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「院瀬見、お前……婚約者がおったのか?」 「黙っていて申し訳ありませんでした。今まで縁談をお断りしていたのは、彼女が傍におりましたので……」  これに対し、渡会さんはしばらく沈黙。そしてまじまじと顔を見られる。うーんとうなったかと思えば、そうかそうかと頷きながら嬉しそうに笑い、再びバシバシと院瀬見さんの肩を叩いた。 「そうか、お前もついに! そうか、そうか!」 「まぁ……そういうことですので、今後は縁談の方も必要ありません」 「うむ、そういうことなら仕方あるまい。せっかくの縁談だが、丁重に断っておこう」  仕方ないとはいいつつも、どこか嬉しそうに出した書状を再び懐へ戻した。とりあえず、この状況をなんとか乗り切れたと思ったのか、院瀬見さんも安堵した表情で胸を撫で下ろしていた。 「院瀬見、大事にしてやれよ」 「はい、もちろん。そのつもりです」 「では用事も済んだことだ、また来るとしよう。次に来る時は子供の話が聞きたいものだ」  そう言い残して帰っていく渡会さんの後ろ姿は満足気で、嬉しさが滲み出ているような気がした。それを見送る院瀬見さんも、これで縁談の攻撃もなくなるだろうと安堵しているように見える。けれど―― 「総長、どういうことですか? まったく話が見えません!」    安心したのも束の間、再び女剣士が怒鳴った。〝面倒なヤツがここにもいたのを忘れていた〟――そんな顔をして、院瀬見さんは溜息まじりに頭を掻いた。 「えっと、これはだな……」 「偽りの婚約者」  少年剣士がぽつりと呟き、とろけるような愛らしい笑みを浮かべた。  院瀬見さんはここに着いてから一度たりとも、私が渡会さんを騙すために協力している〝偽りの婚約者〟だなんて一言も言っていない。なぜ、彼はそのことに気づいたのだろうか。 「偽りの婚約者? 何だか面白そうな話ですね。総長、どういうことなんです?」 「んー……お前達には話しておくか。だが、他言無用で頼みたい。お前達3人も共犯だ」  そう切り出した院瀬見さんは、私との出会いについて順を追って話し、住む場所を提供する代わりに〝黒龍隊専属の香術師〟と〝偽の婚約者〟を演じる取引をしたと説明した。 「なるほど、そういうことだったのですか」 「渡会さんの気持ちは有難いのだが、俺の気持ちがな。そういうことだから、今日からアオバを俺の〝婚約者〟兼〝専属香術師〟としてここに置くことにした。まぁ、お前達が反対したとしても曲げるつもりはないから、そのつもりでいてくれ」 「もちろん、私は構いませんよ。可愛い女性が居た方が、このむさ苦しい寄宿舎も少しは華やぐというものです」  うっとりとした溜息と同時に、青年剣士は私の手を握った。さらりと、まるで息を吐くように自然にやってのけた。やはりこの蕗谷カガチという男、相当手慣れている。用心するに越したことはなさそうだ。とりあえず、要注意人物として憶えておこう。 「改めまして。黒龍隊の副隊長をしております、蕗谷カガチです。よろしくお願いしますね、アオバさん」 「はい、こちらこそ――」  言い終わる前に、言葉を遮るようにやってきたのは眼帯の少年剣士。無表情でじっと見つめたあと、不意にふわりと柔らかい笑みを浮かべる。つられて微笑むと、照れくさそうに小首を傾げられた。 「七々扇ななおうぎシオン。よろしくね、アオアオ」 「……アオアオ?」  一瞬、その言葉が何を意味しているのかわからなかったけれど、自ら口にしてみて理解できた。私の名前のことだったのね。  今までに一度も呼ばれたことのない〝あだ名呼び〟に若干戸惑ったけれど、彼の持って生まれた可愛らしさのせいなのか、なぜか憎めない。むしろ愛おしいとさえ思えるほど、その醸し出す雰囲気に呑まれた気がした。 「よろしくね、シオン君」 「〝君〟はいらない、シオンでいいよ。今度、ヤマト国の緑茶、一緒に飲もうね。あれ、僕も好きなんだ」  そう言って、シオンはカガチさんの手から手綱を取り、馬を連れて厩舎の方へ歩いて行った。その後ろ姿を見送る私は、衝撃にも似た驚きに襲われていた。 「ど……どうして! 私がヤマト国の緑茶が好きだって知ってるの⁉」 「ふふっ、驚いたでしょう? シオンは人の心が読めるんですよ」  カガチさんはククッと喉を鳴らして含み笑った。どうにも胡散臭うさんくさく見えてしまうのは、彼に対する第一印象が悪かったせいだろうか。どうにも信じられない。 「そんな、まさか。私をからかっているんですか?」 「いいえ、事実ですよ。あの眼帯の下に隠された瞳が教えてくれるそうです」 「瞳……?」  カガチさん曰く、シオンは幼い頃、生まれ育った町で人間と夜叉族の小競り合いに巻き込まれた際に、夜叉族の放った一本の矢が左目を貫いたそうだ。その上、その矢には〈不可視ノ謌ふかしのうた〉と呼ばれる呪が施されていたらしく、その影響で人の心が見えてしまうのだとか。  余計なものを見て心を乱されないよう、呪を封じ込める術を眼帯に施しているらしい。外見に似つかわしくない眼帯を身に着けている背景には、そんな理由があったのだ。 「どうやら、シオンはアオバが気に入ったみたいだな」  院瀬見さんは少し驚いた様子で「うーん」と唸った。 「気に入ったって、どうしてわかるんですか?」 「人の心が見えてしまう分、シオンは好き嫌いがはっきりしている。嫌いな相手には笑顔すら見せないんだ」 「ですが、久々に笑っていたところを見ると、アオバさんが信用できる人物だと判断したのでしょうね」  カガチさんも驚きを隠せない様子だった。  好かれたのなら、それはそれで嬉しい。けれど、ここには明らかに私を疎ましく思っている者がいる。躊躇ためらいがちに女剣士を見やると、目が合ったとたん、また睨まれた。なぜあんなにも私に敵意をむき出しにているのか、どうにも気になって仕方がなかった。 「えっと……よろしくお願いします」  こちらに敵意はないことを示すつもりで、深々と頭を下げた。けれど、それも効果はなし。相変わらず、彼女は睨むだけで名前すら名乗ってくれなかった。 「彼女は風早(かざはや)ヒユリです。黒龍隊の紅一点なんですよ」    私と彼女の間に流れた気まずい空気に気づいたのか、カガチさんが少し呆れた様子でそう言った。 「確か、黒龍隊に入隊できる女性は限られていると聞きました。それって、剣の腕が立つということですよね!」  低姿勢も駄目なら、ここは褒める作戦に出てみた。喜ぶか怒るか、少しくらい表情を変えてくれると思ったけれど、予想は見事に裏切られた。無反応ならまだしも、睨みがより強くなった気がする。私のやることなすこと、全てが気に入らないらしい。 「……胡散臭い」  ようやく口を開いたかと思えば、かけられた第一声がこれだった。まさかそんな言葉が返ってくるとは思いもよらず、さすがに言葉を失った。これには院瀬見さんも呆れていたようだった。

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