時は少し、遡る。 ―― 「君、大丈夫かい?」 それは1週間前の白昼の出来事。シィンリアに住む貴族ヴァンエール家の洋館の中庭でもの凄い音がした。慌てて庭に駆け出して来た当主は、無惨にも折れた木々の枝と信じられない光景を目にした。 枝の山の中心に、見たことも無い衣服を身に纏った少年が倒れている。状況から考えると空から降ってきたとしか思えない。しかも、一瞬で消えてしまったが彼が見たときその少年の背には翼が生えていた。その色は灰色だったのだが。 (精霊……?) ここタイムノイズには精霊の伝説も多く残されている。当主は戸惑いながらも近付くと枝の山から少年を助け出した。そしてその体を居間のベッドの上に横たえる。 窓から射し込む温かな陽光に明るい茶色の髪が透ける。顔立ちは整っていて、とても綺麗だと当主は思う。 「光精霊には翼を持つ者がいるらしいし……この子はそうなのかな」 「ん……」 やがて小さく体が動き、少年は緑色に変わった瞳を開いた。 「目が覚めたんだね……大丈夫?」 「……ここは……どこなんだ?」 「ここはタイムノイズのシィンリアという街だ。更に言えばヴァンエール家の洋館の居間だよ」 その言葉を聞いた少年は不思議そうに首を傾げる。 「タイムノイズ……?シィンリア?ヴァンエール家?……ああ時雨先輩の言ってた世界に来たのか」 今度は当主がその言葉に首を傾げる。 「シグレ先輩の言っていた世界?君は異世界から来たのかい?」 「そうだけど……あ、一応お礼を言います。助けてくれてありがとうございました」 そう言って少年は笑う。その笑顔がとても素敵だと当主は思った。 「ご丁寧にどうも。君が本当に異世界から来たと言うなら、見せておきたいものがあるんだ。もう起き上がれそうかな?」 「はい。もう大丈夫だと思います」 少年は当主にそう頷くと、ベッドから起き上がる。 「そこの椅子に腰掛けていて貰えるかな。紅茶でも飲みながら話すことにしよう」 そういうと当主は部屋の奥へ消えて行った。 少年はちょこんと椅子に座り、部屋の中をきょろきょろと見回す。豪華な部屋だった。天井からはシャンデリアが吊るされ、ダイニングテーブルもとにかく細長い。豪華な花瓶に飾られた花は甘い匂いを漂わせている。 不意に鏡が目に入り、そこに映った姿に少年は息を呑んだ。 (目の色が変わってる……黄緑色に) そう言えばあの時、時雨先輩も目の色が変わっていた。異世界か物語の影響だろうと言っていたような気がする。 (まあ、目の色が変わっても視界の色が変わる訳じゃないし……別に問題は無いと思うからいいんだけど) こんなことをぼーっと考えていると、先程の男が小さな宝石箱を持って戻って来た。 ―― 「見せたいものというのはこれなんだ」 男はそう言うと宝石箱の蓋を開ける。中には眩いばかりの輝きを放つ宝石が入っていた。 「ダイアモンド……ですよね」 宝石にそれほど詳しくないものでもその名前を知らないものはいないと思われる鉱石の王。 「どうぞ。手にとってみて構いませんよ」 「え、でもダイアモンドってめちゃくちゃ高価ですよね?手袋も無しに触れていいんですか?」 当主は何も問題はないと言った様子で頷く。少年は戸惑いながらもダイアモンドを手に取った。 その瞬間―― <また、会えたね。わかるよ。君の魂はあの頃のままだ。だから俺も力を貸すよ> 頭の中に響く優しい声。そして不思議な感覚が体に走った。 (何だろう。優しくて、温かくて強い力が湧き上がってくる……) 「え?」 次の瞬間、手の中にあったはずのダイアモンドは消え、代わりに一振りのレイピアがその手に握られていた。 (い……石が武器に変わった?) 「聖剣を扱えるとは、やはり貴方は操る者ーパーリアなのですね。その瞳の色を見た時に直感した通りでした」 事態を呑み込めない少年とは対照的に、腑に落ちたような表情で男が頷く。 「パーリア?」 「パール・リア。パリア文字という古代文字で『石を操る者』が語源です。この世界では『聖剣の資格者』をさします」 「聖剣の……資格者……パーリア……」 「もっとも、今はまだその剣には何の力もありません。君が風の神殿に向かい、そこで試練を越えて資格者としての名を得て剣と契約してはじめて聖剣は真の力を発揮する。そして君の中の本来の力も目覚めるだろう」 彼の言葉を裏付けるかのように、手の中の聖剣は再び形を変えてただの石に戻っていた。 「わかりました。……俺は風の神殿へ行きます。そして試練を越えてみせます」 手の中のダイアモンドを握りしめて、少年ははっきりそう告げた。 「君ならそう言うような気がしたよ。私も手助けをしよう。2日後までに飛行艇を整備しておく。それに乗ってトルネにある風の神殿へ向かうといいよ。ところで君の名前は?」 「あ、すみません。名乗るのが遅くなってしまって。俺はケイといいます。貴方は?」 「ケイか。私の名前はエグル・ヴァンエール。エグルと呼んで欲しい」 「短い間ですけどよろしく。エグルさん」 ―― 「さて、初仕事よ。シュピールカルテ。まずはカーロ、いらっしゃい」 「は、はいっ……」 カーロと呼ばれた少女がおずおずと玉座に座る少女の前に進み出る。トランプのダイヤをモチーフにしたゴスロリ服を身に纏い、狐面で顔を隠している。 「貴方の能力は鬼妖召符。その中に従人操符というものがあったわよね?」 カーロはこくこく、と頷く。 「その術でシィンリアのエグル・ヴァンエールをここへ連れて来なさい。大丈夫。鴉はまだ飛ぶことはできない……わかりやすく言えばまだケイの力は目覚めていないから」 カーロは再びこくこく、と頷くとその場から転移して消えた。 「お話には邪魔者はつきもの、ってね」 少女はそう言うと、愉快そうに笑った。 その日の夜。食事を終えたケイは用意されたベッドで横になっていた。しかし異世界だからか、昼間に少し寝てしまったせいなのかまったく眠ることはできなかった。 (単独行動は別に苦手でもないけど……異世界でいきなりとなると少し別だよな……それよりも) 目を閉じると浮かんで来るのは元の世界での仲間たちの顔だ。 (梓は適応力高そうだけど友希はぬけてるとこがあるし、梨華は男性恐怖症だし……大丈夫なんだろうか) 「とりあえず早くみんなと合流したいとこだけど……」 ケイがそう呟いた時だった。 ガシャーン! 「な、何だ?」 向かいの部屋の硝子の割れる鋭い音が響き、ケイはドアを開けて向かいの部屋に駆け込んだ。 「エグルさん!」 「……う……ケイか……」 「……邪魔……です……」 「……させるかよ!」 ケイは風を集めてエグルに襲いかかった少女にぶつけようとするが―― 「……無理。貴方の力は今は封じられている」 「……何だって!?」 狐面の少女はそう冷たく言い放つと、エグルに向けて符を放った。符が鎖に変わり、エグルの動きを封じる。 「貴方はそこで見てて……わたしはカーロ。緋の女王『ケーニギン・ロート』さまの部下『シュピールカルテ』」 「『シュピールカルテ』?お前……何を……」 カーロは答えず一枚の符を取り出し、エグルに貼りつける。 「貴方の心をもらう……『従人操符』!」 符が指輪に変わり、カーロの薬指に収まった。同じようにエグルの指にも指輪が現れている。 「別に死んではいない……心はなくなったけれど……わたしはこれで」 カーロはそう言うと何もできずに立ち尽くすケイを横目にその場から消えた―― 「お、おい!心をなくしたってそれはどういう……!」 「ケイ……?」 「あ、エグルさん。大丈夫ですか?見た所怪我は無いみたいですけど――」 エグルは答えず、彼の腕を掴んで無理矢理床の絨毯に押し倒す。その瞳には不気味な緋色の光が宿っていた。 「え、ちょっ……離し……痛い……!」 握りしめられた腕の力は異様なほどに強く、ひとりではとても振りほどくことはできない。 (せめて……力が使えたら……!このままじゃ色々マズい!) 「……抵抗しないなら痛くしないよ……今から地下で実験を行うんだ……アートゥルムの注入実験を……」 「注入……実験だって?」 それがどういうものなのかはわからないが、頭の中で激しく警鐘が鳴った。 「……どのみち今のお前には何も出来ない。従うんだ……」 「く……わかった……わかったから……っ……」 ケイは諦めたように体の力を抜く。それを見たエグルは掴んでいた腕を放した。 「……おいで……」 「…………」 彼は力なく立ち上がると、エグルの後について地下室へ向かった。 ―― 「大丈夫……すぐに終わるから……」 少し後、黴臭い地下室のベッドの上にケイは横たえられていた。逃げられないように手足に枷が付けられ、上半身は裸にされている。 (とりあえず上だけってことはそっち方面の心配はないってことだろうけど――) エグルはそう言うとケイの上半身を起こし、腕にナイフで傷をつけた。 「っ!」 傷口から血が零れ、腕に赤い筋を作る。 「これで終わり……しばらくすればお前も心をなくすだろう……」 「……心をなくすと……どうなるんだ?」 ケイの問いにエグルは答える。 「心というか良心だろうか。私の命令には逆らえなくなる。そして残酷なことも躊躇い無く行うだろうね。……楽しみだ。さあ、今日は部屋に戻りなさい。効くまで時間がかかるだろうからね」 「……と言われても正直何も変わった気はしないんだけど……」 変わったことと言えば傷が痛むぐらいで、今はエグルから渡された包帯を傷口に巻き付けている。 <それはキミが俺の欠片を継いでいるから。でも変わったように振る舞った方がいいよ?> 「……誰だ?」 不意に響いた声に辺りを見回すが、当然部屋にいるのは彼ひとりだけだ。 <やだなあ。君、提げてるじゃない。首から> 「……ダイアモンドが喋ってるのか?まあ異世界だし何があっても不思議じゃないけど」 <俺はディアマンテ。その石を通じて縁のある君に話しかけてるんだけど、今の君の名は?> 「……ケイ。今のってどういうことだ?」 <……ケイ、キミは生まれ変わりとか前世を信じる?> 「……信じるも何も……そのせいで時雨先輩は敵になって、俺たちはこの世界に落ちたんだから」 <平たくいうと、キミと俺はね、かつて会ったことがある。キミの魂は永い時を経ても変わらない。 今はこうして敵の手中に落ち、力も使えずに翼を折られてはいるけど……輝きも強さも……失ってはいないよ> 「ディアマンテ、君は味方なのか?」 <もちろん。だからこれからは俺の言う通りに動いて。俺を信じて。そしたら俺はキミの翼になれる> 「わかった。君を信じる。力を貸して欲しい。ディアマンテ」 <よろしく、ケイ> 声が消えた部屋の中で、ケイはひとり拳を握りしめる。 「今は翼を折られた鳥かも知れない。けど、俺は決して羽撃くことをあきらめたりしない」
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