作品に栞をはさむには、
ログイン または 会員登録 をする必要があります。

 私の、と言っても凛さんが書いた私の処女作『キス・ミー』の見本本が段ボール一杯に届いた。 「表紙可愛い」  光沢のある紙には女性の唇のアップのイラスト。まるでキスしてほしいみたいに艶のある唇の少し上に、小説の表紙には珍しいくらい小さな字で『キス・ミー』と書いてあった。 「まぁ読んだからわかってるだろうけど、主人公の好きな人と、付き合ってないけどヒロインとキス友になる話だよ」  段ボールから一冊小説を取り出して、ペラペラとめくりながら凛さんが言った。 「そうですね。最後の方は泣いちゃいました」  凛さんの前では読まなかったから、泣いたところは見せてないけど、本当に泣いた。 「私、この小説はハッピーエンドにならないんじゃないかって思いながら読んでたんですけど、最後の主人公の頑張りにウルウルしちゃってティッシュ五枚くらい泣きました」 「俺もこの話好きだよ。問題は読んでくれる人がどのくらいいるかだ」 「花野が宣伝してくれるとはいえ、無名の作家ですもんね」 「まぁ凛からキリになった時も上手くいったから、上手くいくと思うよ」  凛さんはテーブルに置いてあった私のサイン練習帳とマジックを見て、マジックをとって、手に持っていた小説に凛とキリの両方のサインを書いた。 「はい。あげる」 「いいんですか!」  私は多分、世界に一つしかないだろうレアな小説を受け取った。 「嬉しい……」  そうつぶやくと、凛さんが「ん」と言った。  凛さんを見ると目を瞑って唇をほんの少しだけ突き出していた。でも口角が上がっていてちょっと笑っているようにも見えた。  キスしてってことなんだろう。  私は凛さんに上半身を近づけ、目を瞑ってもキスできる距離まで近づいて、凛さんの肩に両手をそっと乗せ、唇を押し当てた。  スタンプみたいなキスをした。印鑑を押すみたいにギューとは唇を押し付けなかった。チューではなく、チュとした。 「木ノ葉って積極性ないよな」 「そうですか?」 「うん。なんだろうこんなに俺の言いなりになったり、思いどうりになってくれて、あんまり自己主張もしないのに、なんでこんな仕事まで受け入れてくれたの?」  そんなの、憧れの小説家、山月凛とキリと仕事を出来るならなんだってしたいと思ってたからだ。死んだと思っていた人が、私の前に現れた。それが嬉しかったんだ。  だから、自分の自我なんて二の次だった。  私が黙ってうつむくと、頭を覆うみたいに凛さんの手が乗り、私をそっと撫でてきた。 「もっと我儘になったっていいんだぜ?」  その言葉を凛さんが口にした瞬間。 「キスだけじゃ……」  そう呟いている私がいた。なんでこんなこと言いかけたんだろう。キスだけで充分だって、思ってた。好きな人のペースに乗っかっていたかった。なのに、なんで時計の針を進めるようなことを言おうとしたんだろう。  キスだけじゃ足りない。抱きしめて。ベッドに連れて行って。滅茶苦茶にして。  そんなこと考えた自分に驚いていた。これは我がままになるんだろうか。  花野は、ちゃんと将来、凛さんが私をお嫁さんにしてくれるのかなんて言っていたけど、そんな日を本当に期待して、傍にいてもいいんだろうか。 「私は……友達がずっといなくて、凛さんの本ばっかり読んで生きてきました。寂しい時も陰口を言われた時も、手には凛さんの本を持ってました。だから、凛さんの小説は友達の代わりでした。この先もきっとそれは変わりません」 「友達いなかったって言うけど、恋人はいたの?」 「いませんけど……」 「じゃあ、次書く小説は、友達じゃなくて木ノ葉の恋人になる小説を書くよ」  凛さんも、私がしたみたいにチュっとスタンプみたいなキスをした。  私は、多分顔を真っ赤にしていたと思う。だけど平然を装いながら、軽く笑って自分の部屋に逃げ込んで、ベッドに飛び乗った。  叫びたいけど、凛さんに聞こえちゃうから、脚をバタバタさせた。  敬愛。敬愛。敬愛。と、何度も頭の中で叫んだ。でも「好き」と小さく声に出してしまった。  一緒に住んでるけど、凛さんが私を襲ってくることはない。多分、私の魅力不足。もし、私の顔が花野だったら凛さんは私とキス以上のこともしたんだろうか。  夜になって、お腹がすいたのでリビングに行くと、凛さんがパソコンで小説を書いていた。  私は、凛さんと自分の分のオムライスを作った。  卵の上にハートマークを描きたい気分だった。でも、何も書かなかった。ケチャップくらい自分でかけてもらうことにした。

応援コメント
0 / 500

コメントはまだありません