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 第33節。  アウェーの秋田戦。  季節は冬を迎え、特にここ数日の東北の寒さは厳しく、明日の試合は雪の中で行われるであろうとのことだ。  岡山はJ1の中では予算が少ない。そのために、秋田市内の大きいホテルに宿舎をとるほど予算がない。郊外の比較的安いホテルにイレブン、チームスタッフなどが所狭しと暖を取るために集まっている。  大吾は八谷やたがいと同部屋で、比較的気を遣わずに済む。  大吾が大人びているのか、八谷が幼いのか、もしくは合わせてくれているのか。この二人はプレースタイルに似ず、相性が良かった。  狭い部屋で、男二人が暖房をつけて暖をとる姿は滑稽でもあるが、彼らは大真面目である。  特に、大吾は寝付きが悪いため外泊が苦手だ。少しでも自宅と同じ環境を作るために、枕を持参していたりもする。  兄である真吾は、 「さんざん同じ家で過ごしてきたんだから、今更兄弟で過ごさなくてもまあいいだろう」  と言って利根と同部屋だ。  まさか華やかであるはずのJリーガーが、財政難で激安ホテルに泊まっているとは一般人は思わないだろう。  むしろ、わざわざ秋田まで遠征してくるコア・サポーターのほうが社会での待遇が良いかもしれない。 『なんで、稼いでいる金持ち側を、貧乏な方が応援しなければならない』と、よくプロスポーツでは言われることが、このチームではあまり当てはまらない。 『活躍すれば、もっと良い待遇のチームに行ける!』とはどこの国のサッカー選手も思っていることだ。貧しい選手たちのハングリーさが、サッカーの技術を底上げしてきたともいえる。  プロ生活を始めた時は年俸100万円の選手が、最終的に週給5000万円を稼ぐようになることも珍しくない。まさに、現代のワールド・ドリーム宝くじである。  大吾の年俸は180万円。Jリーグの新人は、だいたいこれくらいである。ただし、契約金やら、準備金、引っ越し代金と言って別料金が発生する者もいる。大吾はユース上がりで寮住まいのため、ほとんど出てない。  大吾はサッカー以外、お洒落であったり、ショッピングすることにはまるで興味がない。せいぜいゲームをするか、サッカー雑誌を買う程度なので、彼の貯金口座にはほぼ丸々給料が残っている。 「スターとなるものは、外見にも気を遣うものよ」    そう言って、雨宮凛が身だしなみを整えるようにも進言してきている。とりあえずは、無精髭やらボサボサした髪、ヨレヨレのTシャツなどとは無縁で身に着けていない。   「最低限は、清潔感を見せることね」  ワイルド風で売っていくわけでもない。凛の進言に従順に従い、整えられた長髪を爽やかになびかせながらフィールドを奔っていく大吾の姿は、若者の心をとらえ始めている。 「大吾、お客さんだぞ」  質の高くなさそうなベッドで寝転んで、サッカー雑誌を読んでいた大吾に、八谷が話しかける。八谷が連れて来たのは195㎝に成長した勇也であった。 「俺は席を外そうか?」  八谷が確認を求めるように言うと、 「いや、聴かれて不味い話じゃないですし、八谷さんも同席してください」  と、大吾は言った。 「大吾、リベンジするときがやっと来たよ」  勇也がそう言う。 「この半年、長かった。本当にとても長かった。でも明日勝つのは俺だ。今度は負けない!」  勇也はまた手を差し出し、 「ビデオでおまえの1on1の動向を追っていた。おまえのドリブル突破を防ぐことができるディフェンダーはもうJには居ないだろう」  大吾の手を握り 「俺以外はな!」  と言い放つ。 「勇也、力を蓄えたのはおまえだけじゃない。俺だってパワーアップしている。ニュー・ダイゴを明日は見せてやるよ!」  大吾は勇也の手を思い切り握り返す。 「おまえら、本当に良いライバル関係なんだな。俺にもそう言う存在が居れば張り合いが出たのになあ」  八谷が心底笑いながら、苦笑も交えて感想を言った。 「よし、せっかく秋田まで来たんだ。少しくらいハメを外そう。 俺がおごってやるから、街へ繰り出そう!」  八谷がこぶしを振り上げて提案すると、 「俺たち、まだ18歳ですから……」 「酒呑んだのがバレたら謹慎っす」  と、ふたりは八谷を見やって苦笑した。  少し意気消沈した八谷は、 「じ、じゃあ、おまえたちがハタチ越えたら酒を呑みに繰り出そう。俺が先輩から教えてもらったすごいとっておきの店をおまえたちに伝授してやる!」  両手を振りかぶり熱弁する八谷に 「すいません、八谷さん……」 「俺たち、ハタチ越えたらもう日本には居ない予定なんで……」  とふたりが努めて冷静に返す。  八谷の心が湿り始めた。  意識の差が激しすぎる。  自分が18歳のときに海外志向を持っていたら、今いるのは日本であっただろうか。 「大吾の海外志向は知っていたが、瀬棚。おまえも相当なものなんだな」 「ええ。今は海外に行かないと日本代表候補にすら入れなくなってきている時代ですからね。あと、俺のこと下の名前で。勇也って呼んでください」 「わかった、勇也。俺もはじめでいい。大吾、おまえも俺のことを下の名前で呼べ。原さんってな!」 「え、えと、は、原さん……」 「そうだ、なんなら『ゲンさん』でもいいぞ。昔からの仲間はそう呼ぶ」 「げ、ゲンさん……」    大吾と八谷は照れ隠しの苦笑をしながら言いあう。 「勇也。大吾はこの『ゲンさん』の一番弟子だ。この半年でスポンジが水を吸うように成長している。おまえが俺の一番弟子に勝てるかな?」  八谷が挑発的に勇也を見やると 「勝ちますよ。俺だってただ半年をボーッと過ごしてきたわけじゃない。俺だってスポンジですから!」  勇也は八谷を真っすぐ目を見つめ返して言った。 「そして大吾・勇也両方に疲れたところをこの『ゲンさん』が途中出場から自慢のスピードでおまえをぶっちぎって明日のマン・オブ・ザ・マッチ頂くぜ!」  八谷はふたりに向かってサムズアップして言う。 「俺はフル出場するつもりなんですけど……」 「ゲンさんが出てきたら、俺は最初にガツンと当ててひるませますから!」  抗議するかのようにふたりは八谷に言う。 「まあな、オジサンはちょっとばかりスタミナに不安もあるから、効率よくプレーして美味しいところを頂くのよ。若い君たちにはまだわからん領域ってもんさ。まあ、今からわかってもらっても困るんだが……」   「ワールドカップ優勝とはぶち上げたな」  話題を変えて、呆れたかのように勇也が言った。 「なんか、おまえらしくないよ。アレ」  勇也がため息を吐きつつ言う。泳ぎそうになる大吾の視線を、勇也は逃さない。今度は硬直した目線を勇也が離さない。  観念した大吾は、勇也と八谷に『皇帝』と『雨宮凛』との『契約』を告げた。 「無理やり言わされたもんなのか、アレ」 「全部が全部、無理やりってわけじゃないですけど」  今度は八谷が息を吐きつつ言ったのを、大吾は部分的に否定した。 「大吾。スター・システムって知ってるか?」  スター・システム。  花形の選手を、ニュースやマスコミなどがそのイメージを増幅させることによって、一般人の意識を向けさせ、その花形的人物がいることを大前提としてチーム編成、宣伝計画、さらには集客プランの立案などを総合的に行っていく方式。  無論、大吾は知っている。 「おまえは来生さんと、その記者さんによって選ばれた。日本のサッカーの閉塞を引っぺがすための、人身御供にされちまったんだ」 「覚悟はできてる」 「覚悟? これから先、日本代表が低迷したら、全部おまえのせいになるかもしれないんだぞ!?」 「わかっている」  これから先の、日本代表を背負って立つと宣言したに等しい。  スター・システムで見い出されたは良いが、その重責に耐えられず潰れていった若手も多い。アルゼンチンですら、マラドーナ2世、ネクスト・マラドーナがリオネル・メッシが出てくるまで何人いただろう。  世界を取るには、サイズ・テクニック・パワー・スピード・スタミナすべてを兼備した男が必要である。 ――それを兼備している男が身近にいる……  大吾は少し考え込んだ。 ――なぜ、『皇帝』も『記者』も、より・・パーフェクトな存在が居るにも関わらず、自分を選んだのか? 「大吾。今、真吾のことを考えていたんだろう」  八谷の言葉にハッとして、我に返った大吾はゆっくりと頷いた。 「アレは特別製だ。おまえの兄貴はすごい。だが、バロンドールは1年にひとりだ。兄弟でバロンドール争いってのも史上初で面白いかもしれんな。それこそ日本代表は、より良い競争・・・・・・を経て高みに行くだろう」  八谷は頭をポリポリと掻きながら言う。 「もし、おまえと真吾が別のチームなら、どんな闘いをしたんだろうな。他人事のようで悪いが、おまえらが海外で敵同士として戦うことがあれば、イチ観客として是非観戦したいものだ」 ――兄が、敵……??  大吾と真吾の軌跡は完全に被っている。  幼稚園に入る前から受けた父からの手ほどき。岡山Jrユースから、岡山ユース。そして、J1岡山。 ――それが分かたれるときが、来る?  いささか現実味がない  現実味を感じない。  現実味を帯びていない。 ――だが、兄も世界一の選手を目指しているのなら……  戦うときが来る。共闘ではない。ただ敵として。頂点に登るために、ライバルとして。 ――そういう日が近づいているのだろうか  自分のことであるが、今はまだ考えるのが早すぎるようにも感じるのだった。

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