―― もうその名前を知る人は、ほとんどいない。 だけどもし、知っている人がいるのならこう伝えられているかもしれない。 「悲劇の英雄」――詠人 詠人。 自分が化け物になる前に、おぞましい実験を破壊してともに消えた英雄だと。 (違う) 輪竜実験を受けた時から、湧真 たちに会ったときにはもう、自我はあいまいだった。 それでも、完全に化け物にならなかったのは湧真の力があったからだ。 精霊の巫女姫と、できそこないの化け物。失敗作。 叶うはずのない恋だと知っていた。だから、彼女への気持ちに目を背けた。彼女の気持ちに目を背けてあんな取り返しのつかない結末を招いてしまった。 もちろん、村人への恨みも、世界への恨みも消えない。 オレは彼女ほど優しくないし、湧真にお前たちがした行為を絶対に許せはしない。 孝人や俺に行われた【輪竜実験】も絶対に許さない。 だけど。 だけど何より許せないのはオレ自身だった。 だから。 もしも、あってほしくないけどもしも生まれ変わったオレが前世の記憶を 取り戻して暴走して、化け物に堕ちたら。 その時は――どうか…… 「……カイ……親友として頼むよ、どうか……俺を――して」 ―― 夢を見た。 真っ白な世界に見慣れぬ青い髪の男が立っている。着ている服はなんとなく、軍服っぽい。 <カイ> 「……どうして、名前を?まさかあなたは僕の、」 男は小さく頷く。 <そうだ。ホントはあんまり出てくる気はなかった。ろくでもない前世なんて今のお前には関係ないことだからな。前世は前世で気づかないままでいて欲しかったんだが、そうも言ってられなくなった> 「……コトの事ですね」 <ああ。そうか、前世を見たのか。まあ、正直あいつの怒りはもっともだし、目の前で大切な女がとんでもない目にあってるのを見せられて、救うこともできなかったら自分自身を恨むのもわかるんだよな。ホントそこはさ、俺らが気づいてやれりゃよかったんだが……あいつが、エイリが本当に恨んでるのは憎んでるのは力でも世界でも村人でもない。戦乱の時代だったから、どこかで納得はしてると思うぜ。やりきれないとはしてもな> 「……」 <あいつが一番憎んでるのは「あいつ」自身だ。だからこそ、最後の死に方に暴走なんて手段を選んだんだろ。魂も体もバラバラにぶっ壊して【転生】できないようにしたかったのさ。けど、湧真の魂はおそらくこう願ったんだろうよ。【ふたりで生まれ変わって今度こそ結ばれたい。引き離されることなくそばにいたい】って> 「……そして、コトがいるということは、湧真さんの願いが勝ったんですね」 男は静かに睫毛を伏せた。 <湧真は本当に、化け物とかそういうのも抜きで――純粋に詠人が好きだった。見てりゃわかった。そして、詠人も湧真のことが好きだった。時代が許していれば、立場が許していれば間違いなくあいつらは結ばれてたよ。けど、時代が許さなかった。詠人は誰よりも湧真に触れたかっただろう。けど大切だったからこそあいつはずっと湧真の想いからも目を背けて、自分の想いからも目を背けて、化け物だからってこじつけて 必死で距離を取って、化け物だから触れたら穢れてしまうからって。本当不器用で馬鹿真面目なんだよ。……だからこそ今のコトみたいに破滅願望が暴走しやがってる。……そんなの抜きにして湧真を自分のものにしちまえばよかったんだ。好きあってたし、少なくとも村から逃げた後はな。湧真は少なくともそっちのが幸せだっただろうさ。だから俺の願いはコトとマリモが今度こそくっつくことだ。だからカイ、これは俺が望まずに手に入れた力だけど> 白い光が、カイの心臓に集う。 <有効に使ってくれ。ま、もうここに来た時点で力の片鱗は目覚めてたみたいだけど> ああ、これは、【禁忌の力】だ。 そうだ、前世は、孝人も【輪竜実験】の被験者で―― <その力が、おそらく今のコトに対抗できる唯一の手段だ。……ごめん、俺の親友が迷惑かけるが……頼んだ> 視界が白に満たされる。夢が、終わった。 「……コト」 「……抱えすぎだお前は。前世も今も……待ってろ。助けてやるから」 ―― 「っ……」 ああ、吐き気がする。気持ち悪い。体の中から闇に侵食されていくような感覚。 「……カイ……マリモ……ミナミ……」 呟く声は掠れていた。あとどれぐらい自我を保っていられるのか。その間に誰かが、来てくれればいいのだけれど。 静まり返った湖畔に、草を踏みしめる音がして、コトは顔をあげる。 「……ここにいたのか。コト」 「……カイ……」 黒く刀身が染まった護謳での一撃を、カイは二本の刀で受け止める。 「……へえ。護謳は見えないはずなのに……やるね?」 「……それだけアートゥルムをまき散らしていればわかる。……コウトだってお前と同じ【輪竜実験】の被検体だからな。 ……だから」 距離を取ってカイはコトに氷属性スペルを叩きこむ。足元から生える触れれば凍る霜柱。コトは軽々と後ろに跳んでそれを避けた。 「約束する。今度はコトを助けてやる!」 ―― 「……カイ」 まだ静まり返っている宿屋の一室で、ミナミはそっと唇に触れて、呟く。 「話がある、ミナミ」 カイから急に呼び出されて、中庭で想いを告げられて。 (……今でも、思い出すと体が、熱くなってくる気がします) その後、甘いキスをした。熱くて、溶けてしまうようなキスだった。 「……どうか、コトもカイもマリモも無事でいて。あたしたちはマリモを助けるから。だからカイは……マリモの大切な人を、コトを助けて」 ミナミはそっと祈る。 ぽふん。 「……今の音は……?」 その祈りに応えたのかどうなのか定かではないが、赤色をしたぺんぎんのような生物がミナミのベッドの上にいた―― ―― 「……とりあえず事情はわかった。そう、あかばらぺんぎんっていうんだね?」 宿屋の食堂に集まったユキ達にミナミはその生物を見せた。 出会ったことがあるのかユウが水をたくさん飲ませるとその生物はぱたぱたした後で喋り始め、「あかばらぺんぎん」という名前と、コトとマリモの事情について教えてくれた。 <はじめましてなのじゃ。ユキ。とはいえ、花ぺんぎんネットワークで名前はすでに知っていた。 絶海塔でりゅうのひげがお主を助けたらしいのでな。ユウとはりゅうのひげはいつだったか会ったらしいが。 前世、とかかもしれんが、まあ花ぺんぎんは種に還って記憶を継いで生まれ変わるからの。と、本題に入ろう> ユキが作った無添加クッキーをかじり、あかばらぺんぎんは続けた。 <コトはマリモが死んだと思い込んで暴走しておるが、まああいつはカイに任せておけばよい。どのみちユキ、リカ、アズサ、ケイは相性的にあまりよろしくないし、コトは基本脳筋じゃからな。性格的には多少ヤンデレだなあやつは。そこで、ユキ達に頼みたいのはマリモの救出じゃ> 「わかった。場所は?」 <それは案内役を連れてきておる。じゃが、わらわと違って人間は転移を使えぬ。あやつは召喚術と闇のシレナの使い手じゃが、移動に便利な召喚精霊は持っていないようでな。この町の出口で待ち合わせにしてあるので、朝食を済ませたら向かうとするかの> ―― 「……ヒロ。井上 尋だ。お前が長岡友希。あのアリスの劇に出てた奴で、純の兄か」 「あ、うん、あの劇のことはもうあんまり触れないでくれると嬉しいかな……はじめまして、長岡友希です……ユキって呼んで。あれ、でも純のことを知ってるの?」 不思議そうなユキに、 「あの劇の最中にちょっと気分が悪くなって、保健委員だった純にジュースおごってもらったんだ。……とりあえずジュース代は元の世界に帰ったら払う。今は時間が惜しい。急ぐぞ」 ヒロはそう言うと先頭に立って歩きだした。 「……ここだ。緑育族【グリティア】の伝説に出てくる世界樹の樹内結界の中にマリモを匿ったん、だが……」 ヒロの案内で辿り着いた森の奥の一本の巨木。葉が生い茂っていたならばなるほど世界樹と言われても納得がいっただろう。 しかし、今目の前にあるのは葉が枯れ、枝もしおれ、今にも朽ち果ててしまいそうな姿だった。 「……イヴに動かれたか……あるいはシュピールカルテか?」 <ヒロ、これはアートゥルムに喰われておる!そして世界樹が枯れるというのは花ぺんぎんにとっても人間にとってもあんまりよくないのじゃ!> 「わかってる。……ユキ、ちょっと一発世界樹に地属性スペルを喰らわせてくれ。威力の弱い奴で頼む」 「いいのかな……ごめん、世界樹の精霊様。……威力弱めのフォールロック!」 降り注ぐ岩の雨を、刃に変わった葉が切り裂いた。 「……やはり、憑かれたか……変質している!」 続いて飛んでくる複数の刃を、ヒロの呪文銃とケイの風の刃が切り裂いた。 「それはわかったけどどうするんだ?アートゥルムを浄化する方法とかないのか?」 「ただの光ではアートゥルムに喰われる。だから、こうするのさ――」 ヒロはそう言うと詠唱を始める。漆黒の魔法陣から黒い光が沸き上がり、やがて複数の犬の形を取った。 「……アートゥルムを喰らえ!冥犬行進【ケルベロス・パレード】!」 呼び出された黒犬の召喚精霊がもやもやとした黒い気の塊に襲い掛かり喰らっていく。 やがて、残った気は世界樹から離れたところで形を取った。 「ユウ!」 「はい。浄化は任せてください!セイクリッド・パージ!」 素早くユウが光属性スペルを発動させ、形を取ったアートゥルムは跡形もなく消え失せた。 代わりに、 <あら、ヒロ。助けてくれてありがとう> そう声がしてふわふわと女性の姿をした精霊が降りてくる。どうやら世界樹の精霊らしい。 「セイバ。……マリモたちは無事か?」 <ええ、もちろん。はい、マリモちゃん、そしてセイラ。お迎えが来たわよ> 「マリモ、ユキ達が来たらしい。立てるか?」 「うん。ありがとね。セイラ」 そう元気な声が聞こえて、世界樹の前にマリモとセイラが姿を現した。 「マリモ!あ、セイラも久しぶりだね」 「あ、ああ……ボクは前回君に襲い掛かったわけだが、忘れたのか?」 きょとんとしたセイラに、 「まあその辺はいろいろ事情もあるだろうし、まずはマリモを助けてくれてありがとう。……組んでるんでしょ?ヒロとセイラとあかばらぺんぎんは」 ユキはそう笑顔で告げた。 「……あと、これは俺の推測だけど……きっとこうやってマリモを助けるプランを練ったのって……シグレ先輩だよね。セイラが本当に仕えてるのは、緋の女王じゃなくて、先輩。……違う?」 「セイラ。ユキは……こいつはなんか知らないがやたら勘がいいな」 「……君の言うとおりだ。ボクとヒロは君たちとは違い、この世界で紡がれる【物語】では決まった役なわけではなくあくまで中立でね。ユキ側につくもつかないも敵対するもしないも自由なんだ。だからこそこの世界に飛ばされた時は困っていたんだが、運よくシグレさんに出会って。とりあえず部下になって見極めてみてはと言われたんだ」 「……こっちは適当に旅してたらたまたまセイラに出会っただけだ。けどまあ、純に借りがあったから、あかばらぺんぎんとセイラから事情を聴いて、ユキ側につくのを決めた。セイラ」 ヒロはそう言うとセイラをじっと見る。 「……お前ももう決めてるんだろう。安心しろ。ユキは見ての通りのお人好しだ。一回敵対したぐらいで仲間を見捨てないし、受け入れない奴でもないぞ」 「……ボクは……」 迷うセイラの肩を、 「セイラはね、あたしを助けてくれた。ここにこうしていられるのはセイラのおかげだよ。強いし、料理も上手だし、何よりすごく、優しいの。だから、仲間になってもらいたいの」 マリモの言葉が押す。 「……セイラ、君はどうしたい?」 ユキの問いに、 「……ユキの、君たちの力になりたい。いい、かな?」 少し不安そうにセイラは答える。 「歓迎するよ。これからよろしくね、セイラ」 それを聞いたユキは笑顔で手を差し出す。セイラはそっと、その手を取った。 「ヒロ、セイラもよろしくね。さあ、マリモも助けたことだし、コトのところへ連れて行きましょう。じゃないと、きっとあの人、止まらないと思うので」 ―― 「ぐ……」 「もうやめろ!お前が壊れたらまりもは悲しむだけだろ!」 「……マリモはもういない。あの時に目の前で……赤い華が咲いて……マリモは……っ……!」 誓ったのに。今度こそ守ると誓ったのに。 「マリモのいない世界に意味なんてない……復讐をして、俺も消える。……前世と同じように」 「この、馬鹿!」 カイの一撃で、護謳の刀身にひびが入る。見えないはずの剣は、闇を纏って黒く、そして血で紅く染まり、見えるようになっていた。 すでにふたりとも満身創痍だが、追い込まれていたのはコトの方だった。 「カイ、強くなったね。……そうか、大切な人を……見つけたからか」 コトはそう言うと力なく膝をつく。 「……気づいていたのか」 「……【真竜覚醒】の条件。そしてその際の代償を減らす方法。前世で聞かされてるよ……石素濃度の強い奴と【マナリンク】しろ。男でも女でもいい。とにかく繋がれ。繋がるのが無理ならキスでいい。……カイだって前世で聞いたでしょ、これ。実験体を戦場に送り込むときに絶対聞かされるから。でも、これを聞かされてたからこそ詠人は湧真にキスすらできなかった。大切な人を戦いの道具にすることが、どうしても嫌だったから」 「……コト、お前は……」 「……俺もね、マリモを戦いの道具なんかにしたくない。前世が湧真だから気になったのは嘘じゃない。でも俺は、マリモが、彼女が好きなんだ。だからこそ、絶対に好きなんて言えない。言ってしまったら……」 ぽとりと、雫が落ちる。 「もう戻れない。そして俺の想いは重過ぎる。わかっているんだ。こんな想いを背負わすのは――」 「ひとりで背負うから重いんだよ。わかってる?変わらないな、ずーっと」 思考が止まる。 どうして。どうして。あの時に、あの時に目の前で確かに、君は。 「そういうとこ、良くないよ?」 細い指がそっと雫をぬぐう。間違いなくその指は温かくて。 「……まり……も……」 ぱきん。 限界を迎えたように赤黒く染まった護謳が砕け散って。 「……ごめん……」 コトはその場に倒れた。 「……ここにいる。ちゃんとここにいるから……大丈夫だよ、コト」 マリモはそっと傷だらけになったコトの体を抱きしめた。 「まったく、手間のかかる……前世からそうだな……お前は……悪い、さすがに、疲れた」 「カイ!」 それを見たカイも、安心したように気を失った。 ―― 「正直あたしも死んだと思ったの。完全に不意打ちだったし……あのナイフが刺さった途端意識が途切れたから……」 「……イヴの狙いはあくまで血だって、命までは取る気はないって教えてくれた奴がいたんだよ。だから、俺はマリモだけ助け出したんだ。そして知り合いの緑の精霊となんか花ぺんぎん?とかいうやつに匿ってもらってたんだが気を失ったコトだけはイヴが連れ去ってしまって……おそらくかなり濃度の濃いアートゥルムを突っ込まれたんだろう。あいつは元々、前世の記憶を強く持ってたらしくて、それが悪い方向で強く出たのさ」 そして湖からいったん離れる途中でモンスターに囲まれているセイラと出会い、事情を交換した結果、ヒロは秘密裏にコトを追い、セイラはマリモを見守ることになったのだという。 「……コトとカイ。ふたりは少し回復に時間がかかるかもしれないけど、一応またみんな、揃ったんだ。……よーし!腕によりをかけて料理を作ろう!明日の夜はふたりの大好物でいいかな?あ、ヒロとセイラも好きな料理を教えてね!」 ユキはそう言って笑う。 「……で、でも、アズサは……さ、さすがにコトに対して怒ってない?」 自らの前世を話した後、ユキ達の過去鏡の出来事も聞いたまりもはおそるおそる尋ねた。 「夢の中の出来事だもの。さすがに罪になんて問わないわよ。そしてね、アートゥルムや前世の記憶に飲み込まれるのがどういうことなのかあたしたちも体験したわ。……あたしたちの前世は、決して正義なんかじゃない。確かにエリスとエリノスは当時戦争状態にあった。でも、だからといってマリモたちの前世にしたことが許されるわけではないわ。だからコトのことはあなただけが背負わなくていい」 アズサはそう言うと力強くマリモの背を叩く。 「ありがとう……アズサ」 「マリモがするべきことはそうね、自分の想いに素直になることかしらね」 こうしてユキ達はまた旅の支度を始めたが、急に水面が青白く輝き、蓮の花が咲き乱れた。 そして聞こえてきたのは優しい声。 <その前に、休息が必要ですよ、貴方たちには。心も体も少し傷つき過ぎています。……鏡華郷へいらっしゃい?私は鏡華。天の守り人のお役目を司っています。では、今から、ご招待いたします> 柔らかい光が湖から放たれ、その光が消えた時にはその場には誰ひとり残っていなかった。
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