春たちが山麓に来て二週間が過ぎた。 春はさくらのすすめで毎朝5時に起きて、近所の田んぼ道を散歩した。 「鳥の鳴き声ってこんなに響くのね。ここではいつもほんとにたくさんの鳥の声が聞こえる。都会じゃぜんぜん気づかなかったわ」 「朝に鳥が鳴くなんて当たり前なんだけどね。鳥が朝に鳴かないような環境ってやっぱり不自然。そんなところで暮らしてたら、人間病むのも当然よ」 さくらも時々春と一緒に散歩していた。 「さくら先生に言われなかったらこんな朝早くに散歩なんて絶対しなかったよ。とっても気持ちいい。ありがとね」 「朝日たっぷり浴びて、鳥の鳴き声聞きながら散歩してたら、ちょっとやそっとのことじゃ病気になんてならないよ」 山の方角から1人の男が歩ってくるのが見えた。山間からの日差しが眩しくその男を照らしていた。スキンヘッドに鍛えられた身体、堂々とした歩き方で、遠くからでもそれが三島であることがさくらには分かった。 「あ、三島さんだ。山麓に下りてきてるなんて珍しい」 さくらは小走りで三島に近づいていった。 「三島さんおはよう」 「おお、さくらか。おはよう」 「久しぶりですね。相変わらずいい筋肉」 三島はいつも短パンにタンクトップという服装で、さくらはいつも見惚れるように三島の腕やふくらはぎをみてそう言った。 「こんな時間に山麓ふらついてるなんて珍しいですね」 「あぁ下りてきたのは三ヶ月ぶりだよ。たまにはこっちの空気も吸いたくなる」 春が遅れて近づいてきた。 「こちら春さん。訳あって息子と一緒にスーパー特区からこっちに来てるの」 「初めまして。春と言います」 「始めまして春さん。三島です。スーパー特区からはるばるこんな隠遁者の村へようこそ」 「あら、隠遁者の村だなんて面白いこと言いますね。まだこっち来て2週間ですけど、とても素敵なところです。何より皆さん人がよくて」 「確かにサイレントヒューマンの村なんてこの国のマジョリティから行ったら隠遁者みたいなものだけど、三島さんはこの隠遁者の村でも一番の隠遁者なの。山の中腹にある小屋でずっとこもって暮らしているの」 さくらは少しからかう口調で言った。 「えぇ。この国に絶望して以来、山で猪と鹿をとっ捕まえて、薪割って、淡々と暮らしてます。特に明るい未来もない暮らしですけど、僕からしたら特区なんかの暮らしよりマシです。特区での暮らしなんて奴隷にしか見えません。確実に完全管理社会に向かってます。特定の人間にすべて決定権を握られ、一般市民には自由意志なんてない世界です。みんな気づくのが遅すぎましたね。もう手遅れです。多少不便でもまだこっちのがマシです」 「三島さん、特区から来た人に向かってそんな失礼な言い方して。春さんごめんね。悪気はないから」 「いや、言いたいことはなんとなく分かります。本当にそうかもしれません。私も含めて諦めて暮らしている人が多いってのは事実でしょうから。一部のエリート以外はほんとにひどい暮らしです」 「でも春さん達は気づいたからこっちにやって来たわけでしょう。私はそうやって気づいてこういう村にやってきてくれる人達がいることにまだ希望を感じてるよ」 さくらはぽんぽんと春の肩を叩いた。 「希望ねぇ。民主主義ってのは数の力がもの言う世界だから、サレイントヒューマンなんて呼ばてる少数派の我々は意見も通らず肩身狭く生きてくしかありませんけどな」 「肩身なんて狭くてもいいじゃないですかぁ。色々不便あっても私たちは私たちで助け合って自治できてるんだし」 「本当ですよ。食べ物は美味しいし、住んでる人はみんないい人で優しいし。家に鍵がかけないなんて最初はびっくりしたけど、鍵がいらない理由が分かりました」 「ところで、三島さん聞いてる?特区で最近やばい怪奇事件が起きてて、ヒナタがそれに巻き込まれちゃったんだって。春さん達がこっち来たのもそれが原因なんだけど」 さくらは事件の一部始終を三島に話した。 「ニュースなんて何年も見てないから知らなかったけど、特区なんて昔からどんな人体実験させられるか分かったもんじゃないよ。食べ物だって薬だってそうだ。何が起きてもおかしくない。ディストピアな仮想現実だよ。間違っても特区になんか行っちゃいけない」 「もう三島さん。ヒタナのお陰で春さん達がこっち来れたんだからそういうこと言わないでよ」 「ところで、さくら先生はマイクロチップの摘出はできそうなのか?」 「あ、うん。念のため詳しい先生に聞いてみたんだけど。摘出自体は簡単そう。どこに埋められてるか人によって違うみたいなんだけど、場所を探知できて切らずに針みたいなのを刺して取り出す用具があるらしいから今それを取り寄せてるの」 「なるほど。問題はマイクロチップを摘出した後にどうなるかだな。政府は何かしら追跡してるだろうからな」 「そうだね。でも、マイクロチップで追跡してるとしたら、春さんを追ってここまで警察が来てもおかしくないじゃない?殺人事件が絡んでるし、特区から逃げ出したわけじゃない?本気で探そうと思えば簡単じゃない?それが何も音沙汰ないのよね。ヒナタも春さんも防犯カメラに写ってたっていうし。なんか変だよね」 「事件の裏に何かがあるんだろうな。政府の自作自演じゃないか。今のなんでもありの政府に解決できない事件なんてあるはずがない。解決不能な凶悪事件をわざと起こして、もしくはわざと野放しにして、国民の恐怖や不安を煽って、また国民を縛り付ける法律でも作ろうって魂胆だろうよ」 「なるほどぉ。さすが三島さん、あったまいいねぇ。特区の暮らしはますます息苦しくなる訳だ」 「まぁそんなことよりさくらも気をつけろ。マイクロチップを勝手に外した医者だなんてばれて、捕まったら一発で人生終わっちまうぞ」 「うん。分かってるわ」
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