―― 今よりほんの少し昔のこと。 その日はお日様も風も穏やかで、お昼寝をするにはとてもよさそうな日でした。そんなわけで彼女はいつものように暖かな芝生の上でうとうとしていました―― 「ふわあ……」 スポットライトが当たると同時に、 「え、あれ長岡か?」 「ヅラかぶると女子にしか見えねーな……」 「今ちょっと可愛いと思ってしまった」 客席が一瞬ざわつく。 その場にいた彼の弟――長岡 純は複雑な気持ちで劇を見つめていた。 (兄ちゃん……女装似合い過ぎだよ……) そんな彼女の前に梓が扮するアリスの姉が現れる。 「起きなさい、アリス」 「ふぁ……お姉ちゃん?また本読んでるの?」 アリスが見上げると彼女の手には一冊の本が握られていた。 タイトルは「Alice」。 「そうよ。貴方も読んでみる?面白いわよ。その前に紅茶を入れてくるわ」 「はーい」 紅茶を入れに姉が立ち去ったあと、彼女は残された本のページをぺらぺらと捲る。 「なるほど時計を持った兎を追いかけて不思議の国へ……まあRPGやファンタジーじゃあるまいしそんな兎がいるわけ……」 冒頭を流し読みして本を閉じた彼女の目の前にいたのは―― 「見つけた。君がアリスだね」 アリスは自分の目を疑った。 「兎?いやウサミミ生えてる人間?何これ?夢を見てるの?」 あまりに信じられないので彼女は両の頬をつねってみた。……痛い。確かに目の前には時計を持った湖都扮するウサミミを生やした少年が立っている。 「幸か不幸か現実だよ。さあ、一緒に行こうか?」 そういうと時計兎はアリスの手を引く。 「ちょっと待って!行くなんて一言も言ってな……わあああ!?」 急に地面に黒い穴が口を開け、彼女と兎はその中へと落ちて行った。 ここで暗転。 「……着きましたよ、アリス。」 「着いたって……どこに……?」 再び照明がつけられると辺りの景色は森の中に変わっていた。人間より背の高いきのこが立ち並び、まるで自分が小さくなってしまったように彼女は思った。 「不思議の国です。そこの王様が自分にふさわしいお妃を探しているんです」 「……お妃?」 彼女はきょとんとする。彼女に実感がないのは無理もない。あまりにも話が唐突だったからだ。 「僕はお妃にふさわしい人間を捜すべく世界と時代を転々としてきました。しかしなかなか見つからなくて」 時計兎はふう、と息を漏らす。 「そんな中貴方に出会ったのです。なんとなくピンと来たので連れて来てみました」 「なんとなくって……わたしより綺麗な人なんてたくさんいると思うんだけど」 戸惑う彼女の手を時計兎はそっと握る。 「いいえ、貴方ならできます。自分に自信を持ちなさい、アリス」 「……は、はい……」 そう言われて彼女ははっとしたように頷く。その言葉はよく姉に言われていたからだ。 「兎ー?彼女が候補の子なの?」 急に声がしてまりもが扮するネコミミの少女が現れる。 「チェシャ。うん、そうだよ」 「ふーん……」 チェシャ、と呼ばれた少女は彼女の全身を見定めるようにじろじろ見ると、 「ま、いいんじゃない?可愛い子だし。あの王様の好みかもね」 「あ、わたしはアリス……王様ってどんな人なの?」 「んー……かっこいいのはかっこいいよ。爽やかスポーツマンタイプ?見た目は。性格もいいし 兵からも慕われてるけど」 この答えに疑問を持ったアリスは素直に質問してみた。 「そんな方なら何故お妃が見つからないの?」 時計兎とチェシャは途端に困ったような顔になる。 「あー……単刀直入に言うとですね……」 「理想が高すぎるのよ、あの王様。いわゆる厳選しすぎて結婚出来ないタイプ?」 「住み込みで働いてるかわいらしいお嬢さんとは仲がいいのだけど彼女には大きな問題があってね……」 「えーと……まあ行ってみればわかるわ!」 ――こうしてアリスは時計兎とチェシャ猫に連れられて王様のお城へと行くことになりました―― ふたたび暗転。 ――こうしてお城に着いたアリスを出迎えたのは―― 「こんにちは。あなたがお妃候補なんですね?」 かわいらしいひとりの召使い兼執事ポジションの少女と 「こんにちはー」 「こんにちはですー」 お腹にハート・スペード・クローバー・ダイヤの模様がある52匹のペンギンでした―― 「……こ、こんにちは……ペ、ペンギンがなんでこんなに……」 この言葉に少女が途端にむっとした顔になる。 「ペンギンの可愛さがわからないなんて……さっさと帰りなさいよ」 「いや、可愛いと思うよ?ただ南極でもないのにこんなに大群見たの初めてなんだもの!」 アリスはとっさにこう言った。彼女自身、このペンギンのトランプ兵は可愛いと思っていたからだ。 「ペンギンの可愛さがわかるなんて……!貴方とはいい友達になれそう」 少女は満面の笑みをたたえて手を差し出す。言っては悪いがさっきとはもの凄い変わりようだ。 「あ、うん。わたしはアリス。よろしくね」 「私はルチル。入って。案内するね」 ――こうしてルチルは扉を開きましたが―― 「けほっ!こほっ!」 アリスは猛烈に咳き込みました。それもそのはずこのお城の中はほこりまみれだったのです! 「ち、ちょっと大丈夫?水でも――」 アリスはルチルの言葉を手で制して代わりに言いました―― 「……今すぐお城中の窓を開けて。あと掃除用具もってきて」 「え?あ、うん」 ルチルはよくわからないながらも窓を開け、城中にある掃除用具をかき集めてきました。その掃除用具もほこりまみれでした。何故ならルチルは家事が全くできなかったからです。 「よし」 アリスは帚を握ると気合いを入れ、それからお城の掃除を始めました! ここで暗転。 ――そして2時間が経ちました―― 再び照明が灯ると舞台上には先程と見違えるような美しい部屋が出現していた。 なんということでしょう。お城には塵ひとつありません!それもそのはず、彼女は家事が大の得意だったのです! 「よしっ、終わり!」 対照的にアリスの服は煤やほこりまみれで真っ黒になっていました。 「うわあ……すごーい!」 ルチルは心底感激したように言いました。 「こまめに掃除しないと体に悪いし、駄目だよ?ルチルは家事すごく苦手なの?」 「う……うん。掃除裁縫料理……全部駄目で……恥ずかしいけど」 ルチルはそう言うと真っ赤になって顔を背ける。 「じゃあ基本から教えてあげるよ。こうやって……」 アリスがそう言って立ち上がった瞬間―― 「あ」 「え?」 ――アリスの被っていたヅラが盛大に落下しました。 「……え、えーともしかしてアリスって……お……男の子?」 「……あ……うん。姉さんに遊びでよく女装させられてて。だからアリス、ってあだ名つけられててさ。時計兎もチェシャも完全に勘違いしてたから合わせてたんだけど」 アリスはそう言うとバツが悪そうに頭を掻きました。 そんなアリスの手をルチルはしっかり握りしめます。 「男の子なら、私のお婿さんになって!別にそっち系じゃないんでしょ?性格もいいし料理も出来るって最高だもの!……あ、ごめん気が早いね。じゃあ結婚前提に……付き合ってください。あ、それも早いか……じゃあ友達からでいいから……」 「……うん。俺でよかったらお願いします」 こうしてアリスとルチルはあっさりと付き合うことになったのでした。 「……あ、でも一応王様に報告しないとね。王様は一番高い塔にいるの」 「わかった、行ってくる」 ――そしてアリスは高い塔へ向かいます。果たして王様とはどんな人なのでしょうか? ここで再び暗転。 ちょうどその時、11時を告げるチャイムが体育館中に響いた。 「……時間か」 次の瞬間、世界は揺らいだ。 ―― 「……なんか……変な感じがするな」 玉座に座っていた圭は違和感を感じてその席を立った。 「あ、圭!」 その瞬間、ドアが開いて友希が部屋に入ってくる。 「友希。……なんか変な感じがしないか?」 その問いに友希は頷く。 「これってただのセットのはずなんだけど、ここまで来るのに本物の床みたいに靴音が響くんだ。どこか別の空間に飛ばされたのかもって思うほどに」 「確かにな。今目の前にあるのは部屋の壁だ。客席がどこにもないんだよ」 「そういえば暗転してる間にすれ違うはずの梨華もまりもも湖都も姿が見えなかった。11時のチャイムが鳴ったあと、変な感じがして……」 「……はめられたか?」 少し考えてから圭が口を開く。 「……多分。あの『影鏡』……あれで終わりじゃなかったんだ。そして全ての引き金を引いたのは……」 『時雨先輩』 ふたりの声が重なった瞬間、再び世界は揺らいだ。 ―― 「流石だな。やれば出来る子と言われるだけのことはある……か、友希」 「……時雨先輩……」 次の瞬間友希は緋色の玉座の前に立っていた。そしてその椅子に腰掛けているのは玉章時雨――その人だった。皇帝のような衣装を纏い、瞳の色が緋色に変わっていることを除いては。 「さあ、物語を始めようか。主人公は君だ。アリス、いや友希。『彼女』の紡いだ面白くて歪んだ物語をね」 「……時雨先輩、その瞳は?」 「どうやら彼女の物語の配役の影響らしいね?それとも本来の力の影響がこの世界では素直に出るためか」 「……この……世界?」 その問いに、 「物語の紡ぎ手は『緋の女王』。演じるはアリスと愉快な仲間達。その舞台はタイムノイズ。最後に主人公達は希望を見るか絶望するか。その行方は神のみぞ知る、ってね」 どこか芝居がかった調子で時雨は答える。 「そろそろ時間だ。武運を祈るよ?歪んだ 物語を旅する無垢なるアリス」 時雨がパチン と指を鳴らすと友希の足下に巨大な穴が開いた。 「え……わああああっ!」 さながらアリスが兎の穴に落ちるように、彼の体はその中に呑み込まれていった。
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