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 ラァノの床を囲むようにして団居をつくった一同は、ラァノの痛ましくもおぞましい姿にどこを見ればいいのか分からない。だが当の本人は意に介する様子もなく、床の上で体を伸ばしたり水疱をつついたりしている。 「あの海獣の顔の横についてるのを切ったのさ。そこから出てきた体液のせいだろうね。あの海綿体にそっくりだよ、これは」  自分の脚の水疱を揺らし、彼女は鼻にしわを寄せた。 「元が分かんなきゃ、何ともなんないね」 「元、とは?」  みなが同じ疑問を浮かべると、ユヲンが答えた。 「海獣とは、元は普通の動物なのです。魔獣の中でも特に海に出る物を海獣と呼んでいます。体内に濃い魔力を持つ動物が、何かの拍子に魔獣に変化もしくは生まれつきほとんどの場合、巨大凶暴化するのです」 「動物? 普通の……その辺にいる魚とかってことか?」 「そうです。原因はさまざまありますが、魔獣の元は全てそれです」  じゃあ、とフシが目を丸くした。 「おれたちが知ってる魚かなんかが、海獣の正体ってことなのか?」 「そうです。ですから、情報の共有が必要なのです。解毒のために」  なるほど、と唸った年寄り衆は、水を得たようにしてラァノに海獣の細かな特徴を尋ね始める。彼女は面倒そうな顔をしつつも丁寧に返答をし続けた。  魚のような胴体、短い脚、硬くぬめった鱗。そして顔の横で主張する何か。  そして、遂に一つの結論を得る。 「四足魚メルウだ、間違いない」  貝の炊き物の匂いに誘われて、外に出ていた者たちも遠巻きに顔を見合わせ肯いた。  四足魚メルウとは、と眉を寄せる二人にオルが答える。 「岩場の裏や暗いところ……儂らはラダと呼んでる内湾の底に棲み着く脚つきの魚だ」 「……魚に四つの脚が?」 「そうだ。底を這って苔だか小魚だかを食べてるんだ。顔の横にひらひらとしたえらがついてる……ラァノ殿が切っちまったのはそれだ」 「では、その四足魚の毒にやられたら君たちはどうしますか。どうやって治すのですか」  それは、と口ごもるオルをラァノは白けた目で見る。 「どうもこうもないさ。分からないんだろう? さっきも岩の下でそんなこと言ってただろう」 「聞こえてたんで……」 「アタシを誰だと思ってるんだい」 「ラァノ、話がずれます」  フン、と鼻を鳴らしたラァノにユヲンが苦言を呈す。眉が跳ね上がる彼女を尻目に、男の魔術師は村人たちを見回した。 「何かご存じの方はいませんか。どんな小さなことでもいいのです。毒を中和する食べ物や植物……ほんの少しあれば」  するとそのとき、土間の女衆の中からトマたちと同じ頃の娘が前に出た。「貴方は」と流し目のユヲンに背後の女たちは一気に色めき立つ。子らがその様子を不思議そうに見上げた。  ユヲンに応えようとして顔を赤らめた娘は辛うじてまたひとつ前に出た。視線が定まらず、乾燥した唇もあわめいている。  これだからお前がいると面倒なんだよ。ラァノは胡乱な視線を金髪の色男に投げてから、 「どうした、言いたいことがあるなら遠慮しないでいい」 と、話を引き取った。娘はハッと我に返ると、たたきの上に足を乗せるとふくはぎを露わにした。ユヲンの灯石がはっきりと、彼女のすねに薄らと残る黒い水疱の跡をみなに見せた。ふむ、とユヲンが目を凝らす。 「私は痛かったことしか覚えてないんだけど、祖母も母も生きていた頃に『刺されたんだ』って。岩場の影で遊んでいて毒にやられたって……」  人前で脚など出したことがないのだろう、羞恥でか赤らんだ頬にラァノは「悪いね」と脚を仕舞わせた。娘はまだ赤らむ頬のままで、ラァノの顔を見つめた。 「確か婆ちゃんは『苦い薬をつけたら良くなった』って」 「苦い薬?」 「そうか、分かったぞ」  オルや年寄りたちの表情が変わった。明るい声で口々に言う。 「苦い薬ってぇと苦蓬草トォガの根だ」「風邪でも傷でも効くって、昔はよく飲まされたもんだ」「しみるんだよな、これが」  少し希望が見えましたね、とユヲンは肯く。 「前は赤屋ドラテの側に生えていたんだ。だが津波の頃にあった地割れであの辺は岩だらけになっちまった。水の具合も変わっちまったのか、近頃はあんまり見ねぇ」 「ラダで捕った貝に当たったときもトォガが効くんだ」  おい今から貝を食おうってのに縁起でもないこと言わないどくれ、と土間から鋭い野次が飛んだ。ドッと笑いが起き年寄り衆もつられて笑った。 「よし、なら夕餉を食べたらトォガ探しに行くぞ」  応! 飯だ!  ありったけの碗にはふっくらと肥えた貝と育てた菜の炊き物が満たされ、みなにもれなく行き渡った。若者たちは年寄りに促されて二杯も食べた。  小屋には海の香りが立ちこめ、みなは腹も心も満たされて酒でも飲んだように賑やかになる。  ラァノさんも! とジナが盆代わりの板に碗を乗せてきたが、ラァノは受け取らなかった。でも、と食い下がる少女に「食欲がないのさ、お茶をおくれ」とひとつ笑んだ。実際、彼女の手は匙を持つことさえできぬほど重く腫れあがっていた。

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