双子探偵ユリ・マリ
9話 キョウの回想

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 これまでの冷静沈着な態度とは対称的に、キョウさんはソファーの上で錯乱状態に陥っていた。  さっきから鼻を掻いたり、膝の上でしきりに両手を開閉している。  タカヒロさんが行方不明となったとあっては、さすがに落ち着いていられないようだ。 「キョウさん、本当に何もご存じないんですね?」  海堂警部は身を乗り出して厳しい顔で問い質す。 「僕は何も知りませんよ。こっちが聞きたいくらいですよ」  キョウさんは溜め息をつきながら頭を振る。  それから、両手で頭を抱えて踞る。 「カズミさんとは電話でどんな話をされたのですか?」 「昨日から帰ってこないと電話があって、心当たりはないかと聞かれたんです。何もないので分かりませんと答えて。それだけですよ」  海堂警部が二つ目の質問をぶつけると、キョウさんは頭から手を放して体を起こした。  記憶を呼び覚ますように天井を見上げる。 「できれば速やかに我々に知らせていただきたかったですね」 「きっと、お義母さんも取り乱していたんですよ。でも、なぜ、お義父さんはいなくなったんですかね?」 「どうですかね。何か事情があるのかもしれませんがね」 「まさか捜査の手が及んでいて、それを感じ取って逃げたとお考えですか?」 「正直に申し上げれば、その可能性もあると思いますね」 「そんなはずないですよ。お義父さんが死神だなんて、そんなはず……」  キョウさんは激しく首を横に振る。  まるで、自分に言い聞かせるかのように。 「ユリさん、お義父さんは犯人じゃないですよね?」 「分かりません。今の段階では何とも言えません」  ユリは目を小さくしながら首を横に振る。  滑らかな髪が僅かに揺れる。 「そういえば、キョウさん。ゴルフバッグを買われたんですよね?」 「ゴルフバッグ?」 「この前、タカヒロさんに聞いたんですよ。デパートでゴルフバッグを購入している所を見たって。そのゴルフバッグって今はどこに置いてあるんですか?」 「もう捨ててしまいましたよ。買ったはいいものの、興味が失せてしまって。やっぱり、僕にゴルフは向いてないですね」 「あと、結婚指輪のことですけど。タカヒロさんとカズミさんに伺ったら、キョウさんはずっと付けているとおっしゃっていたんですよ。それなのに、たまに外すと話されていたので」 「ああ、最近はたまに外すんですよ。お義父さんとお義母さんは知らないんですね」  ユリは未だにゴルフバッグと結婚指輪に関する矛盾にこだわっているようだ。  辻褄の合わないことは気になって仕方ない探偵の性だろう。  だけど、二つともマリの言っていた通りの回答だった。  やっぱり、気にする程の事ではなかったようだ。 「そうだ、警部さん。お義父さんの家でも凶器の捜索はされたんですか?」 「探しましたよ。しかし、不審物は見つかりませんでした」 「ほら、やっぱりお義父さんは無実ですよ」 それ見たことかとばかりに、キョウさんは両手を横に広げる。 「しかし、どこかに隠してあるかもしれませんからね」  だけど、海堂警部は頭を振る。 「また、お話を伺うことがあるかもしれません。何度もすいませんが、その時はよろしくお願いしますよ」 「お義父さんの疑惑が晴れるのなら、いくらでも協力させていただきますよ。いつでもお越しください」  海堂警部が帰った後も、ユリとキョウさんは話をしていた。  話題はサクラさんのことへと移っていった。 「サクラさんって、どんな人だったんですか?」 「本当に優しい女性でしたよ。僕には勿体ないくらいの」  さっきまでとは違う穏やかな笑顔で、キョウさんは話す。  懐かしむように目を細めながら。 「どこでお知り合いになられたんですか?」 「大学の同級生だったんですよ。最初の授業の時、教室で見て一目惚れしてしまって」 「よろしければ、詳しいお話を聞かせていただけませんか?」 「ええ、いいですよ」  キョウさんは笑顔で頷く。  遠い眼差しで天井を見上げると、静かに言葉を紡ぎ始めた。 「授業、分かりました?」  授業が終わった直後、僕は隣に座る女子生徒に話しかけられた。  彼女は細長い机の上で頬杖を突きながら微笑んでいた。  柔らかな笑顔。肩まで伸びた滑らかなロングヘア。  僕は一瞬にして、彼女に目を奪われた。 「ええ、まあ何とか。えっと、お名前は?」 「吉野サクラです。貴方は?」 「僕は高崎キョウです」 「キョウさん、身長高いんですね。いくつくらいですか?」  サクラは目線を上げて僕を見上げた。  座っていても、僕らの身長差は一目瞭然だった。 「185センチですよ」 「何か部活をやってらしたんですか?」 「高校の頃は陸上部でしたよ。サクラさんは?」 「高校はアンサンブル部でしたね。ピアノを弾いてました」 「ピアノですか。イメージ通りですね。サクラさんって音楽が好きそうな感じがしますよ」 「はい。音楽は好きですよ」 「どんな音楽を聴かれるんですか?」 「特にクラシックが好きですね」 「クラシックなら僕もたまに聴きますよ。誰が好きなんですか?」 「ショパンは特に好きですね」 「ショパンの曲で何か弾けるのってあります?」 「ありますよ。ノクターンの二番とか、あと、別れの曲とか」  サクラは天井を見上げながら指折り数えていた。 「いいですね。サクラさんのピアノ、聴いてみたいですよ。今度、聴かせてくださいよ」 「はい。私の演奏なんかで良ければ」  これがサクラとの出会い。  初めて言葉を交わした瞬間だった。  ピアノを聴かせて欲しいという約束は数日後、昼休みの音楽室で実現した。  サクラはグランドピアノの前の椅子に腰掛けて、小首を傾げながら鍵盤を眺めていた。 「何を弾こうかな?」 「何でもいいですよ。好きな曲を弾いてくださいよ」 「じゃあ、これにしようかな」  サクラは前屈みになって鍵盤に両手を置いた。  細い指が鍵盤の上を滑り、静かに旋律を奏でた。  サクラが演奏したのはショパンの別れの曲だった。  美しい冒頭部分から激しい中間部へ。  そして、冒頭と同じ旋律が静かに繰り返された。  サクラは演奏を終えると、体を起こして膝の上で両手を重ねた。  僕は笑顔で惜しみない拍手を捧げた。 「上手ですね」 「この曲は思い出の曲なんですよ」 「どんな思い出ですか?」 「中学の頃にピアノコンクールで賞を貰ったんですよ。その時に演奏したのがこの曲だったんです。みんな、おめでとうって言ってくれて。何か賞を貰ったことよりも、そっちの方が嬉しくて。お父さんなんか、自分のことみたいに大喜びしてて。ケーキを買ってきて大騒ぎしてたんですよ。本当に昔から親馬鹿だったんですよ」 「そういえば、サクラさんの家って何人家族ですか?」 「三人ですよ。私と両親と三人です」  サクラは人差し指と中指と薬指を立てた。 「ご兄弟はいないんですね」 「一人娘だからですかね。お父さんが甘いのは。誕生日も毎年、大袈裟に祝ってくれるんですよ」 「サクラさんって、もしかして春生まれですか?」 「そうですよ。春生まれだからサクラって単純ですよね」 「そんなことないですよ。いい名前ですよ。どなたが名付けられたのですか?」 「お父さんですよ。絶対、サクラにしようって」 「春生まれということは誕生日は3月か4月ですか?」 「誕生日は4月6日ですね」  4月6日か。  また一つ、サクラさんのことを知ることができた。  そんな些細なことが無性に嬉しくて、僕は頬を緩めながらサクラの横顔を見つめていた。  意気投合した僕らはその後も順調に交際を重ねていった。  大学の食堂で一緒に昼御飯を食べたり、買い物に行ったり、映画を見たり。  色々な場所へ行って色々な話をして。僕らはそうやって愛を育んでいった。  サクラへの想いは日に日に強くなっていた。  最初は一目惚れだったけど、言葉を交わす度に彼女の人柄にも惹かれていった。  そして、僕は決意した。  この想いをサクラに伝えることを。  ある日、レストランで食事をしている時のことだった。  談笑しながらフォークを動かしていると、サクラが浮かない顔でお腹を摩っていた。 「どうしたの? お腹、痛いの?」 「ううん。最近、ちょっと太っちゃったから」  サクラは首を横に振ってから、お腹から右手を離した。 「そう? そんなに変わらないと思うけど」 「やっぱり、夜に甘い物食べてるのがいけないのかな?」  サクラのお腹を覗き込んでみたけど、別に出てはいなかった。  だけど、サクラは悩ましげに首を傾げていた。 「サクラ、甘い物が好きなんだ。ケーキとか、よく食べるの?」 「そうそう。ケーキは特に好きだよ」 「いちごのショートケーキとか?」 「そうだね。チョコも好きだけど、やっぱり、いちごが一番好きかな。キョウは?」 「まあ、たまには食べるよ」 「無性に食べたくなる時があってさ。夜、コンビニに買いに行っちゃうんだ。キョウはそういうのない?」 「分かるよ。これを食べないと気が収まらないみたいな感じだよね?」 「そうそう。そういう感じ」  食事を終えた後、僕はサクラを家まで送っていった。  サクラが門の前で手を振っていた。 「じゃあ、またね」 「うん」  僕は手を振り返した。  サクラが背中を向けた、その時。 「サクラ」  僕は歩き出したサクラを呼び止めた。  ゆっくりとサクラが振り返った。  月明かりの下、僕らは暗闇の中で向かい合っていた。  僕は大きく息を吸い込んだ。 「僕、サクラのことが好きだよ。僕と付き合ってくれないか?」  サクラは僕の告白を受けて、腰の後ろで両手を組みながら顔を伏せた。  長い髪が顔を覆い隠していた。  サクラが顔を上げた。  髪の隙間から現れた顔には微笑が浮かんでいた。 「うん。いいよ」  サクラは小さく頷いて僕の想いを受け止めてくれた。  晴れて恋人同士となってから3ヶ月後、サクラは僕を両親に紹介する為に家へ招待してくれた。  僕はソファーに腰掛けて、お義父さんと初めて顔を合わせていた。 「初めまして。高崎キョウです」  僕は緊張の面持ちで御辞儀をした。 「君がキョウ君か。サクラから、いつも話は聞かせてもらってるよ。まあ、ゆっくりしていってください」  お義父さんは歓迎の笑顔で御辞儀を返してくれた。  リビングでの対面を終えた後、僕はサクラの部屋にいた。  部屋を見回していると、本棚に目が留まった。  僕は棚の一番上を指差しながら聞いた。 「これ、アルバムだよね? 見せてよ」 「うん。いいよ」  サクラは本棚からアルバムを抜き取った。  アルバムを受け取って、本棚を背にしながら座った。  サクラは寄り添うようにして、僕の隣に座った。 「子供の頃も可愛いね」 「そんなに見ないでよ。恥ずかしいよ」  サクラは写真を隠そうとアルバムに両手を伸ばした。  僕の左腕にサクラの髪が触れた。 「そんなに恥ずかしがらなくてもいいじゃないか」 アルバムを捲ると写真が四枚ずつ左右のページに貼ってあった。  僕は横目で問い掛けた。 「これは?」 「それ、お父さんが毎年誕生日に撮ってるの。私が生まれた時からずっと。大人になった今でもだよ。本当に親馬鹿でしょ?」  サクラは右手を口に当てながら笑った。  僕はその手を眺めながら思った。 「サクラ、指も細いね」 「そう?」 サクラは顔の前で十本の指を広げて手の甲を見つめていた。 「指のサイズっていくつ?」 「4号だよ。何? 指輪でもくれるの?」 「指輪か」  僕は天井を見上げながら呟いていた。  頭に浮かんだのは永遠を誓い合う二人が交換する指輪だった。 「そうだね。いつかあげるよ」  サクラに笑いかけた後、僕は心の中でこんな台詞を言った。  いつかあげるよ。結婚指輪をね。  付き合い始めてから、7年の歳月が流れていた。  僕らは大学を卒業して社会人になり、マンションを借りて一緒に住んでいた。  3月の下旬頃、僕は考えていた。  サクラにプロポーズをすることを。  そして、僕は決意した。  4月6日。  サクラの誕生日であるこの日にプロポーズすることを。  僕は密かな決意を胸に秘めて、4月6日というこの日を迎えた。  キッチンのテーブルには、いちごのバースデーケーキ。  ケーキの周囲に立てられた25本のロウソク。  僕は手拍子をしながらハッピーバースデーの歌を歌った。  僕が歌い終わるとサクラがケーキに顔を近づけた。  大きく息を吸い込んで一気に火を吹き消した。 「サクラ、誕生日おめでとう」 「ありがとう」  サクラは穏やかに微笑んでいた。 「25歳か。またサクラの方が一つ年上になったね」 「そうだ。キョウ、写真撮ってよ」 「ああ、あれね」  僕は初めて吉野家を訪問した時のことを思い出していた。  お義父さんが毎年、サクラの誕生日に写真を撮っていることを。  サクラの部屋でアルバムを見ながら、その話を聞いたことを。 「いいよ。カメラは?」 「待ってね。持ってくるから」  サクラはキッチンを出ていき、カメラを持って戻ってきた。  僕に向かって両手でカメラを差し出した。 「はい」 「うん」  僕がカメラを受け取ると、サクラは再び椅子に腰掛けた。  スカートの上で両手を重ね合わせてポーズを取った。 「撮るよ」  僕はサクラの前に立ってカメラを構えた。  シャッターを押すとフラッシュが光った。 「ありがとう、キョウ」 「写真、持っていくの?」 「うん。今度、行った時、お父さんに見せてあげないと」 「じゃあ、今度一緒に行こうか?」 「うん。そうだね」  サクラが頷いた時、僕はテーブルにカメラを置いた。  高鳴る鼓動を感じながら、深く息を吸い込んで口を開いた。 「あのさ、サクラ。実は誕生日プレゼントがあるんだ」 「何、何?」 「取りに行ってくるから待ってて」  僕はキッチンを出て寝室へ入った。  タンスの引き出しを開けてプレゼントを出した。  この日の為に大切に仕舞っておいた物を。 「お待たせ」  僕は両手を腰の後ろに回して、プレゼントを隠しながら歩いていった。 「何、隠してるの?」 サクラは椅子の上で身を乗り出して覗き込んでいた。 「はい」  僕はサクラの前で足を止めて、プレゼントを体の前に持ってきた。 「これって……」  差し出された青いジュエリーケースを目にして、サクラの瞳は大きく見開かれた。 「開けてみてよ」  サクラはそっと両手を伸ばして受け取った。  膝の上でジュエリーケースの蓋を開けた。  銀色の指輪が光っていた。 「その指輪はね、ただの指輪じゃないんだよ」 「それって……」  サクラが顔を上げて僕を見上げた。 「うん。その指輪、結婚指輪なんだ」  サクラは膝の上でジュエリーケースを抱えたまま静止していた。 「サクラは僕にとって、世界で一番大切な人だよ。だから、結婚してくれないか?」  僕はこの日の為に考えたプロポーズの言葉を口にした。 「うん。いいよ」  サクラは小さく頷いた。  愛の告白を受けたあの時と、同じ言葉を口にしながら。 「ねえ、キョウ。指輪、付けてよ」  サクラはジュエリーケースを差し出してお願いしてきた。 「うん」  僕は右手を伸ばして指輪を摘み取った。  サクラがジュエリーケースをテーブルに置いた。  僕は左手でサクラの手首を支えて、薬指に指輪を付けた。  サクラが掌を返して銀色に輝く指輪を見つめた。 「結婚式まで大事に取っておかないとね」 「そうだね。御両親に挨拶もしないと」 「お父さん、驚くだろうな。いつにする?」 「そうだな。今度の日曜日でどう?」 「日曜日ね。じゃあ電話するね」  リビングに移動した僕らはソファーに腰掛けて肩を並べていた。  サクラが携帯片手に実家へ電話を掛けた。 「もしもし、お父さん?」 「おおっ、どうした?」 「さっきね、キョウにプロポーズされちゃった」 「プロポーズ……?」 「うん。結婚しよう、って」  突然の知らせに、お義父さんも言葉を失っていたらしい。  しばらく沈黙が続いていた。  その後で噛み締めるような声が聞こえてきた。 「そうか。お前がお嫁さんになるのか……」 「びっくりした?」 「そりゃあ驚いたよ。でも、あれだな。嬉しいけど、正直に言うと少し寂しい気持ちもあるな」 「もう、いい加減に子離れしてよね」  サクラはお義父さんの親馬鹿ぶりを呆れるように笑っていた。 「子離れか。うん、そうだよな」 「それでね、今度の日曜日そっちに行きたいんだけどさ。大丈夫だよね?」 「ああ、大丈夫だよ」 「じゃあ、キョウと一緒に行くからね。あっ、お母さんは?」 「今、出掛けてるんだよ」 「そっか。せっかく、お母さんにも教えてあげようと思ったのに」 「帰ったら伝えておくよ」 「うん。じゃあ、日曜日にまたね」 「ああ、待ってるよ」  サクラは通話を終えると膝の上で携帯を畳んだ。  四角くなった携帯をソファーに置いて僕に笑顔を向けた。 「やっぱり、すごく驚いてたよ」 「日曜日か。今から心の準備をしておかないとな」  僕は右手で心臓を押さえて深く息を吐いた。 「大丈夫だよ。君に娘はやらん、なんて言わないと思うよ?」 「君にお父さんと呼ばれる筋合いはない、とか?」 僕らは頑固親父のような太い声を作って二人で笑い合っていた。 「サクラ」 僕は真顔に戻って、彼女の名前を呼んだ。 「何?」 サクラは小首を傾げて僕を見上げた。 「幸せになろうね」 「幸せ、か」  サクラは言葉の響きを噛み締めるように反芻していた。  スカートの上で両手を重ねながら蛍光灯を見上げた。  宙を見つめていた視線が僕に注がれた。 「今でも十分、幸せだよ」  サクラは穏やかに微笑みながら、そう言ってくれた。 「とうとう、この日がやって来たか」  向かいのソファーに座る僕らを見比べて、お義父さんは腕組みをしながら頷いた。 「もちろん反対なんかしないよ。むしろ大賛成だよ」  僕はその言葉を聞いて胸を撫で下ろした。  サクラと顔を見合わせて、安堵の笑みを交わした。 「なあ、カズミ?」  お義父さんが同意を求めて、隣に座るお義母さんに顔を向けた。 「ええ、キョウさんなら大丈夫ですよ」 「ありがとうございます」 お義母さんに太鼓判を押してもらって、僕は御辞儀を返した。 「キョウ君、サクラを頼んだよ」 「はい」 お義父さんに改まった声で切願されて、僕は神妙な面持ちで頷いた。 「そうだ」  弾んだ声に振り返ると、サクラが膝の上でハンドバッグを漁っていた。  写真を出してテーブルに置いた。 「はい。これ」 「まだ撮ってくれてたのか」 お義父さんは膝を乗り出して写真を覗き込んだ。 「この間、キョウが撮ってくれたんだよ。私が頼んで撮ってもらったんだ」 「そうだったのか。キョウ君、ありがとう」  お義父さんは顔を上げると、僕に笑いかけた。 「いえ、そんな」  僕は頭を掻きながら笑い返した。 「ところで、サクラ。式はいつ挙げるんだ?」 「6月にしようと思ってるんだ。ジュンブライドだし」 「6月か。結婚式までにスピーチを考えておかないとな」 お義父さんは再び腕組みをしながら考え込んでいた。 「お父さん、泣かないでよ」 「大丈夫だよ。泣かないよ」 「本当かな?」  お義父さんとサクラは笑い合っていた。  僕はそんな二人を目を細めながら見守っていた。  もうすぐ妻と義理の父になる二人を。  数ヶ月後、結婚式と披露宴が執り行われた。  僕らの両親と友人が集まり、教会は暖かい雰囲気に包まれていた。 「健やかなる時も病める時も、共に二人で歩んでいくことを誓いますか?」  牧師が光る十字架を背にしながら、お決まりの台詞を口にした。 「誓います」 「誓います」 僕とサクラは祭壇の前で永遠の愛を誓い合った。 「それでは、指輪の交換を」  互いに手を取り、左手の薬指に銀色のリングを嵌めた。 「では、誓いの口づけを」  僕らは二人で向かい合い、真っ直ぐに見つめ合っていた。  僕はサクラの頭に両手を伸ばして、白いベールを後ろに払った。  サクラの肩に両手を乗せて、目を閉じながら顔を近付けた。  サクラが顎を上げて目を瞑った。  二人の唇が触れ合い、重なり合った。  僕は両手を離して目を開けた。  サクラも目を開けて僕を見上げた。  鳴り止まない拍手の中、僕らは照れ笑いを浮かべながら見つめ合っていた。 「新郎新婦の入場です」  メンデルスゾーンの結婚行進曲が鳴り響く中、結婚式場の扉が開いた。  白のタキシード姿の僕。  純白のウェディングドレス姿のサクラ。  二人で手を取り合って、バージンロードを歩いていった。  半分程まで歩いた時、僕は吉野夫妻の座るテーブルを視界に捉えた。  お義父さんもお義母さんも笑顔で拍手を送っていた。 「続いて新婦のお父様、吉野タカヒロさんのスピーチをお聴きください」  司会の女性に呼ばれて、お義父さんは席を立って壇上へ向かった。  マイクの前に立って、お腹の前で両手を組んだ。 「只今、ご紹介に預かりました吉野タカヒロです。本日は皆様、お忙しい中、お集まりいただき誠にありがとうございます。こんなに大勢の方々に祝福していただいて、私としても大変喜ばしい限りです」  出席者の人達への謝辞を述べて、僕ら新郎新婦の席へ視線を送った。 「サクラ、キョウ君。結婚おめでとう」  僕とサクラは白い花が飾られたテーブルの前で御辞儀を返した。 「サクラ。お前からキョウ君とお付き合いすることになった、という話を聞いた時。あの時からいつかはこの日が来るだろうと思ってたよ。とうとう、今日その日がやって来たな。お父さん、胸が一杯だよ。 親馬鹿だと思われるかもしれませんが、サクラは本当に優しくていい子です。私の自慢の娘です。娘の花嫁姿を見るというのは父親になってからの私の夢でした。サクラ、お父さんの夢を叶えてくれてありがとう」  お義父さんが花嫁衣装に身を包んだサクラに笑いかけた。  サクラが笑顔を返した。 「新郎のキョウ君は礼儀正しい好青年です。彼と初めて会ったのはサクラが我が家に彼を連れてきた時でした。もし、サクラがこの人と結婚しても安心して任せられる。私はそう思いました。 結婚というのはよく言われるように生活だから、恋人だった頃とはまた違った困難に直面することもあると思います。時には喧嘩をすることもあるかもしれない。長く一緒にいれば、色々なことがあると思います。でも、何があっても二人なら愛の力で乗り越えていってくれる。そう信じています。サクラ、キョウ君。改めて、結婚おめでとう。いつまでも、幸せでいてください」  サクラは白いレースの手袋を嵌めた両手で拍手を送っていた。  優しく微笑むサクラの横顔を見つめながら、僕は一緒に手を叩いていた。 「次は新婦サクラさんから御両親に宛てた手紙の朗読です」  サクラが立ち上がり手紙を広げた。 「お父さん、お母さん。今日この日まで私を育ててくれてありがとう。  お父さん、中学の時に私がピアノコンクールで賞をもらったことがあったよね? あの時、まるで自分のことのように喜んでくれたよね。恥ずかしかったけど嬉しかったよ。もう歳なんだから無理しないでね。体に気を付けて、お仕事頑張ってね。私もお嫁さんとして頑張ります。 お母さん、お母さんには色んなお料理を教えてもらったよね。初めて教えてもらったのは肉じゃがだったね。今でもよく作るんだ。家に帰った時はまた一緒に作ろうね」  手紙から頭を上げて二人に笑顔を向けた。 「お父さん、お母さん。もう一度、言います。本当に、本当にありがとう」  お義父さんは目を潤ませてサクラを見つめていた。  お義母さんは目頭にハンカチを押し当てながら顔を伏せていた。  幸福感に包まれたこの日から数週間後。  僕らの幸せを打ち砕いた、あの事件が起きた。

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