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 仙台対岡山。   試合そのものはあっけなく終わった。見所としては『エンペラー』来生哲太がボールを持ったときに、右手で煽って大吾を挑発したことだ。  ボールを跨ぐシザースフェイントを繰り出して、大吾を翻弄しようという大ベテラン来生。しかし大吾も、若手のホープとして簡単に抜かれてやるようなことはしない。  ボールを跨いだ瞬間に訪れる、一瞬の間。そこにチョンと左足を差し出し、カットする。  右足に持ち替えて、ドリブルを大吾はスタートした。  あとから追ってくる来生は、さすがに若者のスピードには付いていけない。前方から迫ってくるディフェンダーを、大吾はボールをインサイドでこすり上げて、さらにそこからもう一度タッチして浮き球にしてかわした。相手の勢いを逆に利用した、シャペウだった。  落ちてくるボールを、そのまま大吾は掻っ攫ってまたドリブルを再開する。フィールドの左サイドにて次のディフェンダーは、飛び込むのを躊躇せざるを得ない。  前方にスペースが少し空く。大吾にとって、フリーと言っても過言ではない。移動砲台の見せ所だ。  右足アウトサイドで、グラウンダーのスルーパスを送った。到着先には、兄・真吾。真吾が左足で打ちやすいように、そのボールにはフックがかかっている。  ダイレクトで真吾が、それを打ち抜いた。弾丸のような球は、雷撃の如くゴールネットに突き刺さる。  それから『エンペラー』は数プレー試合に絡むと、そこで交代。ボールデッドになると、試合が一時中断し、失点の基点になったにも関わらず、スタジアム中にいるものがすべて、スタンディングオベーションで彼を見送った。  しぶとくトップハーフに喰らい付く岡山と、ボトムハーフを彷徨う仙台とでは地力が違いすぎる。  大吾も後半17分までプレーした。そこからは八谷が途中出場し、スピードでゲームを掻き回す。  大吾の技術と移動砲台戦法で疲れたあとには、八谷のスピードに付いていける敵はほぼいなかった。今までとは逆の交代劇スタッフェッタ。岡山にとって、理想的な采配であるはず。  3-1で岡山が勝利したが、この試合は勝敗がどうこうより、そのあとのセレモニーが一番の目玉であった。  スポットライトがフィールド中央に向かって何重にも照らされる。そこにまだまだ若々しく、駆け足で寄っていく初老の男。日本サッカーの生き字引『エンペラー・テッタ』。  両手を上に揚げてクラップし、当たりを見回しながら壇上に上がる。そしてマイクに一礼し、話し始めた。 「長いようで、短いサッカー人生を送ってきました」  数刻の沈黙。 「やり残したことはありません。できればワールドカップに出たかったけれども、それも含めて人生です。今日も相手に恵まれました」  視線が、岡山のベンチに注がれる。 「僕は日本代表をワールドカップに連れて行くのが使命だと思っていました。ですが、今日の対戦相手には、日本をワールドカップで更に高き・・・・に導いてくれるかもしれない存在がいます。そういうやつと最後に対戦したのは大きい」  視線は、大吾を捉えているようにも思えた。 「日本サッカーは、サッカーを愛してくれるものがいる限り、不滅です。どうかこれからも、この魂のスポーツを愛してやってください。今までありがとうございました!」  またもや一礼し、来生は去って行く。日本のサッカーの歴史の一頁が今、終わろうとしていた。 ☆☆☆☆☆  ロッカールームに戻ろうとした大吾は、背中を叩かれ後ろに振り返る。そこにいたのは『皇帝』。 「おまえらのことを言ったんだぜ。わかってる?」  不意を突かれた。 「俺の……いや俺らの後継者。おまえら向島兄弟や、あの秋田の瀬棚。ワールドカップでより高き・・・・を目指してくれる存在、だ」  そこに、コツコツと記者席から雨宮凛が乱入してくる。 「来生選手は、向島大吾選手が後継者だと?」 「そうだな。特にこいつだな」 『あともう選手じゃないから』と来生は付け加えた。 「でも最近の選手は、『興業としてのサッカー』を知らない。良い子ちゃんでありすぎる。ビッグマウスで盛り上げるのもサッカー選手であることの意義じゃないか?」 「たしかに。平均的なレベルは上がったけれども、個性が一昔前に比べると減ったような気がします」  来生と凛はふたりで盛り上がる。まるで大吾は置いてけぼりだ。 「大吾・・。おまえはバロンドールを目指しているんだろう。それが本当なら、自動的に日本サッカーはおまえを中心に廻っていくことになる」 「それは……」 「バロンドールは嘘か?」  バロンドールは個人賞だ。  だが日本サッカーを引っ張っていく存在に、自分が成れるかはまた別問題だろう。  個人で代表を勝たせる? それができたのは1986年のマラドーナだけだ。正直、日本人がバロンドールを獲得するよりも、日本がワールドカップで優勝することの方が難しいであろう。  そういうことを言うと、 「虚勢だったのか!?」  と厳しく詰められてしまう。 「大吾。虚勢家なら、虚勢の中で生きてみろ。自分が日本代表をワールドカップで優勝させてやる、くらい公言して見せろ」  虚勢家……  たしかに、自分を守るために、はったりで生きているところはある。 「おまえの魂の置き場がサッカーであるなら、虚勢を現実に変えて見せろ!」  睨むように絡み合う視線。本気の意志と意思が交差し、大吾を捉えている。  そうか。来生も魂の在処がサッカーだったのだ。  皇帝のサッカーは生きる術であったのだ。  そして、その最終目標は、ワールドカップに日本を出場させるところで終わっていたのかもしれない。それに比べると、今の自分はどんなに恵まれていることか。  ベトナムのレベルを上げることが使命のグエン・バン・ヒュー。  日本をワールドカップに出場させることが使命だった来生哲太。  そして、ブラジルからスペインに帰化して、ワールドカップで優勝させたラファエウ・サリーナス。  すべてが射程圏内に入っているはずだ。  だがビッグマウスというのは、やはり自分の性格に合わない。もし挫折したときに、その代償は自分の精神にどれだけの傷を負わせることになるのか。 「目的が達成されたときには、挫折は過程に変わるのよ。ただそれまで諦めないだけ。目的をそこ・・に置くことは、あなたにとってやっぱり怖い?」  凛が、大吾の心根を読んだかのように優しく語りかける。  確かにすべてのタイトルを取るのは目標だ。  だが、目標と目的は明確に違う。  目的とは『成し遂げようと目指す事柄』。  目標とは『目的を達成するために設けた目印』。  どちらも目指すべきものという点では同じだが、目的は物事の最終地点。目標はそこへたどり着く途中段階。目的は漠然としていない。 ――今の自分のどこに、そこまで期待できるのか 「おまえのその目が期待させちまう。臆病でガチガチに震えていながら、目は遙か遠くを見通している。崖っぷちに追い込まれてギリギリと歯を食いしばりながらも、目は死んでいない」  来生が言った。 「若い頃の俺に似ているんだな、これが。サッカーなしでは死んでしまいそうなところが」  魂の尊厳  魂の所在  魂の在り処  21グラムの存在が、激しく来生と大吾を照らしている。 「俺は……」  言葉に詰まる。凛が、大吾をみやって頷き、催促する。  食いしばるように口を噛む。この言葉を実際に口に出せば、この場に踏みとどまれないかもしれない。この言葉を軽々しく口に出してしまったことで、アンチが増えた選手もいる。あらぬ期待を国民に思い抱かせ、その失敗によりこの競技から離れたものがいることも知っている。 「大吾くん。あなたにはそれは重荷?」  彼女は、ボイスレコーダーのアプリを立ち上げて、大吾に掲げて見せた。『男なら言って見せろ』と少し、挑発しているかのようでもある。  雨宮凛。  彼女の21グラムもそれによって、できているのであろうか。 「俺が……日本代表をワールドカップで優勝させて見せます!」  来生が大吾の背中をパン! と叩く。  凛が、よく言ったわ、と微笑を浮かべ、 「一蓮托生、よ」  そう言って、片目をつぶる。  数時間後には、ウィークリーフットボール.netにて記事が公開された。 『エンペラーの後継者は、向島大吾! 「俺が日本代表をワールドカップ優勝に導く!」』  その記事は過去数年間で最大のアクセス数を記録した。 ※※※※※ 『向島大吾!「俺が日本代表をワールドカップ優勝に導く!」』  日本サッカー界は、秋の時代を迎えていた。冬の時代ではない。しかし真っ盛りの夏はとうに過ぎて、冬に入りかけた冷めた刻であった。  日本代表は、まさに秋の刻。  本田圭佑、香川真司、長友佑都などが、『ワールドカップ・ベスト4』『いや、優勝を狙っても良いかもしれない』と煽り続けた後、結局、結果が出ない日本代表の人気は地の底に落ちかかっている。Jリーグや日本代表の放映権を地上波からネット放送に売ったため、にわかが極端に減ってしまい、一般人の話題に上がることが少なくなってしまったのだ。    Jリーグ・日本代表、日本サッカー界の共通の問題は、漂い、晴れることのない閉塞感を打ち払うことだ。ワールドカップでは、アジア予選は楽勝で勝ち、本選では予選敗退とベスト16を交互に繰り返す。海外進出した選手たちは、中小クラブでは活躍し、ビッグクラブに移籍すると途端に輝きを失いベンチウォーマーと化している。  そんな中、『皇帝から勅命を受けた若者』がワールドカップ優勝をぶち上げた。嘲笑を発するものが多数だったが、18歳の若者ならではの青雲の志に熱意を感じたものも確かにいたのだ。 『挑戦と失敗は若者の特権』  これまでの、大吾の活躍が一般にも取り上げられるようになってきた。   「本田圭佑選手以来ですね、こんなことをぶち上げる若者は」 『彼にはその実力がありますか?』 「うーん、Jリーグでは通用していますがね。18歳でここまでやれるというのは驚愕モノではありますが……」 『海外では通用しない、と?』 「サイズが、ね。技術は圧倒的なんですが、やはりフィジカルが通用しないでしょうね」 『彼の兄は打って変わってフィジカルが武器なような気もしますが……』 「そうですね。向島真吾は海外でもそこそこやれるでしょう」 『彼と似たサイズの香川真司選手が通用したのは何故でしょう?』 「彼の場合は、アジリティが世界最高クラスであったからです。向島大吾は……」  YouTubeなどで、元代表であったJリーガーやら、サッカー専門のユーチューバーなどが向島大吾を取り扱うようになってきた。プレー動画集なども大いに作られる。その日本人では類を見ないテクニック、『移動式砲台』と呼ばれる個人戦術、そしてフィジカルチャージによって簡単に吹っ飛ばされるダイジェスト。  海外のフォーラムでも取り上げられ、大吾にニックネームが付いた。 『エル・マタドール』  闘牛士という意味だ。  最後の一刺しをするという意味で、普段は天性のゴールゲッターに付けられることが多い異名である。  しかし大吾はセントラル・ハーフ。それも、スタミナが武器ではないボックス・トゥ・ボックスのミッドフィルダー。  なぜ、その異名が付いたかというと、相手のフィジカル任せのチャージをボールを浮かせたシャペウ・フェイントで華麗にかわす姿が、突進してくる牛をかわす闘牛士のようだ、と受け止められたからだ。  18歳の誕生日を終え、FIFAの海外移籍の条項にも問題なし。日本のかなり・・・ビッグマウスな・・・・・・・有望株・・・を手に入れるため、海外が扇動し始めた。

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