淡く灯る光の渦が薄暗がりの世界を照らし出していた。それ以外には何も見えない。支配するのは濃い闇だけだ。 この場所の名は星の闇という。総ての命が生まれ還るところ。生まれ落ちた者たちの記憶の奥底にあるふるさと。 (星の…闇…) 水盤のような光の――魂の渦の前にひとりの人物が立っていた。いや人と呼んでいいのかはわからない。本来この場所に人間が立ち入る事はない。いや、あってはならないのだから。 (……) 理とは世界の秩序でありルールである。それを曲げるというのは秩序を、ひいては世界の形を曲げるということ。 「……禁忌……だけどもう今更退く気はないわ。それにどう転んでもこれで終わりに出来る」 ――彼らが勝つか、私が勝つか。或いは共に散るか。その結末はわからないけれど―― 「……これは始まりにして終わりの物語……今その幕を開きましょう」 1話 始刻、来たりて 雲1つない快晴の空が窓の向こうに広がっていた。梅雨明けを喜ぶような蝉の声が小さな世界に降り注ぐ。しかし、梅雨明けや夏の暑さを喜ぶのは蝉くらいのもので―― 「うう……暑い……溶けそう……」 閉ざされた教室の中で1人の少年が机に突っ伏していた。ついさっきようやく教室内の冷房のスイッチが入ったばかりで部屋の空気は生温い。集中管理なので勝手にスイッチを点けたり消したりできないのがつらいところだ。 いずれ空気は冷えてくるので下手に動かないのが得策だ、そう思った結果彼は動かずにただぐてーっとすることを選んだのだろう。その首筋に突然何か冷たいものが触れる感触があって、彼は驚いたように飛び起きた。 「ひゃっ!?」 その様子を見て、くすくす笑う声が聞こえる。 「見事に、予想通りの反応だったな。おはよう、友希」 「……あー……やっぱり圭か」 「お前が溶けてないかと思って。ほら、ジュースやるよ」 圭はそう言って友希に冷たく冷えた缶ジュースを手渡す。校内の自販機で買って来たらしい。この状況では非常にありがたい。すぐさまプルタブを開けて一口飲むと体の中に心地良い冷たさが染み込んでいく。 「はー……生き返る」 「それは俺も同感だ。こう暑くちゃな」 「……ところで、お前ひとりか?他のみんなは?」 「うん、まだ誰も来てない。どうしたんだろ?」 彼は少し不安そうに呟く。 その時、圭の携帯が鳴った。彼は素早く携帯をスライドさせて画面を確認する。新着メールが1件あった。 「海の話だと……どうやらバスが遅れてるらしいな。早くてもあと15分はかかりそうだ」 「へー珍しいな。雨でもないのに」 ここ、結 高校へ向かうバスは1路線しかないが雨の日以外で遅れる事は珍しい。 「確かに珍しいけど、気にするほどのことでもないだろ」 「うん、それは確かに」 友希はそう言うと飲み終わったアルミ缶を机の上に置いた。 「ところで」 「お前、最近梨華とはどうなんだ?」 「ふぇ!?」 この圭の言葉に、思わず友希が前につんのめる。 「あ、私も聞きたいわ。どうなのか」 「……梓まで……」 ちょうど扉が開いて入ってきたばかりの彼女にまで同じ話題を振られて友希は溜め息をつく。 「別に、ふたりが期待するようなことは何もないよ」 この言葉を聞いた圭は彼の肩をぽん、と叩いた。 「まあ、お前そっち方面はヘタレでオクテだしな。まあゆっくり頑張れよ」 「そうね、ヘタレなりに。梨華もオクテだしね、ちょうどいいんじゃない?」 ふたりから「ヘタレ」のダブルパンチを受けた友希は、 「〜っ……いくら俺でも怒――」 拳を握りしめて怒鳴りかけたが、人影に気付いて取りやめた。 「今日も賑やかで何よりだよ」 「時雨先輩!」 玉章時雨 。結 高校に通う高校3年生。黒髪に赤みがかった茶色の瞳。細身で長身。物腰は穏やかで成績もよく教師からも人気の高い生徒である。 「おはよう、友希、圭、梓。どうやらバスが遅れているみたいだね」 時雨はそう言うと円形に並べられた机の一番上手に座った。 「時雨先輩、これを」 梓が鞄から書類の束を取り出す。タイトルは―― 「……『影鏡』……今噂になっている学園七不思議か」 「ええ。何でも自分以外が映る鏡があるとか。その『影』は過去の事も未来のことも全て知っていて見た者に正確な予言をするという噂です」 結高校に伝わる七不思議――それは次の7つだ。 謎の声、植木鉢にご用心、謎の光の珠、プール(詳細不明)、謎の少女、絆切りの黒い石 影鏡。このうち先月から急に囁かれだしたのが影鏡、だった。 「影鏡、って先月校舎内の鏡が全て割れる事件があって、その代わりとして購入した鏡で起こるって俺聞きました。何でも古くて装飾が豪華だからどこかの遺跡で発掘されたものじゃないかって噂も。持ち主がそれと知らずにリサイクルショップに売ったんじゃないかって」 「備品をリサイクルショップで買うなよ、って話だけどな……枚数が半端じゃなかったから仕方ないのかもな……」 「影鏡は月のない闇夜、つまりは新月の晩に目撃証言が集中しています。その証言が正しければ今夜、影鏡は起こると思われます」 「なるほど……だから日付を今日にしたんだね?」 レポートに目を通し終わった時雨が梓に問う。 「ええ。どうせなら合理的に、と。他の七不思議についての情報はろくに集まりませんし。我がミステリークラブが7月に調査するにはこれがいいかと思いまして」 「僕は賛成だ。部長権限でテーマを影鏡に決めさせて貰うよ。さて、まだ日暮れには時間がある。メンバーが揃い次第、各自の個人レポートを発表してもらおう。それまでは各自自由行動だ」 ―― それから30分後、全メンバーが結 高校ミステリークラブの部室に集まった。 「よし、みんな揃ったようだね」 結 高校ミステリークラブは名前だけ聞くと推理マニアの集団のように思えるがその実体は校内や国内の七不思議、神話、伝承の類を調査して報告書をまとめる部活であり、そしてもうひとつ裏の顔も持っている。それは自由入部ではなく、選抜メンバーだけが入れる事に関係があるらしい。 だが、その理由を知る者はメンバーにはいない。ただひとり事情を知ると思われる時雨も口を閉ざしたままだ。幸い、部活自体に不満はなく、互いに仲がいいので部活としては問題なく成立している。 ここで改めて時雨以外のミステリークラブのメンバーを時計周りに座っている順に紹介しておくことにしよう。 まず長岡友希 。ダークブラウンの髪と瞳を持つ、部のムードメイカー的な存在だ。高校2年生でクラスは2組。同じ部の梨華とは去年の肝試しで何かあったらしく友達以上なのだが 互いにオクテな為に今だ恋人未満という状況らしい。基本的に普段はヘタレ寄りだがやれば出来る子。 その隣に座っているのが海野 圭。運動神経は抜群で結市の大会に何度も出場し、優勝経験もある。友希とは中学時代からの親友らしい。高校2年生でクラスは2組。モテるものの彼も(友希のことは言えないレベルで)オクテ、というか鈍感だ。 その隣が山本 梓。高校2年生でクラスは2組。学級委員長としてクールビューティーで知られる彼女だが、実は恋バナと遺跡等のマニアックな話が大好きという意外な一面を持つ。この部の頼れる姉御的な存在だ。 その隣に座っているのが橘 梨華。全体的に色素が薄く華奢な印象の少女。トレードマークはクロスさせたヘアピンで同じく高校2年生。クラスは2組。清楚で可愛らしい女の子らしい女の子。運動全般が苦手だが知識は豊富で成績も良い。 その隣が山口 悠。この場にいる唯一の高校1年生。年の割にはしっかりしていて文武両道な少年。2年生メンバーや時雨を先輩と呼んで慕ってくれている可愛い後輩だ。 その隣に沢海まりも。高校2年生でクラスは1組。勝ち気でボーイッシュな少女。元々は北海道東部に住んでいたらしい。中学校の時に結市に引っ越して来た。 その隣に深海 海。高校2年でクラスは3組。物静かで読書好きな少年。あまり他人と関わろうとしない。 彼も北海道出身で幼い頃に結市に引っ越して来たらしい。らしいというのは、彼自身に北海道時代の記憶はあまりないからだ。 最後に海音美波。高校2年でクラスは3組。ほんわかふんわり癒し系不思議少女だ。歌う事が好きらしくよく民謡のような何かを口ずさんでいる。中学までは北海道で、去年の春に結市に越して来たばかりだ。出身地が同じということでまりもや海とはすぐ打ち解けた。 「そうそう、週明けに転校生がひとりやってくるらしいね。彼の名は蒼海湖都。まりも、海、美波と同じく 北海道出身らしいよ。彼にもここに参加してもらう予定だから仲良くして欲しい」 「……え!?蒼海って……あたしの記憶が確かなら同じ中学にいたような……?」 時雨の言葉に驚いたようにまりもは言った。 「……そうなんですか?どんな方なんです?」 「んー……クラス違ったけど色素薄くて見た目は美少年って感じだった。成績もよくって運動も出来てたみたい。だからモテてたけど本人はその気なしだったみたいだね」 「……なるほど。しかし北海道出身者がこうも集まるとはな……何か作為的なものを感じるな」 海は少し不安げにそう呟く。 「作為……人じゃなくて運命の……作為ですか……何かが始まるんでしょうか?」 「何かって――」 「……じゃあそろそろ各自のレポートを発表してもらおうかな」 「あ、はい。じゃあ私から――」 時雨の提案でレポートの発表会が始まり、話は打ち切られたが友希は違和感を感じていた。 (時雨先輩……わざと話、切ったのかな……まさか……な……) そして同時に、微かな不安も。 ――やがて「何か」は始まり、その不安は現実になる。 ―― 「……な、何だか雰囲気あるね……」 「ここは旧校舎に一番近い廊下だし……無理はないかもな……」 時刻は午後6時。とはいってもまだ陽は長く、夜の帳が降りるまでには時間がありそうだ。9人は旧校舎へと通じる廊下にいた。ここはもう今はほとんど使われておらず生徒が立ち入る事も少ない。窓から陽は入るものの、蛍光灯が無ければ昼でも薄暗く、はっきり言って気味が悪い。 「……鏡、この辺のはひびが入ったままなのもあるな。で、影鏡は――」 彼らが立ち止まって鏡を見ていた時だった。 「……見つけた」 そう人の声がして背後のドアが音を立てて開いた。 「……これが噂の影鏡……か……って……あれ?」 声の主にしてみればただ扉を開けて部屋から出て来ただけなのだが、状況が状況だった。 「……で……出で……出たああああああああ!?」 「……え?」 悲鳴がした次の瞬間、声の主の頭に鞄が激突した。 「……」 そして声の主はそのまま気絶したのだった。 「……手応えがあった……ってことは人間?」 一方我にかえったまりもはきょとんとした顔で呟いた。 「……に、人間よ。そうに決まってる。ゆ、幽霊なんていない……いないのよ!」 「梨華……お、落ち着いて!」 一方小刻みに震えながら青ざめた顔で鞄から取り出したペンギンのぬいぐるみを抱きしめているのは梨華。彼女はホラーが大の苦手なので、レポートでは主に神話、伝承を調べている。友希は何とか落ち着かせようとしているが、彼女は完全に怯えてしまっていた。その様子を少しにやにやしながら圭と梓が眺めている。 「それよりもこいつ……大丈夫なのか?」 海は心配そうに気絶したままの人物を見ていた。見た目は少年にしか見えない。全体的に色素が薄く日本人というよりは外国人のように見える。 「……ん……っ……」 「あ、目を覚ましたみたいですよ。先輩達、来て下さい」 「……えーと俺はどうしてこんな所で気絶を……?」 「……それは……幽霊と間違えてまりもがぶん殴ったから……」 「……幽霊?俺が?」 この言葉に声の主はきょとんとした表情を浮かべる。 「だってここ生徒は滅多に立ち入らないし……あなた色素薄くて……人じゃないみたいに見えたのよ。……薄暗かったし……!……その……ごめんね?」 まりもを見た彼の瞳が一瞬揺らいだ。 「……君は……いや、何でも無いよ。俺こそ、怖がらせちゃったみたいでごめんね。俺は蒼海湖都。来週からここに通う事になったんだ。手続きも済んで校内を探検していたけど迷子になって気付いたらここにいたんだ」 「……あれ、でもどうして影鏡のこと?」 「生徒達が話してるのを小耳に挟んだんだ。面白そうだと思って」 「……君は影鏡を見たのかい?」 時雨の問いに、 「はい、その部屋の中に。でも何も起こりませんでしたよ?」 「……人によるのかもしれない。みんな、入ってみよう」 時雨の指示で、その場にいた全員が影鏡のある部屋へと入っていった。 ―― 「……これが……影鏡……」 薄暗くがらんとした部屋の中央に不釣り合いなほど大きな鏡が置かれていた。細かい装飾が施され、西洋風でも東洋風でもある。特筆すべきは表面の文字らしき模様だ。今までの歴史上のどんな文字とも異なっている。 「……文字……?」 「……見た事のない文字ね……でもどうしてかしら……何故か――」 「…… SihT Yrots Si Trats DnaDne……」 「……始まりにして終わりの物語……?」 「梨華?君はこの文字が?」 時雨の問いに梨華は小さく頷く。 「何で……?……知ってるはずないのに……わかるの……」 その時だった。音を立てて扉が閉まる。そして―― 「……鏡が!?」 鏡が青白く輝きだし、その中心に女性のようなシルエットが浮かび上がる。 <……見つけた。過去の縛鎖に囚われし人であって人で無い者達……> 「……人であって人でない?」 <……絆は再び巡り会い……輪廻が導く物語の役者は揃った――> 「……物語?役者!?一体何を……!」 <始刻来りて……歯車は廻る……世界は謳う……嘆きの悪夢を……> シルエットは誰にも耳を貸さずに、まるで謳うように言葉を紡ぐ。次の瞬間紅い光が部屋を満たし、そして何も見えなくなった。 ――かくして物語の幕は開かれた――
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