「遅いわね」 ある街の一角で、飛鳥馬小夜子は誰かと待ち合わせをしていた。 お忍びなのか、芸能人のようにサングラスをかけ、髪を結ってハンチング帽を被っている。 時計を見ては辺りを見回す、まだ来ないのかと待ちくたびれている様子だ。 「おーい!小夜子さーん!!」 やっと来た、小夜子が待っていた人物とは藤宮ルミである。 ルミは声を張り上げ、大きく手を振っている。 先日、試合が終わり帰宅するとメッセンジャーアプリに小夜子から連絡が届いていた。 どうやら相談したいことがあるらしいのだ。 「遅刻よ、もう10分は過ぎているわ」 小夜子は時計を出しながら注意した。社会人たるもの時間厳守は当然だ。 注意されたルミはあっけらかんと謝った。どうにも軽い。 「スマンスマン。道に迷ってしまって」 「それに声が大きい。周りを見なさいって!」 周りを見ると老若男女問わずジロジロ見たり、含み笑いや苦笑いを浮かべる人がいた。 それにルミの服装は「牛華族」のTシャツにジーパン姿。 クールビューティなファッションの小夜子とは対照的な姿が笑いを誘っていた。 「それに何なのソレ」 「牛華族の特性Tシャツだけど」 「ハァ……とりあえず来なさい」 小夜子は呆れながらもルミの手を取る。 「な、何をするんだ」 「あなたは黙ってなさい」 ルミはそのまま手を引かれ、足早に連行する。 小夜子の剣幕に抵抗するヒマもなく、人気のない路地裏まで連れてこられた。 「な、何だよここは怪しげなところへ連れて来やがって」 「いいから、いいから!」 ルミはまだ手を引かれたまま。 暫くすると小さな店の前まで来た。店の名前は『喫茶ゴーシュ』。 それは昭和初期にありそうな古めかしい雰囲気を醸し出していた。 「入るわよ」 「うわァ……時代遅れだな。スターダストバックスとか色々あるだろ」 「いいから来なさい」 ――カララ…… 扉を開けると若い男性が出迎えてくれた。店のマスターだろう。 「いらっしゃい。小夜子さん」 店のマスターは爽やかな笑みを浮かべている。 端正な顔立ちで一見するとモデルのように見えた。 店はこじんまりとしている。客席は数席しかない小さな店だ。 「こんにちは間宮君」 「知り合いか」 「彼はASUMA専属の機闘士、間宮蒼君よ」 「ほう……こんな優男がね」 彼こそ不動流の〝龍〟と呼ばれた鬼塚……いや間宮蒼である。 ルミは彼と幼い頃にしか出会っていない。その時は鬼塚姓であった。 従って間宮姓に変わり、成長した蒼本人であるとは気付いてない。 ただ、鬼塚蒼という名前だけは父からよく聞かされていた。古武道の実戦性を証明する男であると。 風の噂で不動流を辞め、子供の頃から憧れていた空手に流れたと耳にした。 父の英緑からも『型稽古に反発して空手に流れた』としか知らされていない。 しかし、そういう与太話はルミにとってどうでもよいことであった。 「はじめまして藤宮さん」 「あたしを知っているのかい?」 「ええ、よく知っていますよ」 そう言うとメニュー表を渡した。 メニュー表には、コーヒーとケーキなど品目が少ない。 「品揃えが悪い店だな」 「いやァ面目ない」 蒼は自由奔放な言動するルミを穏やかに見ていた。 小夜子はサングラスと帽子を外し、メニュー表を指差す。 「私はホットコーヒーを頼むわ」 「あたしもそれで」 「かしこまりました」 蒼はカウンターで手挽きミルでコーヒー豆を挽き始めた。 豆を挽く姿を見ながらルミが言った。 「インスタントでいいぞ」 「そういうワケにはいかないよ」 ルミの顔を見て、小夜子は呆れながら言った。 「そんなことを言ってると、男性から嫌われるわよ」 「アンタはどうなんだよ。どうせ恋バナで呼んだんだろ」 「な、何でわかったのよ」 「そりゃわかるでしょ」 ルミと小夜子の出会いは最悪であったが、あの大晦日での出会い以降、二人は姉妹のような関係を築いていた。 二人は席に座り、小夜子は想い人のことを尋ねた。 「蓮也さんって何が好きなのかしら」 「野球が好きだな。時々スポーツ紙買って、贔屓チームの勝敗見てるぞ。そんで一人で怒っている」 「お待たせしました。ホットコーヒーです」 何気ない会話が二人の間でなされる。ゆったりとした時間だ。 出されたコーヒー飲みながらルミはあることに気付いた。 「それでね……」 「そういえば、この店の絵はどこで買ったんだ」 「ちょ、ちょっと私の話を……」 店には綺麗な風景や動物の絵が飾られていた。 どれも幻想的で美しい絵である。 蒼はその質問に対し答えた。 「ああ……これは……」 ――カララ…… 店に女性が入って来たようだ。 ボブカットで華奢な体、ダボダボの上着に黄土色のニット帽を被っている。 よく見ると可愛らしい顔をしているが、服装のせいで暗く見えた。 「亜紅莉、お客さんだ。挨拶して」 蒼は指を動かしながら会話した。手話か何かのようだ。 それを見て亜紅莉と呼ばれた女性は軽く会釈する。だが表情は人形のように固い。 「あの絵はうちの妹が描いたものなんだ」 「そうなんだ。綺麗な絵だね」 ルミは率直な感想を述べた。蒼は指を動かした。 指の動きを見て、一瞬だが亜紅莉の瞳が僅かに輝いたように見えた。 そして、彼女はそのまま店の奥へと入っていった。 「愛想が悪くてすみませんね」 「いいのよ。うちのお爺様も気に入っているみたいだし」 (……そういえば) 小夜子の言葉を聞いてあることを思い出した。 飛鳥馬不二男のことである。彼の屋敷に絵が多く飾られていた。 「アンタの爺さんは絵が好きなのかい?」 「まあね。スポーツ関係の絵ばっかり集めているけど」 蒼はルミを見つめながら言った。 「会長とは知り合いなのかい?」 「ちょいとね」 そのことを聞き、蒼からは笑みがこぼれた。 「そうなのか。亜紅莉の才能を認めてもらっていて色々と支援を受けているんだよ」 「喫茶店やっているのにか」 「亜紅莉の絵を飾りたくて始めたのが最初さ、趣味みたいなもんさ」 「妹思いなんだな」 「いやァ……」 蒼は照れくさそうにしている。小夜子が少し微笑みながら言った。 「才能を発掘したのは岡本先生だけどね」 「岡本?」 「岡本毘沙門、名前くらいは聞いたことない」 「ああ……空手の」 岡本とは、毘沙門館初代総帥の岡本毘沙門その人である。 彼は空手家でありながら芸術にも造詣の深く、不二男とは懇意の仲であった。 亜紅莉のことを不二男に紹介したのも毘沙門である。また蒼に空手を伝授したのも彼であった。 即ち二人にとって恩人とも言える人物なのである。 「今は時々、毘沙門先生のご子息である多門先生のアトリエで絵を描いているんだよ」 岡本多門、毘沙門の息子であり謙信の父である。 彼は体が弱く、空手には早々に見切りをつけ芸術家の道を歩んだ。 それが功を奏したのか、画壇ではそれなりに名の知れた画家となった。 「そうだ小夜子さん……じゃなかったCEO。今日は試合でしたね」 「そうだったわね。あなた偶にしか出ないから忘れそうになるわ」 「参ったな。真面目に試合に出ないとね」 蒼は笑いながら答えた。 「試合って……BU-ROADバトルがあるのか?」 「まあね」 「相手はアメリカの総合格闘技界で活躍していた『コリー・リッチモンド』よ」 コリー・リッチモンド。アメリカの総合格闘技で活躍しライト級チャンピオンに輝いた男だ。 総合格闘技を始める前は、伝統派空手とボクシングをやっていた猛者である。 昨年ルミよりも前に‟ORGOGLIO”に参戦を表明。順調に戦績を上げてBB級に昇格した。 「何だか強そうなヤツだな。こんなところで豆挽いてて大丈夫なのか」 「さあ、どうだろうね」 「どうだろうねって……そんな呑気で大丈夫か」 蒼はエプロンを外して静かに述べた。 「藤宮さん、良かったら試合を見に来てくれないかな」 「ナンパか?」 「キミって本当に面白い娘だね」 小夜子はルミに少し呆れながらも、蒼の提案に同調する。 彼の闘いぶりを見てもらいたいからだ。 「男性の誘いを断る理由はないわ。今晩の試合を見ていきなさい」 「面倒だな」 「あら許婚のところにでも行くのかしら?」 「あんなスケキヨもどきと結婚できるか!」 二人の会話を見る蒼の目は穏やかな表情であった。 軽く伸びをすると、気持ちを切り替え眼光鋭くなる。 「今日は店じまいだ。試合の準備をするかな」
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