――時は、遡る。 タイムノイズ有数の森林地帯で目を覚ましたコトとマリモは運よくリィネと名乗る緑の守り人と出会い、詳しい話を聞くために、リィネの住む集落へと向かっていた。一面の緑が辺りを覆っている。小鳥のさえずりと木々のざわめきだけが聞こえる。 「うわーすごい森だね。北海道にもこんなとこ、あんまりなかった気がする」 無邪気にマリモはそう言って、笑った。 「ここは、タイムノイズ有数の大森林地帯ですから」 「リィネさんはどこへ向かっているんですか?」 コトの問いに、 「緑育族【グリティア】の集落です。マリモさんにお渡ししたい緑の聖石は我らの遺跡にあるものですから」 「だ、大丈夫かなあ。救世主って言われても信じられないし、今のあたしにもコトにも何の力もないし」 不安そうなマリモに、 「そこは我らが全力でお守りいたしますから」 リィネは優しく言った。 「大丈夫だよ。いざとなったら木の棒でも少しは戦えるしそれに――」 コトには彼のみに受け継がれた特別な護り刀がある。彼以外に見えない剣。 (俺には……護謳がある) 「それに?」 不思議そうなマリモに、 「何でもないよ、行こう」 コトはそう言って微笑んだ。 ―― 緑育族の集落は深い森の中の湖の傍にあった。集落の中心には一本の大樹が聳え立ち、その巨大な枝に小さな家がぶら下がっている。 「へー、樹自体が集落になっているんだ」 マリモはすごい、といった様子で集落を見上げた。 「うふふ。珍しいでしょう?」 「え」 気が付くと目の前にはひとりの女性が立っていた。木の葉を思わせる黄緑の髪に新緑を思わせる緑の瞳。髪飾りは樹の蔓でできており、淡い緑の長衣を纏っている。片目を隠しているものの纏っている雰囲気は柔らかかった。 「あらあら、びっくりさせてしまったみたいね?わたくしは緑育族の長、エイリーンと申します」 「エイリーン様!」 エイリーンは柔らかく微笑んだ。 「お名前は何というのかしら?」 「マリモです」 「コトと言います」 「マリモにコト、ね。じゃあ早速遺跡に行きましょうか~」 この言葉にリィネの表情が険しくなる。 「エイリーン様。族長たるあなたが集落を離れては……」 「そう言うけれど、あの遺跡の封印は長にしか解けないものだもの~」 「う、そ、それはそうですが、【緋の女王】の手下のシュピールカルテとかいうものがうろついていると聞きますし」 「仕方ないわねえ……じゃあ代わりにこの子を連れていって?」 エイリーンがそう言うと彼女の影からペンギンのような生物が飛び出してきた。ただし、頭に葉っぱが生えている時点でペンギンではない。 「可愛い……けどこの生物は一体」 「花ぺんぎんという種族なの。この子はあかばらぺんぎん」 あかばらぺんぎんはぴょんと跳ねてマリモの方に飛び乗る。 「ろーずちゃん、よろしく」 あかばらぺんぎんはぱたぱたっと羽を震わせる。エイリーンが言うには喜んでいるらしい。 「何かあればすぐにわかるわ。花ぺんぎんはね、花ぺんぎん同士で情報をやりとりできるの。花ぺんぎんネットワークね。この子に鍵を渡しておいたわ。この子がいれば遺跡に入れるけどその前に……」 エイリーンはマリモとコトをじっと見た。 「な、何か?」 「いえ、その服はちょっと目立つなあって思って……ふたりともちょっとついてきてくれるかしら?」 ―― 「わ、可愛い。ありがとうございます。エイリーンさん」 「俺もお礼を言います。確かに元の世界の服では目立ちすぎますよね……」 「では、参りましょう」 エイリーンの家でタイムノイズの服に着替えたふたりはリィネと共に改めて遺跡へと向かった。 肩にあかばらぺんぎんを乗せて。 「ここです。緑樹跡と言います」 集落から少し歩くと聖石が置かれているという遺跡に着いた。緑樹跡の名が示す通り、一本の大樹の中に内部へと続く道があり、最奥に石と祭壇があるのだそうだ。この場所は緑育族にとっての聖地であり、その扉は固く閉ざされている。 「マリモ様、あかばらぺんぎんを扉に」 「あ、うん」 あかばらぺんぎんは自ら飛び降りると扉に首からかかった鍵をぺたっとくっつける。理屈はよくわからないが淡い緑の光が立ち昇り石造りの扉が音を立てて開いた。 扉の中は外から射しこむ太陽の光で淡く光っていて、薄暗いが足元ははっきりと見えた。 「すごいね……なんだか樹に抱かれているみたい」 「そうだね……これだけの内部空間がある樹だ……どれぐらいの樹齢か想像もつかないな」 マリモはそっと木の壁に触れた。 「すごく温かくて、優しい感じがする。この子も喜んでるみたいだし」 あかばらぺんぎんは同意するようにぱたぱたと羽を動かす。 「もう少しで樹の中心に着きます。そうしたらマリモ様は台座にある聖石琥珀に触れてくださいね。試練の言葉はおのずとわかるでしょう」 遺跡の最深部には樹に護られるようにして、琥珀が置かれていた。 「……ごめんね。貴方はここにいたいのかもしれないけれど」 マリモは優しく琥珀に触れる。琥珀は淡い緑の光を放って薔薇の飾りがついた短剣へと姿を変えた。 「……我は緑の聖石の資格者なり。我に資格があるか否か……試練にて目前に示せ!」 遺跡自体が緑色の光を放ち始め、その光が集まって大きな光の塊になった。そしてその光は巨大な植物モンスターへ変化した。 「審判者アルラウネ……準備はいいですか」 「もちろん。そのつもりで来たんだし!」 マリモが短剣を構える。コトも護謳を構えた。 「では、切り込みます!」 リィネが長刀を構え、アルラウネを突く。 アルラウネはそれに反応するようにギザギザした葉っぱと蔓をムチのように飛ばしてきた。 「……見切った!」 護謳の一閃でそれらはすべて切り裂かれる。 「リィネさん、アルラウネの弱点はありますか?」 「普通の植物にないものが答えです」 「……そうですか。マリモ、俺が合図したらナイフをあの額の宝石に向かって突き刺すんだ!」 「わかった!」 コトは地面を蹴ってアルラウネの正面へ駆け出す。蔓の注意と攻撃はすべて彼に向けられた。 「……甘いよ」 素早い斬撃で蔓も葉も切り裂かれる。葉の刃の一枚だけが彼の頬を掠ったが、致命傷ではない。 「マリモ!」 「いっけええええっ!」 緑の力を宿した薔薇の短剣がアルラウネの宝石に突き刺さる。ひびが入り砕けた宝石とともに、アルラウネも灰になった。 「……あっけないな」 その様子を見て、コトは手の甲で頬の血を拭った。 「さすがはマリモ様。では契約を」 「契約者としての名前はマリモ・プリエ。剣に与える名はロゼ・フィオーレ!」 「ここに力は結ばれました」 祭壇を後にしようとして、ふと緑色の欠片が落ちていることに気づく。 「リィネさん、これは?」 「旋律断章でしょう。コト様、これはしらべの笛に読み込ませるためのもの。大事に持っていてください」 「わかった」 コトは緑色の欠片をバッグに入れた。 「では、戻りましょうか」 リィネが手招きするが、あかばらぺんぎんはなぜかその場から動こうとしない。 「どうしたの?」 あかばらぺんぎんは何かを言いたそうに羽をぱたぱた振るわせ始める。 「……っ!」 コトは何かに気づいてマリモとあかばらぺんぎんの前に身体をねじ込ませる。その背にはナイフが刺さっていた。 「こ、コト?リィネさん……まさか……」 「ふふ……あははははっ!」 高笑いと共にリィネの体がその場に倒れる。その背後から現れたのは白い白衣を纏った眼鏡の女だ。 「よくやったわリィネ!アートゥルムの注入実験、大成功!そして――」 「ぐあっ!」 女はためらいもなくコトの背から血を吸って赤く変わったナイフを抜き取る。 「パーリア達の血、まずはひとり回収成功ね。ついでに特別製の毒も仕込んでおいたけどどうかしら?」 「ど、毒!?そ、そんな、コト……しっかりして!」 「……舐められたものだね……!」 コトは傷が開くのも気にせず、女を一閃する。しかし―― 「残念でした。私は戦闘向きではないので、本体はそこにはいません。そして目的も果たしたので帰ります。ああ、でもその前に。急がないと彼、体中のマナを失って死んじゃいますよ?」 「そんな……!」 「気にしないでマリモ。俺は……普通の【人間】じゃない。だから毒にも耐性はあるし…大丈夫……」 コトはそう言って立ち上がろうとするが、その場に膝をついてしまう。顔色は酷く悪い。 「そ、そうだ。あかばらぺんぎん……エイリーン様にこのことを…!」 あかばらぺんぎんはこくりと頷くとくるくると舞を踊り始める。花ぺんぎんなりの連絡手段なのだろう。 「コト……」 「……君だけは……マリモだけは……どんなことになっても……必ず……今度は……喪わない……」 彼はそう言うと疲れたように目を閉じる。 「……今は休んで。大丈夫だよ……きっとエイリーンさん達が助けてくれる……」 マリモは目に涙を溜めながら、冷たくなっていくコトの体を抱きしめていた。 ―― 遠い、記憶の底。今も忘れられない光景。 村の外れに人知れず築かれた祭壇。赤い魔法陣。 引き裂かれて散らばる、恐らく彼女の着ていた服。 中心に横たわる一糸纏わぬ姿の彼女。冷たいからだ。勝ち誇ったような村長の嗤い声。 激昂して挑んで、負けて。体中切り裂かれて、血まみれになって、それでもずっと彼女だけを思っていた。 (エイリのせいじゃないよ。これは、巫女である……わたしが背負わなければいけなかったこと) 彼女が笑う。胸が痛い。痛くてたまらない。 (仕方なかったんだよ。あの時はみんな戦争に駆り出されて……わたしを差し出せばよかったってみんなが思ってた。そのせいでみんな大切なひとを喪って、だからこれはわたしへの罰なの) 仕方がなかった?納得できない。君はいつも村人を大事に思っていたのに。すべてを捧げていたのに。 一番近くにいたのに、あんな姿になって。村人の憎しみと怒りと、低俗な欲望さえもすべてぶつけられて。 一番近くにいたのに守れなくて。 だから最期の瞬間に誓った。 「生まれ変われたら君を今度こそは守り抜く」と。 君だけが――マリモだけがいればいい。世界などどうでもいい。君を傷つける世界なら俺はいらない。 そんな世界なら、歪んだ俺が、歪められた力で、壊してあげる。 ―― 「……う……」 酷い夢を見た。込みあがってくる吐き気は毒のせいか、夢のせいか。 「……何者なんだ……あの女」 勝ち誇ったような笑い声が今も耳について離れない。 「マリモは無事なのか……?そしてリィネさんは……」 リィネを憎む気持ちはコトにはない。アートゥルムの恐ろしさは身をもって知っている。彼女は操られただけだ。あの力に普通の人間が抵抗するのは……不可能に近い。 「コト……目は覚めた……?」 ノックの音とともに遠慮がちにドアが開いてマリモが部屋に入ってくる。 「……マリモ。うん、今、目が覚めたよ。怪我はない?」 「コトこそもう怪我、大丈夫?あたしはどこも怪我はないし元気だけど……」 「言ったよ?俺は【人間じゃない】から毒には耐性があるって」 コトはそっと半身を起こしてマリモを引き寄せる。 「わ?」 「うん、ちゃんと温かい。俺も温かいでしょ?」 「うん……」 あの時のコトの体は氷のように冷たかった。それを思い出してマリモはほっとしたように目を閉じる。 「……どれぐらい、眠ってた?」 「3日、ずっと。エイリーン様もリィネさんも必死で解毒してくれて……」 「そうなんだ……後でちゃんとお礼を言わないとね」 ふわりとコトの手がマリモの頭を撫でる。 「もう俺は大丈夫だから、着替えたらお礼を言いにいこう」 「わかった。じゃあ、先に一階で待ってるね!」 マリモが去ったのを確認してから改めて手の甲を見る。 「……毒じゃなくて、呪いか……どうやらあの女は俺の正体に気づいているみたいだな……」 刻まれたのは黒薔薇の呪い。術者に永久にマナを吸われ続ける呪いだ。いずれは全身をこの模様が覆いつくすだろう。 「……――には特別な剣でなければ傷をつけることはできない。けれど傷以外は……」 部屋にあった包帯の残りを手の甲に巻き付ける。 「……大丈夫だ。聖石さえ手に入れば呪いなんてどうでもなる……覚醒して……しまえば」 そのためにも早く聖石を手に入れ、この世界の物語のエンドに辿り着かなければ。 離れ離れになったユキたちのことも気になっていた。 「行こう」 シャツを羽織り、ジャケットを着て部屋を出た。 ―― 「……あら~コト君、もう大丈夫?どこか痛いところはない?」 「はい、大丈夫です。マリモから必死で解毒してくれたと聞きました。ありがとうございます」 コトはそう言って柔らかく微笑む。 「ところで、コト君の……天の聖石についてなのだけど……残念ながらこのタイムノイズには天の守り人というのはいないみたいなのよ~ただ、タイムノイズには【隠された世界】というものがあるって言われててそこの世界には天を統べるもの――竜の末裔がいるというお話もあるわ」 「竜……ですか……その世界へはどうやって行けば?」 コトにリィネがそっと地図を差し出す。 「ここからは遠く離れているので、森から離れられない【緑育族】のわたしはついてはいけないのだが【鏡華湖】という湖があるという。その湖に辿り着ければ、【別の世界」へいけると言われている」 「一応道案内にリュウノヒゲの花ぺんぎんちゃんをつけておくわね。りゅーくん、このふたりを湖に導いてあげてね」 りゅーくん、とよばれた花ぺんぎんはコトの頭に飛び乗るとぱたぱたと羽をふるわせた。 「エイリーンさん、リィネさんありがとうございました」 「どうぞお元気で!」 こうしてコトとマリモのふたりは集落を後にした。 ―― あとにして。 そして?そしてどうなったんだろう。 湖に辿り着こうという時に、あの女は―― どろり。 意識に、何かが流れ込む。 どろり。 そうだ、あの女はマリモを…… どろり。 彼女の、血の赤色。 どろり、どろり…… 泥のような感情が沸き上がる。前世の記憶が今を、侵食する。 夢に任せて、「あの女」を散々にいたぶった。 「緋色の魔女」。 ああ、でもまだ、足りない。この苦しみは湧真の受けたものには足りない―― 壊さなければ。壊さなければ、コワサナケレバ。 【イヴ】も【緋色の魔女】も【エリス宮廷護衛団も】 ああ、そうだ。 詠人や湧真や孝人や栞を傷つけた原因は【エリスの女王】じゃないか。 ああ、でも、エリスの女王はどこだ。見当たらない。生まれ変わっていないのか? ああ、いるじゃないか。エリスの生まれ変わり。 そして彼らの仲間になり下がった仲間たちが。 かちゃり。 俺の心の中で、何かが外れた音がして。 意識が黒く、塗りつぶされた。 ―― 「あら、いよいよジャバウォックの……竜のお目覚めかしら!」 緋の女王――アイリはそう言うと水鏡を眺めて微笑む。 「おやおや、これは悪趣味だ。ジャバウォック――コトの力はけた外れだからね。なにしろ、【輪竜実験】の被験者で、彼にしか見えない刀を操るのだからね」 「果たして彼らは勝てるのかしら?ふふ、楽しみだわ!」 上機嫌なアイリを残し、中庭に出たシグレは、薄く笑う。 「……竜は決して、【ひとり】ではない。前世で【輪竜実験】を受けた存在ならもうひとりいるじゃないか。そして、彼は前世に飲み込まれることはない。思念シレナの使い手であるセイラや、もうひとりの闇属性ガンナーであるヒロ。そして逃げ出した花ぺんぎん。あのふたりがアル・イリス――ユキの側につくのなら……さて、コト君はたったひとりで勝てるかな?」 シグレは把握していた。 絶海塔でセイラからユキを守ったあの蔓、そしてユウが放ったあの斬撃は間違いなく花ぺんぎんという精霊のような何かの力を借りたものだ。この城には薔薇が多いので、いろいろな薔薇ぺんぎんが何匹もいる。 しろばらぺんぎんがそっと近づいてきたので、彼は水を飲ませてやる。飲み終わると嬉しそうにぱたぱたした。 <しぐれさま。どうやらいま、りゅうのひげがこっそりひっそりゆきさまたちのうごきをおっているようです。それによれば、おそらくあしたが、けっせんなようですね。……りゅうのひげはことさまをすごくしんぱいしていますが> 「ああ、大丈夫だよきっとね。ユキ君や、カイ君を信じよう」 シグレはそう言ってそっとしろばらぺんぎんの頭を撫でた。
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