「ねえ、大丈夫?」 場違いのように優しい声が聞こえた気がした。 「こんなとこで倒れてると夜になったら魔物が出てきて危ないよ?」 魔物。まあ竜が魔物に食われると言うのも情けない話だが、結局のところ 終わりにできるならどうでもよかった。 闇と破壊の力を忌み嫌ってはいるが、その力を奮ってきたこともまた事実なのだ。 その罪は、決して消えない。 「もう、仕方ないな」 なので目を覚さない予定だったのだが。 ――引きずられている。明らかに。ずるずると。 「な、何をしているんだ?」 「あ、起きた」 途端にパッと手を離されて、頭部が地面に激突した。痛い。 再生能力があっても、痛覚がないわけではない。一瞬、目の前に星が見えたような気がする。 「な、なんなんだお前は」 「この島に住んでる可憐な乙女」 可憐な乙女と自分で言い切るだけはある、赤い瞳と同じ色の髪が印象的な娘だった。だが、可憐な乙女が大の男を引きずっていくものだろうかという疑問は残る。 「お兄さんは竜?ツノ生えてるし」 「そうだ。私は恐ろしくて怖い、闇と破壊の邪竜」 「……冗談でしょ」 女は私を見て、笑った。自分で言うのもなんだが、嘘ではないのだ。 「嘘じゃない。実際いくつかの国を滅ぼしたし、奪った命も数知れない」 真剣に言ったのに、女は心底どうでもいいように言った。 「そんなの、戦争じゃ当たり前でしょ?エリスの女王サマもエリノスの皇帝サマも諸島の能力者たちも他の竜も人間も魔物もみーんな互いに殺し合って、一体どれだけ死んだんだか数えるのも馬鹿馬鹿しい」 「いや、まあそれもそうだが……だがもう一応終戦はしたんだろう?」 「表向きはね。まあ、あたしが言いたいのはさ。そんなことが日常だったのに、奪った命をわざわざ気にかけて罪悪感背負ってるお兄さんは優しいなってことだよ」 真っ直ぐに見つめられて何も言えなくなる。 「お兄さんはさ、まあ多分邪竜なんだろうね。で、その力でたくさん殺してきたのも嘘なんかじゃないよね。でも、望んだわけじゃなかったんでしょ?だから探してるんだよね「アスカロン」。竜を葬れる剣を」 「知っているのか⁉︎」 ――葬竜剣アスカロン。普通の武器では傷もつけることができない竜を殺せる唯一の武器。竜にとって、恐怖であり同時に救いとなる剣。 「とりあえずこの島にはないよ。確か、エルクローゼンが四竜全部葬って、そのあと、ええと、エリノスの宮廷術師テュシアが牢の中で謎の死を遂げて、その後は行方不明のままかな。知ってるとしたらエルクローゼンの恋人って噂があった召喚術師ニヒロぐらい。十数年後にエルクローゼンが悠久の檻に囚われるのと引き換えに助けたけどすぐに姿を消して生死不明」 召喚術師ニヒロの名前は微妙に聞いたことがある。テュシアの再来とされた強力な召喚術師だが、どの国にも手を貸さずにいると。そして竜の血を引いている者だと。戦力としてどの国も求めたが、その力が振るわれることなく「涙の海」と呼ばれた戦争の方が終わった。 「詳しいんだな」 「まあこの島に戻ってきたのも最近だからね。でも、竜であるお兄さんがここに導かれたのはちょっと皮肉といえば皮肉かも」 女の言葉に首を傾げた。偶然流れ着いたこの島は、花の香りに満ちている。 マナも穏やかで優しいし、気温も温かく過ごしやすい。 「……ここには、数十年前まで【神贄】の子がいたの。穏やかで平和な島に見えるけど、エリスからの定期船の航路ができるまでは、偽物の神に支配されていたのよ。【神贄】の子は文字通りに身を捧げて、この島を保っていたけれど、聖剣を手にして偽物の神を打ち倒した。この島が花と平和に満ちたのはそのあとから。【神贄】の子は背中に橄欖石を持った綺麗な人だったらしいわ」 「ふむ。で、なぜそれが皮肉なんだ」 「聖剣術は、元々は葬竜術と呼ばれていたからよ。もっとも、この世界で竜を葬れる剣はアスカロンしかないけど」 女はそう言うと立ち上がって手を引いた。 「そろそろ日も暮れるしあたしの家へ行きましょう」 ―― 「家……というより天然の洞窟では?」 「ま、そうだけどね。島の裏には基本的に人は来ないから大丈夫!」 女はそう言うと短く呪文を唱えて、結界を貼り、薄暗い洞窟に灯りをともす。 「お兄さん、訳ありなのは分かったけど、あたしも訳ありなんだ。だからひとところに定住できないの。残党狩りにやられちゃう」 「残党狩りにやられるのは同じだが……一体何を?」 女は声をひそめて、 「あたしね、こう見えてテュフォス家なんだ。邪神召喚の大罪の魔女ヘレナ・テュフォスの一族なの。リラ母さんは処刑されて、絶海塔に魂を永遠に封じられた。ヘレナ・テュフォスは、禁忌の術の発動時に死亡。この術、何かはわからないけど。で、特に何をしたわけではないけどもヘレナ・テュフォスの異父姉妹で、塔の巫女候補のあたしも巻き添えで生命の危機ってわけ」 「それはむしろ、【塔】のせいだろう」 「だと思う。トーレ・デザイア。【塔】は巫女の命と引き換えに全てを叶えるって言われてるから……リラ母さんの結界もない今ならいくらでも【塔】が使えるんだし」 ――良くも悪くも戦時中は混乱していたのと結界で手を出せなかった【塔】を今や各国が狙っていると言うことらしい。 「だが、エリノスの皇帝は邪神と共にレイ・フェイレーンが倒し、宮廷護衛団の全滅と宮廷魔術師ヘレナの裏切りでエリスの女王は心を病んで狂ったと聞いている。エリノスの皇帝に子はいなかったように思うが」 女は小さく頷いた。 「確かにエリノスは後継者問題で揉めているし、エリスも表立っては動けない。ただ、両国とも諸島群の種族と交流がある。石守りの民はほぼ壊滅したらしいけど、他の種族や、何より四竜の半身の後継者たちは動いてるっぽいよ。そこで、お兄さんにお願いなんだけど」 ――嫌な予感がした。凄まじい笑顔で女が手を差し出す。 「あたしと一緒に逃げない?ボディーガードって事で」 「……私も逃げるので土地勘があれば助かるが、邪竜という性質ゆえ、人より多くマナが必要だ。もちろん適度に空気中から吸収しているが、それでも足りない場合は、お前から貰うことになる」 女の顔が赤くなる。 「あ、うん。そ、それはいいよ?お兄さん綺麗な顔だし、優しい邪竜ならいいよ?どうせ無辜の怪物。世界の敵認定されてる同士だし。むしろいいの?お兄さんはあたしとマナリンク、できる?」 「ああ」 そう言って、女に口付けた。なるほど、炎のマナなら相性は最高だ。 「美味い。炎なら最高の相性だ」 「い、いきなりとはちょっとびっくり……だ、だけどうん……そっか、キスってこういう感じなんだ……遅くなったけどあたしの名前。メルファリカっていうの。あ、あなたは?」 「……イグニス。それが私の名だ。よろしく。メルファリカ」 ―― それから数年逃げながら世界中を回って。 あの冬が来た。 白い雪に、赤い色はよく映えた。 メルファリカは、人間に殺された。相手は金に困ったただの盗賊だった。 その部分だけは救いだった。【塔】に捧げられることもなく、大罪人の家族と知られることもなく、ただの女として、メルファリカは消えた。 冷え切った体を抱いて、夜のうちにあの花の島の洞窟に彼女を埋めた。 小さな墓標に美しい花を供えて、月夜に舞い上がる。 ――世界の果てへ。この孤独を抱えて今度こそ眠るために…… ―― やがてたどり着いた黒の海に浮かぶ小島で、孤独と瘴気に侵された邪竜は狂いゆく。 それでも、メルファリカへの愛と、愛を知った邪竜の心は、堕ちる前に分たれて切り離された。 正邪を併せ持つ【炎竜】がここで生まれて、星の闇に消え―― 闇の真竜となった邪竜が転生後のメルファリカを守りたいと作り出した【半身】が生まれ―― 闇の真竜の手足として動く、人型の生命体が生まれた。 黒の海の結界に囚われた闇の真竜は、ただ眠り続ける。 真に自らを葬れる者が現れるまで。 ―― 「……もはや本体とは別の存在になってしまった3体の竜。まあ、私の行き着く先はおそらく悲劇なのだろうけど……それでも」 赤と黒の混ざった髪の青年は、虚空に向けてつぶやく。 「この世界には死によってしか解けない縛鎖も存在するんだ。生を求めるのが救いなら、同じように死も救いとなりうるんだよ……」 彼は歩き始める。終幕へ向けて。 ――あるひとつの縛鎖を、断ち切るために。
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