大晦日。それは一年の締めくくりの日である。 年末でも仕事に向かうもの、家族団らんで過ごすもの、友人同士で楽しむもの様々である。 首都・東京は年末関係なく人通りが多かった。 「今日は大晦日か……」 ストリート街を歩く一人の女性がいた。 彼女の名前は飛鳥馬小夜子、世界最大大手の総合スポーツ用品メーカー『ASUMA』のCEOである。 ベージュのトレンチコートに冬場でも似合うようブラウンのサングラスをかけている。 (何気なく歩くけれども……みんなヒマね) 自分のことはさておき、小夜子は混雑する東京の街を歩きながらそう思った。 みな一応に笑顔だ、浮かれていた。それもしょうがない今日は年末なのだ。 目の前から親子連れが歩いてきた。父親と小学生くらいの娘だろうか。 「ねぇパパ、今日は帰ったら何する」 「帰ったらそうだなァ、ゲームでもして遊ぼうか」 小夜子の横を親子連れが通って行った。 遥か昔の記憶がよみがえる。 父である『飛鳥馬将』のことである。 『小夜子、帰ったらママが作った年越しそばが待ってるぞ』 『わァ~楽しみ!』 一瞬、子どもの頃の記憶がフラッシュバックした。 そうだった、この通りは父とよく歩いた場所なのだ。 「CCBさん見ィ~つけたっ!」 突然後ろから誰からか声をかけられた。 こういう時は、ナンパもしくは芸能事務所のスカウトマンだ。 でも、その声は若い女性の声。おかしいなと思い振り返る。 「天下の大社長さんが一人で大丈夫かい」 声の主は藤宮ルミだった。 「あ、あなたは!」 「よう。年末はこの通りをぶらつくらしいじゃないか」 ルミはどうやって知ったのだろうか。 不思議でならなかった。 恋敵であるルミが話しかけてくるとはどういう用件だろうか。 いや、その前にだ。 「なんで私がここにいるとわかったの?」 「あんたのお爺様に聞いたのさ」 彼女はそういった。祖父、飛鳥馬不二男と知り合いの様子だった。 「お爺様と?どうやってそんな伝手を」 「あたしの友達の結月って子を頼ってね」 結月……そういえば不二男が面倒を見ている使用人に、そんな名前の女性がいたような気がする。 しかし、まさかルミと祖父が知り合いだとは思わなかったようだ。 「私に何か御用かしら」 「グレイ・ザ・マンってヤツとあたしのママ……じゃなかった藤宮詠のことを知りたくてね」 グレイ・ザ・マンに藤宮詠。 そういえばアメリカ支部を任される、叔父の飛鳥馬実が独自に後援している機闘士とそのコーチがいたことを思い出した。 「私の叔父が関わっている機闘士のことかしら。申し訳ないけど、叔父が勝手にやっていることだから知らないわ」 小夜子の言っていることに偽りはなかった。 グレイ・ザ・マンは、叔父が祖父から許可を得て‟ORGOGLIO”に参戦させた、経歴不明の機闘士だ。 不気味なマスクで素顔を隠しているので、ウラノス人気にあやかった色物だろうと思っていた。 だが、彼の実力は本物だった。 ルミと同じく、超スピードでBB級への昇格を決めた。 今では、アメリカ支部独自に専用機開発も進んでいるとの話もある。 「じゃあ、私はこれで」 「おいおい待てよ!」 小夜子は一言そう述べ、ルミを無視し足早に歩いた。 これ以上、話をしたくなかったからだ。 ・ ・ ・ 「……疲れた」 小夜子は一人誰もいない部屋にいた。 六本木の高級マンションで彼女はコートを脱ぎ、普段着でソファーでくつろいでいた。 天井を見上げながら彼女は思った。父が数年前に急死して以降、休まる日がなかった。 自分はただ飛鳥馬将の娘だから経営を継いだだけだ。 プレッシャーに何度も潰されそうになった。だが弱音を人に見せるわけにはいかない。 ASUMAの伝統を何としてでも守らなければならない。 「叔父に絶対渡すものですか」 ポツリと小夜子は呟いた。そう、叔父の実はASUMAの経営権を狙っている。 そう確信していた。周りの重役達も同じ考えである。 叔父は医療介護方面にも進出したい希望が強いからだ。 理由はわからない、がASUMAが培ったロボット産業・IT分野を活かしたいと思っているようだ。 「そんなことしたら、スポーツが好きだった父さんを裏切ることになっちゃうわ」 小夜子はテーブルに置いてある写真を見る。 写真には野球のユニフォームを着ている父の姿があった。 15年前に撮った社内の野球大会のものだ。写真には幼い頃の自分や母の姿もある。 なお現在、母はアメリカに渡っており叔父の仕事を手伝っている。 「母さんも勝手よね。私を助けずになんで叔父の手伝いなんて……」 小夜子は不満たっぷりに一人愚痴を漏らした。 頼れるのは自分だけだ。 ――ドンドン…… そう思っていると、何やら窓をドンドンと叩く音が聞こえる。 「ここは超高層階の部屋なのに」 ――ドンドン…… 恐る恐る窓へと近づく、すると……。 「うォ~いCCBさん!ちょっといいかい!!」 「ギャア――ッ!?」 窓にはヤモリのように、ピッタリと藤宮ルミが張り付いていたのだ。 ・ ・ ・ 「あ、あなたね、常識ってモノがないの?!」 「アンタが無視するからだろうが」 「あなた人間なの?ここは超高層階のマンションなのよ」 「古武道を極めていたら、手を真空状態にして張り付くことも可能なのだ」 「物理法則を無視しないで頂戴!」 ルミは小夜子の部屋に入っていた。 後ろからコッソリついてきて部屋が何番なのか、何階に住んでいるのか調べられたようだ。 ストーカー顔負けである。 「それよりも話の続きなんだが」 「私はグレイ・ザ・マンとか、藤宮詠とか知らな……」 「しかし、ヒルズ族になるとこんないい部屋に住めるんだな。これが格差社会か」 「ちょ、ちょっと!」 ルミは小夜子の部屋を物色し始めた。 そして、テーブルに置かれている写真に手を取った。 「おっ、なんだこれ。昔のアンタかい」 「触らないで!」 ルミが手にした写真を急いで取った。小夜子にとって特別なものだからだ。 「す、すまない。ところでその写真に映っている男の人は?」 「私の父よ……」 小夜子は少し悲しげな声で言った。 「もう死んだけどね」 ルミはそんな彼女を見て申し訳なさそうな顔をしている。 「その写真はアンタにとって大切なものなんだね」 「……知った風な口を聞かないで」 「いや、あたしの父親も死んだからね」 そう言うとルミは一枚の写真を取り出した。 藤色のカラー道着を着たヒゲの男と坊主頭の青年が握手をしている写真だった。 坊主頭の男は見たことがある顔だ。現・毘沙門館館長である岡本謙信だ。 もう一人の男は誰だか分からなかった。だが、二人とも満面の笑みを浮かべている。 「昔、友達から送られたパパの写真さ。あたしの宝物でね」 「これ、あなたのお父さん?」 意外だった。彼女の父親もこの世を去っていたようなのだ。 不謹慎ではあるが、小夜子としては同じ仲間を見つけたようでホッとしたような気持ちになった。 「死ぬ前の写真さ。いい顔してるだろ?」 「そうね」 穏やかな声で小夜子はその写真を眺めていた。 一方、ルミの方は少し眼が潤んでいるように見えた。 「CCBさん、すまなかったね。本当に知らなそうだから帰るよ」 ルミがそう述べて、部屋を後にしようとした時だった。 「待ちなさい、今日は生憎とヒマなの。私に付き合いなさい」 「CCBさんはいいのかい?」 「女一人で大晦日を過ごすのなんて寂しすぎるでしょう、それに私はCCBじゃなくてCEOよ」 「CEOさんね」 ルミがこれまでの間違いを修正し、敬意を持ってCEOと呼んでくれた。 だが、小夜子は暖かく微笑みながらこう伝えた。 「ちょっと待って。CEOも仰々しいわ、小夜子さんって呼んで下さらない」 「いいよ。小夜子さん」 こうして、女二人だけの大晦日が始まったのである。
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