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 いよいよ決勝の舞台へと立つ。試合場の隅で黙し正座をしていた。  ゲオルグの体は限界を迎えそうだった。  実戦や試合経験が共に乏しく、毘沙門館や他流派の猛者達と戦ってきたのだ。  改めて自分の弱さを認識した。 『助けて―――』  過去の記憶がフラッシュバックした。  自分はあの子を、亜紅莉を守れなかった。  ゲオルグが、両親の仕事の都合で日本へ来たのは10歳の時だ。  日本では珍しく、ドイツ語で授業を行うインターナショナルスクールに入学することが出来た。  だが日本の生活に馴染めないでいた。そこで武道好きな父が不動流の道場を紹介する。  名目は『日本の文化を教える』とのことだったが、異国の地に馴染めない息子をなんとかしたかったのかもしれない。 「まるでダンスだな」  それが稽古風景を見ての印象だ。  そんな彼に道場主の鬼塚英緑が話しかけてきた。日本語だったのでよくわからない。  父親が通訳する。どうやら『練習を体験してみてはどうか』と言っているらしい。  本人はやる気がなかったが『やってみなさい』の一言で、父親に稽古をしている畳場へと連れ出された。  そこには自分より年下と思わしき少年が立っていた。  ソウという名前で道場主の息子らしい。英緑の言葉を通訳する父親がゲオルグにこう言った。 「どこからでも突いても蹴ってもいいだってさ」  どうやら自分を試しているらしい。  ゲオルグはサッカーをやっていたので、体力には自信があった。  彼は安直に考え実行に移す、少年の足に向けて蹴り放ったのだ。 「……?!」  気づいたら天井が見えていた。軸足を足払いされたようだ。  いやこんなハズはない。再びゲオルグは立ち上がり、今度は少年の道着の襟を掴んだ。 「ッ!!」  今度は突きを鳩尾に軽く押し当てられ、苦しさから掴んだ襟を放した。  まるで魔法にでもかけられるようだった。  元来負けず嫌いの彼は、その場で入門を決めたのであった。 「ドイツに帰らないのか?」 「はい、私は日本に残りたい」 「人生は一度きりだ。自分の思うようにしなさい」  18歳になったゲオルグは、両親に大事な話をしていた。  仕事も落ち着き始め、両親は息子のスクール卒業と同時に帰国することを決めていた、が彼だけは日本に留まりたいことを告げたのだ。  この地で不動流を……武道を極めたい気持ちが強くなったのだ。  生活は通訳や外国語教室の講師をして暮らすことになった。  両親は帰国し、ゲオルグは仕事が終わると稽古に通い技を研鑽する日々を過ごす。 「今日は俺の妹を紹介するよ」  ゲオルグは蒼と仲良くなっていた。  友情を育む中で、彼には3つ下の亜紅莉という妹がいると分かった。  彼女は蒼の紹介で会ったことがある。 「亜紅莉、この人がゲオルグ・オットーさんだ」  亜紅莉という名の少女は大人しめの子だった。  ストレートヘアーが印象的で華奢な体だ。  あどけない顔だが、どこかしら大人びた印象がある子だった。 「……」  彼女はゲオルグから目を逸らし黙する。  相手は外国人で大柄な風貌だったので警戒してしまったのだろうか。 「こいつ友達いないんですよ。良かったら仲良くしてくれませんか」  よく見ると、彼女は水彩絵の具で絵を描いている途中だった。  何かの風景だろうか…その絵は幻想的で美しい絵だった。 「……友達ならおるよ」  彼女は小さな声で兄に反論した。兄とは違い関西なまりの言葉使いだ。 「学校の先輩とかいう人だろ」 「あの人……うちに優しいから」  友達というのはどうやら学校の先輩らしい。  彼女は小学生の頃から変わった子として浮いた存在だったようだ。中学に上がると美術部に入部するが、そこでもあまり馴染めなかったらしい。  だからこうして自宅で一人絵を描いていたのだ。  だが、部活の先輩が彼女を心配しているようで色々と世話をやいているようだった。 「せやかて、友達もその人だけやないか。もっと友達は多くいた方がええやろ」 「そっとしといて……兄やんの余計なお世話や」  急に蒼の言葉使いが変わった。普段は関西の言葉を使うようだ。  外国人であるゲオルグには、それでは分かりづらいとして標準語を使ってくれている。  関西の言葉が出るということは、彼が感情的になっている証拠だ。  少し気不味い空気が流れるが、ゲオルグはただ一言言った。 「……綺麗な絵ですね」  初対面の相手には、普通ならば挨拶と自己紹介だ。  ゲオルグ自身も人付き合いが得意な方ではないので、彼なりに必死で出した挨拶だった。 「ありがとう……」  以降、彼女との交流は続いた。  特に少女漫画のような恋愛感情からというものでもなかった。ゲオルグはただ絵を描く彼女を見るのが好きだった。  友情や恋愛とかそんな安っぽい言葉を使いたくない、何か不思議な絆で二人は結ばれていたのだ。  そんな関係が1年ほど続いた。 「ゲオルグさんは何故武道を続けているん?」  突然だった。  自分は蒼に負けたくないという負けん気と、武道を極めたいという気持ちから続けていただけだ。  がむしゃらに頑張るうちに、道場内では〝虎〟と呼ばれる実力がついていた。  外国人特有の体格や、愛好的にやっている門下生多い中、真剣にやることで実力がついただけだ。  実戦という戦いの中で、どこまで通用するか自分でもわからない。  ただ、ゲオルグ・オットーという一人の男として『強くなりたい』という願望はあったのかもしれない。  子供じみた考えではあるが、それが人間としての生物の性だ。 「強くなるため……」 「強くなりたいんやったら、他にもいっぱいあるで」  彼女にそう反論されたが、ゲオルグはこう返した。 「……不動流で強くなりたい。日本の生活に馴染めたのも……自分というものを育み成長させてくれたのも不動流なんだ。ここで自らを更に高めて恩返しをしていきたい」  それは彼の本心だった。異国の生活に適応出来たのは、不動流という日本文化があったからこそだ。  また、人として成長できた部分があった。技や言葉だけでなく、忍耐や礼節という大事なものも学べた。  彼はその不動流で強くなることで、少しでも恩返しがしたかったのだ。 「……律儀やね」  亜紅莉はそう言った。淡白な返事であるが理解したようだ。  今度はゲオルグが尋ねた。 「亜紅莉は何故絵を描き続けるんだ?」  絵を描き続けるものの、コンクールに作品を出したことはない。  ひたすらに自宅で淡々と絵を描き続けるだけだった。 「学校でな……絵を描く授業があったんや。校舎の絵を描いたら先生や同級生にやたら褒めてくれてん。あの時はホンマに嬉しかった」  亜紅莉の眼は輝いている。だが直ぐに暗い顔になった。 「でもな……その時は嬉しかったんやけど、よく考えると『上手い絵を描く私を褒めてくれただけ』やないかって。『私自身を褒めてくれたんとちゃうんやないか』と」 「すまない……」  ゲオルグは彼女に謝った。  そうだ自分は絵を描く亜紅莉に会いに来ているだけだ。〝鬼塚亜紅莉〟という存在に会いに来ているわけではないのだ。 「何で謝るんや?」 「いや……その……」  言葉を濁すゲオルグに彼女は笑って言った。 「何にせよ、心が落ち着くから描き続けているだけやね」  彼女は静かに笑みを浮かべていた。  その光景は黙すゲオルグよりも、中学生の彼女の方がよほど大人っぽく見える。  そうすると彼女は一枚の絵を取り出した。 「これ今度のコンクールに出してみようと思ってんねん」  それは虎の絵だった。 「ゲオルグさんを見てたら、私もこの虎のように強くならなアカンと思ってな」  彼女は自分や世の中と戦い、打ち勝とうとしていた。何かが変わろうとしていた。  だが……あの事件が起きた。  仕事帰り、夕方の人気のいない公園で亜紅莉の姿を見た。誰かと待ち合わせしているのだろうか。  こんな時間に一人で何をしているんだろうか。そう疑問に思うと彼女と眼が合った。 「ここで何をしているんだい?」 「ああ……違ったんや」  そう言うと彼女は悲しそうな顔をしていた。一体どういうことだろうか。 「人がいやがる。どうする?」 「サトルさん。相手は外国人だぜ」 「やっちまえ。……そのために学んだ空手だ」  人の声が聞こえた。  〝人がいる〟〝サトル〟〝空手〟というキーワードだけは覚えている。  そのキーワードを最後にゲオルグの目の前は真っ暗になった。  頭を何かで強打されたらしい。  続いて強い痛みが全身を駆け巡った、どうやら倒れたところを蹴られ続けているようだ。  何とか意識は残る中で、一瞬だが逃げる亜紅莉の姿が見えた。  そして最後にこう聞こえた。『助けて―――』と。 ・ ・ ・  この日ほど自分の弱さ、不甲斐なさを呪った日はない。 「ゲオルグ・オットーさん。決勝戦が間もなく始まります」  大会の関係者らしき男がそろそろ決勝が始まるということを伝えられる。  決勝の相手は藤宮魁道……こいつはバケモノだ。そう覚悟するゲオルグに巨人が近寄る。 「決勝進出おめでとう」  ライジングプロレスの社長、ゴリアテ威場だ。準々決勝で闘った三宅の上司である。 「何の用だ」 「決勝前にすまないね。君に興味があってね」 「俺はプロレスラーになるつもりはない」 「君の気持ちはわかっているよ。もし興味があるならここに連絡して欲しい」  威場はそういうと名刺を渡し去って行った。  何が狙いだろうか。よくわからなかったが、彼は次の試合へと行かなければならない。 (何の運命か、まさか関係者がこの大会にいるとは思わなかった。これは想定外の収穫だ。そして、次への行動を移す手土産に……藤宮魁道。まずはお前を倒さなければならん)

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