―― 声が、聴こえる。 「緋色の魔女に断罪を」 「燃やせ!灰にしてしまえ!」 「お前のせいで【エリス王国】は――」 ああ、五月蠅い。本当に耳障りだ。この体を焼こうとしている炎よりもわずらわしい。 そもそも、貴方たちが私に何をしてくれたというの? 転生の時を静かに待っていたのに、無理矢理レイア・フェリットとして生まれさせられて。 「蒼の聖女が、エア様がお前に釣り合うものか!」 「グラウ様と幸せになるはずだったのに。ああ、お前が壊した!」 エア。 その言葉は胸に刺さる。 そうだ、あの夜だけでよかった。一度だけでよかった。 エアが幸せになれるなら、レイシアが幸せになれるなら、マリアが、リカが今度こそ幸せになれるのなら。 (ああ、だけど、エアは聖女なんかじゃないわ) 知っている。エアはわたしに、私だけに色々な顔を、見せてくれた。 グラウがウィンドと仲が良すぎることに嫉妬したり、聖女とみられる自らの姿に違和感を感じて悩んだり。 その姿は普通の女の子と何も変わらない。 (それにあの子は) 結果的にはあの夜に、私の思いを受け入れてくれたのだから。 私は、ずっと昔から。はじまりの時から炎だから。 情熱のままに燃え盛って、燃え尽きるしかできなかった。 だから「緋色の魔女」と呼ばれるのは間違っていない。 情熱と愛を求め続けて、最大の裏切り者である「ヘレナ・テュフォス」についたのだから。 結果的に【降魔の扉】は私の命で形作られ、そこから現れた邪神と魔物たちは世界を破壊した。 レイもグラウも、そしてエアまでも犠牲になった。 ――わたしが、ころした。 炎は燃え上がる。私の体が灰になるまで。 (ああ、こうして五体満足で迎える終わりなんて初めてだわ) 魔女はそう呟いて、口元に笑みを浮かべた。 魔女は問う。 「ねえ、アズサ。あなたは今回は誰を選ぶの?」 誰かが残酷に告げる。 「君は今回は、【誰を殺す】の?」 ―― ころす?私が――を? どうして? 「だって君の愛は、いつだって相手を殺したじゃないか」 ―― 目を開く。 目の前に広がるのは炎と赤い海。その中に沈んでいるのは、見慣れた体。 「ユキ……リカ……ケイ……」 傍らに落ちているのは血まみれの剣。 「……私が、やったの?」 そんなはずはないと自分に言い聞かせる。だって、今目を覚ましたばかりだ。 「いいえ、君がやったのさ。正確には君の鏡像だけど、同じことでしょ?」 「……え?あなた、無事だったの?それより、どうしてこんなところに――」 アズサにとって見覚えのある姿をしたそれは、答える代わりに手にした得物で彼女に斬りつけた。 「黙れよ。緋色の魔女。俺たちの里をめちゃくちゃにして、湧真をあんな目に合わせたこと、許しはしない」 「……その瞳の色」 「そうだ、これは夢だよ。緋色の魔女。だけど、この【過去鏡】は前世が今を侵食する。前世のお前を知ったら、この3人はどう思うかな?前々世から一緒なんだろ?」 体が震えだす。声の主はアズサを押し倒すと刀の刃を心臓に向けた。 「ねえ、夢だから。ここで君を殺しても影響はないんだ。だから、せめて夢の中でぐらい……」 「」 刃の突き立った胸からは赤いものは流れない。夢だから。 だけど、ひどく、胸が痛い。 「あなたは……」 「……復讐させてよ。湧真と同じ目にあってもらう」 引き抜かれた刃が容赦なくアズサを襲う。 「……わかったわ。夢だもの。それであなたの気が済むなら好きにしていいわ。だけど、その代わりに聞かせなさい」 私は強い瞳で相手を睨みつける。 「緋色の魔女が、いったい何をしたのか。夢とはいえ、理由もなく何度も仲間に襲われるのは心外よ」 澱んだ赤が私を見つめる。 「ああ、聞かせてあげる。その罪を知ったら目覚めた後に消えたくなるかもしれないけどね」 ―― 「ここ、なんだ?」 「おい、ユキ……この赤い海……」 「わたしたち……の……死体?」 ユキ達は改めて赤い海に沈む自分たちを見る。 「生きてるのに自分の死体を見るって不思議な気分……だよな。気持ちいいもんじゃないけど」 ケイはそう言ってレイピアの刃先で死体を軽く突いてみる。途端に粒子になってそれらは消えた。 「幻だったってことなのかな……」 ユキが少しほっとしたように呟く。 「実体のある幻……この特殊結界を作った相手は相当強力な術者みたいね」 対照的に真剣な表情でリカが呟く。 「……海が消えていく……みんな、気を付けて。世界の形が変わる」 ―― 気づくと3人は暗い夜の村にいた。 影のような姿の村人たちが口々に叫ぶ。 「魔女を殺せ!」「今から火刑だ!」「緋色の魔女が広場で焼き尽くされる!」 「……魔女……?緋色の魔女ってまさか……」 何かを感じ取った3人は村の広場へと駆ける。 広場に建てられた十字架。気を失いそこに架けられているのは黒髪の少女。 その肌は裂かれ、身に着けている服も胸元と太ももが露わになっていた。 「アズサ!……どけぇっ!」 ケイは影のような村人の体をすり抜けてその前に立ちはだかり、レイピアを抜く。 「……お前らが……やったのか」 低い声でそう言った彼のレイピアを黒い光が包んでいく。衝動に任せて彼は影を切り裂く。 しかし実体のない影は再び元の姿を取り戻し、十字架に火が点けられた。 声が、聴こえる。 「緋色の魔女に断罪を」 「燃やせ!灰にしてしまえ!」 「お前のせいで【エリス王国】は――」 「蒼の聖女が、エア様がお前に釣り合うものか!」 「グラウ様と幸せになるはずだったのに。ああ、お前が壊した!」 村人たちの怨嗟の声。彼女の前世を断罪する言葉。 「アズサ!」 「落ち着いて、ケイ!」 ユキはケイを落ち着かせようとするが、 「離せ……あの炎は本物だ……早く、早くしないと……!」 ケイはパニック状態になっていてユキの手を振りほどこうともがく。 その様子を見て、リカは冷静に十字架の前に立つと告げた。 「……村人たちよ。私はエアの生まれ変わりです。すぐにこの火を消しなさい!」 影がほどけ、炎が消える。 ケイはそれを見てすぐにアズサを助け出した。ぐったりとしていて目を覚ます様子はない。 ユキもすぐに回復シレナを唱え、外傷は綺麗に塞がった。 「エア様!何故あの魔女を許すのです?」 「簡単なことです。あなたは自分が前世で人を殺したとして、それを自分の罪にしますか?」 「ですが、緋色の魔女は前世と全く同じ魂を持って生まれ変わっています。記憶すらも。またあなたやグラウ様を傷つけるかもしれないのですぞ」 リカは低い声で、 「……アズサは緋色の魔女とは違う。私はアズサに救われました。友達がいなかった私の初めての親友。いいえ。前世だって前々世だって、彼女は私を助けてくれました。……だから、フラウを、フェリットを、レイアを、そしてアズサを侮辱するなら、許さない」 そう言うと迷いなく村人の影に向かって水圧を放った。 「正体を現しなさい。アズサの鏡像!」 影のような村人たちが消えて、黒い炎をまとった山羊が現れる。 <断罪を望んだのは彼女自身なのに、邪魔をするのね> 「邪魔も何も、あれだけの傷を受ければ充分でしょう。邪魔をするのは当然よ。アズサは私の親友。彼女に助けられたから、私が今度は助けるの」 リカはそう言うと詠唱を始める。それを守るようにケイが山羊に斬りかかる。 「何が断罪だ。やってることは脅迫と暴行だろうがっ!」 鋭い突きが山羊の角を砕く。 「こればっかりは俺もケイに同意。だから……」 どろり、と山羊の足元の地面が溶ける。 「……逃がさないし、許さないよ」 地属性シレナによる地面の一時的な液状化現象。漆黒の山羊は完全に沼に捕らえられている。 「ケイ!リカ!」 「「すべてを飲み込む混沌の波濤!カオティック・サージ!」」 漆黒の大波に飲み込まれて、山羊は灰になって、消えた。 ぱきん。ぱきん。ぱきん。ぱきん。 4枚の鏡が割れるような音がして、世界は真っ白に塗りつぶされた。 ―― 目を覚ますと、絶海塔の大広間だった。 薄暗い室内にぼやけて影が浮かび上がる。 「お見事ね。さすがはアル・イリス。いいえ、ユキ、ケイ、リカ」 「あなたは……誰ですか?俺たちを過去鏡に閉じ込めたのはあなたですか?」 影はくすりと笑う。 「ええ。私はイヴ」 ケイが素早く影に向かって突きを繰り出すが、影はどろりと溶けた。おそらく実体ではないのだろう。 「あら、やっぱり今も昔も一番油断できないのは貴方かしらね、ウィンド」 「……あなた、私たちの前世を知っているのね。何が目的なの?」 「目的?そうね、あなたたちの【血】正確には【マナ】。だから残酷な悪夢を見せてあげたのだけど。まあ、とりあえずはこのぐらいで。急いだほうがいいわよ?ミナミと雷の守り人を助けたければ、ね」 影はそれを最後に消えた。 少し大広間を歩いてユキ達はユウと合流した。 「急いだほうがいいけど、アズサも置いてはいけないし……」 悩むユキに、ユウは自分がついていくといい、ケイとアズサは大広間で少し休むことになった。 薄暗い大広間で、ケイはアズサを抱えその瞳が開くのを待つ。 「……なあ。俺はさ、別にアズサの前世が緋色の魔女だろうが気にしない。村人たちは言ってたよ。【緋色の魔女に愛されたものは、殺される】って。激しい愛で、焼き尽くされるって、破滅するって」 ファムファタル。出会ってしまえば堕ちるだけ。 伝承を調べているときに辿り着いた、文学や絵画のモチーフとされる存在。 破滅の運命を導く女。 「けどな、ダイアモンドは、風は誰にも囚われない。だから俺を選べ、アズサ。大丈夫。簡単にくたばりはしないよ」 目を覚まさないアズサにそっとケイは口づける。 誓いと、目醒めのキスとなるように。 「う……あ、あたしは」 「やっとお目覚めだな、アズサ。体は痛くないか?」 「あ、う、うん。大丈夫よ。服も元のままみたい……破けたりしてなくてよかったわ」 アズサは顔を赤くしながらしどろもどろに答えた。 「……ごめんな。あの舞踏会の時はまだ、決心がつかなかったというか、気持ちが曖昧だったから」 「……ケイ?」 真っすぐな瞳でアズサを見つめて、ケイは告げる。 「……好きだよアズサ。喪いかけてやっと気づくとか馬鹿みたいだけど」 「だ、だけど……前世が緋色の魔女よ。愛されたら破滅する……実際わたしが前世で愛した人はみんな……ろくな最期を迎えていないわよ。レイシアとか……ダイアモンドだって炎には弱いのよ?」 アズサは戸惑いを浮かべながら訊く。 「今までがそうだっただけだろ。それに相手はリカの魂限定だろ。レイシアもマリアもエアも。少なくとも俺は一度もアズサの魂に殺されたことはないし、それに」 ケイはアズサを抱き寄せて、耳元で囁く。 「運命なんて、変えてやればいい。それともアズサは俺のこと、嫌い?」 「き、嫌いなわけないじゃない!あの肝試しの夜からずっと……気になっていたわよ。……同じね。完全に気づいたのはリームの街で傷だらけのあなたを助けた時よ。あの時は安心したと同時に怖かったわ……ええ、好きよ。あなたのことが大好き。ケイ」 「じゃ、両思いだ」 「ふふ、覚悟しなさい?あたしの想いの炎は強力だからね」 アズサは笑って小さくキスをする。 「さてと。ユキ達を追わなきゃな。ミナミとスプラも早く助けないと」 「そうね。行きましょう!」 こうしてふたりもまたユキの後を追って階段を昇っていった。 ―― その少しだけ後、静まり返った薄暗い闇の中で。 「……そうね。運命なんて変えてやればいいの。少なくとも今のあなたたちにはそれができるのだから」 イヴは薄く微笑んで、影に溶けて消えた。
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