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 平原から街の入口へ着いて間もなく、刀がぶつかり合う金属音が耳に届いた。寄宿舎に残っていたシオンが若い剣士10人を引き連れ、3人の夜叉と応戦していた。どうやら、先程の爆発と黒煙は夜叉の仕業だったらしい。数では圧倒的に黒龍隊が有利のように見えたけれど、その強さはほぼ互角だった。 「アオバ、危ないから隠れていろ!」 「は、はいっ」  私は酒場の前に停まっていた荷馬車の陰に身を潜め、院瀬見さんは剣を手にシオン達に加勢した。 押され気味だった黒龍隊も、背後から奇襲をかけた院瀬見さんの攻撃によって盛り返し、夜叉が態勢を崩した。その隙をついて一気に畳みかけ、3人の夜叉は捕らえられた。  「院瀬見さん、怪我はありませんかっ!」  事態が収拾したのを見計らい、荷馬車の陰から飛び出して院瀬見さんに駆け寄った。いつものようにニッと不敵に笑って、少し偉そうに胸を張って見せる姿に安心した。 「少し剣が掠ったが問題ない。アオバこそ……あぁ、隠れていただけだから大丈夫か」 「隠れていて怪我するって、一体どんな状況ですか。見ての通り、私は平気です」  院瀬見さんを真似て、腰に手を当てて胸を張った。偉そうだと笑い合っていたそこへ、シオンが駆けつけた。  普段のおっとりした姿からは想像もつかないけれど、戦った後のシオンは荒々しさと雄々しい空気を纏っていて、表情も心なしか鋭さが増しているように思えた。 「遅れてすまなかった。シオンが残っていてくれたおかげで被害が最小限に抑えられたよ」 「夜叉側の応援、呼ばれたら危なかったかも。総長が来てくれてよかった」 「襲ってきた夜叉はこれで全部か?」 「多分」  小さく頷いたのを確認しながら、院瀬見さんは捕えられた夜叉のもとへ歩み寄った。 後ろ手に縄で縛られ、地面に跪いていた夜叉の男は、院瀬見さんを見上げながらニヤリと怪しげに笑った。 「こんな少人数で襲撃した目的は何だ?」 「お前らに教えると思うか?」  フンッと鼻で冷笑する夜叉に、シオンが訝し気に目を細めた。  小さく唸りながら考え込んでいたが、ふと何かに気づいてハッと目を見開いた。その右目は瞬き一つせず、食い入るように夜叉を見つめる姿に、院瀬見さんが心配して顔を覗き込んだ。 「どうした、シオン?」 「……何か、見えた。胸がザワザワする……こいつら、何か隠してる」 「隠している? 他に目的があるというのか?」 「わからない……何か、見えそうだけど。おかしいな……今日はよく見えない……」  頭を抱えるシオンの姿を見、捉えられた三人の夜叉は互いに顔を見交わしてほくそ笑んでいた。  シオンが言うように、何か隠しているのは確かだろう。大抵、悪事をはたらいた者は抵抗を見せるものだけど、彼らは捕まったというのに一切の抵抗を見せないし、不気味なくらい大人し過ぎる。まるで逃げるつもりがないようだった。 「ダメだ、見えない! このままじゃ何もできないっ」 シオンは自棄になったみたいに声を上げ、着けていた眼帯に手を伸ばした。気づいた院瀬見さんは慌ててその手を止めた。 「シオン、よせっ!」 「総長は黙ってて!」  制止を振り解き、シオンは眼帯を剥ぎ取った。  黄金色の左目が怪しく輝き、夜叉の姿を捉えた。  シオンには夜叉の血の影響で、相手の心を読み取ることができるとカガチさんが言っていた。眼帯をした状態ですら相手の心が見えるのだから、眼帯がなくなれば抑えられていた本来の力が解き放たれる。  それはほんの一瞬だった。彼らを見たシオンはびくりと体を跳ね上げ、左目を押さえて力なく地面に座り込んだ。 「シオン、しっかりして!」 「こいつらは、囮……僕達を引きつける、罠!」  荒く呼吸をし、震える手で私の腕にしがみつく。こちらを見上げたシオンに、ふと違和感を覚えた。黄金色の左目がはっきりとした青色に変わっていく。まるでそれが合図だったかのように、突然、シオンが胸を掻き抱いて苦しみ出した。 「ううぅあぁぁぁぁっ!」 「シオン!」 「本当、の……目的、は……!」  言葉と重なるように、再び辺りに爆音が轟いた。その音は街の外で聞いたのは比べものにならないほど激しく、耳の奥や肌、体の中心をビリビリと痺れるほどの威力だった。 「院瀬見さん、あの方角って……」 「くそっ、狙いは城か!」  どうやら入口で暴れた夜叉達の目的は、こちらに注意が逸れている隙に、手薄になった城へ攻撃を仕掛けること。入口で食い止めていたと思っていた夜叉は、すでに街の奥へと入り込んでいたのだ。 夜空に立ち昇る黒い煙を見上げて間もなく、シオンは私の腕の中でぐったりと倒れ込んだ。 「シオン、しっかりして!」 「夜叉の力は急激に妖力を使う。それで気を失っただけだ。いずれ目を覚ますから、心配するな」  院瀬見さんは地面に落ちた眼帯を拾い上げ、埃を払い落してからそっとシオンの左目に付けなおした。 「捕えた夜叉とシオンを頼む! アオバは俺と一緒に城へ戻るぞ。隊の者達が出払っていて、戦力が足りない可能性が高い。少しだけ力を貸してくれ」 「わ、わかりました!」  数名の隊員を引き連れ、一路、雲龍城へ――被害は最小限であってほしい、そう願う思いもむなしく、城へ到着した私達は言葉を失った。  立ち上る黒煙の量から覚悟はしていたけれど、それは想像以上だった。  破壊された城門は跡形もなく吹き飛び、瓦礫が辺り一面に散らばっている光景は爆発の凄まじさを物語っていた。  先に戻っていたカガチさんとヒユリさん、若い剣士達が辛うじて食い止めている状態だったが、それもやっとのこと。先程とは桁違いの数の夜叉達に城を襲撃されていた。ざっと見ても数は100以上。おまけに相手は夜叉の力を解放しているため、圧倒的に不利な状態だった。 「あんなにたくさん……このままじゃ、カガチさん達がやられてしまいます」 「前に夜叉が襲ってきた時、アオバが妖術で気を逸らせたことがあっただろ? あの時と同じ術で夜叉の気を逸らせられないか?」 「やってみます!」 「頼む。俺はその隙をつく!」  院瀬見さんは深く息を吐き、刀の柄を握る手に力を込めた。内に眠る白狼(ハクロウ)の力が解き放たれ、瞬く間に髪は銀色に、そして瞳は黄金に染まる。髪や瞳の色が変わっただけだと、自らに言い聞かせても不安は一気に膨れ上がた。  行かないで……力に呑まれないで。引き止めたい衝動を必死に堪えて、血が滲みそうなほど拳を握りしめた。言葉にならない思いが伝わったのか、院瀬見さんは不意にこちらを見てフッと柔らかく笑った。 「そんな顔するな。この姿が嫌いか?」 「いえ、そんなことは。ただ、その力は……」 「心配しなくても、無茶はしない。程々にな」    まだ不安はぬぐい切れなかったけれど、その言葉を信じて札香に火を灯した。 煙は蝶の大群となって、襲い掛かる夜叉達に向って飛んでいく。その流れに乗に合わせ、院瀬見さんは蝶たちを盾にして走り出した。  もう一歩で黒龍隊の守りを押し崩さんとした直後、私が放った蝶たちが夜叉の視界を遮った。怯んだその隙をつき、院瀬見さんは次から次へと夜叉達を薙ぎ払った。 「総長!」  驚きと安堵の混じるヒユリさんの声が、叫び重なる夜叉の怒声の中で響いた。 「ヒユリ、敵から目を逸らすなっ! 何としても、城内へ踏み込ませるな!」  流れるように、そして風のように。反撃の隙を与える間もなく、院瀬見さんの刃に夜叉達は倒れていく。けれど、相手も一筋縄ではいかない。院瀬見さんの前に躍り出たのは体格も桁違いの屈強な夜叉だった。  力任せに振り下ろされる大剣  弾き弾かれ、ぶつかり合い  辺りに剣の火花が飛び散る    キンッと、一際甲高い金切音が響く。院瀬見さんの左腕が切られ、弧を描いて後方に飛んでいく。その光景に思わず目を覆った。 「つまらん、妖盟の義手か。これで仕留めたと思ったんだがな」  熊のように大きな夜叉は、地を這うような野太い声でそう言った。この戦いを心の底から楽しんでいる姿に、院瀬見さんは呆れた様子で含み笑った。 「残念だったな。これで有利だと思うなよ。俺は片腕でも十分に戦える」    片手で刀を構える姿、夜叉を捉える鋭い瞳、月明かりに照らされて輝く白銀の髪。その全てが狂気にも似た力に満ちていた。  互いに睨み合いが続き、いつ踏み出すのか腹の探り合いが続いていたその時、夜叉の方に異変が起こった。    後方で戦っていた数人の夜叉達が、眩暈に襲われたように目元を押さえ、次から次へと地面に跪く。目は血走り、開いた口元からは鋭く犬歯が伸び出し、呼吸は徐々に荒くなっていった。 自らの体の異変に気付いた夜叉達は、懐から取り出した札香らしきものに火を灯し、漂う青い煙を吸い込んだ。すると、次第に呼吸も収まり、姿も元に戻っていく。 「今のは……? おいっ、一体どうなって」  院瀬見さんが問い質そうとするが、屈強な夜叉はそれを遮るように大剣の切っ先を突き付けた。 「今日のところはこれで退く。お前に一つ、忠告しておこう」 「……忠告だと?」 「白狼の血はお前のような人間が制御できるものではない。せいぜい、苦しむがいい」  意味深な言葉を残し、夜叉達は引き上げていった。四方へ散りぢりになり、後を追う間もなく夜の街へと姿を消した。  夜叉の姿も見えなくなり、その場に滾っていた狂気も消えた。私が荷馬車の陰から姿を見せると、それに気づいたカガチさんとヒユリさんがこちらへ駆けつけた。 「カガチさん、大丈夫でしたか?」 「えぇ、何とか。総長の力とアオバさんの妖術がなかったら危なかったですね。命を落としていたかもしれません」  カガチさんは冗談っぽく笑い飛ばしていたけれど、本当に危なかったはず。頬には切り傷がいくつも走り、袖の至る所が切れて。 「ヒユリさんは、どこか痛むところはありませんか? 怪我してませんか?」 「……私は平気だ。お前に心配されるほど軟じゃない!」  予想通りの反応に安心した。私の心配を突っぱねて強がりを言えるということは、大きな怪我もなく元気な証拠だ。 た だ、そうは言っても、カガチさん同様にヒユリさんも傷だらけ。こんな時くらい強がらなくてもいいのに。でも、ここで無理に傷の手当でもしたら「余計なことをするな!」と激怒されそうだから、今は様子を見ることにした。 「そう言えば……カガチさん、レンゲさんはどうしたんですか?」 「安心してください、寄宿舎にいますよ。出かけようとしたところで夜叉の襲撃にあいましたので、中にいるように言いました。今は負傷した隊員の手当の手伝いをしていると思います」 「それじゃ、私も手伝いに行きますね」 「えぇ、そうしてもらえると助かります。ヒユリさん、君もアオバさんの手伝いをしてあげて下さい」 「ど、どうして私がっ」 「ほらほら、ヒユリさん。一緒にいきましょう!」 「うわっ、ちょっ、勝手に腕を組むな!」  嫌がるヒユリさんを連れて中へ行こうとした時、ふと院瀬見さんの姿が目に留まった。  負傷者の手当てで周囲が慌ただしく動いている中、院瀬見さんはずっと空を仰ぎ見たまま立ち尽くしている。おまけに夜叉の力も覚醒したままで、銀色の髪が風にそよいでいた。 「院瀬見さん、どうしたんでしょうか?」  私が気になっていたのと同様に、カガチさんもその様子に気づいていたらしく、訝しげに眉を顰めた。 「夜叉の力を解いていませんね」 「きっと、まだ夜叉を警戒しているだけだろう。院瀬見さん!」  ヒユリさんが声をかけると、少し間をおいてからゆっくりと振り返った。その顔を見て背筋が凍りついた。  何かがおかしい。黄金色の瞳は蒼く輝き、薄らと開いた口から異様に長くなった犬歯が覗く。何かが違う、そう気付いた時にはすでに遅かった。  牙を向き出し唸りをあげ、院瀬見さんはまるで獣のような形相でこちらに向かってきた。 「アオバさん、逃げて下さい!」 「きゃっ!」  カガチさんに突き飛ばされ、私はその勢いのまま地面に転がった。次の瞬間、辺りにけたたましい金属音が響く。院瀬見さんの振り下ろした刀をカガチさんが何とか食い止めていた。 「カガチさんっ⁉」 「来てはいけません! 総長、しっかりしてください‼」  その瞳に正気はなく、カガチさんの声にさえ反応しない。血に飢えた獣のような唸り声と形相で襲い掛かった。 「ヒユリさん! 総長を気絶させて下さい!」 「そ、そんなことっ」 「急ぎなさいっ! 早く‼」  好きな人を傷つけたくはない、その躊躇いがヒユリさんの判断を鈍らせた。  ヒユリさんは唇をぐっと噛みしめ、力いっぱい刀を振り下ろすも、躊躇ためらいが一瞬の隙を生んだ。ヒユリさんの攻撃に気づいた院瀬見さんは、攻撃をかわして腹を蹴り飛ばし、カガチさんの腕を切りつけ薙ぎ払う。そして、黄金の瞳は確実に私を捉えた。  逃げなければと、私の本能が叫んだ。すぐに立ち上がったものの、体ごと浚われるように肩を掴まれ、力の限り地面に押さえつけられた。  直後、鋭い牙が肌に突き刺さり、痛みが全身を駆け抜けた。肩口に噛みついている院瀬見さんの姿を直視できず、痛みに耐えながら夜空を見上げた。 「アオバさん‼」  カガチさんの声すら、痛みのせいかぼんやりとしか聞こえない。返事をしたくても力が抜けて声を絞り出せなかった。  痛みで朦朧もうろうとする中で私は必死に考えていた。院瀬見さんが何を求め、どうしてほしいのか。唯一動く右手でそっと院瀬見さんの頭に触れる。その時、ほんの少しだけ院瀬見さんの心が見えた気がした。  この感覚は、何かに飢えている……?  今までに見たことのない変化だけれど、これは夜叉の血が暴走した時と似ている。息遣いや眼差し、肩を押さえつける手の力。いろんなものがそう告げているように思えた。もしかしたら妖力が必要なのかもしれない。 「院瀬見さんっ……大丈夫。私の、力を使ってください!」  院瀬見さんの体を掻き抱き、力いっぱい抱き寄せた。  内なる妖力が光となって院瀬見さんを包む。不足していた妖力が補われたことで次第に呼吸も落ち着き、徐々に正気を取り戻していった。肩口を赤く染める私を見下ろした院瀬見さんは、言葉を詰まらせ震える手で頬に触れる。私はその手をそっと握り返した。 「アオバ……!!」  「よかった。元に、戻っ……」    少しばかり血を流し過ぎたのかもしれない。瞼がやけに……重い。

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