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◆◆◆◆  どこを走って、どの道を通って、どんな景色を見て辿りついたのか全く憶えていない。気がつけば、私は〈火龍楼〉の前に立っていた。困惑しながらも無意識の内に〝レンゲさんなら話を聞いてくれる〟と勝手に思い込んだのかもしれない。  会って話したい。自分では導き出せない答えも、レンゲさんなら見つけてくれるかもしれない。すがるような思いで店に駆け込み、レンゲさんへ取り次ぎを頼んだものの、なぜか小姓はあれこれ理由を付けて会わせてくれなかった。 「レンゲさんに、どうしても会いたいんです」 「申し訳ありませんが、今日は……レンゲさんは誰ともお会いになりたくないそうです」 「会いたくないって、どういうことですか?」 「その……今日は、とてもご機嫌が良くないといいますか」  腹の辺りで組んだ手は、何度も擦り合わせたり握ったり。視線は私と二階の辺りを行ったり来たりを繰り返して、妙に落ち着かない様子だった。  レンゲさんの機嫌が悪いと言っていたけれど、何かあったのだろうか。心配していた、そこへ―― 「どうかしたの?」  私と小姓のやり取りが聞こえたのか、レンゲさんが二階から降りてきた。  私が来ていることに気づくと、何か覚ったのか「お得意様が来たから、お客人には病気で寝込んだって帰しておいて」と小姓に命じ、私のために時間をさいてくれた。 「ごめんなさい、お仕事の時間なのに」  私は階段を駆け上がりながら謝った。しなやかな足取りで先を行くレンゲさんは、ちらりと横目で見下ろして、いつものように優しく微笑んだ。 「いいのよ。私も、今日は仕事ができるような気分じゃなかったし、ちょうど良かったわ」  カラカラとふすまを開け、室内に足を踏み入れてすぐ異変に気づいた。  以前訪れた時と打って変わって、まるで盗賊にでも荒らされたみたいに酷く散らかっていた。障子は破れ、鏡は粉々に砕けて畳に散らばり、破れた着物があちこちに散乱している。ここが同じ部屋だとは思えないほどだった。 「レンゲさん⁉ これ、どうしたんですか!」 「うん……ちょっとね」  レンゲさんは気まずそうに笑い、外から室内を見られないよう素早く戸を閉めた。その時見せた横顔は酷く落ち込んでいるようで、全てを跳ね除ける凛とした強さはどこにもなかった。 「時々ね……全てを壊してしまいたいって衝動に駆られるの。それが抑えきれなくなって、気がついたらこんな状態になっちゃって。まぁ、いつものことだから」  レンゲさんは静かに言った。  誰にでもむしゃくしゃする時はあるし、物に当り散らしたくなるほど腹が立つようなこともある。ただ、それにしは度が過ぎているような気がした。 「何か、嫌なことでもあったんですか?」 「ううん、何もないの。それなのに、突然そんな衝動に駆られて……私のことはいいのよ。それより、アオバこそ何かあったんでしょう?」  こんな時でも、レンゲさんは私のことを気にかけてくれる。部屋を滅茶苦茶にしてしまうほど心が乱れていようとも、自分よりも私を優先しようとしてくれたのだ。  自分には何ができるのか、力になってあけられることはないだろうか。言葉を探して黙り込んでいると、レンゲさんは俯いている私の顔を引き上げるように、両手で頬を包み込み、クイッと上へ向かせた。 「ほら、話しなさいよ。何があったの?」 「でも……」 「せっかく来てくれたんだから、何か話してよ。私ね、アオバと話していると元気になれるの。ほら、お願い」 「……実は、レンゲさんに話を聞いてほしくて。私……何だか、変なんです」 「変? 何が?」 「ここが」  と、自らの胸を指差した。 「何だか力が入らないというか、軋むみたいに痛いんです」 「よくわからないけど、何かあったの?」 「今日って……灯籠華祭じゃないですか」 「あぁ、そういえばそうだったわね。どうりで街の娘達が浮足立っていると思ったわ。うちの若い遊女達もそわそわしていたし」  レンゲさんは含み笑う。あまり興味がないのか、すっかり忘れていたらしい。 「院瀬見さんやカガチさんのもとにも、一緒に見に行きたいって大勢の女の子が誘いに来ていたんです」 「確かに、あの2人に憧れている娘は多いからね」 「その時に、院瀬見さんを誘った女の子がいて。院瀬見さんはその子に向って〝君と行くつもりはないし、俺は特定の女性とそういった関係になるつもりもない〟って、はっきり答えたんです」 「へぇ、総長も酷なこと言うわね。それで、どうしたの?」 「その言葉が気になって、痛いんです……」  思い出すだけで胸がざわついて、体の奥の方でキリキリと痛む。やがて言葉は細く鋭い棘となって、じわじわりと耳の奥で響いている。目に見えないその感覚を少しでも和らげたくて、無意識のうちに胸元を握り締めていた。 「私に言った言葉じゃないのに、何だか自分に言われたような気がして。そうしたら力が抜けて、落ち着かなくなって」 「あぁ、なるほどね。その答えは簡単よ、アオバ」  フフッと無邪気に笑って、レンゲさんは私の肩を少しだけ強く叩いた。 「アオバは、総長が好きなのよ。だから、その言葉が心に突き刺さったんでしょう?」  違う、そんなはずはない――口では否定しようとしていたのに、私の体はその言葉をすんなりと受け入れていた。なんの抵抗もなくストンッと、腹の底に落ちた気がした。  そう、私は院瀬見さんが好きだったんだ。いつの間に好きになったんだろう。裏庭で涙を流した姿を見た時だろうか。それとも、寝台を使うか否かでもめて、寝台まで強引に抱きかかえられた時? もしかしたら、夜叉の力を使う姿を見た時かもしれない。 いや、違う。どれか一つが理由ではない。色々なことが私の中に蓄積されて、院瀬見さんという存在を、否定できないほどに大きくしていった。 「そっか……私、好きになっちゃったんですね」  気持ちが晴れない理由が判明して安心したものの、今度はこの気持ちをどうすればいいのか、どこへ向ければいいのか、わからなくなった。  だって、私は偽りの婚約者だもの。お互いの目的を果たすための間柄であって、それ以上でもそれ以下でもない。院瀬見さんを好きになることは禁忌であるような……そんなふうに思えてならない。 「はぁ……困ります」 「何が困るっていうのよ。いいじゃない。誰かを好きになるって素敵なことよ」 「そうなんですけど、これからどう顔を合わせたらいいのか」  自分の気持ちに気づいてしまった以上、以前と同じように接する自信がない。何もないようなふりなんて、できるわけがないのだ。 「アオバはどうしたい?」 「どうって?」 「総長がアオバをどう思っているのか、知りたいと思わないの?」 「えっ!?」  予想しなかった問いに、私の声は盛大に裏返った。  私は自分の気持ちの状態を把握することばかり考えていたから、相手がどんな想いを抱いているのかなんて知ろうともしていなかった。レンゲさんに言われて初めて〝院瀬見さんの想いの居場所〟が、私の中で瞬く間に輪郭を現し始めた。 「べ、別にそこまで……ほら、私は単なる偽りの婚約者ですから。院瀬見さんもそうとしか思ってないと思います」 「それはアオバの考えでしょう? 相手がどう思っているかなんて、聞いてみなきゃわからないわ」  その時、ある光景が脳裏を過った。  夜、眠るのが怖くなると打ち明けた院瀬見さんが、その不安から逃れるために私の手を握った、あの時の光景。あれは私にだけ見せた姿だったのだとしたら――少しくらい、自惚れてもいいのだろうか。 「でも、自信がないっていうか……」 「それじゃ、少しだけ確かめてみようじゃないの」  煮え切らない私の態度に痺れを切らしたのか、レンゲさんが切り出した。 「試すって、何をするんですか?」 「今日はせっかくのお祭りだもの。少し綺麗に着飾って、一緒に行きたいって誘ってみるの。それで総長がどんな反応を見せるか、試そうじゃない」 「えっ!?」  そうと決まれば善は急げと、レンゲさんは箪笥から上等な着物をあれこれ探し始めた。以前から行動力のある人だとは思っていたけれど、今日はいつにもまして積極的だった。 「レンゲさんっ、私、そんなことできませんよ!」 「何言ってるの。うじうじ悩んでる暇があるなら、自ら行動を起こさなきゃ。始まるものも始まらないわ。あっ、この着物も似合いそうね」  手当たり次第に引っ張り出した着物の中から、瑠璃色の着物を選び取って私の体に当ててみる。「これも違う」「やつぱりこっちがいい」と、次から次へと選ぶものだから、部屋はさらに散らかっていく。 「それより、レンゲさんはどうなんですか? カガチさんのこと誘わないんですか?」 「いやね、どうしてここでカガチの名前がでてくるの?」 「好きなんですよね?」  せっせと着物を選んでいたレンゲさんの手がピタリと止まった。鏡越しにその様子を確認すると、レンゲさんは困惑した様子で何度も瞬きをしていた。 「私が、カガチを好きだって?」 「寄宿舎に帰った時、カガチさんは私が着ていた着物を見てレンゲさんの物だと言い当てました。それから、あの桜の香りです」  レンゲさんは鏡の端に映る窓に目をやったた。  窓際の机に置かれた真っ白な香炉が、射し込んだ陽の光に照らされてキラキラと輝いている。それを見つめる眼差しは、今までに見たことがないくらい優しかった。 「着物についた香りに気づいて、カガチさんは〝私の好きな香りだからすぐにわかった〟と言っていました。レンゲさんが桜の香を使い続けているのは、カガチさんが好きな香りだからですよね? カガチさんのこと、誘わないんですか?」 「……私を選んでくれるわけがないわ」  レンゲさんは今にも泣き出しそうな声で言った。それがあまりにも切なく聞こえて、不意に泣きそうになった。 「カガチにとって私は遊びの女なのよ」 「そんなことは――」 「そうなのよ。だから、代わりはいくらでもいる。それに……私は、夜叉の子だから」  レンゲさんは躊躇いがちにそう告げて私から離れた。机に置かれていた香炉を手に取り、寂しげな笑みを浮かべた。 「レンゲさんが夜叉? でも、瞳も肌の色も夜叉とは違いますよね?」 「私は母さんの血が色濃く出てくれたおかげで、夜叉である父さんの特徴は表れなかったの。だから見た目ではわからないわ。アオバ……私を見て」  眠るように目を閉じ、囁くように息を吐き、再び目を開けた時――その瞳は黄金色に染まり、瞳孔は細長く伸びていく。やがて髪は眩い銀色へと染まっていった。 「私には半分ずつ血が混じってる。それだけでも引け目に感じているのに、おまけに遊女だから。躊躇いもするわ」 「……レンゲさん、ずるいですね」  捨て吐くように言い放った私を、レンゲさんは訝しげに首を傾げた。 「相手がどう思っているかなんて、聞いてみなきゃわらないって言ったのはレンゲさんですよ。聞く前に諦めるんですか?」  その言葉にハッと驚いてから、腹を抱えて笑った。 「確かにそうね。自分のこととなると、どうしても二の足踏んじゃうのよね」 「自分で言った言葉くらい、責任持たなきゃ駄目です」 「そうね。それじゃ、2人で賭けに出ましょうか」

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