水囚の鏡姫
第5話 そして想いは……2

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「うーん……」  智が目を覚ますと頭上には見慣れた天井があった。 「今度は、起きれるか?」  和希の声に答えるように体に少し力をいれると今度は体を起こすことが出来た。後遺症なのかいつもよりはほんの少しだけ動作がゆっくりだったけれど。 「うん」 「これ、飲むやろ?冷蔵庫に残ってたオレンジジュースやけど」  差し出されたオレンジジュースを一口飲むと、体の中がひんやりとして生き返る感じがした。 「ありがとう。……思えば昨日の夜から何も食べてなかったんだよね」 「……そういえば、たった昨日一晩の出来事……なんやなー……」  七不思議調査の名目で立ち入った夏の夜の校舎の屋上で銀色の髪の不思議な少女に出会って『解放者』として彼女――馨月と思い人――旭の魂を『水囚の鏡』から解き放った。鏡の世界に居たからか、その過程で色々なイベントがあったからかはよくわからないが――とにかく一連の出来事がたった一晩のことだったとは智やその仲間たちにはどうしても思えなかった。 「一晩だなんて思えないけど……一晩なんだよね」  智がそう言ってカレンダー付時計の表示を確認する。日付は八月三十一日。時刻は午前九時。 「……それは置いといて……もう夏も……終わりなんやなー……」 「そうだね」  ふたりは窓を開けた。目の前に広がるのは真っ青な海と、白い入道雲。こうして目に見えるものは確かにまだ夏なのに――吹き抜けていく風はほんの少しだけ秋の気配を漂わせていた。 「夏休みの宿題……あんま終わってへん」  ボソッと呟いた和希に、 「僕のでよかったらちょっとだけ写させてあげてもいいよ?絶対に内緒だけどね」  智は微苦笑して、机の上にあった宿題を差し出す。 「ほんまに助かるわー。持つべきものは親友やなー」  和希は笑顔でそれを受け取ると早速書き写し始めた。 (ちょっとって言ったけど……ちょっとじゃなさそうだね)  智はその様子を横目に、朝食を作り始めた。 (友達じゃなく……親友……か)  友達と親友の違いはどこにあるのだろう?そう時々智は考えることがある。初めて出会ってから一ヶ月くらいはまだ友達宣言をしてもお互い手探りで本当に友達と呼んでいいのかどうかそう思っていいのかどうかも彼にはわからなかった。だが、何度も互いの危機を乗り越えて行く中で彼は仲間を「友達」だと思えるようになった。そして今日。和希の口から「親友」という言葉を初めて聞いた。「友達」から「親友」にランクアップした理由は何なんだろう?あとで和希に聞いてみようかな――  こんなことをぼーっと考えていた智は、 ピーツ ピーツ 「あ、そう言えば朝食セットしてたんだった!あ……温めなおした方がいいかな?」  早く取り出せというようにけたたましく鳴る音に我に帰ると、少し冷めた朝食をテーブルへと運んでいった。 ―― 「あー生き返る。やっぱ、勉強すると体力使うからなあ。食べんとやっとられんわ」 「僕ももうお腹ペコペコ」  ふたりはいつもよりも格段に速いペースでテーブルの上の朝食を片付けていった。一連の事件のせいでくたくただったから無理はない。三十分も経たないうちにテーブルの上の皿は空になった。 「……ふー。おいしかったわ。ところで……」 「な……何?」  和希の視線を感じて、智は少しだけびくっとしたように肩をすくめる。 「……そんな状態やったのに、あのけたたましい音に二十分も気付かんかったのは……何でや?」 「えっと……考え事……してて」 「考え事……なあ?」  何かを見透かしたかのように少しだけ意地悪く笑う彼に、 「……その……『友達』と『親友』の境界って何なのか――とか。」 智は観念したようにそう答えた。 (……こういうとこは鋭いんだよね……和希は。……だからごまかせないんだよね……) 「『友達』と『親友』の境界?」  その答えを聞いた彼はきょとんとした後、少し考え込み、やがてこう言った。 「……そやなー。あくまでおれの見解やけど。『秘密』を知り合ったら『親友』なんやないか?あ、『秘密』っていうよりは……『弱み』って言ったほうが正しいかもしれんなー。人間って、弱いとこ他人には見せたくないもんや。せやから、弱いとこ見せれる相手ってのは心を許せた相手だけや。で、そういう相手を『親友』って呼んでいいんやないかって思うんやけど……智はどうなん?」 「……僕も……ほとんど和希と同じ考えかな。でも、僕は別に和希の弱みを知った覚えはないんだけど」 「……なんか『弱み』って言うと別の意味にも聞こえるんやな……おいといて」 「……智も見たやろ?黒髪と緋色の瞳に変わった姿と……相手の『真闇』――シレナ・イーシェを吸収する力を」 「……うん」  智は小さく頷いた。思えば、あの少女との戦いの行方を決定付けたのは彼のその力にほかならない。自分の持つシレナが通じなかったからこそ少女は身を退いたのだから。 「……あのシレナは……父さんから引き継いだもんや。でも、本来は『禁忌』とされるシレナ・イーシェの変形シレナやから……本当に必要とするとき以外は絶対に使うなって言われ続けてきたんや。父さんの石は「ダイアモンド」でシレナ・イーシェに耐性を持つ特別な石やったから何ともなかったらしいんやけど……おれ自身の石は「アメシスト」やから……」  シレナ・イーシェ――「真闇」は通常のシレナと異なり、自然界にあるナヌトと呼ばれる元素ではなく、アートゥルムと呼ばれる負の思念を利用するシレナだ。そのため、あまりに多用してしまうと術者自身の精神が負の思念に呑まれてしまい結果として精神異常や崩壊を引き起こし最後には抜け殻のようになってしまうらしい。 「父さんも母さんもそういう側面を心配してたんやろうな。けど、おれが本当に怖かったのはもっと別のことや」 「……別のこと?」 「……智たちに怖がられることや。あと嫌われることやな。正直言うとな、別におれ自身が壊れたってそれが仲間やみんなのためになるんなら怖くはないし、かまわへん。けどな。友達やと思ってる相手に急に掌返されるのは怖くて仕方ないんや……」 「……和希……」  これが彼の抱き続けてきた恐怖だったとしたなら、その力を使った時、そして使った後で彼はどれだけ怖かったのだろうか。 「でもな」  和希が顔をあげる。その表情は明るかった。 「とりあえず智はそういうことないって安心したんや。いつも通りに接してくれとるしな。その時点で智のランクはおれの中で『親友』にランクアップしたっていうわけやな」 「なるほど、だいたいわかったかも」  智は心から納得したように頷いた。 「つまり、『友達』は話せる相手で、『親友』は自分の秘密とか弱い面を知ってて、何があっても裏切らない相手――そういうことだよね」 「そやな。異議なし。せやから、おれは智のこと裏切ったりせえへん。絶対にな」 「せやから――」  和希は表情を戻すと、再び智を見つめる。 「……あの少女が最後に言っとったように……本当の智を知ったとしても……あくまで仮にやけど、おれと同じように『禁忌』と呼ばれるシレナを持っとったとしても……怖がることなんか何ひとつあらへん。どんな力を持っとったって智は智でおれの大事な『親友』や」 「……和希……」  ほんの少し、目頭が熱くなるのがわかった。 「……ありがとう。僕も和希のこと『親友』って思ってもいいのかな?」 「いいも悪いもあらへん……もう『親友』なんやから」  そう言って微笑んだ和希に、 「そうだね」 智は頷くと心からの笑顔を見せた。 ――  時計は少し進んで午後。クーラーの利いた寮の談話室にUnion Pearlの全メンバーが集結していた。机の上には各自が持ち寄ったお菓子が並べられている。 「とりあえず、今回の出来事を整理しておこう。智」 「うん。まず『鏡姫』や『狩人』が何だったのかについてだけど……」  智の見解はこうだ。本物の『鏡姫』は旭と馨月(精霊名は『鏡姫』)の魂がひとつになった者で、本物の『狩人』は旭に従っていた精霊で、一方いわゆる偽者の『鏡姫』はあのアートゥルムを操る謎の少女で、偽者の『狩人』は彼女の部下――おそらくは『影の者』。旭と馨月の魂は綺麗に分かれ、転生の輪に載ったため、『鏡姫』はこの世界からは消滅したといえる。 ただ、謎の少女と影の者の問題は解決していない。恐らくは再び戦うことになるだろう。 「だろうな。ま、次会ったら俺のバットでボコボコにしてやるけどな。あいつ……後味の悪い言葉を残して消えやがったからな」 「それにしても……まるで本当の智を知ってるような口ぶりだったよね……」 そう言って少し俯いた聡を横目に、 「けっ。あんな奴の言うことなんか真に受けてんじゃねーよ」  隼斗は強い口調でこう言い放った。 「マジで世界を滅ぼす力を持ってたとしたって、智は絶対そんなことしないぜ。力を持ってたって使わなきゃ誰かが悲しむとか傷つくことはないんだからな。その時点で無害だし、そもそも智は俺にとっては恩人だ。そんな奴を裏切るようなマネするわけねーだろ」 「そうです。私達にだって智は恩人だもん。ね?」 「そうだよね。もしも本当の智さんが世界を壊す力を持ってたとしても……恩人であり、仲間だもの」 「ひなだってそうだろ?」 「え?」  急に話を振られたひなはびくっとして顔をあげる。 「あ、ああ。もちろん。智を裏切るなんて絶対しないさ」 「もちろん俺もだよ」 (みんな……)  自分が世界を滅ぼす力を持つという設定になっているのは正直微妙な気分だったが、彼らはみな口に出して誓ってくれた。 ――絶対に彼を裏切らないと。  何か温かいものが頬を伝うのがわかった。 「智?……え……えーとハンカチ……」  その様子をみたひなはあわててポケットからハンカチを取り出して智に手渡す。 「ごめん……嬉しくて。そんなこと言われたこと……なかったから」  智はそう言うと涙を拭いた。 「……みんなありがとう」 (今はまだ、言う勇気がないけれど。みんななら……本当の僕を……僕のあの力を知っても……きっと――)  大丈夫だ。智はこの瞬間にそう確信した。 ―― 「ふー。これで本当に終わったって感じだな」  その後和希が力のことをみんなに明かし、会議は解散となった。和希とひなと智は小腹が空いたので学校の向かいにある小さな店でアイスクリームを買い、校庭のベンチに座って食べていた。確かに時期的には夏の終わりなのだが暑さとのさよならはまだまだできなそうだ。 「あ、赤とんぼ」  しかし、傾いた陽を背にアキアカネが飛び始め、夏の終わりを告げるツクツクホウシとヒグラシの声が物悲しげに聞こえてくる。そう、季節は確実に動いているのだ。 「夏も終わりだね」 「そやな」 「ああ」 「夕暮れってなんか……綺麗だけど……切ないな」  ひなはそう言って空を仰いだ。暮れかけた空はオレンジとピンクと黄色と赤の淡いコントラストで塗りつぶされ、沈んでいく夕日だけが強い光を放っていた。そしてその夕日をバックにまたアキアカネが飛んでいく。 「大人になったら思いだすんやろーな。こうやって智とひなと三人でアイスを食べたある夏の日の夕暮れのこと」 「なんかそれってアイスしか思い出がないみたいじゃないか?」  そう言って少し顔をしかめたひなに、 「あはは。そうかも。それだけじゃないのにね」 智はそう言って微苦笑する。 「しかし智とひなは息ぴったりやなー。恋人同士みたいや」  この和希の発言に、 「こ……恋人?」 「な……なななな何を言うんだいきなり!」 智とひなはあわてふためく。 「でも、嫌いなわけやないんやろー?」  この様子を面白がるように和希は続ける。 「き……嫌いなわけないよ!」 「当たり前だ!」 「……あ……」 「……えっと……」  ふたりは思わず顔を見合わせ、一瞬沈黙してから照れたように顔を逸らした。 「ふたりとも夕焼けくらい顔真っ赤やなー♪」 「……う……」 「……うるさい!」 (いやーホントそっくりやなー。くっつかんのが不思議なくらいや)  和希は心から微笑ましいものを見るような目でふたりの様子を見る。 「じ……じろじろ見るな!」 「ひ、ひなのど渇かない?おごるからまた買いに行こうよ」 「あ、ああそうだな。それがいい。じゃあまたな。和希。」  ふたりはそう言い残すと彼の視線から逃れるようにその場を立ち去った。 「……青春やなー。」 (……そう、あのふたりは明らかに互いが互いを大切に思っとる。だからこそあのことを伝えることは出来ればしたくない……けど運命はそれを許さんやろうな……智のあの力も……いずれは……)  和希はそっと瞳を閉じると、少しだけ哀しそうに笑った。 「……ま、来る時は必ず来るんやし。今は考えんで……ええな」  それに。 「おれは智のことを……」 決して裏切らないと誓ったのだから。もしも真実を知った彼に「裏切り者」と呼ばれたとしても。 「……智は十年前のおれにとっても……恩人で『親友』なんやからな」  例え智本人がそのことを全く覚えていないとしても、和希のことを忘れているとしても。 「おれは受けた恩を忘れたりはせえへん。智に出会えんかったらおれは……」  そう彼こそが。幼い和希が見つけた希望そのものだったのだから。 「おいしい」 「よかった。ひな、オレンジジュース好きなの?」  ひなは缶に口をつけたままで小さく頷いた。 (……ふ……二人っきりなんだよな……よく考えれば)  なんとか平静を装ってはいるつもりだが心臓はバクバク。顔は耳まで真っ赤。時刻が夕方なので夕日の光で多少ごまかせているのは幸いだったが、明らかにいつもより口数が少なかった。 「ねえ、ひな。和希から聞いたんだけど……僕が戻ってくるまでずーっと落ち着かない様子で屋上をぐるぐる歩き回ってたって本当?」 「屋上なんか回ってない!……心配してたのは本当だけどな」 「心配かけてごめんね?」  そう言うと智はそっと左手をひなの右手に重ねた。 「な……なななな?」  突然のことでひなの心はパニック状態になる。 「こうしたら鼓動が伝わるから生きてるって実感できるかなーと思って」 (……智って本当に……)  鈍感なくせに天然だからたまにこうやっていとも簡単にひなの心をかき乱す。 「ずるい……」 「え?」 「な、何でもない!そろそろ帰るぞ」 「あ、待って」 いきなり立ち上がったひなのあとを智は慌てて追う。 (……何で急に怒ったんだろう?安心させてあげようと思ったのになあ……?) 智はひなの行動が理解できないらしく、帰る間中腑に落ちない表情を浮かべていた。 一方ひなの方は、 (何かもう女心をわかってるんだかわかってないんだかわからない……でもとにかくずるい。あたしは智をドキドキさせるようなことってないのに、あたしばっかり智にドキドキしっぱなしだしな……ああ、でもかと言ってこの気持ちを抑えろって言われても無理なんだよな……ああ、惚れたら負けって本当かもな……)  全くまとまらない考えを頭の中でぐるぐる回しながら、無意識に全速力で寮への道を突っ走っていたのだった。  この初々しすぎる二人の恋がどうなるかは――きっと神にしかわからないだろう……ひなの方は正直態度でバレバレなのだが、問題は智の方だ。極度の天然でかつ鈍感……・どうしようもない……ひなに幸あれ。  そして智。……女心をわかってあげてください。いや、それ以前に気付いてあげてください。    もし神が居てこの二人を見ていたならきっとこう心から思うに違いない。  ともあれ、季節は動き、そしてまた歯車も回りだした。  この先の彼らがどうなっていくのか、智とひなの恋がどうなっていくのか――  それはまた、別のお話。

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