「潰すだって……?」 「そうだ……お前は知ってはいけないことを知った」 蒼は青鬼の如き表情である。 もう一人の師である毘沙門直伝の天地上下の構え。 それはまさしく龍の顎の如き構え。 敵を噛み砕かんとする攻防一体の構えである。 「誰から聞いたのかな」 「お前が知ってどうする」 「ハハ……そうだったね」 対する北辰珠郎。操縦者は高橋昴は侮蔑の嗤いを浮かべる。 毘沙門館より独自の技術体系を作り上げた伝説の空手家、高橋夏樹の子息。 ただそこには高橋空手独自の半身、円の組手ではない。 左構えという個性はあれど、教科書通り、外連味のない組手構えである。 「えーっと……柚木綾那さんだっけか。彼女と知り合いらしいね」 「……」 昴の問いかけに蒼は無言。 本当の答えを知っていて敢えて柚木綾那の名を出したのだ。 無言で徐々に間合いを詰める朧童子に対し、構えたままの北辰珠郎。 繰り広げられる両者の会話。 スタジアムの観客達はさっぱりわからないでいる。 「ユギアヤナ?誰だよ」 「ほら週刊誌にすっぱ抜かれてた」 『柚木綾那』という噂の人物の実名が出た。 「大丈夫?」 「い、いえ……何でもありません。試合を見ましょう」 試合を見守る柚木の顔は青ざめた。 カミラは『ユギ』という名前と彼女の態度から察した。 しかし、これ以上の深入りはしない。入ってはいけない領域というものはある。 その領域に無暗に入れば傷つくのは柚木だけではない、間宮蒼もそのうちの一人だからだ。 (ユギアヤナさん……蒼さんを幸せにしてあげてね) さて試合へと場面を戻す。 タブー、深淵へと入り込んだ昴。 その表情は彼女らしからぬ陰湿な笑みを浮かべていた。 「フフッ……そうじゃなかったね」 「キサマッ!」 目に輝きを失う昴。目を濁らせる蒼。 両者は心に漆黒の炎を燃やしていた。 昴は口角が上がる。本題へと移ろうとしていた。 「汚された君の妹――」 「それ以上しゃべるなッ!」 ――ガギィ! 朧童子と北辰珠郎……。 両者は打ち合っていた。 それは流儀も、男も女も関係なく……。 ――ガギィ! 憎しみと……。 ――ガギィ! 憎しみが交差していた。 『試合早々からの打ち合いだッ!』 互いに打ち合っていた。 拳で蹴りで、時には肘や膝を用いる。 毘沙門館対星王会館、両団体長年の遺恨、積年のわだかまり……それらを解消、発散するための団体戦であるとの認識がある。 ただ、この度の副将戦は全く違う。 両者に経緯の違いはあれど、相手を憎んでいた。 それは最愛の人を傷つけた、傷つけられそうになることへの怒りだ。 あるいは守ろうとするために起きた感情。 愛……。 我々は愛を絶対、至高のものと考えがちである。 キリストは『汝の隣人を愛せ』と言った。 孔子の説いた『仁』もまた愛であり、テレビは『愛は地球を救う』と喧伝する。 しかし、仏教用語で愛の性質は異なる。 釈尊は言った『愛は苦である』と。愛執、愛着……愛から苦しみが生まれると考えた。 そもそも、仏教での愛は欲望の充足を求める『渇愛』という意味に近い。 汚され、声を奪われた妹を、もう誰からも傷つかせまいと誓った蒼。 父親からの異質で歪んだ教育により、男性からの愛情を求めていた昴。 蒼は〝愛〟に拘っていた。昴は〝愛〟に飢えていた。 愛執と愛着との死闘……両者は愛のために闘っていた。 「間宮蒼、鬼子を倒せ」 毘沙門館側に陣取り、娘の闘いを見ながら父、夏樹は一人そう呟く。 鬼子……自らの子に対して、そのように表現した。 それは彼自身が父として、男として娘に裏切られた憎しみがあった。 自分勝手な思いである、我儘な思いである、独善的な思いである。 女に生まれた昴に男を渇望し、男のように育て、空手一筋という建前の中、空手人形として育てた。 それは父親の彼が昴に対する一つの虐待、サディスティックな感情がどこかにあったからだ。 根本の原因は昴が女として生まれたからではない。 顔が妻に似ていたからである。 妻は生前、よく浮気をしていた。 ある時は同門の門下生と、またある時は自分の弟子と、時には有名スポーツ選手と。 その原因は夏樹が真面目過ぎて、結婚後に男の魅力が半減し、空手以外に能のないバカだったからである。 夏樹は妻の浮気を、その都度許してきた。 そして、昴が生まれたが『本当に自分の子供であるのか』疑いを持つようになる。 「倒せ、必ず倒すのだ」 成長する度に妻の面影を残す昴。 抑えていた怒りと憎しみの感情が、妻の死を契機に一気に爆発した。 だがマイナスの感情が生まれながらも、妻や子に対する愛情は星屑のようには残してある。 しかし……その輝きは、昴が弟子である角中の元へと行った時に消えてしまった……。 ――昴ッ!お前もかッ!! 「私の作った星を消してくれッ!!」 「せ、先生?」 憤怒の表情と共に涙を流す夏樹。 隣りに座る小夜子はその表情に動揺し困惑していた。 ・ ・ ・ ――金属音が流星の如く鳴り響く。 打つ打つ打つ…… 打つ打つ打つ打つ…… 打つ打つ打つ打つ打つ…… 打つ打つ打つ! 打つ打つ打つ打つ! 打つ打つ打つ打つ打つ! 打つ打つ打つ!! 打つ打つ打つ打つ!! 打つ打つ打つ打つ打つ!! 両機は打ち合っていた。 火花と金属の破片と飛び散る。 機体の機能を使わず、精練な技、身に付けた妙技。 これら一切を不純物と見なしたような殴り合いを演じる。 観客達はその光景を若干引いた目で見ていた。 そこに爽やかさも、美しさも存在しない。生の感情とぶつかりがあるからだ。 「死イィ――ッ!!」 打ち合いする最中、北辰珠郎は妖刀の如き足刀を顔面へと放つ。 それは最高のタイミング、最速の間合いから居合的な足刀。 蒼は最愛の人を守るため、最低限度の練習と試合しかしていない。 本来であれば武の才能、技量的に蒼が優位に立つ。 が、試合経験度と豊富な練習量では昴が上回っていた。 また、普段であれば涼やかで柔らかな組手をする蒼が、感情的なあまり精彩を欠いている。 普段の持ち味が完全に消えてしまっていた。 その差が徐々にではあるが、両者の差を時間ごとに徐々に開き始めていた。 ――ザギィ!≪ヘッド機体損傷率49%≫ 『顔面にまともに足刀が入った!』 足刀が朧童子の顔面に入り、僅かであるが亀裂が真一文字に入る。 「つァッ!!」 ――バギ!≪左大腿部機体損傷率29%≫ 『今度は下段の足刀!二段蹴りだァ――ッ!!』 昴の北辰珠郎は矢継ぎ早に足刀を朧童子の右大腿部に打ち込んだ。 「くう!!」 押された蒼は体勢を少し崩されるも、構えを取りなおした。 岡本毘沙門直伝の天地上下の構えではあるが……。 ――鬼を解放するんです。 蒼は試合前に山村に言われた言葉を思い出した。 これは試合前の会話だ。 「岡本先生が教えた空手はメッキです。本来のあなたの流儀は不動流……不動流を使わなければあの昴という子に勝てません」 「どういう意味だ?」 「感情を剥き出すに人に勝つのは難しい。このままではあなたは負けます。もし負けてしまえば、あの子は試合後にあることないこと言うかもしれません……自分の師匠、いや最愛の人を傷つけられましたからね」 「……」 蒼は黒い何かが生まれたのを感じた。 それが一体何なのか、人や環境によって生まれ出たものか。 それとも元々備えていた負の感情か……蒼は分からなかった。 ――ニッ……。 山村はそれに気付いたのか、大袈裟な身振り手振りで告げる。 「感情には感情で!怒りには怒りで!炎をより強い炎で焼くのです!!」 ――妹を誰にも傷つかせない……!! 『おーっと!構えが変わったぞ?!』 朧童子の構えが変わる。 天地上下の構えより、両脇を絞め、握拳をもって両手甲を相手に見せる。 ボクシングでいうところの『ピーカブースタイル』に似た形をしていた。 「あ、あれは……『朱雀門の構え』?!」 そう述べるは師であり、父である鬼塚英緑であった。 父は気付いた、息子が心に飼う鬼を解放させたことを……。
コメントはまだありません