ある教会の入り口に、一人の西洋人が佇んでいた。 ヴィート・ムッソである。 「最近よくおみえですね。外国の方かしら」 教会に仕える年配のシスターが話しかけた。 ムッソは微笑みを浮かんで答える。 「ええ……イタリアから参りました」 「それは遠いところからわざわざ」 ムッソは偶然この小さい教会を見つけた。 本国イタリアは、カトリックの本拠とあって教会が多い。 日本は神社や寺院のイメージが強く、珍しく懐かしい思いがあったのだろう。 「教会には、よく母に連れてきてもらいましたから」 「まァお母さまが。お元気かしら?」 「ボクが12歳の時に両親は離婚しました」 シスターはこの異国の青年が気になっていた。 いつも決まって朝に来るのだが、教会の入り口にただ立つだけ。 決して入ろうとはしなかった。 「ごめんなさい…失礼なことを言いましたね」 「いえ、気になさらないで下さい」 「お父さまは?」 「死にました」 ムッソはそう述べると、教会の屋根にある十字架を見ていた。 シスターはこの青年を哀れんだ。 歳も若いこの青年は、一体どういう人生を歩んできたのか。 「父は褒められた人間ではありませんでした。でも……」 「でも?」 「ボクにとってかけがえのない父親でした」 ムッソは、この年配のシスターに尋ねる。 「シスター……〝神〟はいるのでしょうか?」 「えっ……」 青年はそう述べると教会から去っていった。 去っていくムッソにシスターは呼び止めた。 「お待ちを……」 「何でしょうか?」 振り向かずに歩き続ける青年にシスターは言う。 「日曜日は教会のミサがあります。よろしければお越し下さい」 「ええ……気が向けば」 「神のご加護があらんことを」 シスターの誘いにどうするかはわからない。 このイタリア人の青年が何か思い悩んでいることは想像出来た。 そんな彼が教会の敷地内から出ようとした時である。 そこには見覚えのある少女が立っていた。 「アンナ……」 「ヴィート……ここにいたのね」 「どうやって……」 「あちらの方々に教えて頂きました」 後方を見ると、先日出会ったルミとカミラがいた。 「よく調べましたね」 「来日して以降、この教会へよく来るようね」 ムッソの問いにカミラはそう答えた。 この教会に来ることを調べ上げたのは彼女である。 立ち尽くすムッソにルミが尋ねた。 「一度引退したアンタが何故復帰したんだい」 「茶番についていけなくなったからですよ」 「茶番?」 茶番とは一体どういうことなのであろう。 そんなアンナに、ムッソは彼女の顔をスッと見据える。 数秒間の沈黙後、ムッソの口が開いた。 「レオポルドはボクの父を殺したんです」 「殺し……た……?」 アンナは理解が出来なかった。 あの優しい父親が人を殺すなど考えられない。 「試合中の事故らしいわね」 カミラが事の顛末を簡潔に説明する。 事件はこうだ。 ムッソの父マウロも、ORGOGLIOの創成期から活躍した選手であった。 晩年は体の衰えから思うような成績を挙げられずにいた。 負けが続く中、企業は契約解除の意向をマウロに伝える。 そこでマウロは賭けを思いつく。 選手契約を続けるため、自分には観客を呼べる価値があると証明する必要がある。 そこで彼は『素手で武器相手の試合を行う』と喧伝したのだ。 スポンサーや大会運営側もショー的価値を認め承諾する。 試合の結果といえば『マウロ・ムッソの死亡』という形で終わる。 死因はセンサーが心臓部への過剰な衝撃による『心臓震盪』。 レオポルドは試合中の事故であるとの判断により不起訴処分が下される。 だが彼はこの試合を機に引退した。 WOAではこの事件を重く受け止め、剣闘試合廃案を検討。 だが、ヴィクター・リュウの声で取り止めとなった。 その代わり、剣闘試合の特別ポイント制度を設置することになった。 マウロの死を悼んで作られたのだ。俗にこれを〝マウロルール〟とも呼ぶ。 「父自身の提案だけどね。興行が成功すれば現役を続けられると」 「だったらそれは……」 「父は闘うことでしか生きられなかった」 ムッソのその言葉を聞いて何も言えなかった。 武道・格闘技に限らず、スポーツ一本で生業にすることは非常に難しい。 引退後に指導者など、競技に関われるような仕事にありつける場合もあるがごく一部だけだ。 「でも……お父様は」 「言えるはずがないよ。試合で人を殺したなんて」 「じゃあ何でアンタは誘いに乗ったんだ」 ルミの疑問も最もだ。 何故、父の仇であるとわかりながらも誘いを受けたのかと。 「当時はナポレオン・マスクの名前で有名だったんだ。実名も伏せられたしね」 アンナはムッソの言葉をただ聞くのみである。 彼は残酷な現実を伝える。 「ボクは生きるために必死だった」 「ヴィート……」 「なんとか学校を卒業し、企業が募集する機闘士のセレクションに合格して機闘士になった」 「お願い……」 「でも現実は残酷だ。ケガで引退を強制させられたよ。どうしようもない時に、レオポルドからの誘いが来たんだ」 「もう……」 「贖罪の気持ちから何だろうが……」 少女は残酷な現実に耐えられなくなった。 「やめてっ!!」 少女は涙する。 涙する少女を見てムッソは言った。 「君が思っているほど、ボクは強い人間じゃないんだよ……」 優しくも冷たくアンナに語りかけその場から去った。 ルミ達の傍を通り過ぎようとしたときである。 ムッソは立ち止まった。 「格闘家……機闘士なんて碌な生き物じゃない。そう思わないかい?」 「なら辞めちまえばいい」 「簡単にいうね。時々……自分という人間が嫌いになるよ」 そう述べムッソは去って行った。 事実を知らされたアンナは立ち尽くすしかなかった。 「私……日本に来るんじゃなかった」 少女は現実を知らされたのだ。 尊敬する父の過去なんて知りたくなった。 アンナは走馬灯のように過去のことを思い出す。 ヴィート・ムッソに初めて出会った時のことだ。 「ヴィート・ムッソ君だ。これから一緒に暮らすことになる」 「はじめまして。父からあなたのことは聞かされています」 「ご迷惑をおかけします。よろしくお願いします」 「こちらこそ」 初めて見た時の青年の眼を忘れられなかった。暗く冷たく沈む瞳だった。 もうすぐ手に届くであろうBBB級のステージ。 だが試合中に足の怪我を負って以降、成績が乏しく解雇されたとのことだった。 格闘技しか知らない彼は、何をしたらよいかわからなかった。 それしか生きる術を持たない青年は絶望するしかなかったのだ。 「……哀しい人」 純粋に感じた初対面での印象だ。 そんな彼を、父は剣術家として復活させる目的で連れてきたようだった。 他にも、各企業から解雇された選手を集めて剣技の指導をしているようだった。 しかし、ムッソだけは自宅に住まわせていた。理由はわからなかった。 「凄いわヴィート!」 ひたむきに剣技を学び、努力する彼は実力をつけていった。 デビュー戦の時は、ドキドキしながら観戦した。 ナイト・デュエルの王者になった時、自分のことのように喜んだ。 彼目当てに観戦する女性ファンに嫉妬したこともある。 綺麗で美しい思い出の数々。 だが……知らされた現実は恐ろしいまでに残酷だった。 「父に日本へ行くことを伝えた時は止められました……」 「アンナ……」 その姿をカミラは悲しい目で見ていた。 少女の美しい碧眼から涙が溢れていたのだ。 「その理由がわかったような気がします。私もう……」 一人涙を流す少女に、ルミは優しく近寄る。 「フランスに帰ります……と言うのにはまだ早いよ」 「えっ?」 「明日……アイツと試合するんだ」 「ルミさん、あなたはもしかして機闘士……」 ルミはずっと伝えてなかった話をアンナに伝える。 「隠すつもりはなかったんだけどね」 ・ ・ ・ ムッソは東京の街を歩いていた。 アンナに自分と彼女の父親の関係を話した。 それは残酷な事実である。 「これでよかったんだ」 ポツリと自らの気持ちを口にした。 不器用な自分では、アンナを幸せにすることは出来ないと考えていた。 滞在するホテルの近くに差し掛かった時、髭を蓄えたオールバックの中年男性が話しかけてきた。 「ヴィートやっと見つけたぞ」 「オーナー何故こちらに?」 男の名前はレオポルド・ジェラン。 イレギュラーリーグ〝ナイト・デュエル〟のオーナーである。 「お前の最後の試合を観戦するためにな」 「ふふっ……最後の試合ですか」 「お前の覚悟はわかっている。マウロにそっくりだ」 「父さんと……か」 最後の試合とはどういう意味だろうか。 そもそも事故とはいえ、レオポルドは彼にとって父親の仇のようなものだ。 先程のアンナに対する態度では、憎むべき相手のはずである。 それがどうだ。 今こうして親の仇がいるというのに、彼とジェランの間には『強い絆』が感じ取れた。 「本当にいいのか?」 「いいんです。ボクもそろそろ限界だったんで」 その言葉を伝えると、レオポルドはムッソの足を見た。 「足はもうダメなのか……」 「膝や足首の調子が悪いですね。数試合程度が限界です」 「数試合か……」 「ところでオーナー、ASUMAからは来ましたか?」 「ああ……約束通りな。これでナイト・デュエルは暫く大丈夫だ」 「それはよかった」 その時、二人の間に冷たい風が流れた。 ムッソが言った。 「そうそう娘さんにお会いしましたよ」 「アンナが?」 「……先に事実は伝えました」 「そうか……」 その言葉と共にレオポルドは静かに目を閉じた。 「娘から嫌われるが致し方ないことだ。それが君に対する償いでもある」 レオポルドの告白を彼は静かに聞いていた。 1週間後……いよいよ特別ルール〝剣闘試合〟のワンマッチが行われる。 それは、レオポルド・ジェラン対マウロ・ムッソの一戦以来のことである。
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