「海の毒にやられたんだ」 毒? ラァノは脂汗を滲ませた顔をオルに向けた。途端、ギィィと首が引き攣って息が止まりかける。 「だめだ、動いちゃなんねぇ」 「……う、うぅ」 「もしかして海神さまを追い払ったときに?」 「そ、……だ」 オルは「おぉ許してくりゃ儂たちのせいだ……」とその場でまた頭を下げた。 「ラァノ殿、どうしても先にはっきりさせてぇことがある。儂らはさっぱり分からんから教えてくりゃ。あの岬に出たでかいのは、本当に海神さまじゃねぇのか」 ラァノは僅かに「あぁ」と返し、声を出した振動に顔を歪めた。痛みでもはや動けない。 すると「……爺、わたし知ってるよ」ジナがひょいと衝立から顔を出し、ラァノの姿を目にしてポカンと口を開けた。 張りのある日焼けした手脚は見る影もなく、どんなときも余裕に澄む彼女の瞳は苦しげに歪んでいる。スラリとしていた手脚は黒くまだらに腫れて見る影もない。 「ぁ……そんな。わたし側にいたのに、気づかなかった」 ジナはへなへなと衝立にしがみつきながら、床に座り込んだ。情けなさ恐ろしさからガタガタと震える。 「ラァノさん……どうして、体が」 「ジナ落ち着け。あのでかいのは……」 祖父の手が肩を包み、ジナはひとつだけしゃくり上げた。しかし懸命にも涙を堪えて聞かれたことに答える。 「ぁ……あれは海神さまじゃなくて、海獣って化け物だって言ってた。お話の中に出て来たの。海に現われる大きいのはそう呼ぶって。他の浜にも時々出て悪さするって」 ダルク、と言葉をオウム返ししオルは厳しい表情でラァノに再び目を向けた。 「ラァノ殿、聞こえるか。あんたはたぶんその海獣って奴の毒にやられたんだ……前に似たような毒にかかった子どもを見たことがある」 「毒って何? 爺、すぐに治るんだよね?」 ねぇ爺、と繰り返すジナにオルは答えず、ラァノに呼び掛けた。 「悪いが、他の年寄りにも見せるぞ。何か分かる奴がいるかもしれん」 しかし有力な情報は何も得られなかった。どの者も黒い毒にかかった子どものことは覚えてはいても、原因や解毒について聞いたことがなかったのだ。 外は未だ小雨――わざわざ濡れに外に出る者はいない小屋は、不安にさざめいた。ラァノの痛みに耐える声は否が応でも聞こえてくる。彼女の容態を心配しない者はいないが、「毒」と恐ろしげな言葉に自分の子どもを強く抱く女もいた。 みな互いに視線を交し合い、口を噤んで成り行きを見守っていた。 昼だというのに山間の小屋は薄暗く湿った空気が流れていた。
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