水囚の鏡姫
第一話 蒼き月夜に目覚めしは…… 2

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 舞台は日本に戻り、時間は少し進む。たった今、夏の長い陽は水平線へ沈んだ。とはいえまだ残光は明るく、ツクツクボウシとヒグラシがどこか夏の終わりを嘆くように鳴いていた。  学生寮の前の広場に五人が集合していた。和希だけはダンボールで作られた小さな箱を大事そうに抱えている。 「さて、いよいよ『肝試し』当日!」ということは箱の中身はペア決めのクジに違いない。 「くじ引きといきたいとこやけど、もうひとり来るから待ってや……おー来た」 「全く、なんでオレが……」  声の主はそう呟いて、ため息をつく。目深に被った帽子で表情は見えないが恐らくは呆れ顔だろう。 「なんでって、Union Pearlやろ?満はどうしても無理やから仕方ないけど、暇なら協力してや。智も人数多いほうが心強いやろ?」  急に話を振られたにも関わらず、 「うん。隼斗は優しいし、強いから来てくれて心強いよ。夜の校内で、『敵』に会わない可能性は低いしね」  智はにっこりと微笑む。 「あ……まあ……そ……そう言うなら……」  その笑顔に照れ臭そうに隼斗は顔を背ける。今のところ、智のキラースマイルに勝てる人間はこの結高校には存在しない。微笑まれたらまず怒ったり、言い返す気にはなれなくなってしまうのだ。これも一種のシレナだと隼斗は心底思う。こうしてメンバーが全員集まったのでくじびきが開始された。  順番を待つ間ひなは内心ドキドキしていた。そして震える手でくじを引いた。彼女の希望のお相手はもちろん、智だ。 「ほな、一斉にくじを見せて相手を探して」  結果は智とひな、さつきと聡、和希と隼斗。めでたくひなの希望は叶った。 「そんじゃ各自ゴールの屋上を目指して出発や!」 「じゃあ、行こう。ひな。無理はしなくていいからね。怖かったら怖いって言って」 「わかった。ありがとな」  智とひなは懐中電灯を片手に一番初めに校舎の中へ入っていった。  続いて、 「それじゃ、行こう」 「う、うん……」  聡とさつきがその後に続く。  最後に、 「がんばるでー」「まったくなんで男となんだよ」  残っていた和希と隼斗も校舎へと入って行く。  誰もいなくなった場所を、昇ったばかりの月がただその光で染めていた。 ―― 「……近づいてくる……」  その頃、屋上で馨月はひとり佇んでいた。昇ったばかりの月の光に照らされた姿は何度見ても美しいの一言に尽きる。 「感じる……解放者が……やってくる……」  彼女は小さく呟くと、再び月を見つめる。微かに感じる予感を小さな胸で抱きしめながら。 ―― 「……な」 「ひな?」  智の言葉に、ひなは我にかえった。 「あ、ごめん。ちょっとボーっとしてた。気を抜いちゃ駄目なのに、ごめんな」 「ううん。誰だって考え事に耽る時はあるし。『影の者』が出てきたらすぐ知らせるから、リラックスしてて大丈夫だよ」 「わ、わかった。じゃあそうする」  ひなはいつもより早口でそう答えた。 (言えるわけないよな……)  まさか、この止まない胸の鼓動の原因が今隣にいるひとりの少年だなんて。ボーっとしてしまうのも、いつもより顔が赤くなっているのも全てはそのせいだなんて。 (……これじゃ本当に恋する乙女そのものだよな……晩生で純情で、今時珍しいタイプの……)  ひなは心の中でため息をついた。  その時だった。 「ひな!来たよ!」 「わかった!」  急に水の奔流が起こり、それはカジキの形を取った。そしてその先端の鋭い突起がふたりめがけて繰り出される。ふたりともギリギリのところでかわすことができた。目にも止まらぬスピードの攻撃を見極めることができるようになったのもこれまでの実戦経験の賜物だ。 「相手の属性は『セレナイカ』。ひな、頼むよ。僕の力は通じないみたいだからサポートに徹する」 「わかった。とりあえずあの頭の棘みたいなのをへし折る」  ひなはそう宣言すると、詠唱した。 「天空かける碧風の刃よ……ここに集いて闇を切り裂け!エッジオブエア!」  碧風の刃がカジキの先端の突起を切り裂く。 「やったかな……?」  しかし、水となった先端の部分は再び元通りになり、そしてそれは巨大な鮫に姿を変えたのだ! 「……変化する魔物?……今までの敵とは違う……」  智の呟きを聞き取ったのか、  鮫が静かに言った。 「……狩る?……何を……」 「!」  智とひなは思わず絶句する。 「……先ほどは魔物呼ばわりしてすみませんでした。あの、ひとつだけ教えて欲しいんですけど、解放者って何なんですか?僕たちはあまり詳しくなくて」 だが、あくまで智は冷静に尋ねる。 「勉強になりました。ありがとうございます」  そして鮫は水に還り、姿を消した。 「……ふう。何だか大変なことになってるみたいだ」 (……鏡姫ともうひとりをひとつにする者……それが指すのは間違いなく……僕だ……まだひな達には明かしていない力……あの力を使えるのは……僕だけだから)  あの力が誰かの助けになるのなら、助けてあげたいと思う。でも同時に力を使うことが怖くもある。 (……もしも僕がその力を持つことを知ったなら……ひな達は……)  人々がどれほど自分と違う者を畏れるのかを智は痛いぐらいにわかっていた。今までは普通の人よりナヌトが濃いということでごまかしがきいてきたが、禁忌にも近いその力を使えることがわかればパールゲイザーにすら畏れられる可能性すらある。  そうなれば今まで築いてきた絆は簡単に切れてしまうかもしれない。 (……絆が切れるのなんてあまりにも容易い……だけど……僕は……) 「智?どうしたんだ?」  ひなの声で我にかえった智は、心配そうに見つめている彼女の視線に気付いて顔を上げる。 「あ、何でもないよ。ちょっとさっきの言葉について考えてただけなんだ。本当に何でもないよ」 「……ホントに何でもないんだな?」 「うん。ごめんね。それより、これからのこと考えないと……さっきの鏡姫の僕は他にも僕がいるって言ってた。単純に考えれば四大元素の残り三つ、『ファリカ』『セリーシェ』『ユウリル』だけど、『鏡』が鍵を握ってそうだから意外に全部「セレナイカ」なのかもしれない。鏡に関しての言い伝えも少しずつ思い出してみるよ。役に立つかもしれないし……」 「そんなことよりも、気付かれないように気をつけろよ。智が言ってただろ、夢のこと。そうだとしたら……」  不意にひなの表情が曇る。 「大丈夫だよ」  智は心配させないようにそう言って微笑むが、 「……智の大丈夫だ、はあてにならない……」 逆に切り返されてしまう。 「……そんなにあてになってない?」 「ああ。今まで智が大丈夫だっていって大丈夫だった方が少ない。絶体絶命だったり、大怪我してたり……」  あはは、と微苦笑する智にひなはきっぱりとこう告げた。 「あたし達のことを信じてるなら、言葉で取り繕うのも、無理するのもやめろ……こっちは……不安でたまらないんだからな……」 「……ひな……」  智は一瞬言葉を失ったが、逆にこう聞き返した。 「ひな達は僕のことを信じてくれてる?」  この言葉にひなは怒りにも似た感情を覚えた。智が鈍感なのはいつものことだ。しかし、これだけ一緒にいてそんな簡単なことがわからないのかと。 「そんなこと、聞かなくたってわかるだろ!あたしは、あたし達はいつだって智を信じてる。言わなきゃわかんないのなら何度だって言うさ」 「……だったら……大丈夫かな……」  智はひなの剣幕にも動じず、真剣な眼差しでひなを見つめる。 「……ひな……僕は……」  告げようとした言葉は、 「智!無事か?」 「なんなんだよあの巨大水鮫らしきものは!」  駆け寄ってきた和希と隼斗によってかき消された。ふたりともかすり傷があるところを見ると一戦した後らしい。 「僕とひなは大丈夫。それよりも傷、治すよ」  智はそう言うとヒールを使ってふたりの傷を手早く癒した。 「おおきに。さすが智や。ところで聡とさつきは?」 「見てないよ……大丈夫かなあ」 「そうか……」  全員の顔が思わず曇る。 「あのふたりならなんとなく大丈夫そうな気がするな。でも、急いだ方がいいと思う。ゴールの屋上へ」 「じゃ、行こう!」  こうして智とひな、和希と隼斗は合流し、ゴールの屋上を目指すことになった。まるで、運命の糸に手繰り寄せられたかのように―― 「屋上到着だね。でもまだ誰も来てないみたい。一番乗りかな」 「うん……」  幸いこのふたりは影の者に会うこともなく、すんなりとゴールの屋上に辿り着いたのだった。 「あれ、でも……誰かいるみたい」  ふたりは屋上に佇む人影に気付いた。いや、人なのかは定かではない。月下に佇むその人影は美しい銀色の髪をなびかせ、この世の存在ではないような雰囲気を纏っていた。 「……月の……女神って……あんな感じなのかも」  普通なら笑い飛ばされてもおかしくない発言だが、 「……うん」 さつきは静かに頷いた。 「……だれ?」  ふたりに気付いたのか、人影はゆっくりと振り向く。吸い込まれそうなエメラルドの瞳に思わず聡とさつきは一瞬言葉を失った。 「……あの……そのっ……私はさつき。こっちは聡。あなたは?」 「……馨月。そんなにどきどきしなくても大丈夫……わたしは何もしない。……わたしは解放者を探しているだけ」  口調こそ平坦だが、どうやらふたりを落ち着かせようとしているらしい。 「……解放者?」 「そう、解放者。あのひととの約束を果たしたいの」  馨月は小さく頷く。 「……解放者の手がかりとか、約束をしてる人のこととか聞いてもいいかな?嫌だったら話さなくていい。できたら力になりたいと思って」  聡の言葉に馨月の顔がぱあっと明るくなる。 「ほんと?わたし……ほとんど記憶がなくて……ひとりじゃどうしていいかわからないし何も出来なくて困ってた……ありがとう」 「じゃあ話してくれるかな?」 「うん。ほとんど記憶はないけれど……解放者はわたしと何かをひとつにすることで、あのひととの約束を可能にしてくれる人のこと。あのひとは……とても優しい。この世界の全てのものの心を治してくれるの……慕う人もたくさんいた。みんな『魔法使いみたい』って言ってた……それ以上は……わからない。名前は……多分わたしと正反対だった」  馨月はそっと胸に手を当て、優しい表情を浮かべる。 「この場所にはあのひとの残り香がある……きっと無意識に惹かれてきたの……記憶を失っても」 (……魔法……使い……)  馨月を横目に聡はひとり考えていた。この結高校の七不思議は魔法使いが作ったという噂があると。そして馨月の『残り香』――おそらくは魔力の残滓のようなものだろう――という発言を考えると、彼女の言う「あのひと」がその噂の魔法使いと同一人物である可能性が高い。 (まさか……本当に存在していたなんて)  昨晩の会議でその発言を聞いたときはさすがに信じていなかったが、残り香――つまりは魔力の残滓、さらに不思議な少女馨月の発言が真実ならば間違いなく存在していたことになる。  更に、ありとあらゆる者の心を治す力とはおそらく未発見のシレナの一種だろうと考えられる。シレナと言っても何も智たちのように戦いに適した力だけを指すわけではない。例えば聴き手を癒す力を持つ「謳」のシレナや確実に天気を予報できる「天気」のシレナなど、日常生活のちょっとしたことに役立つ力も元は同じなのだ。それらは基本五属性の派生シレナとされている。先に挙げた魔法使いの場合、考えられるなら思念――シレナ・セリルの派生だろうか。その力と七不思議がどう結び付けられたのかは全くの謎だが。 「……どうしたの……?」  自分を不思議そうに覗き込む馨月とさつきに気付いて、聡は我にかえる。 「あ、ごめん。少し考えてたんだ。『魔法使い』のこと」 「何か知っているの?」  馨月の問いに、 「えっとあくまで噂だけどここ結高校の七不思議を魔法使いが作ったって伝説があるんだ。馨月の言う魔法使いと関係があるのかも知れないと思って」 「……七不思議。そう言えばあのひとも七つの何かを封印するって……言っていたようないないような……曖昧でごめん……」  俯く馨月に、 「気にしなくて大丈夫です。少しは手がかりになったので」  さつきが明るく答える。 「……来る」  急に馨月は何かを感じとったように屋上へ続く階段を見据えた。 「来るって……何が……」  まさかこのシチュエーション、お化けだか幽霊だか何かおどろおどろしい、いかにも怪談話的なものが現れるんじゃ――そう思って一瞬身構えたふたりだったが、 「あれ、聡たち屋上にいたんやなー」  すぐにその必要がないことがわかった。階段を上がってきたのは智、ひな、和希、隼斗の見慣れた四人だったからだ。 「その子は?」 「えっとこの子は……」  聡が説明するよりも先に馨月は彼らに向かって駆け出し、そして智に向かって静かにこう告げたのだ。 「見つけた……わたしの解放者……どうか……苦しみを断ち切って……あのひととの約束を……果たさせて……」

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