双子探偵ユリ・マリ
3話 大切な人

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 テーブルの上で湯気を立てる三つのカレーを眺めながら、僕は笑っていた。  カレーなんて誰でも作れるけど、今日のは我ながらなかなかの出来映えだ。  にんじんも玉ねぎも、じゃがいもだって上手く切れた。  満足できるだけのとろみだって出ている。  腰に当てた両手を下ろした時、ユリとマリが降りてこないことに気づいた。  よし、呼びに行こうかな。 「ユリー、マリー」 呼びかけながら階段を登る。ふたりの部屋の前で足を止めた、その時だった。 「私は白鳥ユリ」 「あたしは白鳥マリ」  閉ざされたドアの向こうから、ふたりの芝居がかった声が響いてきた。  まさかと思いながらドアノブを握る。  音を立てぬよう少し扉を開けて、隙間に顔を押し当てながら覗く。  ふたりは鏡の前に並んで仁王立ちしていた。  手前には凛々しい横顔のマリ。  その奥に立つユリの姿はマリと重なっていて見えない。 「ふたり揃って双子探偵ユリ・マリ!」  背中合わせになり、素早く前を向いて鏡と正対。  ユリは左腕を、マリは右腕を挙げる。 「私達に、解けない謎は無い!」 二本の腕が平行になり、びしっと鏡を指差した。 「決まったね」 「うん。息ぴったりね」  マリの後頭部しか見えないけど、ふたりともさぞかしご満悦な表情を浮かべているに違いない。    決めポーズと決め台詞って、これのことだったんだ……。  唖然と口を開けながら、隙間の向こうで繰り広げられる光景を覗き見る。  見なかったことにして立ち去ろうと、ドアノブを握る右手に力を込めた時だった。 「ユウちゃん、いたんだ……」  ユリに見つかってしまった。マリの肩越しに気まずそうな視線を送る。 「ちょっと! ノックくらいしなさいよ!」 マリは髪を揺らして半回転。両手を腰に当てながら睨みつける。 「ご、ごめん……」 その迫力に気圧されて、反射的に頭を下げる。  気まずい空気の中、沈黙が流れた。  マリが相変わらずのぶっきらぼうな声で尋ねる。 「どうしたのよ? 何か用なの?」 「いや、その。お昼御飯、できたよ……」 「うん、おいしい。やっぱりユウちゃんはお料理上手だね。良いお嫁さんになれるよ」 「ユウキ、女の子みたいな顔してるからね。花嫁衣装、似合うと思うわよ」 「あのね。僕、男なんだけど……」  3人で食卓を囲んでカレーを食べながら、他愛もない話で笑い合う。  ユリとマリとは思いの外、すんなりと打ち解ける事が出来た。  顔は似ているけど、それ以外は見事なまでに正反対なふたりだ。  助手になってから1週間。幸か不幸か、まだ事件は起きていない。  日々の生活にも慣れてきて、僕らは至って平和な日常を過ごしている。 「そうだ」  ユリはルーの中にスプーンの先を沈めると、顔の前で手を打った。  手を合わせながら、僕に笑顔を向ける。 「今度さ、私が作るよ。ユウちゃん、何が食べたい?」 「えっと、じゃあオムライスがいいかな」 「オムライスね。よーし、任せて」  ぴんぽーん。  ユリが自信に満ちた顔で大きく頷いた時、チャイムの音が耳に飛び込んできた。 「出てくるよ」  モニター画面に映っていたのは推定40代の強面顔の男だった。  見覚えはない。初対面だと思う。依頼人だろうか? 「えっと、どちら様ですか?」 「ユウちゃーん、誰?」 「もしかして依頼?」  男が答えるよりも前に、二つの間延びした声が背後から飛んできた。  振り返ると、ユリとマリが並んで廊下を歩いていた。 「やあ、ユリ君、マリ君」  男の声がモニターから聞こえる。 「おおっ! おっちゃん!」  マリは僕の脇を擦り抜けてドアを開けた。  男が入ってきて玄関に立つ。 「何? また事件?」 「いや、今日は事件の話じゃないよ」 「なーんだ」  残念そうに口を尖らせて頭の後ろで両手を組む。  不謹慎だな。世の中的には事件が無い方がいいのに。  もちろん、探偵事務所的には困るけどさ。 「それよりユリ君。この子は誰かね?」 「助手のユウキ君ですよ」 「そうか。助手を雇ったのかい」 強面の顔が柔和な笑顔に変わって、僕へ向き直る。 「私は警視庁の警部、海堂マサアキだよ。どうか、ふたりをよろしく頼むよ」  思い出した。この人がこの前、話していた海堂警部か。  確かに厳つい顔をしているけど、この笑顔を見る限り根は優しそうだ。 「おっちゃん、事件じゃないなら何しに来たの?」 「非番だからね。ちょっと、これを持ってお邪魔しようと思って」  海堂警部はバッグを床に置くと、膝を着いてファスナーを開けた。  白い箱を出して、再び腰を上げる。 「それってもしかして……」 「そう。君達の大好きなケーキだよ」 「おっちゃん! 気が利くじゃない!」  マリは破顔しながら背伸びをして海堂警部の肩を叩く。 「まあ、わざわざありがとうございます」  ユリは御辞儀をしながら丁重に礼を述べる。 「この前のお礼も兼ねてね。君達にはいつも世話になっているから」 「よーし! 早速、食べましょう!」 海堂警部の手から箱を強奪すると、マリは事務室へ駆け込んでいった。 それから数分後。  僕らは事務室のソファーに座って、ケーキと紅茶による優雅なティータイムを楽しんでいた。 「うーん! 甘い!」  マリが歓喜の声を上げたから、僕の体は震えた。  目を瞑りながら至福の表情をしている。  口は生クリームで真っ白になっていた。 「やっぱり、パティパティのケーキはおいしいね」  ユリはスプーンの下に右手を添えていた。  上品な手つきで口元へ運ぶ。  相変わらず、ふたりの食べ方は対称的だ。 「喜んで貰えて何よりだよ」 海堂警部は強面の顔を崩して、父親のような笑顔でユリとマリを眺めていた。 「では、ここで改めてこの事件を振り返ってみたいと思います」  テレビから聞こえてきた声は僕らを一斉に振り向かせた。  背広姿の男性キャスターが喋っていた。  高崎サクラさん殺害事件、最高裁判決へ。  そんなテロップが画面の右上で躍っていた。 「この高崎サクラさん殺害事件が起きたのは今から遡る事、2年前。帰宅途中の高崎サクラさん、当時25歳が何者かに誘拐されました。その後、サクラさんは川の中から変わり果てた姿で発見されました」  サクラさんの顔写真が大写しになる。  白いワンピース姿で正面を向いて可愛らしく微笑んでいる。  長い黒髪、色白の顔。  この写真はニュースで何度も見たけど、改めて見ると本当に綺麗な女性だ。 「容疑者として浮上したのは5人の男達でした。5人の名前は森嶋マサト被告、永田リョウタ被告、舟木ケンジ被告、横山タクヤ被告、小野テツヤ被告。5人とも逮捕直後から一貫して容疑を否認しており、裁判が始まりました」  5人の被告の顔写真が並んでいて、下に名前のテロップが表示されている。  上の段に森嶋と永田。下の段に舟木と横山と小野。 「一審では主犯格とされる森嶋被告に死刑。他の4人には無期懲役が言い渡されました。しかし、弁護側はこの判決を不当だと訴え控訴しました。二審では一転して無罪になり、検察側がこれを不服として上告しました。そして今日、いよいよ最高裁で判決が確定します」  僕もこの事件は詳しく知っている。発生当時から随分とマスコミを騒がせていたから。 「そういえば、今日だったな」  海堂警部が画面を見据えたまま、思い出したように呟く。 「ねえ、おっちゃんはあいつらが犯人だと思う?」 「警察の人間として下手な事は言えないがね。しかし、あの5人が無関係だとは思えないよ」 「でしょ? あたしもあいつらがやったんだと思うわ」 マリが吐き捨てるように断言して、テレビへ視線を戻した直後だった。 「判決が出ました!」  慌ただしい声と共に、レポーターの男が画面右端から飛び出してきた。  そしてスタッフからマイクを受け取るなり、カメラに向かって大声で叫んだ。 「無罪です! 無罪判決です!」 「無罪か」 海堂警部が深い溜め息をつく。  スタジオの男性キャスターが再び映し出される。 「では、ここでサクラさんの御両親にお話を伺います。サクラさんのご実家と中継が繋がっています」 「はい。こちらサクラさんのご実家です」  場所はリビング。  吉野夫妻とレポーターがソファーに向かい合う形で座っていた。 「まずはサクラさんのお母様、吉野カズミさんにお話を伺います。無罪判決が出ましたが、今の率直なお気持ちをお聞かせください」 「信じられません。どうして、死刑じゃないんですか……?」  両手で顔を覆いながら、肩と声を震わせている。  それきり、カズミさんの口から言葉が出てくる事は無かった。 「では、お父様の吉野タカヒロさん。今回の判決について、率直なご意見をお願いします」 「犯人はあいつら以外に考えられないですよ。あいつらが殺したに決まってます。殺してやりたいです。この手で殺してやりたいです。法が裁いてくれないなら、私がこの手で殺してやりたいです……」 そこで言葉は途切れて、タカヒロさんは肩を落として泣き崩れていた。 「続いて、サクラさんの夫の高崎キョウさんとも中継が繋がっています」 「はい。こちら高崎キョウさんのご自宅からお送りします」  こちらもリビング。  キョウさんとレポーターがソファーで顔を突き合わせている。  同じくマイクを向けてインタビューを始める。 「無罪判決が出ました。これに対してどう思われますか?」 「僕も有罪判決が出ると信じていたので、信じられないです。返して欲しいです。僕の大切な人を……返して欲しいです……」  キョウさんも愕然と項垂れて、悔しさに体を震わせていた。  大切な人。  僕はその言葉を耳にして考えていた。  もし僕が同じ立場だったらどう思うだろう?  僕には恋人も妻も娘もいないから想像するしかない。  もし妻や娘がいて殺されてしまったら、僕だって同じことを思うだろう。  口には出さなくとも殺してやりたいと思ってしまうだろう。  タカヒロさんとカズミさんにとっては娘。キョウさんにとっては妻。  大切な人を失うという事。  それは一体、どれくらい、つらい事なのだろう?  とてもじゃないけど、僕には想像もつかない。  だって、僕には恋人も妻も子供もいないから。  だって、僕には大切な人がいないから。

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