――時は少し戻る―― 「ふう。少し疲れちゃった」 ひとりの少女がそう言って結高校の食堂でお弁当の包みを開いた。 彼女のクラスはこの学園祭で模擬店でフライドポテトと各種ソフトドリンクを売っている。ひとり15分ずつで交代しながらフライヤーでフライドポテトを揚げて売り場へ運ぶ。今はちょうど運び終えて次の交代相手を待っているところだった。 人のいない食堂はがらん、としていていつもの賑わいが嘘のようだった。普段は授業が終わると生徒でごった返しており、席を取るのも至難のわざなのだが。 調理場を出てマスクだけを外して彼女は空いたテーブルの席に座っていた。 白井 茜というのが彼女の名前だ。生まれつきの赤毛で瞳の色は赤みががった茶色。秋の夕暮れ時に生まれたからこの名前をつけたのだ、と両親からは聞かされていた。短く切りそろえられた後ろ髪とは対照的に、長く伸ばしたもみあげをそれぞれ青色のゴムで束ねている。身長は160cmで年齢は高校一年生、つい先日16才になったばかりである。 「……ひとりでご飯食べるのってこんなに寂しいものなんだね」 彼女のこの言葉からわかるように、今はたまたまひとりで昼食をとってはいるが普段はそんなことはない。また、明るくてちょっと気が強い彼女に好意を抱く男子も少なくはなかった。もっとも彼女自身のお眼鏡にかなった相手はまだいないのだが。 「まあいいや。お昼にはちょっと早いけどいただきまーす……て……」 彼女はケチャップのたっぷりかけられたオムライスを見てしばし言葉を失う。 「……う……よりによってあんなリアルな悪夢見た日にかあ……」 少女は今朝悪夢を見ていた。 それは自分が誰かを刺していて、自分の手が血にまみれている、というものだった。夢占いでは「死ぬ」とか「殺される」「殺す」という夢は大抵逆夢であり、逆にいい夢なんだと解釈されることもある。だがかといってそういう夢を見て気分はよいはずもなく。 「……まあそんなこと起こるわけないよね!たまたま母さんにつきあってサスペンス見ちゃったせいだよ」 確かに眠る前に見たものは夢に影響を与えるともいう。彼女はそう自分に言い聞かせて味はとても美味しいオムライスを平らげた。 「ごちそうさま。でもなんで交代に来ないのかな。いくらなんでも遅すぎると思うんだけど」 彼女は弁当がらを片付けると教室に戻るためにドアを開けた。見慣れた廊下がそこにはあるはずだった。いつもと変わらない見慣れた景色が。 しかし―― 「……な……何?どうなってるの……」 ドアの向こうには一面の銀世界が広がっていた。ひゅう、と音がして冷たい風が彼女の頬を撫でる。その感覚は決して夢などではなかった。 ――少女が銀世界に迷い込むほんの数十分前。 「……っ!」 結高校の体育館で親友と一緒に劇を見ていた黒髪の少年は急に走った痛みに思わず声を漏らした。 「……尋?」 声に気付いた親友がなるべく小さな声でそう言って、心配そうに彼を見た。 「……悪い。俺はちょっと外に出たい……」 「わかった。基本的に劇の最中は外には出れないと思うから……救護委員とかいるのかな。保健室に連れて行ってくれる子。探してみるよ」 彼の親友は周りの学生になるべく小さな声で声をかけ、救護委員を呼んでもらえるように頼む。ほどなくして委員が見つかり、委員と尋、そして尋の親友は連れ立って体育館を後にした。 「……気分悪いみたいですけど大丈夫っすか?今日は9月っていうのに暑いから無理ないっすよね。そこの模擬店で買って来たんでこれ、飲んで下さい」 学校の中庭、池の畔にあるベンチに3人は座っていた。途中救護委員の少年は模擬店によって冷たい飲み物を買い求め、それを尋に渡してくれた。 「悪いな。お金払わないと……」 そう言って財布を出そうとする尋の手を少年が制す。 「いいですって。俺の兄ちゃんがよく言ってるんです。本当に困ってる人で自分が助けられる人は全力かつタダで助けろ、って」 「……すごいお人好しというか……その優しい兄さんなんだな。」 その言葉に少年は苦笑する。 「気をつかわなくても、お人好しで間違ってないです。あ、俺は長岡 純って言います。よかったら名前教えてもらってもいいっすかね。嫌だったらいいんですけど」 「ああ。俺は井上 尋だ。結市の隣の市から来た。隣は――」 「僕は緒川 竜。尋の幼なじみなんだ。よろしく、純君。そして僕らを助けてくれてありがとう」 「いや、当然のことをしたまでっすよ」 その言葉に純は照れくさそうに笑った。 「……不思議だな。初めてあったはずなのに知っているような感じがするんだ」 尋の言葉に、 「……んー……確かになんか不思議な感じがするのはわかるんですよね」 純も頷く。 「……答えにくかったら答えなくていい。お前の髪の毛……なんで一部だけ赤いんだ?」 「どうも生まれつきらしいんですよ。証拠写真がないと染めてるのかって言われて大変なんすけどね」 慎重に尋ねた尋と対照的に純はあっさりした様子で答える。 「……俺の方も聞いてもいいですかね。もちろん嫌だったら黙っててください。もしかして痛んだのってその手の……刻印みたいな傷ですか?」 「……!」 純の問いに尋は一瞬息を呑んだ。 「……図星なんすね。大丈夫です。俺も似たようなもんだし、誰にも言わないし深くも聞かないです。それじゃ俺はもう行きます。尋さん、竜さんお大事に」 「……待て!似たようなものだって……君は……!」 その言葉に純は振り返ると薄く笑い、そのまま立ち去った。 「……何だか不思議な子だったね。尋、もう大丈夫?僕11時にちょっと約束があってもう行かないといけないんだけど……」 申し訳なさそうに切り出した竜に、 「ああ、もう大丈夫だ。また月曜に学校でな」 尋は笑顔でそう答えて、彼と別れた。 その直後だった。 「……っ!」 すっかり引いていた痛みが再発し、手の甲の刻印のような傷が酷く疼くのを尋は感じた。 「……何なんだよ……最近……痛むことなんてなかったの……に……」 <キミがそうなんだ?……そうだよね。ヒロ……だもんね> 顔を上げると、見知らぬ誰かが尋の左手を両手で優しく包み込んでいた。 「な……なな?お、お前は誰なんだよ!?」
コメントはまだありません