一度も無い。初めての経験だった。 余計な事前情報による先入観で相手を見縊った。 これはそのツケか。 徹磨の脳裏に、敗北の二文字が過った。 ★ <良い調子だな。初めての実戦にしちゃあ上手く扱ってる> ポイントの合間、アドが満足そうに言う。 <だがいくら叡智の結晶でトッププロの能力を使えるといっても、オートマチックに身体が動くワケじゃねェ。使えるようになった能力を駆使してオメェ自身が戦うことには変わりねェからな。やり方を間違えれば敗けることは充分ある> 「(大丈夫、それは分かってる)」 聖の感覚としては、どこまでが自分の意志でどこからが叡智の結晶による能力なのか判断がつかない。完全に一体化したように違和感なく身体が動く為、来たボールに対して自動的に身体が反応しているような錯覚があった。 初っ端に叩き込んだリターンエースも、猛烈な勢いで飛んできたボールに対して打たねばと強く意識した結果、勝手に身体が反応したような感じだった。それ以降、飛んでくるボールに意識を集中させ、打つイメージを強く持つことで徐々に“どこへ”、“どのくらいの威力で”という細かい調整が利くようになってきた。 それが実感出来るようになると、今度は相手の徹磨が次にどこへボールを打とうとしているのかを何となく感じられるようにもなってきた。詳しいことは聖には分からないものの、なんとなく徹磨は聖のどこに弱点があるのかを探るような戦い方をしているように思えた。日本のトップとして活躍する一流選手の本気のテニスを、聖はその肌で痛いほど感じ取っていた。 徹磨のサービスから始まった試合は、聖がいきなりブレイク(相手のサービスゲームを奪うこと)してゲームカウントを2-0の1ゲーム先行となった。その後、徹磨は一旦サーブの精度をスピードよりも回転重視に切り替え、容易にライジングリターンをさせない工夫を凝らしてサービスキープ(自分のサービスゲームを守ること)に成功。そこから膠着状態に入り、ゲームカウントは聖の5-4まで進行した。 そして迎えた第10ゲーム。聖のこのゲームをキープすれば勝利となった。 ★ 「オイオイ、あれマジで聖かよ。ガネさんに1ゲーム先行って」 インドアコートを見下ろせる観覧席で、奏芽は呟いた。一緒に見ている姫子は言葉を失ったまま、ただ呆然と試合展開を眺めている。 観覧席で試合を見ているのは、奏芽と姫子だけではなかった。 姫子が試合前に友人たちへ今日のセレクションについて話していた為、数名の選手たちが興味を持って観戦しに来ていた。奏芽と姫子にとっては顔なじみのメンバーである。そして見ている者の殆どが言葉を失ったまま展開を見つめる中、ただ一人、雪咲雅だけは得心が行った様子で見守っていた。 「アイツがこの前会ったっていう、素襖春菜の幼馴染?」 小柄な少年が、試合の様子から目を離さないまま雅の隣に座った。 「そ。ハルナちゃんの元ペアだって」 彼、能条蓮司にチラリと視線を向けると、険しい表情を浮かべたまま試合を注視している。幼い顔つきだがその目付きは真剣そのもので、まるで次の対戦相手は自分だと言わんばかりの闘争心すら感じさせる。いや、彼の中ではきっともう試合は始まっているのかもしれない。自分を黒鉄徹磨に置き換えて、自分ならどう戦うかをイメージしながら観戦している、そんな表情だった。 「信じらんねェ、こんなヤツがいたのかよ」 その言い方はどこか悔しそうで、苛立たし気でありながら嬉しそうでもあった。自分が狩るのに相応しい獲物を見つけたハンターのようで、聖の動きを目に焼き付けようとしていた。 真剣な表情の蓮司を見ていると、雅はついからかってやりたくなった。 「お帰り、蓮司。自分の試合はどーだった?」 その言葉にハッとした蓮司は雅の方を向く。悪戯っぽい笑みを浮かべる雅の表情に、思わず蓮司はたじろいでしまう。二日前から九州へ遠征に行っていた蓮司は、先ほどここへ戻ってきたばかりで雅と会うのは大体5日ぶりといったところ。 蓮司にとって先輩かつペアである雅に何の挨拶もせずいきなり試合の観戦である。別段、雅はそんな蓮司の振舞いに小言をいうような性格ではないものの、蓮司自身がそういう部分に気を遣う質なので、雅は敢えてつついてみた。 「ご、ごめんっ、さっき戻ってきた。神近のメッセージ見て慌ててきたんだ」 「自分の試合はどーだった?」 わざと蓮司の言葉を無視して同じ質問を繰り返す雅。結果などとうに知っている。 「か、勝った。優勝できたよ」 照れ臭そうに視線を外し、小声でいう蓮司。 雅が何も言わないので上目遣いでチラりと雅の様子を伺うと、ジト目で見つめていたかと思うと急に満面の笑顔を見せた。 「おめでと」 耳を赤くしながら、小声でありがとう、と呟く蓮司。 その様子を充分堪能すると満足したのか、雅は再びコートで行われている激闘に視線を移した。ゲームカウントを表示するサイネージが、丁度「5-4」に切り替わった。 「大詰めだね」 誰ともなしに、雅はそう呟いた。 ★ コートチェンジの際に徹磨はベンチに座り、タオルを頭から被って外界の情報を遮断した。試合で劣勢になった際は必ずそうして精神統一を図り、冷静さを取り戻すのが彼のルーティンだった。 目を閉じ、呼吸に意識を集中させ、現状起こっている事を反芻する。 自分のプレーは悪くない。むしろ良い方だ。相手ののプレーが良過ぎるのだ。徹磨の強力な攻撃を悉く速いリズムで叩き返し続けてくる。強打で相手を崩してネットを取ろうとも考えたが、準備時間が削られている為に前に出られない。 下がって守備的なストロークで様子を伺うも、こちらがポジションを下げれば平気で角度をつけ左右に振って来る。ライジングで引っ叩くだけではなく、肩を入れてコースを隠す強打もしっかり混ぜて常にこちらを後手にしてきやがる。 意外と食えないのがサーブだ。セカンドのスピンサーブが横に強く跳ねてリターンによる先制を狙うのが難しい。加えてファーストの確率が高くこれもやはり精度が良い。恐らくセカンドにかなりの自信があるんだろう。そのお陰で思い切り良くファーストが打てるんだ。 どうやってブレイクするか? まずは堅実にリターンを成功させ、なるべくこちらも下がらずセンターへ集めて打ち合えば決定打を浴びることは少ない。だが、僅かでも返球が甘ければやつは見逃さず攻撃に転じるだろう。 スライスを多くして高い打点を封じるか? 既に試しているが、スライスに対してはリスクを負って来ないのは確認済みだ。最低限のスピンでネットを回避しつつ、それでもきっちりコントロールしてこちらに反撃の隙を与えない。 やつがミスをした場面は、体勢が崩れた時でも強引にエースを狙おうとして来た時だ。普通ならまず凌いで次に備えそうなところを、構わずに打ち抜いてきやがる。それが成功すれば言う事なしだが、そうそうそんなギャンブルが上手く行くはずがない。 中盤から布石は打っているが、やはり強いスピンと浅いショートスライスを多用してヤツに一定のリズムで攻撃させないことが最有力だろう。ラリーのタイミングを崩せれば、プレースタイル的にミスが増えて来るはずだ。そうなれば攻撃の手を緩めるはず。 「時間です」 篝が声を掛ける。 徹磨はタオルを払い、水を一口飲んでリターンポジションへ向かった。 「(クソ、敗けてたまるか)」 先にサービスポジションについていた聖を睨みつけ、徹磨は構えた。 ★ 第10ゲーム。聖のこのゲームをキープすれば勝利。 第1ポイント、センターに入った聖のファーストを徹磨は逆手のスライスでやや浅めにリターンした。ベースラインからコート内側へ一歩踏み込み、聖はこれを低弾道のスピンで徹磨のアドサイドへ返球、対する徹磨が逆手の高い弾道になるスピンでクロス方向へ深く返した。一瞬、ノーバウンドで処理すべきか迷った聖だったが、低く沈んだ体勢でこれをショートバウンド(ライジングよりも更に早く、バウンドした直後に当て返す技術)でストレート方向に流した。回転はそこまで掛かっていないフラット気味の返球となり、ネット上スレスレを通った。徹磨は素早く反応し、今度は利き手でクロスに深くスライスで返球した。 <はン、ペース変えて揺さぶる作戦は変更せずか> アドが独り言ちたが、聖に声は届いていない。インプレー中は接続を切っている。 <初めこそ動揺してたらしいが、割と早い段階で冷静になったな。てっきりベーグル焼けると思ったが、日本イチってのは伊達じゃねェか。大した野郎だ。だが、それじゃダメだ> 聖は徹磨のスライスをクロスではなく、強引にストレートへ打つつもりでいた。だが、構えた瞬間、徹磨がクロスではなくストレートを守ろうとサイドステップしたのを視界の端で捉え、タイミングを速めてクロスに打ち抜いた。逆を突かれる形となった徹磨は反応出来ず、ノータッチでポイントが終わる。 「(動きが早すぎたか)」 これまでの展開を踏まえると、あのスライスをクロスではなくストレートに叩く可能性が一番高いはずだった。ほんの僅かに徹磨の移動タイミングが早く、立ち位置で気付かれ逆を突かれた。 続く第2ポイント。 聖はファーストサーブを徹磨の逆手側へスライス気味に放った。回転を掛けて軌道を曲げ、逆手で捕球しようとした徹磨の打点を外す狙いがあった。聖の主観で言えば、考えて打ったというよりそうした方が徹磨のリターンによる反撃力を削げると自然に感じ取っていた。 これまでファーストはフラットまたは跳ねるスピンサーブを多用してきた為、唐突な球種の変化に徹磨は僅かに虚を突かれた。が、追い詰められ集中力が徐々に高まってきていた徹磨は冷静に処理し、コート中央へ深く返球。 そのリターンを聖は逆手のライジングで逆クロスに叩き込みエースを獲った。(※逆クロス:コートの対角線上に返球する技術の一種。コートの内から外へ流す弾道のものを指す) 「(これで0-30。いよいよ後が無ェな……)」 徹磨はどうしたものかと汗を拭いながら、ふと上を見上げた。 二階の観戦スペースに知っている顔がいくつも見えた。 「(チ、どいつもこいつも心配そうなツラァしやがって)」 見ると、同い年で友人の素野山田守治の姿もあった。ほんの一瞬、徹磨は守治と目が合ったような気がしたが、すぐに視線を戻し、リターンポジションにつく。それを見て聖がサービスのモーションに入る。 ——お前はプロを、それも世界No.1を目指すんだろ? ゆっくりとボールが宙に放り上げられる。 ——敗けない戦い方じゃなくて、勝つ戦い方をしろよ 快音が響き、またもスライスサーブが放たれた。今度は浅く外側へ。 ことごとく徹磨の予想を外してくる聖のサーブ。配球センスといい品質といい、もはやトッププロと遜色無い。態勢を崩しながらも辛うじてリターンしたが、この試合で初めてネット前へ詰めてきた聖が忍び寄る一撃で仕留めた。 「(0-40、マッチポイントか)」 無意識に、徹磨は奥歯を嚙み締めた。 ★ ゲームカウント5-4、ポイントは40-0となった。 叡智の結晶を使っての初の実戦ではあったが、ようやく終わりが見えてきた。中学時代は陸上部でハードル走をメインにやってきた聖は多少体力に自信はあったが、テニス特有の身体の動かし方は想像以上に体力を消耗した。技術的には叡智の結晶による恩恵があるとはいえ、体力まで向上するわけではないのだ。 それに相手は現役の世界ランカー、日本国内では堂々のNo.1を誇る実力者である。技術的には圧倒的有利でも、ちょっと油断すれば足元を掬われかねない。勝ち切る最後の瞬間まで気が抜けないことは、試合が始まってすぐ気が付いていた。 あと1ポイント取れば勝利。 それで選手育成クラスへの入会はほぼ決まったようなもの。 ハルナのペアとして相応しい選手になる為の、最初の一歩を踏み出せる。 聖は深く息を吐き、更に集中力を高めようとした。 <ノってるとこワリィんだけどよ> 頭の中で雑音が響くように、アドが話しかけてきた。 <非常に言い辛いンだが、残念なお知らせがあるぜ> いつものふざけた調子ではなく、妙に落ち着いた話し方をするアド。 何事かと思い、聖はそのまま黙ってアドの言葉を待った。 <時間切れだ。現時点を以って、撹拌事象は終了した> 「は?」 続く
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