「う……ん……」 少女が目を覚ますとそこはふかふかのベッドの上だった。高い天井にも、カラカラと回る扇風機にも見覚えはない。体をゆっくりと起こして自らの姿を見ると、赤いワンピースを身につけていた。しかし元々彼女が持っていた服ではない。 (ここは……少なくとも日本じゃなさそうよね。時雨先輩の行っていたようにやはり異世界……なのよね、きっと) ベットから降りて窓辺に行き、カーテンを開ける。 夜明けのベールに包まれ、少し霧のかかった中世ヨーロッパのような町並みが窓の向こうに広がっていた。 「……綺麗」 遥か遠くに聳える山は頂上付近がうっすらと白い。その部分が空の色を映すかのようにほんのりと赤く染まっている。 ゴーンゴーンゴーン……やがて、鐘の音は荘厳な響きで朝を告げた。 まるでそれが合図だったかのように、控えめなノックの音がして部屋にひとりの少年が入って来た。年齢は13か14といったところだろう。 「あ、もう大丈夫?目が覚めたんだね!」 彼は少女の姿を見ると顔をほころばせて、窓辺に駆けて来た。髪の毛と瞳は炎を現したかのような赤色。 「ええ、もう大丈夫よ。ところで……君は?」 「あ、ごめんね。お姉さん3日間も目を覚まさなかったからボクも姉さんもすごく心配してたんだ。ボクはレイムっていいます」 「そうだったの。レイム君が助けてくれたのね。私はアズサ」 「ううん、助けたのは姉さんなんだ。ちょっと待ってて、呼んでくるから!」 レイムはそう言うとぱたぱたと走っていった。 (3日間も眠っていたのね……やっぱり無理矢理異世界に飛ばされて体に負担がかかったということか) 正直な話、どうやって異世界に来たのかの記憶はまったくない。ただひとつわかることは時雨の手でここに飛ばされたのだろうということだけだ。 (レイム君は少なくとも敵ではないわね。そして、何故かしら。ほんの少しだけどこの世界を懐かしく感じるのは――) アズサの思考は控えめなノックの音で途切れた。 「失礼します」 そう声がしてひとりの少女が部屋に入って来た。年齢は16か17といったところで、レイムと同じく赤い髪と瞳を持つ美しい少女だった。 「目を覚まされたようで安心しました。私はフレーアと申します。貴方は?」 「アズサといいます。フレーアさん、貴方が私を助けてくれたとレイム君から聞きました。ありがとうございます」 「どういたしまして。アズサさん、でしたね。色々と話したいことはあるのですけど、まずは朝食にしましょう。準備はできているので付いて来て下さい」 ―― (す、すごく豪華……き、貴族の大邸宅なの?ここ?) 案内された食堂を見て、アズサは思わず息を呑んだ。天上からつり下げられたシャンデリアのようなもの(ものと言ったのは中で炎が燃えていたからだ)に長机。白いテーブルクロスの上に赤いランチョンマットが敷かれている。そのランチョンマットには金色で家紋らしき紋章が刺繍されていた。 「どうぞ、こちらにお座りになってくださいませ」 「あ、はい」 戸惑いながらもアズサはテーブルに付いた。こんな貴重な体験はなかなかできない、と自分に言い聞かせながら。 少しするとひとりの初老の男性が料理をテーブルに運んで来た。 「アズサ殿ですな。私はエン、と申します。以後お見知りおきを。まずは食事を楽しんでください」 「エンさんですね。ありがたくいただきます」 アズサはテーブルに置いてあるコーンスープを飲もうとスプーンを手にとる。 そして、何気なくスプーンの窪みに一瞬映った自分の姿に息を呑んだ。そこに映っていた人物の姿は紛れもなくアズサなのだが、瞳の色は彼女自身が知るものと大きく異なっていた。その色は真紅だった。まるで炎のような色。 (どういうこと?まあ、異世界なんだし何が起こっても不思議じゃないわよね。とりあえず今は食事に集中しよう。食べられる時に食べておかないと) 「ごちそうさまでした。お料理とても美味しかったです」 「そう言って頂けて光栄です。この後お嬢様――フレーア様が貴方にお話したいことがあるようなので そのまま少し待っていてもらえますか?」 「わかりました」 ―― 「お待たせしました。これを貴方に見せたくて」 フレーアはそう言って木箱の蓋を開ける。中には炎の色をした宝石が入っていた。 「これって……ルビーですか?」 「ええ。手に取ってみて下さい」 アズサは木箱の中のルビーをそっと手に取る。その瞬間不思議な感覚が体に走った。 (あら……?何かしら?温かいというか……何かが湧き上がってくるような――) 「え?」 次の瞬間、手の中にあったはずのルビーは消え、代わりに琨のような武器がその手に握られていた。 (い……石が武器に変わった?) 「聖剣を扱えるとは、やはり貴方は操る者――パーリアなのですね。その瞳の色を見た時に直感した通りでした」 事態を呑み込めないアズサとは対照的に、腑に落ちたような表情でフレーアが頷く。 「パーリア?」 「パール・リア。パリア文字という古代文字で『石を操る者』が語源です。この世界では『聖剣の資格者』をさします」 「聖剣の……資格者……パーリア……」 「もっとも、今はまだその剣には何の力もありません。貴方が炎の神殿に向かい、そこで試練を越えて資格者としての名を得て剣と契約してはじめて聖剣は真の力を発揮します。そして貴方の中の本来の力も目覚めるでしょう」 フレーアの言葉を裏付けるかのように、手の中の聖剣は再び形を変えてただの石に戻っていた。 「わかりました。……私は炎の神殿へ行きます。そして試練を越えてみせます」 手の中のルビーを握りしめて、アズサははっきりそう告げた。 「貴方ならそう言うような気がしていました。それでは私も『炎の守人』の元へ貴方を導きましょう。聖剣を授けるという役目は今、終わりましたけどね。聖剣と言ってはいますけど、実際は使い手にふさわしい形に変化するので剣の形をとるとは限らないらしいです」 「フレーアさんありがとうございます。正直、パーリアだって言われても実感が湧かないし、自分に何ができるのかもわかりません。だけど、やれるだけやってみたい。それに、この世界でみんなを、仲間を捜さないといけないし」 ―― 「賑やかな街だなー」 聖剣を手にし、封じられた力を解放して地の神殿を後にしたユキは砂漠を越えてアズサのいる街に辿り着いた。 この街の名はシィンリアという。タイムノイズの東の端に位置するこの街は、オレンジの屋根の石造りの建物が立ち並ぶ観光で有名な街だ。 事実石畳の道沿いには露店が軒を連ね、食べ物の美味しそうな匂いが漂ってくる。別れる前にミレイは少しでも足しになればとこの世界のお金をくれた。ちょっとした食べ物を買うぐらいなら足りるだろう。 ユキはアイスクリームを売っている店の前で足を止め、そして迷いなく購入した。 「うーん。生き返るなあ」 噴水前のベンチに腰掛けて一口。灼熱の砂漠を抜けてきたのでひんやりとした感覚が本当に気持ちいい。街を行き交う人々は賑やかで、風は柔らかい。真っ白な雲がゆったりと空を流れて行く。 「それはそうと」 アイスクリームを食べ終えたユキはベンチを立ち上がり歩き出す。 「泊まる所を探さないといけないんだった。あと、仲間も――」 その時、強い風が巻き起こり彼は足を止めた。すると向かいの肉屋の前で、同じように足を止めている少女の姿が目に入った。 「アズサ?」 「ユキなの?」 少女はびっくりしたような表情を浮かべた後で、彼に向かって駆け寄る。 着ているものこそ見慣れないメイド服だが、彼女は紛れも無くアズサだった。 「ユキ、久しぶりね。元気だった?」 「うん。アズサも元気そうでよかった」 ふたりは再会を喜んで笑いあう。 「ところで、アズサはどうしてメイド服を?」 アズサはその問いに微苦笑するとユキの手を取った。 「助けてもらった家でちょっとお手伝いしてたの。一宿一飯のお礼って奴よ。長くなるから一緒に来ない?」 「わかった。俺も泊まる所もないしひとりで心細かったから。あ、その肉半分持つね」 こうしてユキとアズサは無事に再会し、ふたりはフレーアの屋敷へと向かった。フレーアとレイム、そしてエンはユキを温かく迎えてくれ、そして泊めてくれることになった。その晩の夕食の席でアズサは経緯を語り、そしてユキもこれまでの経緯を話した。 「ユキさんは地のパーリアなんですか」 話を聞き終わったフレーアとレイム、そしてエンが驚いたように彼を見つめた。 「や、やっぱそうは見えないですよね……」 自分に注がれる視線が照れくさくて、ユキはぽりぽりと頭を掻いた。 「見えても見えなくても試練を乗り越えられたのですから。貴方は正真正銘のパーリアです」 フレーアはそう言ってにっこりと微笑む。 「あ、ありがとうございます……?」 明らかに戸惑っているユキを、アズサは遠目でにやにやしながら見つめていた。 ― 好意的な出会いがある一方で最悪な出会いもある。 同じ街の別の洋館の一室で、一人の少年が溜め息をついた。腕には包帯が巻かれているが、緩んでいて、うっすらと血が滲んでいる。 「……ユキ……」 彼はそう呟くと、緩んだ包帯を外す。彼の腕には刃物でつけられたらしい傷があった。 「……俺……はどうなってしまうんだろうか……」 「……大丈夫。だってケイはケイのままなんだから……」 彼の呟きに応えるように手枷をはめられた少女が彼に近付き、そっと手を重ねた。 「リカ……俺は……」 「私のことなら心配しないで。あなたはちゃんと演じなきゃ。黒の気に侵された冷酷な人を……」 リカの言葉に、ケイは言いかけた言葉を呑み込んで頷いた。 「ユキがきっと……見つけ出して助けてくれる。あの時と同じように」 リカはそう言って微笑む。 「けど……演技をするってことは……俺は恐らくあいつと戦わないといけなくなる……!」 ケイはそう言うと、腰についている聖剣の柄に触れた。 「……大丈夫だよ。きっとユキは真意をわかってくれるから。そして受け止めて赦してくれる。だから迷わないで」 「……ごめん、リカ。一番辛いのは君のはずなのに」 ケイはそう言ってリカの手枷に触れる。重くて、黒くて、冷たかった。できることならこんな手枷など外してやりたい。だけど見知らぬ土地でふたりで逃げ続けることも難しい。 「……感じるの。ユキはきっとここにいる。だから私は彼を信じる。もちろん、あなたも」 リカはそう言って祈るように窓の外の星空を見上げる。 ケイも窓辺に立ち、同じように星を眺めていた。 ―― 「美しきカナリアと黒き羽を持つ鴉。 囚われの身となった二羽の鳥は、鳥籠の中でその鍵を持つ人を待ち続けるのでした。果たしてアリスと時計兎は二羽の鳥を鳥籠から出してやることができるのでしょうか?物語はまだまだ始まったばかり。それでは続きはまた明日……」
コメントはまだありません