―― 目を覚ました場所は薄暗かった。 「……ん……」 体を起こそうとして、床のあまりの冷たさに驚いて手を引っ込める。冷たい。そしてはっきりと認識する。 ここは、元居たはずの場所などではないと。 「……地下……牢?」 壁に灯る青白い光の球で照らし出されて、ぼんやりと鉄格子が見える。 チャリ…体を動かそうとして首輪の存在と鎖の存在、自らの体が壁に繋がれていることを知る。 「……囚われの身……なのか」 「そう、ようやく目覚めたのか、ユウ」 牢の扉が開き、黒髪の青年が牢の中へとやってくる。その姿は間違いなく見知ったものだった。 瞳の色だけを除いて。 「シグレ……先輩?」 「さて、ユウ。……これからすることに無駄な抵抗はしないで欲しい……」 「抵抗って……え?」 シグレは何も答えず、強引にユウのシャツを引きちぎった。ボタンが乾いた音を立てて床に散らばる。 「調べなくてはいけないからな」 「調べる……?何を?あなたはそもそも本当にシグレ先輩なんですか?」 「抵抗するなと、言っただろう?」 シグレはそう言うと指でユウの肌をなぞる。 「ひっ……!」 「ただの調査だ。君にその紋章があれば、痛みと共にそれが浮き上がる……」 (気持ち……悪い……) ただ指先で体をなぞられているだけなのに、体の奥がざわざわする。おぞましく恐ろしい何かに、体の中まで触れられているような―― 「これか」 「うあっ!」 急に激痛が走り、ユウは痛みに呻く。胸の中心に見たこともない赤色の刻印が出現していた。 「ほら、よく見て。これが【聖剣術士】の紋章だ。もっとも君の前世は邪神オルダークと刺し違えたから少し変質して禍々しい紋章に変わっているけれど」 「聖剣術士……?俺がですか?」 「ああ。間違いない、間違いなく君はその資格者だ、だから……」 「ぐあっ!」 シグレはそう言うと躊躇いもなく黒色の剣でユウの腕を裂いた。 「……ここで消えろ」 「お前は……シグレ先輩じゃない……!先輩は……こんなことするような人じゃない!」 「だったらどうだというのかな?」 冷たい緋色の瞳で見つめ、彼はユウの顎をつかんだ。 「憎らしい聖剣使いが……ヘレナ・テュフォスはお前は不完全な【破片転生】だから能力など継いでいないと言っていたが……大嘘だったな。たとえ今使えなくても……いずれは……」 「……だったら」 剣の刃先がユウの頬をなぞる。 「だったら俺をここで殺さずに、利用してみたらいいんじゃないですか?」 「何?」 怯むこともなく、痛みに呻くこともなく、強い瞳でユウはシグレの姿をした存在を見据えた。 「事実、紋章があろうと今の俺は無力です。使い方なんて想像もできない。……貴方には逆らえない。だからこそ利用価値があるんです。貴方たちの目的は、恐らくユキ先輩たちですよね」 「……そうだ」 「だったら、俺を操って送り込んでみたらどうでしょう?絶対に油断しますよ。戦ってるうちに力が目覚めるかもしれませんし。いかがです?貴方が恐れるほどの聖剣術士の力が手に入りますよ?」 「…手の甲を出せ」 「……交渉、成立ですね」 手の甲が小さなナイフで切り裂かれる。 「……特別濃度の濃いアートゥルムだ。せいぜい、便利に使わせてもらおう……」 「あ……」 体中の力が一瞬で奪われ、ユウはその場に崩れ落ちる。 (……信じてますからね……ユキ先輩……前世と同じように……あなたなら……) きっと俺を、救ってくれると…… ―― 海達がサウポールに戻ってくると、クレアの家で見慣れた顔が待っていた。 「……海!美波!」 「友希、梨華、圭、梓!」 「みんな無事だったんですね」 6人は再会を喜び合い、クレアの家の氷のテーブルに腰を下ろした。 「それじゃあ、俺が焼いたケーキと紅茶があるからごちそうするよ」 ユキは台所に消えると、すぐにチーズケーキワンホールと紅茶を人数分運んできた。 「甘さは控えめにしてあるから、甘いのが好きな人はそこのフルーツジャムや蜂蜜をかけて調整してね」 「いただきまーす」 元気のいい声とともに和やかなティータイムが始まった。6人はそれぞれの旅の軌跡を振り返る。強敵との戦いや、美味しかった食べ物。助けてくれた人たちなど。テーブルの上のケーキはあっという間に無くなった。 「あーおいしかった。本当ユキのスイーツって最高なのよね。将来店開けるわよ」 「ありがとう、アズサ。異世界の材料だからうまくいくかなってちょっと心配してたんだけど」 ユキは食器を片付けながら照れ臭そうに笑った。 「食器の片づけなら俺も手伝う。ミナミたちは座っててくれ」 「ありがとう、カイ。待っててね、片付けが終わったらもう一種類別のフルーツティーを淹れようと思っているから」 ふたりは台所に消えていく。 「……なんというか……女子だったら絶対モテてたよな……あいつ」 残った紅茶をすすってケイが言った。 「私より……私よりよっぽど女子力というか……料理も上手だし裁縫も上手だし……」 リカはそう言うと少し悲しそうな顔をした。 「リカ、ユキの場合はなんというか、特別なレベルなので気にしたら負けだと思います……」 肩を落とした少女の足に、もふっと柔らかいものが触れる。 「ねーお姉ちゃんって聖女様だよね?」 「え?ペンギン?ペンギンがいる?ぺ、ペンギンがしゃ、喋って?ペンギンが……」 「そしてもふもふ…足がもふもふ…あったかい……もふもふ……」 「落ち着いてリカ」 何を隠そう彼女は無類のペンギン好き。近くに生ペンギンがいるだけでも卒倒しそうなのに更にそのペンギンが喋るのだ。当然思考は追い付かず頭はオーバーヒート寸前である。 「え、ええと……」 クレアもどこか困った様子でその場に立ち尽くしている。 見かねたアズサが助け船を出した。 「と、とりあえず代わりにあたしが聞いておくから。クレアさん、聖女って?」 「えっと、水の力を持っていて、この汚れた海を浄化できるって言われてる少女のことです。異世界から来ると言われてますね。このコは何かを感じたようなので、リカさんがそうなのではないかと……」 クレアはおもむろに、木箱を開けて白く輝く真珠を取り出した。 「これは水の聖石マザーオブパールです。もしもリカさんが資格者ならば反応するはずです」 何かを感じたのか落ち着きを取り戻したリカは、頷くと、石に触れた。途端に石から蒼い光が溢れだし、一本の杖へと姿を変えた。 「ということは……資格者なんですね、私も」 リカは真剣な表情で尋ねる。 「そういうことになりますね。では、明日水の神殿に――」 クレアがそう言った時だった。 ガシャーン! 中庭の方から何かが割れる音が聞こえた。驚いたユキとカイが台所から飛び出す。 「なんだ今の?」 「穏やかではないな」 「話はあと、急いで!」 「私たちが様子を見てきます。クレアさん、ペンギンたちをよろしくお願いします。カイ、ミナミはクレアさんたちを守って!」 「任せろ」 4人はカイとミナミ、それにクレアとペンギンたちをその場に残して中庭に急いだ。 ―― 中庭に初めに飛び出したユキが目にしたのは粉々に砕かれた空の植木鉢だった。氷でできていたそれは、暮れかけた空の色を映して赤い色を放つ。 「誰だ?」 視線の先には仮面で片方の目を隠した少年が立っていた。その瞳にはほとんど光がなく、ひどく虚ろだった。手には禍々しい感じのする二本の短剣。暮れかけた空から伸びる赤い光がその刀身を照らす。 「……」 少年は何も言わずに剣を構えたまま立っている。 「ユキ!大丈夫?」 続いてリカが庭へ駆け出してきた。 「うん、俺は大丈夫。植木鉢が割れた以外は何も……でも……どうして……」 友希はそう言いかけて睫毛を伏せる。 「……一体何事だ!?」 「……って、あなた……」 例え片目を仮面で隠していたところで、長い時間を一緒にしている以上すぐにわかる。纏う雰囲気が禍々しく変わったとしても見間違えなどしなかった。 「……ユウ」 4人の声が、重なった。 気味の悪い沈黙が訪れたのは刹那。 「……」 ユウは何も言わずに、再び剣を構えた。剣から黒いオーラが立ち昇りそしてそのまま4人に向けて放たれる。 「……させるかっ!」 ケイの巻き起こした風がオーラを吹き飛ばし、彼の聖剣がその斬撃を受け止めた。 ユウはトン、と後ろへ跳んで距離を取り、ふたたび二本の短剣を構える。 「……一体、何がどうなってるんだ!?」 「……わからない、けど」 ユキはそう呟いて意識を集中する。その手に聖剣が現れた。 「戦うしかないみたいだから」 「そうね。後輩を受け止めるのは先輩の役目だものね」 アズサも棍を召喚する。 「……」 その様子を見たユウは、薄く笑う。 (…そう、それでいいんです…どうか…どうか俺のこと止めてください…!) 一歩後ろに下がった梨華が、 「みんなお願い……特にユキは辛いかもしれないけど……彼と戦って。聞こえたの。今、止めて欲しいって……少なくともこれはユウくんの意思じゃない」 梨華の言葉に、 「わかった。必ず元に戻すから。ケイ、アズサ。お願い!」 友希は一歩下がり、意識を集中する。彼は元々接近戦よりはスペルの方が得意なのだ。 「言われなくても!」 「行くわよ!」 緑のマフラーと漆黒の髪がふわりと舞い、地を蹴った。 「……」 同時にユウも剣を構え、地を蹴る。 キイン! 激しい音を立ててケイのレイピアとユウの短剣がぶつかった。 「さすが剣道部」 「……」 「……っ!」 ユウはわずかな隙を見逃さずに均衡を解き、刃先がケイの頬をかすめた。地面に赤い点が落ちる。 (運動神経だけじゃキツイか……) 「ケイ!」 「かすり傷だ!アズサはユキの詠唱が終わるまで守ってやってくれ!なんとか持ちこたえるから!」 「……わかったわ。けど無理はしないで!」 ケイは頷くとレイピアを構えなおす。 「接近戦じゃお前のが強いかもだけど……これならどうだ!風翔旋!」 風を纏った斬撃がユウを直撃する。彼は大きく吹っ飛ばされたが着地時に受け身を取り、アズサめがけて短剣を突き出す。 「…エッジオブテラ!」 済んでのところでユキの地属性スペルが発動し、岩の刃がユウへ襲い掛かる。彼自身は無傷だったが、仮面に大きくひびが入った。 同時にユウの様子が変化する。 「……めて」 「……ユウ?」 「……ユキ先輩…俺を……っ……止めて……」 「……わかった。戻してあげる。大丈夫、俺を信じて」 ユキはそう言うと地の聖剣を手にユウめがけ走り出す。 「ユキ!?」 ユウの刃がユキの腕を割いたのと、彼の仮面が刃によって砕かれて地に落ちたのは同時。 「……ユキ……せんぱ……い……」 「もう大丈夫だよ。ユウ……」 「ごめん……なさ……」 ユウの短剣が手から滑り落ち、ひび割れた二本の刀身は砕け散った。 同時に彼は気を失う。 「……もう大丈夫。ケイ、ユウを休ませて……あげて……」 ユキはそう言うとその場に膝をつく。 「ユキ!」 その様子を見ていたリカが心配そうに彼に駆け寄る。 「大丈夫……腕の傷は、すぐ、治せるから」 ユキはそう言うとヒールを唱える。腕の傷は綺麗にふさがった。 「……けど、ごめん、限界」 彼はそう言うなり、そのまま気を失った。 ―― (全く、無茶をするね。あのひとも、君も……) (君がそれを言えた義理はないと思うよ、レイ) 上も下もない真っ白な世界で、青年たちは束の間邂逅する。 (そうでした。グラウ先輩) レイはそういうと微苦笑する。 (ユウはしっかり君を受け継いでいるね。力もだけど、折れざる心刃とそして……脆さと危うさを) グラウはそう言うと睫毛を伏せた。 (レイ、あの子をしっかり導いてあげてね。今回は賭けに勝ったからよかったけど……) (わ) グラウはふわりとレイの体を抱きしめた。 (……俺は、多分ユキもだけど、誰かが目の前で消えることなんて望まないんだよ……ああ、時間切れか。またね) グラウが去った空間でレイは誰にも聞こえない言葉を呟く。 (……俺たちだってあなたが消えることなんて望んでいないんです。だけどあなたは……きっとあなたは……自分が消えることを恐れない……ユキの方はまだ、わからないけれど……) 転生の魂。すべてが受け継がれるというのなら―― (あなたの方がよほど……脆くて危なっかしいですよ……先輩) 世界が白に塗りつぶされていく。 夢は終わる。 ふたりの少年の目覚めと共に。
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