ここは関西の大規模スポーツ施設コスモアリーナ。 毘沙門館オープントーナメント全関西空手道選手権大会がいよいよ開催される。 大会の当日、魁道とルミは受付で係員とひと悶着を起こしていた。 「藤宮さん失礼ですけども、出場が有段クラスの無差別級となっておりますが」 「そうだが。送った申し込み書にも記入してただろ」 黄色のジャージを着た魁道は、眼鏡をかけた係員を凝視していた。 「そ、そうじゃないんですが。マスターズの部のお間違いではないかと」 「失礼なやっちゃな!ワシはまだピチピチの50歳だ!!」 (パパは年齢的に超おっさんだよ……) 高校で使用される芋ジャージを着たルミは、心の中で父親に突っ込みを入れていた。 フルコンタクト空手の大会は、団体によっては体重別・段位別・年齢で部門が細かく分けられている。 その中で魁道は有段クラスの無差別級の部門に出場するのだ。通常では考えられないことである。 「……ケガをしても知らないですよ」 「ケガなんてするわけないだろ。鍛えているんだから」 半分以上呆れながらも係員は魁道に尋ねた。 「あのところで、この所属の〝三筒運輸〟ってのは」 「ワシが働いてるところだが?」 「ここは流派名を書くんですよ」 「マジかよ!それならふ……」 魁道が係員からの指摘を受け、所属の欄に藤宮流を書こうとした時だ。 ルミに足を軽く踏みつけられる。 「痛って!アホ娘何すんじゃ!!」 「藤宮流は秘密にしとかなきゃ。ママにバレた時が怖いよ?」 「そ、そうだったな」 藤宮流の本家である妻の詠は保守的であり、格闘技の試合に出るなどご法度である。 もしバレでもしたら半殺しにされるだろう、魁道はそう思った。 「どうかなされましたか?」 「いやスマンスマン!流派名だったな!!」 魁道は所属に欄にこう記入した。 〝美翔館〟 「これって近所のヘアサロンの名前じゃ……」 「うるさいやっちゃな。〝館〟がついてるからいいだろ〝館〟が!!」 魁道は苦し紛れに近所のヘアサロンの名前を記入した。 ちなみにカットは顔剃りとシャンプー込みで、1980円とお手頃価格である。 二人がやり取りする中、後ろに並んでいた男が言った。 「いるんだよな、こういう勘違いしたオヤジが」 魁道とルミが振り返ると、髪を赤く染めた男が立っていた。 年齢は20代前半だろうか。袖のない空手着を着ていた。 胸には実証会館と刺繍されている。 「ここは市民マラソン大会じゃねぇんだぞ。ケガしないうちに帰りな」 男は無礼にも、魁道とルミを見てバカにしたような顔で言った。 周りの出場選手達はその男を見て囁いている。 「あいつ、緒方琉煌じゃね?」 「トーナメント荒らしの緒方……とうとう毘沙門館に挑戦か」 緒方琉煌、実証会館という空手団体に所属している。 齢20歳の空手家であり、関西各地のフルコン空手の大会で優勝準優勝多数。 その他、中国地方や関東方面にも遠征。好成績を上げている。 「なんだ君は髪を赤く染めちゃって。カープファンかレッズファンか」 「ファッションだよファッション。どけよ受付するんだ」 緒方はそう述べると、魁道を手で払いのけ受付に行った。 ルミは受け付けをする緒方を見ながら言った。 「何だよあいつ」 「フム……あの袖を落とした道着」 父はヒゲを触りながらこう呟いた。 「腋毛をキチンと剃ってあったな」 「いや、そこじゃないでしょ!」 ・ ・ ・ 体育館の選手控室になっている柔道場で、魁道は空手着に着替えていた。 「……何よその道着」 「スポーツショップのオヤジが『安くで売るから買ってくれ』と言われてな」 魁道は大会出場用に空手着を購入したが、それがなんと藤色のカラー道着であった。 誰も購入しないような道着だったので、在庫処分により安かったようだ。 「それで出場すんの?」 「安いのしか買えないから仕方ないだろ」 「なんかイヤだな……」 「何れこれが藤宮流の〝対外試合用〟のものになる!!」 「それもなんかイヤだな……というかママが絶対許さないでしょ」 安い空手着を購入したがカラー道着で、目立つこと間違いなし。 試合場で笑われるかもしれない、と危惧するルミであった。 そんな二人の会話中に放送アナウンスが聞こえてきた。 『ゼッケン8番の藤宮魁道さん。試合を始めますので、今すぐメインアリーナに来て下さい』 「パパ、試合だよ試合!」 「え……もう?」 ルミに手を引かれる父、魁道。 その姿はまるで、父親を介護する子供のようであった。 ・ ・ ・ 「クスクス……なんだよあの道着」 「しかも、おっさんじゃないか。緒方のヤツ一回戦は楽勝だな」 (ああ……やっぱり笑われたか。あたし恥ずかしいよ) 失笑の声が入り混じる試合会場に魁道は立っていた。 娘のルミはパイプ椅子に座りセコンドにつく。少し恥ずかしそうだ。 ちなみに対する一回戦の相手は、実証会館の緒方琉煌。 あの受付で会った相手である。 「おっさんが相手かよ」 「おお、君はさっきのカープ坊やではないか」 「誰がカープ坊やだ!俺の名は〝緒方琉煌〟これでも……」 「君ね……髪を赤く染めたら毛根をイタめて、将来ハゲるかもしれんぞ」 「ファッションだって言ってるだろ!数秒で倒してやるぜ!!」 組手の構えをとる緒方。 対する魁道は両手掌を開き左手は顔面、右手は鳩尾をガードし大きく構える。 藤宮流〝水流れの構え〟だ。 審判が間に立ち開始の合図をかける。 「はじめッ!」 「ウオオオラァッ!!」 開始と同時に緒方は突進をかける。 突きと蹴りのラッシュで猛波状攻撃を仕掛ける感じだ。 「瞬殺だッ!!」 緒方のそのセリフと同時だった。 「ほい」 「……ッ?!」 魁道は緒方の顔面に上段蹴りを叩き込んだのだ。 クリーンヒットされた緒方の意識は当然消し飛ぶ。 一撃KOといった具合だ。 「い、一本!!」 審判は魁道の一本勝ちを宣言する。 無論、会場はざわつく。 「え……終わり?!」 「あのおっさん何者だよ」 「緒方が油断してただけじゃね?」 若く実績を上げていた緒方が無名の…しかも峠を過ぎているような中年格闘家に瞬殺KOされたのだ。 試合を見ていた空手家達、大会関係者は驚くのも無理はない。 一方、試合場から降りた魁道とルミの〝バカ親子〟は勝利を祝っていた。 「ゆくぞパパ!このまま優勝だ!!」 「うむ。出場するからには優勝だ!!」 「「イェーイ!」」 ハイタッチをする父と娘。 「……って目的がブレてはいかん。ワシは優勝するために出場したわけではない」 「どういうこと?」 そう言うと父は大会のパンフレットを取り出した。 娘にパンフレットの無差別級のトーナメント表を見せた。 魁道が指差したところに〝ゲオルグ・オットー〟の名前が書かれている。 「やはりワシの読みは正しかった。〝ゲオルグ〟はこの無差別級のクラスに出場しておった。武道に階級なしといったところだな」 「……というと?」 「あやつが『何故空手の大会に出たのか』その謎を知るために出場を決めたのだ」 「何でそこまでして」 「拳を交えんとわからぬこともある……武道家として純粋にあいつの気持ちを知りたくなったのだ」 「熱い展開だけどさ…まどろっこしいね。直接聞けばいいじゃない」 「お前もそのうちにわかる」 武道家たるもの言葉ではなく、拳と拳を交えて交流しお互い腹を割って話し合う。 それが魁道の人生哲学である。 ルミは非常にまどろっこしい方法と思いつつも、父の考え方は嫌いではなかった。 その時だ。彼らの耳に声が入ってきた。 「紋田光博が負けったってよ!」 「マジかよ」 傍にいた大会に出場していると思わしき男性二人の声が聞こえてきた。 紋田光博とは、去年の毘沙門館空手全日本選手権重量級で制覇した優勝候補の一角である。 「どいて下さい!」 救急隊員がストレッチャーで空手着を着た男を運んでいた。 運ばれる男が、どうやらその紋田のようだ。 坊主頭で肩幅も広くずんぐりとした男だ。 「なんでも〝カーフキック〟一発蹴られてKOらしいぜ」 「あの紋田がか?誰がやったんだ」 「それがゲオルグっていう外国人だってよ」 カーフキックとは〝カーフ〟……つまりふくらはぎを狙って蹴る技の一つである。 解剖学的にふくらはぎは、長腓骨筋という筋肉がある。 その厚みは薄く、すぐ深層に腓骨があるため刺激が加わりやすい。 更に腓骨頭の直下を総腓骨神経が通過するため、神経自体にダメージが加わる。 「ルミ……聞いたか」 「確かに聞いたよ」 すぐに試合場の場所に戻る二人。 そこには確かに、金髪碧眼の空手着を着た男がいた。 そうゲオルグ・オットーである。 ゲオルグは、親子の姿を見て気づいたのか近づいてきた。 「パ、パパ!」 「アホう……落ち着け」 ゆっくりと近づいてきたゲオルグは魁道の顔を見て言った。 「アンタらも来ていたのか……」 「まあな。君も破門覚悟で出てきたか」 「途中で負けぬことだ」 「お互いにな」 簡単な挨拶を交え、ゲオルグはそのまま通り過ぎていった。 通り過ぎる彼の後ろ姿を見て、ルミは父親に尋ねた。 「尋かなくてよかったの?」 「直接の会話はいらんと言っただろ。何れぶつかることになろうからな」 「そうだね」 魁道とゲオルグは2回戦も順当に勝ち上がり、いよいよベスト8の選手が揃った。 以下が勝ち残った選手である。 ゼッケン1番:岡本謙信(毘沙門館) ゼッケン8番:藤宮魁道(美翔館) ゼッケン12番:ドルフ・ウエムラ(勇真会館) ゼッケン14番:秋山亮(玄鵬大学空手道部) ゼッケン19番:角中翼(毘沙門館) ゼッケン22番:伊藤二郎(毘沙門館) ゼッケン25番:ゲオルグ・オットー(フリー) ゼッケン32番:三宅一生(正火流)
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