不二男から突然の申し出。 使用人である片桐結月の相手をしろと言うのだ。 「あいつと試合をしろって言うのかよ」 「合点がいいな。そういうこった」 「理由は?」 「予行練習さ」 「それはどういう……」 「刀相手は怖いのかい?」 その言葉を聞き、無言でルミは椅子から立ち上がった。 手は上着のポケットに入れたまま、片桐の前までゆっくりと歩く。 ルミを見つめたまま片桐は黒澤に言った。 「黒澤さん袋竹刀はありますか?」 「ウム……おい袋竹刀をここへ」 黒澤は傍にいた黒服の男に指示する。 部下らしき男は袋竹刀を準備していた。 「なんでェ準備がいいじゃないか」 「流石に本身の刀はシャレになりません」 「意外とお前も常識人だな」 袋竹刀を持った男が一歩前に出る。 だが……。 「そんな玩具はいらん。腰に下げてるもので闘ろう」 「死にますよ?」 「あたしが負けるとでも」 ルミの覚悟を受け取り、片桐は丁寧にお辞儀をする。 「よろしくお願いします」 黒澤は一連のやり取りを見て、試合の開始を合図する。 「では……始め!」 合図と同時に、片桐は腰を落とし刀の柄に手をかけた。 ルミは手をだらりと垂糸のように下げた下段構え。 藤宮流の構えの一つ〝蜘蛛糸の構え〟である。頭部上半身を空け相手を誘う構えである。 また刀剣類等武器を持つ相手には、なまじっかに構えを取ると動脈がある手首を斬られる可能性があるからだ。 「……避けて下さいね」 「お優しいね。刀よりもお茶やお花の方が……」 紫電一閃の初撃が放たれた。 片桐は鯉口を切り、素早く踏み込み抜刀したのだ。 ルミはバックステップし、なんとかギリギリで避ける。 「お見事……流石は藤宮流の家元」 「話の続きは終わってないんだけど」 着ているジャージの袖が切り裂かれていた。 片桐は下段に刀を構える。隙のない構えだ。ルミは後方へと下がり距離を一旦取る。 「流儀は?」 「夢心流居合剣法……」 片桐の流儀は〝夢心流居合剣法〟戦国時代末期に創始された武術である。 そして彼女は若くして免許皆伝の実力者であった。 「夢心流……確か静岡で伝承されてたね」 そう述べ、ルミは上着を脱ぎタンクトップ姿になる。 「一つ質問をしてよろしいですか……」 「どうぞ」 「何故……見世物に参加されるのですか」 「見世物?」 「あなたが‟ORGOGLIO”に参加されていることですよ」 片桐は再び刀を鞘に納める。ルミは暫く考えて答えた。 「腕試しかね」 片桐の表情は冷たくなった。 どうやら良い答えではなかったようだ。 彼女は再び抜刀の姿勢をとった。 「残念です……あなたがそのようなお答えをするとは」 「武道を神聖視し過ぎてるんじゃないかい?」 彼女の心中を読んだのかそう語った。 武を疑い、心が揺らいでいると感じた。 ただ片桐はルミの言葉に納得できない様子だった。 「あなたなら、いいお答えを頂けると思いましたのに」 「刀で人を斬ろうとしてる人に言われてもね」 ジリジリと間合いを詰める片桐。 その様子を、不二男達はただ見守っている。 (三間……※約5.4m) (二間……※約3.6m) 一足一刀の間合いまで、もう少しである。 今度は、ルミが片桐に語りかける。 「武ってヤツは人を傷つける技術が根底にあるんだ」 「それはわかっています」 「だろ?……そんな立派なもんじゃないんだよ」 片桐はその言葉を聞いて黙っていた。 「武道を修行するのは、肉体鍛練と精神修養の為だ」 父であり師である人の言葉だ。 幼き日より夢心流の修行を重ねてきた彼女。 父より武道の精神性を教えられた。 それを信念として生きていた。 だが…人として大事なことを教えてくれた父は死んだ。 「何故…?」 死因は飲酒運転による事故死。犯人は高校の柔道部のコーチだった。 報道によると、裏で生徒相手に金を無心するほど品性下劣な男だった。 ――ブン……スチャ…… 道場で結月は、黙々と居合の型を繰り返していた。 その目には涙が溢れていた。 彼女は一つの疑問にぶつかる。 「武道で精神を鍛えてたのではないのか…」 居合の型を繰り返しながらそう言った。 死んだ父との唯一の繋がりに浸りながら。 「今日からあなたの新しいお父さんよ」 「よろしくね。結月ちゃん」 暫くして母親は再婚した。 再婚相手は、剣道の国体に出場した経歴を持つ男だった。 なんでも、剣道の強豪大学で指導しているという。 だが来て早々、養父は思い出の道場を剣道場へと変えてしまった。 「これは竹刀に面……剣道の道具ではありませんか」 「おう結月か。見ろ剣道具を揃えた」 「お義父さん、何故このようなことを」 「今日からここは、剣道場に生まれ変わるんだよ」 「そんな……」 道場にそろえられた面や竹刀といった剣道の道具。 これらを見た結月は、義父に強く抗議をした。 「ここは居合の道場ですよ」 「居合ねェ」 だがこの男は、武道の精神性とかけ離れた発言をした。 「そんな古臭いモンいらねぇよ」 (古い臭い?) 「居合なんて役に立たねぇんだ。例えば大学にお前が進学するとするだろ」 (役に立たない?) 「そこが強豪の剣道部ともなりゃ、企業や警察とのコネが出来る。就職に有利だ」 (コネ?) 「結月、見たところお前には才能がある。早いとこ剣道を始めな」 (居合を……父を否定しろというのか) 「剣道が強くて全国大会でも優勝してみろ。国から表彰が貰えるぞ」 (武道は……) 「それにお前は顔がいいからな。お偉いさんのお気に入りになるかもな」 (人の心を……) 「はっはっはっ!」 (磨くものではないのか……?!) 武道とは何なのか。そう疑問を持つようになった。 肉体と精神を鍛えるための武道が立身出世の道具となっている。 自分はそんな荒廃してしまった武道を学ぶ意味があるのか。 思い悩むところに一人の老人が現れた。 「君が片桐さんか。夢心流を演武会で見なくなったが何故かね」 老人は飛鳥馬不二男と名乗った。突然の来訪だった。 何でも昔、夢心流の演武を見て感動したとの話である。 話を聞くと、屋敷内の使用人が一人欠員が出たとのことであった。 丁度良いので自分の元で働いて欲しいとの申し出だった。 義父や母は、この話に良い話として乗り気になった。 なんでも、一流企業の会長だからという単純なものだった。 こうして、私は使用人として働くことになったのだ。 飛鳥馬不二男は、夢心流を認めてくれている。 しかし……しかしである。 「結局……武道とは何でしょうか」 「何を……言ってるんだい?」 目を細め柄に手を掛けたまま片桐はルミに言った。 「藤宮様……何故かあなたが嫌いになりそうです」 「そうかい。でも……あたしはアンタが何故か好きになりそうだ」 「私も迷いなく考えられたら……」 「自分を支えてくれたものが……嫌いになりそうなのかい?」 (一間!※約1.8m) 「御免ッ!!」 再び放たれる銀色の閃光。 片桐は鯉口を切る。踏み込みは先程よりも素早く迅い。 その瞬間ルミは手にした上着を投げつけた。 「……ッ!!」 一瞬、動揺したものの、片桐は投げられた上着を寸断する。 布のような柔らかいものを、空中で切り裂くことは難しい。 片桐の技量の高さを物語る。不二男は目を見開く。 「ほう初撃を防いだか」 しかし、夢心流の特徴は初太刀を出してからの二太刀以降の迅さにある。 それは彼女の柔軟な手首や体幹の強さが可能としている。 たゆまぬ型稽古や試斬による反復鍛練で身に付けたものだ。 一朝一夕出来るものではない。 (二太刀……!) 抜刀斬撃から火の構え……つまり上段へと構えを変え、二の太刀が飛ぶ。 白刃の閃光は鼻先に向かい、刀を地面スレスレまで届いた。 これもギリギリで何とか躱し刀は空を斬った。 「今!」 ルミはその隙を見逃さない。素早く踏み込んだ。 (三太刀……!!) 片桐は振り下ろされた刀の刃を、上部に返し下から斬り上げる。 夢心流の極意は抜刀後の攻防、紫電一閃の刀技にあり。 刃の切り上げにて、ルミの胴体から顔面は斬られたか。 (な、なんと!) 片桐は驚く。このような躱し方があったとは。 ルミは、切り上げる太刀の勢いに合わせ、刃に飛び乗り宙を舞った。 「曲芸技だねェ」 不二男は目を見開き、宙を舞うルミを凝視する。 まるで蝙蝠のような動きであった。 この時、黒澤はある幻の技を思い出す。 「足譚か……!」 ○ 足譚 夢想願流という剣術流派の奥義。創始者は松林左馬之助蝙也斎。 慶安4年3月。 江戸城において徳川家光に、夢想願流の剣技を披露する機会が設けられた。 この際、左馬之助は『相手の太刀の棟に飛び乗り宙を舞うなどの奥義』を披露。 この技名を『足譚(そくたん)』という。 この際、将軍家光は『身の軽きこと蝙蝠の如し』とその技量を讃えたと言われる。 これを誉れとした左馬之助は以降『蝙也斎』と号した。 だがルミはこの技を知らない。体が自然と反応して出た技だ。 「藤宮様……あなた様もよく鍛練を積んでらっしゃる」 「背中を取ったよ。アンタの負けさ」 宙を舞い、そのまま片桐の頭上を飛び越え背後を取っている。 しかし、ルミは攻撃をしなかった。片桐は問う。 「打たないのですか」 「勝負あったろ」 「私を倒すまでは、決着ではありません」 「さっき言っただろ。アンタが好きになりそうだって」 暫し沈黙の刻が流れる。 彼女は再度尋ねる。 「もう一度……質問をしてよろしいですか」 「いいよ」 「藤宮様……武道とは?」 「己を高めるもの。克己心を磨くもの」 片桐はそれを聞き、静かに目を閉じる。 そして、もう一度尋ねた。 「では……何故あなたは‟ORGOGLIO”に参加するのですか?」 「さっきも言った通りだ」 「腕試しですか?」 「それもあるが……そうだな」 またも暫し沈黙するルミ。分もかからずに回答を出す。 「人の〝願い〟に報いるためだ」 「〝願い〟……?」 「身に付けたものは〝誰かのため〟に使わなきゃね」 片桐の表情は暖かくなった。 先程とは違い納得の回答だったのだろうか。 彼女は静かに刀を鞘に納めた。 「ありがとう……私の負けです」 彼女の涼やかな目から涙が流れていた。
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