◆◆◆◆ ある日の昼下がり―― 露店通りの入口に停めた幌馬車の荷台の中で、今日は何度目かになる恋占いをする。本日最後の客は、花街の若い遊女だった。 立ち昇った蒼い煙は向いに座っている遊女の方へ、ゆらゆらと漂って行く。彼女の求めているのは〝好きな人が自分をどう思っているか〟だった。煙の流れや動きを読み取って相手のことを占うのだけれど、私の見立てではあまり芳しくない。 「アオバちゃん、どう?」 「少し気をつけた方がいい相手ですね。煙が目の前を行ったり来たりしていたので、おそらく移り気な、気の多い方だと思います」 そう告げると、一緒に来ていた遊女達が「やっぱり」と口を揃えた。 「ほら、だから言ったじゃないの!」 「〝俺は一途だ〟なんて言う男に限って浮気性なのよ」 「で、でも……本当にそうなの?」 念を押すように訊ねられ、思わず苦笑いをしてしまった。 私はあくまで香が示した結果を伝えただけ。間違っているかどうかは、自分の目で見極めるしかない。 「アオバちゃんの占いよ? 当たるに決まっているでしょう。この間だって、探していた首飾りがどこにあるのか見事に当てたじゃないの」 「そうなんだけど……」 いつの世も変わらないのは、恋は盲目であるということ。誰になんと言われようと、諦められないのが恋というものだ。その想いが強ければ強いほど、他人の言葉など耳に入らないのは仕方がない。 好きな人に移り気なところがあったとしても、諦められなければ何があっても追いかけるだろうし、私なんかに頼らなくても決断できる人は早々に本性を見抜いて切り捨てているはずだ。要するに、全ての恋は己の心次第なのだ。 「あまり落ち込む必要はありませんよ。だって、その人よりも素敵な人が傍で見守っていますから」 「えっ! それって、どういうこと?」 「さっきの占いで、その様子も出ていました。気づいていないようですけど、ずっとあなたを想い続けている人が傍にいるみたいです。もっとも、本人は叶わぬ恋だと思っているみたいですけどね」 その人物に心当たりでもあるのか、彼女はハッと目を見開き、どこか納得したように何度も頷いていた。 「もしかして……!」 「少しだけ周りを見渡せば、別の出会いがあると思いますよ」 「そう、だよね。うん! 私、もう少し冷静になってみるわ。ありがとう。また来るわね」 「またどうぞ」 遊女達は香の代金を払って帰っていった。その後ろ姿を見送り、私は荷台を降りた。 とりあえず、最後の客も帰って一段落。今日の分の品は全て売り切って、荷台に積んだ箱の中は綺麗に空になっていた。 「ちょうど品物もなくなったことだし、早めの店じまいかな」 幌馬車の脇に立てた看板に触れ、薄らとついた土埃を払い退けた。 少し前から本格的に調香屋を始めていた。もっとも、まだまだお店を構えられるだけの資金は溜まっていないから、幌馬車を使って移動する調香屋だ。もちろん、名前はショウジョウで開いていた頃と同じ〈菫青堂〉だ。 幌馬車がお店という物珍しさもあってか、固定客も付き始めて上々の出だしだった。おかげで香の売れ行きも良くて、こうして早めの店じまいができるまでになっていた。 「アオバちゃん、待ってくれ!」 看板を片付けようと持ち上げたそこへ、肉屋のおじさんが大きな声で私を呼んだ。ずっとここまで走って来たのか、額から滝のような汗を流し、私のもとへ辿りついた時にはフラフラになっていた。 「あぁー、待った待った! まだ、行かないでくれよっ」 「おじさん!? そんなに急いで――あっ! もしかして咳止めの薬香ですか?」 肩が大きく上下するほど息を切らしながら、おじさんは何度も頷いて安堵したように笑った。 「うちの婆ちゃん、あれを使ってから咳が出なくなってな。売り切れちまう前に買って来てくれって、煩くってよ。まだ残ってるかい?」 「えっと……あっ、多分残っていますよ」 「六日分売ってくれ。いやぁ、本当にいい腕してるね、アオバちゃん」 「おじさん、あの薬香は私が作ったものじゃないんですよ」 おじさんに売った薬香を褒められたことが嬉しくて、思わず顔が緩んでしまった。これを荷台の奥で聞いていた彼も、きっと喜んでいるはずだ。 「ん? それじゃ、あれは誰が作ったんだい?」 「私の友達です。ねぇ、よかったわね。あの薬香、良く効いたんですって」 荷台の方へ振り返って声をかけた。 おずおずと奥から出てきたのは、夜叉の里で香術師をしているナバナ。おじさんはその姿を見るなり目を丸くし、驚いて後ずさった。 「や、夜叉族! ア、アオバちゃん、どういうことなんだっ!?」 「だから言ったじゃないですか。あれを作ったのは私じゃないって」 「ま、まさか、あいつが? アオバちゃん、俺に夜叉が作ったものを売ったのかい!」 指をさすものだから、腹立たしくなってその手を思いっきり叩いた。いくら常連さんと言えども、ナバナを〝あれ〟呼ばわりするのは許せなかった。 「おじさん、さっき言いましたよね? あの薬香が良く効いたって」 「い、言ったけども、まさか夜叉が作ったものとは知らなかったし……」 「おじさん!」 何度言わせたら気が済むのか。叱りつけるつもりで語気を強めると、おじさんはびくりと体を跳ね上げた。 「香術師として、ナバナの腕は私よりも遥かに上です。技術を持っている者に夜叉も人間もありません」 「そ、それはそうだが……」 「このカイドウ帝国は妖術大国ですが、元を辿れば香術は夜叉が生み出した技術ですよ。私なんかより、ずっと腕のいい職人さんがたくさんいるんですから」 ナバナが抱えていた薬香の袋を奪い取り、それをおじさんの胸元に突き付けた。 「夜叉だろうと人間だろうと、人を助けたいって思う気持ちは一緒です。そこに何か違いはありますか?」 「うっ……はぁ。アオバちゃんには負けたよ。敵わないなぁ」 へへっと力なく笑って頭をかき、おじさんは金を差し出した。 「確かに、この香は良く効くんだよな。また、買に来るよ。その時は、よろしくな」 そう言ったおじさんの目は、間違いなくナバナを見ていた。申し訳なさそうに、そしてどこか照れくさそうに告げて帰っていくおじさんの後ろ姿を、ナバナはしばらく見つめていた。 「まだまだ、だな」 「そうだね。長い歴史の中で根づいた感情を消すには、もっともっと月日がかかると思う」 水月院の起こした夜叉誘拐の一件から、周囲の状況は変わりつつあった。 皇帝も重臣達を説得しつつ法の改正を始めたことから、夜叉の待遇も改善され始めた。それでも状況はまだまだ厳しい。二つの種族の間には、簡単には埋められない溝がある。 この幌馬車の店は、私とナバナが協力をして始めたものだ。少しでも夜叉の存在を認めてもらえるように、そして互いの街や国を行き来することが〝当然〟になるように。 人々の意識を少しでも変えていくために、小さなことから始めようと思った。それが今、私がやりたいと思って始めたことだった。 「少し早いけど、店じまいにしようか」 「うん。僕の方もあの薬香で最後だったからさ」 「それじゃ、片付けちゃいましょう」 看板を荷台に積み、早々に店じまい。露店通りを離れて居住地区を抜ければ、やがて分かれ道。左へ行けば雲龍城、右へ行けば街の入口へ。そこでナバナは幌馬車を止め、私は荷物を持って降りた。 「ここでいいのか?」 「うん。また明日ね」 「アオバ」 歩き出そうとしたところで、ナバナが私を呼び止めた。見上げると、いつになくナバナが真剣な顔をしていた。 「僕さ、まだ人間を信じたわけじゃない。けど、アオバだけは違うから」 「ありがとう。でも、他の人のことも信じてくれると嬉しいんだけどな」 「そのうちな。それじゃ、また明日!」 無邪気に手を振って、ナバナは幌馬車を走らせた。 最初に出会った時から比べれば、ナバナもかなり心を開いてくれている気がする。いつか黒龍隊の皆や、他の人達にも開いてくれるといいのに。遠ざかっていく幌馬車を見送りながら、そう密かに願った。 「なんだ、もう他の男に手を出したのか?」 背後から声をかけられ、ほんの一瞬、驚いて息が止まった。振り返ると「よっ」と、ご機嫌そうに手を挙げる渡会さんがいた。 「渡会さん! 今の言葉、何ですか!? もう他の男に手を出したって」 「ん? その言葉通りだが? やはり、同年代の若造の方が元気もあって好みか」 渡会さんは遠ざかる幌馬車を見やる。「なかなかやるな」と、なぜか半笑いだった。 「ち、違いますよ! ナバナは友達であって商売仲間です。それより、渡会さんはどうしてこちらに?」 「なぁに、お前さんと院瀬見の様子を見に来ただけだ」 ニッと笑って、布に包まれた手土産を私に鼻先に突きつけた。中身は私が好きだと言っていたヤマト国の茶葉だそうだ。一緒に飲もうと誘われ、その足で寄宿舎へ向って歩いた。 「院瀬見は寄宿舎か?」 「いえ、今は警邏の時間ですので外に。丑ノ刻には戻ってくると思います」 「そうか。まぁ、ゆっくり茶でも飲みながら帰りを待つさ。それより」 と、言いかけて止めた。何か言いたげに私の顔を見ては「うーん」と唸ったり、首を傾げたりする。 「どうかしたんですか?」 「いや。お前さんと院瀬見がどうなったのかと思ってな」 「どういう意味ですか?」 「お前さんが黒龍隊に来て半年以上が立つ。もうそろそろ、本当に男女の仲になった頃ではないかと思ってな」 「……えっ?」 背筋が急に寒くなった気がした。〝そろそろ本当の男女の仲になった〟とは、一体何を言おうとしているのか。身構える私を見下ろす渡会さんは、明らかに〝したり顔〟だった。 「わしが気づいていないとでも思ったのか? お前さんも院瀬見も、まだまだ甘いな」 「ま、まさか……?」 「お前達が男女の仲でないことくらい、気づいておったわ」 恐るべし、元黒龍隊総長。 渡会さん曰く、院瀬見さんが私を紹介したあの瞬間から、偽の婚約者だということは見抜いていたらしい。仲のいい恋人のふりをしていたことも、全て見抜いた上で騙されてくれていたのだと思うと、申し訳なくて顔が上げられなかった。 「あのくらい見抜けなくて元総長が務まるか。考えてもみろ。縁談を頑なに拒んできた院瀬見が、恋人を通り越して婚約者を連れてくること自体がおかしい」 「た、確かにそうですよね……」 「だが、本当にそういう仲になったのなら安心だ。院瀬見も、これで無茶をすることはないだろう。ワシの肩の荷も下りそうだ」 渡会さんは心底嬉しそうだった。 以前、死に急いでいるような戦い方をすると言っていた。あれから何度か戦う姿を見ているけれど、あの時のように無茶をすることは少なくなったように思える。白狼の力も、緊急の時以外は使っていないみたいだ。変化があったのだと信じたい。 そうこうしている内に寄宿舎へ到着。ちょうど、そこを通りかかったのは訓練場から戻ってきたヒユリさん。その姿を視界に捉えて身構えたように、おそらくヒユリさんも同じように身構えたはず。私を見るなりハッとし、すぐさま睨みつけてきた。 「ヒ、ヒユリさん。お疲れ様ですっ」 「……私に話しかけるな」 覚悟はしていたけれど、いつもの如く機嫌は良くなかった。 院瀬見さんとの距離が近づいてからというもの、ヒユリさんはそれを敏感に察知して、以前にも増して敵対心を向き出しにしてくるようになった。状況は改善されるどころか、悪化の一途を辿っている。 「なんだ、ヒユリは相変わらず眉間にシワ寄せてるなぁ」 「最近、特に酷くて。今じゃ、私が話かけると飛び掛かってきそうな勢いで睨まれます」 「あぁ、なるほど。確か、ヒユリは院瀬見を追ってこの黒龍隊に入隊したんだったな」 「そうなんですか!? 初耳です」 「10年くらい前に、夜盗に襲われていた幼いヒユリを、ワシと入隊したばかりの院瀬見が助けたんだ。それから院瀬見を追ってここまできたらしい。女の執念とは恐ろしいな」 渡会さんの話が事実ならば、院瀬見さんに対するヒユリさんの恋心は私が想像している以上のものだ。 そこまで想いを寄せていたとは知らなかった。この分だと、睨みつけられるのも致し方ない。一応、ヒユリさんから奪ってしまった形になるのだから、しばらくは睨まれるのも我慢しよう。 「アオバっ、アオバどこだ!」 どこからともなく、院瀬見さんの呼ぶ声が響いた。 姿を捜して辺りを見回すと、厩舎の方から走ってきた院瀬見さんが「やっと見つけた!」と声を弾ませた。 「院瀬見さん、おかえりなさい」 「あぁ、ただいま」 「なんだ、ワシには挨拶もしてくれんのか。ワシを無視するとはいい度胸だな」 目の前にいながら真っ先に私を呼ぶものだから、渡会さんは不敵に笑って声を低めた。目が合うなり、院瀬見さんはあからさまに嫌な顔をした。 「なんだ、その顔は」 「いえ、条件反射といいましょうか。また縁談を持ってこられたのではと思いまして。いや、そんなことよりアオバ、すぐに治してくれ」 外套の下から出てきたのは、肩からしっかり外れた右腕だった。 「院瀬見さんっ! う、腕!」 「金羅街道で盗賊の一団と出くわしてな。その中に妖術師がいて、俺の腕から妖力を奪っていきやがった」 「それで取れちゃったんですか?」 「右手が使えないと不便でな。これから陛下が街の視察に出られる。この状態では護衛もできない!」 早く治せと言わんばかりに、院瀬見さんは取れた腕を私に突き出した。 最近、院瀬見さんの義手が外れる回数がやけに多い。〈妖盟の義手〉の交換時期なのだろうと、院瀬見さんはぼやいていた。 こんなこともあろうかと、最近は妖力を補給できる札香を作って持ち歩いている。もちろん、香りは院瀬見さんの好きな花梨だ。私は素早く札香に火を灯し、外れた腕に翳して妖力を注いだ。 「そろそろ寿命かもしれないな」 「これ、国の予算で買ってるものなんですよね? そう簡単に取り換えられる代物じゃないんですから、大事に使って長持ちを――」 「いいのか? このまま腕がなくなったら、お前に触れなくなるぞ?」 甘えたような声でそう言ったかと思えば、不意に腕を引かれた。 誰が見ているかわからない場所で何をしようというのか。少し前まで嫌味一つ言えなくなっていた姿が懐かしい。 そこへ、コホンと咳払いが割り込む。渡会さんの存在をすっかり忘れていた私と院瀬見さんは、恐る恐る振り向く。待たされていた渡会さんは顔を顰めつつ笑うという、何とも奇妙な表情でこちらを眺めていた。 「幸せそうだな、院瀬見よ」 「な、何を言い出すんですか、いきなり」 「んー。お前の幸せは願っていたが、こうも見せつけられると面白くない。よしっ、街の視察に出る前に稽古をつけてやる。一緒に来い!」 渡会さんに肩をがっちりと抱き寄せられ、院瀬見さんは引きずられるように連れ去られてしまった。けれど、ひらりと身を翻して私のもとへ戻ってくる。軽く抱き寄せ、額に軽く唇を落としてきた。 「アオバ、行ってくる」 「はい、いってらっしゃい!」 「院瀬見、早く来い!」 「は、はい!」 院瀬見さんは渋々、叫ぶ渡会さんのもとへ駆けて行く。私はその後ろ姿を見送りながら少しだけ願った。 私のやるべきこと、居るべき場所が、ずっとここでありますように――
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