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「ルミ……何故華道部をやめたんですか?」 「つまらないから」  ルミが東京に上京する4年前……つまり彼女の高校時代が舞台である。  三つ編みのセーラー服姿で、学校から帰ってきたルミを説教する女性がいた。  時代錯誤な割烹着姿だが、凛としている美しい女性だ。  彼女の名前は藤宮うた。ルミの母親である。  彼女は娘のおてんばぶりに困っていた。  確かに藤宮家は、代々古武道を継承する家系である。  だが娘のルミは女の子だ。お淑やかに成長してもらいたい。  そのため高校では、強制的に華道部に入部させたが1週間で退部した。  『このまま成長しては、嫁の貰い手はない』と母は心配していたのだ。 「ルミ!外へ遊びに行こうぜ!!」  アパートの一室で正座する二人に話しかけてきたのは、夫であり父親である魁道だった。  小柄だが、ヒゲを蓄えたナイスミドルである。 「あなた……今は大事な話をしているのです」 「別にいいじゃねぇか、ちょっとくらい」 「あなたがそういう態度だからいけないのです」  魁道は藤宮家には婿養子で入っており肩身が狭い。  宗家であるにも関わらず立場的に弱いのだ。  それもその筈。藤宮流の拠点は元々東京・中野区にあった。  魁道の我儘わがままで各地を転々と住居を移し、ルミの修行のためとして山の中で暮らしたこともある。  東京で生活した方が、本家の屋敷や道場もあり苦労はしないのだ。  現在は藤宮家は関西地方に住んでおり、魁道自身は運送業を生業とする。  なお藤宮流は、近くの市営体育館を借りて指導している。 ――ピンポーン  部屋のインターフォンの音がした。 「ちは~宅配便です!」  どうやら宅配便のようだ。 「話は終わっていないから待ってるのよ。いいわね」  そう言って詠は玄関先へ行ってしまった。 「うるさいババアだ」 「バ、バカ聞こえるぞ!あいつの耳に入ったら大変なことになる!!」 「パパも何で言うこと聞いてんの…?一回ぶん投げたらいいじゃないか」 「バカ野郎あいつ俺より強いんだ!」  長い歴史上、藤宮流は女系の師範が道統を継ぐことがある。  皆それぞれ男性よりも強かった。  だが詠はこれを良しとせずに、魁道と結婚し藤宮流の宗家とさせたのだ。 「それよりもだ。早く外へ行こうじゃねぇか」 「どうやって行くんだよ。玄関にはママがいるだろ?」 「アホだなおめェ……出口ならそこにあるだろ」  そう魁道が言うとベランダの窓へと向かった。  幸い彼らが住んでいるのはアパートの1階部分だ。  父と娘の二人は外の世界へと繰り出していった。 ・ ・ ・ 「お久しぶりですな藤宮さん」  魁道達は不動流の道場へと来ていた。道主・鬼塚英緑は快く迎える。  藤宮流とは戦国時代より交流しており切磋琢磨の間柄。  明治時代に藤宮流が東京へと拠点を移してからも交流を続けている。 「鬼塚、久しぶりだな。そう君と亜紅莉あぐりちゃんは元気か?」 「二人なら東京へ行きました」 「東京、また何で?」  英緑には二人の子どもがいた。  一人は蒼という息子がおり、不動流の〝龍〟と呼ばれる実力者だ。  他門弟からは、若先生と呼ばれ慕われている。  もう一人は妹の亜紅莉。ルミと同い年である。  魁道は英緑に尋ねた。 「亜紅莉ちゃんなんて、うちのルミと一緒で高校生になったばかりだろう?」 「いや……色々ありましてな」 「パパ。」 「むむっ……」  ルミが魁道の耳元でささやいた。英緑の顔が神妙な面持ちだったからだ。  これ以上の詮索は無用であった。 「そうか東京か。うちのカミさんも東京の出身だから、何か困ったことがあったら言ってくれ」  魁道は場の重い空気を感じとり、誤魔化しながら言った。  英緑は笑顔を作り述べた。 「それより、久しぶりに不動流の稽古でも見学していきませんかな?」 「おうそうだな、ありがたく見学させてもらうぜ」 「パパ……くれぐれも道場破りすんなよ」 「しねぇよ。だいたいおめェに言われたらおしまいだ」  今日は不動流の道場へと来たが、この親子は時々ボクシングやキック等の近代格闘技のジムや道場に赴き〝体験練習〟と称して道場破りまがいのことを行っていた。  その理由として、魁道が古武道の格闘性を高めるためだ。藤宮流の技術体系に、近代格闘技の要素を取り込もうとしていることが大きい。  だが詠から『伝統を破壊することは許しません』との脅し……いや提言で諦めている。 「元気のいい娘さんですな。ささ……どうぞこちらへ」  三人は不動流の稽古場へと向かう。  だが、道場内では不穏な空気が流れていた。 「貴様ァこれは型稽古だぞ!」 「師範……!大丈夫ですか!!」 「だ、誰か救急車を……」  道場内では師範らしき壮年の男性がうずくまっていた。  傍にはゲオルグと呼ばれた西洋人が立っている。  金髪碧眼で細身の体をしているが、よく鍛えられ引き締まっている。  彼の名前はゲオルグ・オットー。不動流の〝虎〟と呼ばれる。  彼は両親の仕事の関係上、小さい頃から日本に住み不動流を学んでいる。 「どうした?!」  英緑は門弟に尋ねる。 「ゲオルグが型の動きに反して、急に突きを入れたのです」 「またか……何故こんなことをする」  ゲオルグに注意するが、彼は無言のまま道場を後にする。  その彼を見て師である英緑は言った。 「ゲオルグ……〝空手の大会に出場する〟つもりらしいな。その練習か?」 「……」 「わかっておるであろう?」 「……」 「何とか言ってみたらどうだ」  その声は低く怖い。怒りの感情が見てとれた。  英緑の問いにゲオルグはただ一言。 「強くなくて……何が武術ですか」  彼はそう言って道場を後にした。 「なんだい……あの朴念仁は?」  ルミは英緑に尋ねた。彼は溜息を混じりに答えた。 「ゲオルグ・オットー……ドイツ人の青年で、小さい頃から不動流を学んでおる。真面目な男なのだが去年からおかしくてな」  続けて魁道も尋ねる。 「おかしい……あのあんちゃんがか?」 「急に『空手の大会に出たい』と言いましてな。不動流は他流試合を禁止しているので却下したのですが……」 「空手の大会?」 「3ヶ月後に行われる毘沙門館の大会ですよ」  毘沙門館とは、大手フルコンタクト空手団体の団体名である。  昔は漫画や映画での広報活動、テレビでの露出も多く興盛を極めていた。  だが総裁である岡本毘沙門の死後、毘沙門館は分裂を繰り返している。  とはいえ日本・世界に支部は多く組織的に大きいことは変わらない。 「私の知らないところで、防具を付けた自由組手をやっているとの話もありましてな。私が見つけて禁止させたのですが、それに反発してか…ああやって時々型通りに動かず、相手にケガをさせることがあるんですよ」 「ふーん……型通りにしか動けないヤツにも問題があるけどね」  ルミが場の空気を読まずに発言した。  彼女の言葉を聞いて、周りの門下生達の顔つきが変わった。  一言で表すならば空気が重く、張りつめていた。 「バ、バカ……いらんことを言うんじゃねェ!のはおめェだ!」 「何でだよ。本当の事だろ?」 「お、鬼塚さん。今日は何か大変そうだし帰らせてもらうぜ」  魁道はルミを連れて逃げるようにその場を去っていった。 ・ ・ ・  道場から出た親子は近くの商店街をぶらついていた。  片手にはそれぞれ肉屋で買ったコロッケを持っており、美味しそうに頬張っていた。 「パパ、何で言ったらダメなんだよ」 「世の中には言っていいことと悪いことがあるの」 「理由がわかんないんだけど……」 「お前の言ってることも最もだが、型稽古を否定してはならん」  会話しながらコロッケを食べ終わった二人。  魁道は自動販売機に立ち止まり、缶コーヒーを二つ購入する。 「古武道ってのは伝統や格式が大事なんだ。何でもかんでも新しくしたらいいってもんじゃない。原型を留めず形自体がなくなっちまう恐れがある。それでは先人達に申し訳が立たん」 「でもさ……パパ形は形を変えようとしてたじゃない」  二人は立ち止まり缶コーヒーを飲む。 「ワシのは藤宮流という核の部分はしっかりと残しつつ、鍛練法とかの枝葉の微妙な部分だけ変えようとしただけだ」  その時だった魁道は気づいた。電信柱にポスターが貼られていた。  〝毘沙門館オープントーナメント全関西空手道選手権大会〟と書かれている。 「毘沙門館……これがゲオルグという小僧が出場する予定の大会か」 「ちょっと調べようか?」  ルミは持っているスマホで検索して調べた。  英緑の言っていることは本当のようで、3ヶ月後に大会が開催されるらしい。 「日曜日に大会は開催か…出場の申し込みはまだしているのか?」 「うーん……してるみたいだね。申込用紙もダウンロード出来るみたいだよ」 「そうか……」  魁道はニヤリと笑っている。どうやら何か考えがあるようだ。 「ルミ……ワシも出場するぞ」 「へぇパパ出場するんだ。って……え"え"?!」 「あのドイツ人のあんちゃんのことが妙に引っ掛かるんだ。いいだろ?」 「べ、別にいいけどさ……ママが許してくれるかな?」 「大丈夫だ問題ない」  彼がフラグのような言葉を言った時だった。 「何が問題ないんですか?」 「ゲェーッ?!」 「その声は……」  二人が振り返ると、そこには詠がいた。 「わかっていますでしょうね?」 「え、えーと……」 「何がでしょうか?」  詠が満面の笑みを浮かべながら言った。 「少しは妻を……母を労わってはどうですか?」  母の顔はにこやかな顔をしているが、口調はどこか厳しい。 「あ、あの……」 「あたし達どうすれば?」 「そうですね?今日はなんだか疲れているので、部屋の掃除とか料理をお願いできないかしら。主婦も大変なんですよ。甲斐性のない夫とバカな娘を持つとね」  詠の顔は笑っているが、目は笑っていなかった。  二人はあれこれ言い訳せずにこう言った。 「「は、はい」」

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