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 真吾のデビュー戦。  舞台はJ2。  スタジアムは、半分も埋まっていない。  それでも、コアなサポーターたちはそのチャント応援歌をスタジアム中に轟かせようとしていた。   『アレが向島博の長男か……』 『二世Jリーガーを見ることになるなんて、歳を感じるよなあ』 『16歳で183㎝だってよ』  岡山の観客たちが喧噪の中、騒ぎ立てる。  それはそうであろう。『向島』という苗字は、日本のサッカー界では重い。歌舞伎役者の襲名披露のようなものだ。  背番号37の183㎝の16歳は、年齢を良い意味で感じさせずに堂々としている。  まるで、そこが1年以上も前から自分に用意されていたかのように…… (当たり前だッ!)  背番号37は呟く。  これ以上なく、堂々と、傲然と、不遜に。 「16年かかっちまったからなあ……」 「向島・・、ファーストタッチがゴールになるなんて甘い考えを持つな!」  キャプテンの利根亮平が、真吾にそう言った。  去年、前任者から主将を受け継いだ利根は、ルーキーというのがどういう心理で初出場に臨むのかをよく知っている。  自分はビビり倒していた。  だから、彼もそうであろうと思い、いたわりのつもりで、そう声をかけたのだ。  真吾は静かにうなずく。  だが秘めたる闘志は利根に燃え移り、彼のアフロヘアのチリチリ具合が余計に増しているかのようであった。  真吾の目標はJ2デビューではない。  そういう意味では、利根は向島真吾という男を根本的に見誤っていた。  アウェイの福岡のキックオフで試合開始。  真吾は笛の音と共に、相手ペナルティエリアへと駆け上がる。 「いくらデカイとは言え、プロ初試合のルーキーにゴールなんか許すかよ!」   J2でしのぎを削って来た百戦錬磨のディフェンダーが、真吾を容赦なくスパイクで削る。  真吾もやられっぱなしではない。肘で小突いてやり返す。岡山ボールになりカウンターのボールが入るまで、その醜い小競り合いは続いた。 「八谷やたがいさん!」  利根が、真吾によって弾き出され、左ウイングへとポジションを変えた八谷へロングフィードを送る。  八谷はそれを受け、メイア・ルア裏街道で一気に自慢のスピードを加速させる。八谷もまだ若く、スピードの衰えを感じることはない。  センタリング・ゾーンまで駆け上がり、左足で真吾へとクロスを上げる。 「いっけね!」  八谷のクロスは著しく精度を欠き、中央で待っている真吾とはあさっての方向へとボールは向かってしまった。  しかし真吾は無理やりな体勢から、それをゴールに背を向けて身体を強制的に捻らせてバイシクル・シュートを左足で放つ。観客は一瞬、何が起きたのかわからず静まり返った。  なんという、バネ!  なんという、ボディバランス!  なんという、ボディコントロール! 『この試合でプロ・デビューのルーキーが、ファーストタッチで、バイシクル・シュートを決めたのだ!!』  起き上がった真吾は、左手の人差し指を上空に掲げ、ゆっくりとハーフウェーラインへと戻っていく。 『うぉお、すげえルーキーが出て来たぁ!』 『親父そっくりだぜ!』 『俺がナンバーワンってことか!』  観客は怒号を取り戻し、一斉に騒ぎ出す。 (俺を見ろ! 俺を見つけろ!! 俺を認識しろ!!! 家族でなくても良い。誰でも良いから俺という存在に気付いてくれ!!!)  真吾の表情にチームメートは鬼気迫るオーラを感じ取り、誰も近寄らない。  5分後。  フィールドには、今度は左手でVサインを掲げる真吾がいた。  ルーキーは、デビュー戦で2ゴールを決めたのだ。 『マジかよッ!』 『あのルーキーがいたら、J1戻れるぞ!』 『チャンピオンズリーグも行けるんじゃね!?』  37番は、試合開始5分でサポーターの心を鷲掴みにしてしまった。  後半アディショナルタイム。  ついにルーキーは、掲げる腕が片手では足りなくなっていた。  左手のひらを全開にし、そこへ右手の人差し指を足し、空中へと浮かべる。  真吾は、デビュー戦でダブル・ハットトリックを成し遂げたのだ。  真吾はスタンドに見つけた小さい影に向かって、指を広げた両手をこれ見よがしに差し出す。 (向島家のDNAを受け継ぎ、引き継ぐのは俺だ!) ※※※※※ 「どうだ、岡山の試合にみんなで観に行ってみないか?」  父が真吾のデビュー戦の朝、家族全員に言った。  その言葉に、向島家の食卓は一瞬凍り付いたかのように刻が止まり、全員が次男の顔色を眼だけで追って窺う。  さすがに、息子のデビュー戦を見逃すほど、両親も祖父母も無関心ではいられない。 「大ちゃんさえ良ければ……良いですよね、お義父さん、お義母さん?」  母の言葉に祖父母は神妙な面持ちでうなずく。  あとは大吾の返事待ち。 「俺はいい……みんなで行ってきて」  大吾はそう言い残し、自分の部屋に戻るため階段に足をかけた。 「やっぱりもうサッカーと関わりたくないのかしら……」 「私の息子に生まれたこと、そして16歳でプロ・デビューを果たす兄を持ってしまった。それが大にとって苦痛、針のむしろだったのかもしれないな……」 「あなた……」 「だが真吾を応援してやらないといけない。チケットは事前に買っておいた。テーブルの上に置いておこう。まだ、その気・・・があるなら、電車賃くらい自分で出すだろう」  夫婦は、息子たちの関係を良好にしておいてやりたい。  いずれふたりとも羽ばたいていくであろう。  社会に出るまで導くのが、親の役割だ。 「必ず大吾はまたサッカーを取り戻すさ。きっかけさえ何かあれば良いんだ」  父はふたりの兄弟がいつしか子供時代を振り返ったときに、良い思い出にしておいてやりたいのだ。 「私の息子に生まれてしまったためか、サッカーを愛するということが生きていく上で必要な感情なんだ……あの子は、現代の子供に珍しいくらいに真っすぐで優しい子だ。今は身長という壁に当たっただけだ。これから先、もっと大きな壁にぶち当たるだろう。その真っすぐさゆえに、ときに光を見失い彷徨ってしまう。だが、あの子には、真吾という光が先を照らしてくれている。大吾が道に迷ったときは、真吾が先を照らす。真吾が山を越えられないときは、後ろから大吾が押し上げる。あのふたりにとってサッカーとは、生きる上で協力して探す道標みちしるべなんだ」  大吾はその言葉を2階に上がる階段の途中でそれを聴き、息を殺して呑んだ。  残りの階段を登るとき、大吾の眼には涙が浮かび、そして心が燻り始めた。  大吾は自室でプレイステーションに興じる。やっているのはまたもやサッカーゲーム。 「ははっ、こんなプレイ、実際に出来るわけないのに!!」  ゲームの中でしか出来ないプレー。  それは、実際にサッカーをやったことのあるものにしかわからないものだ。  いつだって味方に届く、ホーミング機能が付いたかのようなパス。  からかったかのような100%失敗することないフェイント。  アクロバティックな、バイシクル・キック。  すべて、実際のサッカーではめったにお目にかかれないはずだ。  『大吾が道に迷ったときは真吾が先を照らす。真吾が山を越えられないときは後ろから大吾が押し上げる。あのふたりにとってサッカーとは生きる上で協力して探す道標みちしるべなんだ』 ――どうすればいい、俺はもうサッカーで上は目指せない。兄が俺を導くというのはわかる。でも、俺が兄を押し上げる存在になどなれるわけがない。この短躯で……今更なにが出来るっていうんだ……  空虚感が大吾を包みこむ。  実際のサッカーをせずに、ゲームでその虚しさを晴らそうという自分の魂胆が見え透いていて、涙がにじんでくる。  家のチャイムが鳴った。 ――だれだろう、出たくないな…… 「大吾! いることはわかっているんだぞ! 出て来い!」  勇也がそう叫び、ドアを叩きまくる。  大吾が涙を拭い、不承不承に玄関を開けると、 「おまえ、なにやってるんだ! 今日、真吾さんのデビュー戦だぞ! 家にいる場合かよ!」  勇也の檄が飛ぶ。 「俺はもう、サッカーとは……」 「いいから行くんだ! これを見逃したらたぶん、おまえは一生後悔する。おまえに足りないのはあと一歩踏み出す勇気だけなんだから!」 「……でも」 「大吾、俺は転校するんだ」 「えっ」 「おまえといっしょにプレーできる時間はもう少ない。おまえだけが後悔するだけならまだしも、俺もその後悔に巻き込むのか!」 「勇也……」 「おまえはたぶん自分が気付いてないだけで、プロサッカー選手になれる素質があるんだよ! とりあえず真吾さんのデビュー戦を観に行くぞ!」  勇也は大吾の手を引っ張って駅へと奔り出す。  テーブルの上にはチケットは置かれたままだった。  圧巻の試合。  真吾の指が掲げられる。  1本、2本、3本、4本、5本  そして片手では数えられなくなり、真吾は両手で6を示す。  それもスタンドで観戦している大吾に向けて、だ。  デビュー戦で、ダブル・ハットトリック。  しかも、プロ・ファーストタッチがその強靭な身体を活かしたバイシクル・シュートでのゴール!  大吾は、乾いた笑いを漏らさざるを得ない。  憧れの存在であったはずの兄。  それがさらに憧憬を重ねていたはずの父を、越えようとしている。   ――まるでゲームの中じゃないか。こんなふうになれたら良かった…… 「大吾、どうだ感想は。兄貴が活躍して嬉しいだろう?」  勇也が問う。 「やっぱり見に来なければよかった……」 「えっ!?」 「俺は、こんなふうになりたかったんだ……だれからも好かれ、憧れられ、羨望のまなざしを送られる存在に……高さと、パワーと、スピードを兼備した『向島博2世』に……でも、もうなれやしないんだ!」

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