鬱蒼と生い茂る薔薇で囲まれた城。 その玉座に座り、少女は薄く笑った。 年齢は16才くらい。腰まで長く伸びた黒髪を後ろにひとつで束ねている。 頭上に頂くのは黒い水晶の冠。 緋色の瞳には人ならざる雰囲気があった。 彼女は物語の主人公達が、舞台に揃ったことを感じ取り、歌うように呟く。 「さあ、いよいよ本当の物語の始まり……」 ―― 一陣の風が吹いた。 暮れかけた大陽の光に照らされたタイムノイズ東部のシュリア高原地帯。 ミレイ・レイシュテッドはその風に導かれるように歩を進め、足を止めた。目の前の草むらの中に少年がひとり、倒れていた。見たところ外傷はない。 「……あら?こんなところで行き倒れかしら?」 ミレイはその場に膝をつき、少年の様子を詳しく確認する。ダークブラウンの髪にあどけなさの残る顔立ち。ここまでは普通の少年と変わらない。 しかし、決定的に異なることがあった。 「見たことのない服ね……」 彼が身につけている服はタイムノイズのものとは明らかに異なっていた。 「この子……一体……」 ミレイは戸惑いながらも、目を覚まさない少年をその背に背負う。 タイムノイズでは夜になるとモンスターが徘徊する。さすがに高原の真ん中に置いておくわけにもいかなかった。 「とりあえず私の家で休ませてあげましょう。それからのことは……また考えればいいのだもの」 こうしてミレイは少年と共に家路についた。 ― 「う……」 その日の夜。月明かりに照らされた部屋で、少年はゆっくりとその瞳を開いた。 「……ここ……は……」 必死に記憶の糸を辿る。そしてここが記憶にない場所だという結論に辿り着いた。部屋の中は薄暗いものの、月明かりのおかげである程度様子はわかった。 「……綺麗……これってステンドグラス?」 部屋の東側に豪華なステンドグラスの窓があり、差し込んだ月明かりを虹色に染めている。 「ステンドグラスがあるってことは、ここって教会なのかな」 彼のいた世界ではステンドグラスといえば、教会にあることが多い。もっともこの世界でもそうならば、だが。 彼は少し体を起こして、窓の外を見る。そこには森が広がっていた。 「やっぱりここってその異世界――タイムノイズなのかな」 「物語の紡ぎ手は『緋の女王』。演じるはアリスと愉快な仲間達。その舞台はタイムノイズ。最後に主人公達は希望を見るか絶望するかーその行方は神のみぞ知る、ってね」 彼の脳裏に最後に時雨が口にした台詞が蘇る。 「……時雨先輩……どうして……」 彼はそう呟いて唇を噛む。彼にとって時雨は優しくて文武両道で憧れの先輩で―― 「……だめだ。考えてもわからないし考えなくていいや。……確かめればいい」 もしかしたら『緋の女王』が全ての元凶で、時雨先輩にも何らかの事情があるのかも知れないし。 「くしゅっ!」 やけに肌寒さを感じて肩を抱えた時、彼は自分が何も身に付けていないことに気がついた。 「……え?えええ?な、何で服が……と、とりあえず寒いし……布団に潜っておこう……」 彼が毛布に包まろうとした時、部屋の扉が静かに開いた。 「あら、目が覚めたみたいですね。ごめんなさい。あまりに目を覚まされなかったので一応傷がないか確かめるために服を脱がさせてもらったんです。……あ、上だけですよ。着替えはベッドの横に置いてあります」 「あ、なるほどそういう理由なら。正直びっくりしましたけど……」 彼はそう言うとハイネックセーターの様な服を素早く着た。 「私はミレイ・レイシュテッドと言います。貴方の名前は?」 「俺はナガオカユキって言います。ユキ、でいいです」 「ナガオカ?聞いたことのない響きですね……とりあえずユキさんと呼ばせてもらいます。私のことはミレイで構いません」 「じゃあミレイさんと呼ばせてもらいます。あの、色々聞きたいことがあるんですが……」 ユキがそう言いかけた瞬間―― ぐ〜きゅるるるる…… 盛大に彼のお腹が鳴った。 「あら」 「あ……はは……お腹空いてるみたい……です。」 「それじゃ着替えて1階に降りてきてね。美味しい料理を作っておくから」 ミレイは微苦笑してそう言うと足早に階段を降りていった。 ―― 「すみません。料理までごちそうになっちゃって」 「いいのよ。美味しい?」 「はい、とっても」 木で出来た木製のテーブルには現実世界で言うじゃがいものようなもので出来た料理とキャベツのサラダそれにウィンナーのようなものが並んでいた。味付けはとてもシンプルなのだが、素材がいいのか(それかミレイの腕がいいのか)味は格別だ。 「良かったわ。……ところでひとつだけ聞いてもいいかしら?」 「……はい」 「貴方はタイムノイズの人間ではないの?」 「……そうです。俺は地球っていうところの日本って国の結市ってところから来ました」 下手に誤魔化しても仕方が無いので、ユキは素直に答える。そしてどういうきっかけで来たのかも簡単に説明した。 「……なるほど。話はわかったわ」 ミレイは納得したように頷く。 「……信じてくれるんですか?」 「ええ。そう考えた方が色々と辻褄は合うし、貴方嘘をつくのは下手そうだし」 「……よく言われます……」 実際彼はポーカーフェイスがかなり苦手なのでトランプ等のカードゲームはあまり強くない。 「貴方が異界人なら、もうひとつだけ聞きたいことがあるわね。……貴方には何か特別な力があるの?」 「……っ!」 <……見つけた。過去の縛鎖に囚われし人であって人で無い者達……> 影鏡は確かにこう言っていた。人であって人でない者達、と。まだ、はっきりと何か特別な力を持っている訳ではないけれどその可能性はある。 「……図星ね」 「……まだはっきりとした何かが使えるわけじゃないんです。だけど……」 肩を落としてしまった彼の頭を、ミレイの手が優しく撫でた。 「ごめんなさい。意地悪するつもりはなかったの。だけど私にも関わることだからつい、ね。詳しくはまた明日話しましょう。今日はゆっくりおやすみなさい」 「あ、はい。おやすみなさい」 ―― 月明かりに照らされた部屋でユキはなんとなく眠れずに毛布にくるまって月を見上げていた。タイムノイズの月は元いた世界と同じくひとつだが、表面の模様が地球のそれとは異なっていた。それでも投げかける光はどこか柔らかく、優しい。 「みんなもこっちにいるのかな……いるとすればどこにいるんだろう……」 心細さと不安を押し殺すように、彼はひとり呟いた。
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