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 医務室にて、試合を終えたゲオルグは左手の治療を受けた。  左手には包帯が巻かれている。彼は右手でスマホの画面を見ていた。  メッセンジャーから何やら送られてきた。  ゲオルグは何やら気づいたのか。黙し医務室から出て行った。 ・ ・ ・ 「いよいよ準決勝ね。おじさんは?」 「ウォーミングアップするとか言ってたね……どっかでラジオ体操でもやってんじゃない」  次はいよいよ準決勝だが、約1時間のインターバルが置かれる。  ルミといさみはベンチに腰掛け談笑していた。 「あっ……そういや威場さんのサイン貰い損ねたな」 「まだ会場にはいるんじゃないかな。時間あるし一緒に探す?」 「いいね。大賛成だ」  彼女らがベンチから立ち上がろうとした瞬間だった。  爽やかな青年が近づいてきた。秋山亮…準決勝で魁道と対戦する男だ。 「いさみちゃん、こんなところにいたんだ」 「あ、秋山さん!」 「新聞部の君が取材してこないから探してたんだよ」 「ゴメンね。後で取材しようと思って」 「優勝してからでもいいけどね。ハハハ……」  ルミは調子のいい秋山を見て言った。 「よう……爽やかスポーツマン。アンタのしょっぱい組手が楽しみだよ」 「藤宮さんか。手厳しいなァ」  年下の高校生の生意気な発言に対し、秋山は爽やかな笑顔を保ったままだ。  ルミのことを知っていた秋山にいさみは尋ねた。 「秋山さんってルミちゃんと知り合い?」 「俺の彼女が通っている高校の後輩なんだよ」 「へぇそうなんだ…この子のお父さんが秋山さんの準決勝の相手みたいよ」 「謙信君を破ったあのおじさんが?」  秋山は改めて驚いている。  齢50の中年格闘家が、フルコン空手という体力勝負が強い競技で勝ち上がってきたからだ。 「アンタのしょっぱい組手が、どこまでやれるか見ものだね」 「ふーん……ところでいさみちゃん」 「どうしたの?」 「ちょっと外れてくれないかな。彼女と話したいことがあるんだ」  秋山から先程までの爽やかな笑顔が消えていた。 ・ ・ ・ 「で……お話ってのは何だい。あたしとろうってのかい」 「そんなんじゃないよ」  秋山はルミに近づいてきた。  顔は爽やかな笑顔であったが不自然な笑顔だ。どことなく邪な感じがする。 「ルミちゃんって……彼氏はいるのかな」 「はぁ?」 「いや……この大会が終わったらさ。俺と付き合って欲しいんだ」  突然の申し込みだった。だが秋山には綾那という彼女がいる。 「唐突過ぎるぞ。だいたい、お前には柚木さんがいるだろ」 「もうさ、綾那のことが鬱陶うっとおしくなっちゃったんだよ」 「……痴話喧嘩の相談なら占い師にしな」  ルミはそのナンパな態度に嫌悪感を抱き、その場から去ろうとした。  だが彼は、ルミの前に回り込み話を続けた。 「まァ待てよ……彼女とは別れようと思ってるんだ。いちいち『どこに行った』だの『誰と会った』だの聞いてきてさ」 「どけ。鬱陶しいのはお前だよ」  ルミは手でどかして試合場に戻ろうとする。逆に秋山はその手を掴んで言った。 「おい……放せよ」 「俺は狙った女は逃さない主義でね」  険悪な空気が二人を包む。そんな時だった。 「亮くん……そこで何をしているの?」  秋山が振り返るとそこには綾那がいた。 「綾那……」 「何をしているのって聞いてるの!」  秋山はルミの手を放した。 (目障りな女だ……何故俺にまとわりつく)  そもそも柚木が試合観戦に訪れたのは唐突なことであった。  誘って連れて来たわけではないのだ。  逐一監視されているような気分だった。束縛するような彼女の態度が鬱陶しい。  それがこれまでの綾那に対する評価だ。 「もうすぐ試合なんだ。邪魔だから消えてくれないか」 「亮くん私は……」 「鬱陶しいだよ」  秋山は冷たい表情で言い放った。これが彼本来の姿なのであろう。  彼は心の内を伝えると、柚木のことを無視して試合場へと向かった。  呆然と立ち尽くす彼女にルミが近づいて言った。 「柚木先輩……これからはキチンと男を選ぶことだね」  そう忠告すると、ルミも試合場へと向かっていった。  一人残された柚木……その表情は暗く切ない。 「なんで……こうなっちゃったの?」  そんな彼女に一人の男が近づいてきた。  ゲオルグ・オットーである。 「誰?」 「柚木綾那だな」 「そうですけど……」  突然見知らぬ外国人に話しかけられた。空手着を着ている。そういえば試合場で見たような気がしたが思い出せなかった。  彼の口から思い出したくない名前を出される。 「〝鬼塚亜紅莉おにづかあぐり〟という名前を知っているな?」  鬼塚亜紅莉……中学校時代の後輩の名前だ。  彼女とは先輩後輩の間柄であり、間柄だ。 「と聞いている」  目の前の男は静かな口調で言っているが、話すごとに声のトーンに鋭さを増してきた。  怒りの感情が聞き取れた。彼女は恐怖した。 (亮に頼まれて呼んだだけよ……)  彼女には思い当たる節があった。  自分は『ただ呼び出しただけ』だ。になるなんて思いもしなかった。    秋山と付き合い始め3カ月経った頃の話だ。  ある日、秋山から『友達が亜紅莉に会いたがっている』と言われたことがある。  その友達は亜紅莉に一目惚れした男性らしい。  そして暫くして、同じ中学の同級生からある話を聞かされる。  〝亜紅莉は見知らぬ不良グループから暴行を受けた〟と。  犯人達は不明。ショックで口がきけなくなり不登校になってしまったと。  秋山にその件のことを尋ねたが、知らないの一点張りだった。  それからだ。彼のことを信じたく監視するようになったのは。 「……ここで会ったのも何かの運命導きだな」 「わ、私……知らない!!」 「知らぬはずがないだろう」  ゲオルグは右手で彼女の首を掴んだ。そのまま壁へと押しやる。 「は、離して……」 「……言え」 「……」 「あの男に聞いたらわかるか?」 「か、彼は関係ない」  男の掴む力が少し強くなった。顔は鬼のような形相だった。この男は亜紅莉とどういう関係なのだろうか。柚木は分からなかった。  ただこうして聞くということは、彼女と深い関係のある人物であることは間違いない。あの噂話が本当ならば、自分は彼女を不幸にしたのではないかという後悔の思いだ。 「やめんか」  ゲオルグの後ろから声が聞こえた。  声の主は藤宮魁道だ。 「あ、あんた何やってんだよ……!!」  その直ぐ傍には謙信がいた。  ゲオルグは彼らを睨みつけると、柚木から手を放し無言で走り去った。 「お、おい大丈夫か?」  謙信は倒れ込む柚木を介抱しようとした。 「触らないでッ!!」  柚木は叫んだ。彼女は混乱していたのだ。  短い時間で様々なことが重なったためだ。 「謙信君、先に行っといてくれ。ウォーミングアップに付き合ってくれてありがとうよ」 「わ、わかった」  魁道は謙信に頼み、ウォーミングアップで軽い組手の相手をしてもらっていた。  そのウォーミングアップが終わり、通路を歩いていると先程の光景を目にしたのだ。  魁道は泣きじゃくっている柚木に優しく話しかけた。 「そういえば、君はうちの娘と親しげに話をしていた子だね。おじさんは藤宮ルミの父親なんだけど……」  魁道は柚木がルミと話をしている姿を見ていたのだ。どういう関係か分からないが、年齢的に学校の友達か何かであろうと推測した。  話しかけられた柚木は顔を見上げて言った。 「もう……どうしたらいいか……」 「何かあったのなら話をしてごらんなさい。誰にも言わないから」 「私……私は……」  彼女は泣きながらこれまでの経緯と自らの過ちを伝えた。 ・ ・ ・  〝有段クラス・無差別級 準決勝1回戦〟  藤宮魁道(美翔館)VS 秋山亮(玄鵬大学空手道部)  いよいよ準決勝の試合が始まった。試合場には大勢の観客達がいる。  魁道のセコンドにはルミ……そして私服に着替えた謙信がいた。 「何でアンタがセコンドについてんだよ」 「別にいいだろうがよ」 「アンタは毘沙門館側の人間だろ」 「細かいことはいいンだよ。あんたの親父さんから、構えやら何やらアドバイスもらったからな。それのお礼だ」  そう謙信は魁道から少しだけ藤宮流の技を教わったようであった。 (勝手に藤宮流の技を教えたのか。ママに怒られても知らないぞ……)  ルミは父親の勝手な行動に心の中で呆れていた。  一方、秋山のセコンドや応援には玄鵬大学空手道部の部員達がいた。  当然ながらそこに柚木の姿はなかった。 「主将!ファイトッ!!」 「秋山先輩がんばって!」  部員達の歓声が響き渡る。  彼らの歓声に包まれる中、秋山は試合場中央に爽やかな笑顔を浮かべながら向かう。 「よろしくお願いします。藤宮さんいい試合をしましょうね」 「……」 「ハ、ハハ……何だか無表情で怖いなァ」  彼はそう語りかけるも、魁道は無反応だ。 (無愛想なおっさんだな。ザコの謙信を倒したからって図に乗るなよ……)  そう心の中で呟く。そして審判が試合開始前の礼を促した。 「お互いに礼!上席に礼……審判に礼!」  お互いの礼が交わる。機械的に淡々と行われる。 「構えて……はじめッ!」  審判の掛け声と共に、試合開始の太鼓の音が鳴り響く。 「イッ?!」  突然だった。秋山の左大腿部に鈍い痛みが伝わった。  開始と同時に魁道の下段蹴りが炸裂していたのだ。  あまりにも速さと痛みに秋山は動揺する。  動揺している彼の耳元に何やら聞こえてきた。声の主は魁道だ。 「簡単に倒れないよう組手してやるからな。覚悟しとけよ」  その声は低く、戦慄させるような響きだった。

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