―― 天井に吊るされたシャンデリアの煌きが壁一面に張られた鏡に反射して一瞬視界を奪った。 「それでは、舞踏会の幕開けです」 静かに流れ出す音楽。動き始める人の波に紛れるようにしてユキ、アズサ、ディアマンテ、ケイ、リカはホールに足を踏み出した。 何しろ仮面舞踏会だ。視界はいつもより遙かに狭く隣に誰がいるのかもよくわからない。 「じゃあ、ボクは踊ってこよう。パーティーの主催者にご挨拶しないとね?」 ディアマンテは慣れた様子で黒のドレスを翻して主催者であるエグルの元へ歩いていく。 「せっかくだからあたしも楽しむわ。ドレスで仮面舞踏会なんて滅多にできることじゃないし」 アズサも臆することなく赤いドレスを翻し、人の波へ消えていく。 「なんというか……たくましいよなあ……」 慣れない仮面とドレスでふらふらしながら、ユキも目的のふたりを探す。 (ディアマンテがああ言ってたってことは……ペンギンの仮面でもつけてるんだろうけど……) 見えない。ほぼ見えない。おまけになぜか彼の仮面にはうさみみが付いていた。 「きゃっ!」 「わ?」 そんな状態なので彼は水色のドレスの少女に思いっきりぶつかった。慌てて、倒れそうな彼女をとっさに支える。 「だ、大丈夫……?ごめんね、慣れていなくて……」 「だ、大丈夫です……わ、私もヒールなんて普段履かないし、ドレスだって着るのは初めてで――」 (あれ、この声……?) (この声……?で、でも目の前にいるのは女の子……だよね……?) 「……足、靴擦れかな?血が出てる。こっちに来て」 「え?は、はい」 ユキは何かを確信したようにそう言うと、少女の手を優しく引いた。 会場の受付に事情を話して近くにある部屋に案内してもらい、念のために扉を鍵まで閉めた上で―― 「よかった。やっと会えたね」 兎の仮面をとる。そしてそっと少女の顔につけられているペンギン――この世界では氷鳥という―の仮面を外す。 「……ユキ……わ、私……」 「リカ。そっか、やっぱり夢で見た青い金糸雀は君だったんだね」 彼はそっと微笑むと彼女の腕に残る赤い痣に触れる。淡い光とともに痣は消え去った。 「ありがとう……助けに来てくれるって……信じてた、よ」 「ごめんね、遅くなったし、しかもこんな格好で」 「……気にしないよ。でも、どうせ踊るのなら……いつものユキがいいな……ディアマンテさんがその部屋のタンスに着替えの燕尾服を入れておいたって言ってたから、着替えて。わ、私は後ろを向いてるから!」 「あ、うん……」 少し気恥ずかしく思いながら、手早く着替えを済ませたユキは再び仮面をつけ直す。 「そろそろ戻ろう。……ケイが心配なの……呪いが解けるまでずっと血が止まらなくて……呪いが解けても毎日部屋に戻ってきたら傷が増えてて……大丈夫って本人は言ってるけどそうは思えなくて……」 リカの言葉に力強く彼は頷く。 「助けるよ。ケイも。そして、エグルさんも。だから、リカは俺のそばを離れないで」 「う、うん……」 いつもと違う真剣な彼の言葉に少し顔を赤くして、彼女は頷く。 「とは言っても人が多いから……ディアマンテに教えてもらった呪文、ちょっとかけるね?」 彼はそう言うとリカの手を取り、手袋越しにキスを落とした。 「……え、あ、あの」 「……ご、ごめん。だけどあの夢を見た時……本当に怖くて……二度と会えなかったらって思って……だからもう、リカの手を放したくないんだ、だから」 「……ありがとう。行こう?ユキが助けたい人たちを助けに」 リカはそういうと細い指を彼の手にそっと絡める。そして再び人の波に紛れるようにして会場へと戻っていった。 ―― ユキとリカが会場の外に出た頃、ケイとアズサも別の控室にいた。 「……無茶しすぎね、本当に」 「……いてっ!」 アズサは赤い血の滲んだ包帯を新しいものに取り換えて、巻き直していく。ただし、少々力が強いため、ケイは地味に何度も悲鳴をあげている。 「ユキと合流できればすぐ治るでしょうけど……」 アズサは彼の体にいくつも残る傷跡を見る。 「傷は治っても、こんなにたくさんの傷跡までは消えないかも知れないわよ」 呆れと悔しさが混じったような声でアズサが言った。 「わかってるわよ。リカを守るためについたんだろうって。あたしたちだってすぐには動けなかった。だけど、それでも悔しいの、思ってしまうのよ。もう少し早ければよかったのにってね」 「アズサ」 「ユキも同じ気持ちよ。リカだって多分……あの子は自分を責めているでしょうね。私がいなければって。頭では仕方がなかったと理解していても、傷が塞がらなかった頃のあなたの姿を見ているでしょうから」 「……」 ユキの夢の内容は聞いた。そしてその夢の中の鴉は翼は折れ、血まみれだったと。その鴉が彼だというのならば、おそらく彼もその状況にあったに違いない。 「まあ、過ぎたことを言っても仕方ないわ。だから、約束して。あたしに」 少しだけ泣きそうな声でアズサはケイを見つめて、告げる。 「もう無茶はしないって……勝手にどこかにいかないって……約束して」 「……努力はするよ。絶対、とは言い切れないけど」 どこか煮え切らない態度の彼にアズサはずい、と近寄ると、 「……!?」 唇が触れる感触がした。 「……わかってるわよ。あなたは風。鳥だから。籠の中に閉じ込めておけないし、あたしもそんなあなたは嫌だけど……でも、好きなんだもの。あたしは。だから今はこれで許してあげる」 アズサはくるりと踵を返して、ドアへ向かう。 「ま、待ってくれ。一応エグルは操られててディアマンテがいると言ってもここは敵地だ。だから俺が先に――」 ケイは慌ててドアに駆け寄り、アズサに手を差し出してドアノブに手をかける。 その時だった。 「きゃあーっ!」「ば、化け物だ!」 舞踏会の会場になっているホールから客の悲鳴が聞こえた―― ―― 「ふむ、ようやく取り憑いていた魔が姿を現したようだね」 「こ、こうなったらやけくそなのです!コウキに倣って!」 会場に突如現れたグロテスクなド緑色の蛍光色のいもむしモンスターをディアマンテだけが冷静に見つめていた。 「正直に言うと非常にセンスが悪い。この始末はユキたちに任せるとして――」 ディアマンテは冷たい瞳のまま、ダイアモンドでできた剣を呼び出し、いもむしを操る少女へと向けた。 「ボクはとても怒っているんだよ?よりによってケイを―あの子の魂を継ぐ者を弄ぶなんてね……」 「ひいっ……!」 彼は剣を一閃し、少女の髪だけがはらりと床に落ちる。 「ただ、キミにも事情がありそうだ。シュピール・カルテ。その「カーロ」の称号の持ち主。キミは……ユキたちと同じ世界の人間、だね?」 「は、はいです……目が覚めたらいきなりこの世界にいて……訳も分からないままにシュピールカルテとか言われアル・イリスを狩れとか言われ……元の世界に戻りたいなら従えと【緋の女王】が」 少女は震えながらも小さく頷く。 「じゃあ……そうだな……ちょっと失礼」 ディアマンテは鮮やかに少女に一発叩き込んで気を失わせると <……我は鉱石の王なり。金剛剣よ……この者のしがらみを断ちきりてあるべき場所へ導け> 少女を縛っていた物語の鎖を断ちきった。淡い光となって少女の姿が消える。 「やれやれ。しかしわりと厄介そうだ。この物語は――」 ディアマンテが溜息をついた瞬間、粘ついた糸が彼の自由を奪った。 ―― 「ディアマンテ!」 悲鳴を聞きつけて駆け付けたユキとリカは巨大芋虫のモンスターと、その糸でぐるぐる巻きにされて天井に吊るされているディアマンテを見つけた。 「……ちょっと……油断したね。でも、キミたちならこんな程度のモンスターはきっとすぐ……倒せるよ」 疲れた様子でディアマンテは言った。 「……リカ。俺から離れないで。守って見せるから」 ユキはリカを庇うようにモンスターの前に立ち塞がると、聖剣テラ・エテルノを呼び出して構えた。 「……来い……!」 芋虫モンスターはディアマンテから興味を失くしたように体の向きを反転させるとユキめがけて糸の塊を吐き出す。 <切り裂け……エッジオブテラ!> 地属性シレナが発動し地面から現れた無数の岩塊が糸の塊を突き破る。 (とはいえこのまま防戦一方もまずいかな……) 誰かを守りながらの戦いはどうしても防戦になってしまう。長期戦になればこちらが不利だ。 今のところ、糸を防ぐのに精一杯で本体にダメージを与えられてもいない。 芋虫モンスターは何かを察したように、糸を吐くのをやめた。そして……意外なほど素早い速度で突進してきた。 「まずっ……!」 ユキはリカを庇いながら床を転がる。モンスターはまた突進の準備をしている。 そして狙いを定めたモンスターを―― <<焼き尽くせ……ウェントゥス・ヒート!!>> 熱風が包みこみ、焼き尽くす。 「がんばったわね、ユキ」 「これでもう、大丈夫だ」 「ケイ!」 「アズサ!」 黒髪の少女の操る炎と明るい茶色の髪の青年の操る風。ふたつが合わさった灼熱の風。その呪文ひとつで、勝負はついたのだった。 自由を取り戻したディアマンテはふわりと床に着地し、 「これでこそ、キミたちだ」 そう言って微笑んだのだった。 ―― 仮面舞踏会が突然のモンスター出現というアクシデントで中止になった後、気を失ったままだったエグルに代わりフレ―ア、レイム、エンが事後処理を行ってくれた。これにより、必要以上の混乱は起こらず、ユキたちはフレーアの屋敷に戻り、休息をとっていた。 「はい、これでもう大丈夫」 ユキは最優先でケイのケガを治すと、台所でチーズケーキを焼きはじめ、紅茶を人数分淹れてテーブルに運んだ。 「美味しい……」 「ユキの淹れる紅茶って美味しいのよね」 穏やかな雰囲気の中、ケイは首からさがっているペンダントの石に触れた。 「ありがとな……ディアマンテ」 4人が屋敷に戻ってきてすぐ、時間がないからと手早く説明を済ませて、ディアマンテは消えてしまった。 <大丈夫、鉱石精霊は結晶樹が消えない限りは不滅だよ。だけどそちらに実体化するのはしばらくは無理そうだ> 元々ボクはイレギュラーなゲスト。ここから先はキミたちが頑張らなくてはね? 意味深な言葉を残して、笑顔で。 「あ、チーズケーキが焼きあがったみたい」 香ばしく甘い香りのティータイムは終始和やかに終わったのだった。 それから3日後、目を覚ましたエグルは何度もケイに頭を下げ、そして旋律を渡してくれた。 ケイは彼に助けてくれたことと風の聖石についての感謝を伝えたが、彼を怒ることはなかった。 「こちらが把握している範囲ですが、他の聖石と守り人の所在地に丸をつけておきました」 「ありがとうございます。エグルさん」 その地図を受け取ったユキたちは、エグルとの面会を済ませたのち、フレーアたちに別れを告げて、サウポール村を目指して船に乗った。 ―― 誰かが、泣いていた。会ったことはないが、どこかよく知っている青年だった。 「……貴方は馬鹿です……大馬鹿ですよ……!」 自分ではない自分が、静かに目を閉じていた。真っ暗な闇に、包み込まれるようにして―― 「……夢か」 枕も布団も汗でびしょ濡れだった。 「……っ!」 急に腕に鋭い痛みが走り、ケイは顔を歪める。血は全く出ていない、傷もない。それなのに腕がひどく痛んだ。 (そうか、これが代償) 彼はひとり、静かに部屋を後にする。今夜はもう眠れそうにない。船のデッキに出ると、月は白く、優しい光を投げかけている。 街の灯りは消えていて、広がっているのはどこまでも昏い海だけだ。 彼はそっと月へ手を伸ばす。 (救世主、か) 「……俺にそんな資格があるんだろうか。この力はきっといずれ――」 彼は睫毛を伏せると、手を戻す。風の音だけが聞こえた。 「…眠れないの?」 不意に後ろから声がした。 「ユキ」 「なんだか、眠れなくて…隣、いい?」 「ああ」 ユキは小さく頷いてケイの隣に立った。 「ケイ、何か隠してるよね。うん、言いたくないことなら言わなくてもいいよ」 「……なあ、もしも……もしも俺が、いわゆるRPGでよく言う禁忌の力を持っていたらどうする?」 「え?」 「怖くないか、俺のこと」 ケイはそう言って目を伏せる。 ユキはきょとんとした顔で、 「なんで?」 そう言ってケイを見た。 「なんで、って……」 その反応に彼は面食らってしまい、言葉が続かない。 「別に禁忌の力を持ってるからってケイはケイだし、悪用したりとかしなさそうだし」 ユキはそう言うと、さっきまでの表情が嘘のような笑顔を見せた。 「いや、うん……お前らしいな」 少し、気分が楽になったのか、ケイもつられて笑った。 「それよりさ、月綺麗だよね」 ユキはそう言って月を見上げる。 「この世界の運命が俺たちの肩にのっかってるとか……想像できない」 「ああ、本当に」 ケイが頷く。 「……正直不安なんだ。世界を救うなんて。だって俺たちはちっぽけな高校生に過ぎなくて。力を持ってはいるけどね」 「それはみんな、同じだと思う。だから、ひとりで抱え込むなよ?」 「うん、ありがと。よーし悩んでても仕方ない!」 ユキはそう言うと月に手をかざした。 「…俺は俺に出来ることをする。それがきっと世界を救う、その一歩だから」 「俺も、そうしよう。」 「じゃあ、月に誓おう。俺たちは出来ることをして、最終的に世界を救うことを目指すって!」 ふたりは月に手をかざして誓いを立てた。 東の空が白い色を帯びる。夜はゆっくり、明けようとしていた。
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