4 用意されたラスク二枚とミルクコーヒーはブックカフェで出るものと同じ味がした。 「ごめんな。二回も死んで」 「ああ、はい。ほんと、酷いですよ……本当に、きっと私以外のファンでも泣いている人いると思いますよ」 「そうなんだろうな。けど、もう限界だったんだよ」 「小説を書くことが?」 「いや、小説を書くのは好きだ。他の仕事なんて出来ないくらい書くのが好きだ。息抜きに経営してるブックカフェで週に何回か本読みながらレジするのは好きだけど、それだけ。俺には小説しかない。けど、山月凛でも、キリも自分じゃなくなった気がしてさ」 「自分じゃない?」 凛さんはブラックコーヒーを一口飲んで、コースターの上にマグカップを置いた。 「まぁ、それはいずれ話すよ。木ノ葉が俺に代わって俺になってくれるならな」 キンコーンと部屋中に綺麗な音がした。 「やべぇ……矢部ちゃんだ」 「矢部ちゃん?」 鍵を開けに行く前に、勝手にドアを開けて開けてドスドス足音を立ててスーツの男性が現れた。 「お前!何回死ぬ気だ!」 「潮時だったんだよぉ」 怒る男性に向かって、甘える猫みたいに凛さんはそう返した。 「何が潮時だ!『キリ』はこれからだろう!新人賞、直木賞に芥川賞、本屋大賞取ったんだぞ!?これからが小説家人生じゃないか!」 そうだった。キリは小説家として凄い人だった 「山月凛でも新人賞、直木賞、芥川賞、本屋大賞取った途端に死亡ニュース流しやがってほんと、おま、お前、何になりたいんだよ!」 「あ、木ノ葉、この人が俺の担当編集?マネージャー?の矢部ちゃんよろしく」 「えっと、寛治木ノ葉です。なんか雇ってもらえるっていうんでついてきました。よろしくお願いします」 「あ、はい、よろし……雇う?」 矢部さんは私を凝視した。 「雇うって」 今度は凛さんを凝視した。 「家政婦か?」 随分間抜けな声と顔をした担当編集さんの矢部さんは、私と凛さんを交互に見た。 「この子には俺になってもらう」 キリの言葉に矢部さんの目と鼻と口が全開に開いた。 「はぁ?!お前自分で死亡したってSNSで報告しておいてまだ小説家やる気かよ!」 「もちろん。月山凛もキリも死んだ。新しく生まれるんだ。俺とこの子は今日から二人でコノハだ」 凛さんは自分のジーパンの後ろポケットからUSBを取り出し、矢部さんに差し出した。 「あとコレ」 「なんだ?」 「キリの遺作。売れるタイミングで売って」 「お前簡単に売ってとか言うけど、今の出版業界のこと考えたことあんのかよ!」 「さぁな。俺は書くだけ。講演会だのサイン会だの、まして『面白い小説の書き方講座』なんてもう馬鹿なことしたくないんだよ」 そんな。 「馬鹿なんかじゃありません!」 あ。二人の会話を思わずさえぎってしまった。でも、馬鹿なことになんてしてほしくなかった。 「ご、ごめんなさい。でも、私は救われてたんです。今月は新刊が出るとか、サイン会には何を着て行こうとか、どうやったら面白い小説が書けるのかとか、知りたいことがいっぱいありました。だから、馬鹿に、しないでください……」 凛さんがまたあっぱれって感じで「へぇ」と言ってコーヒーをすすって、矢部さんは溜息をつきながらソファに座って頭を抱えた。
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