「全部私が悪いの。本当はもっと早く清吾さんとあなたの前に出て、二人の顔を正面から見て、きちんと謝るべきだったの。例え許して貰えなかったとしても」 「今更?」 そこで冷え冷えとした清人の声が発せられたが、由紀子は話を続ける事を、躊躇いはしなかった。 「あなたが私のした事を、きちんと認識しているのは分かっていたわ。だからどうせ許して貰えないだろうとか、戻っても同じ事を繰り返しそうだからとか、色々理屈を付けて目を逸らして、その事を考えない様にしていた。でも……、今ならはっきりと理解できる。単に私は、自分が傷つきたく無かっただけだって。そしてその事で、他人がどんな風に傷つくのか、考えもしない傲慢な人間だったって」 「確かにそうだな」 冷静に認める発言をした清人に、由紀子が座ったまま膝に頭が付く位に頭を下げる。 「だから、あなたの気が済むなら、好きなだけ罵倒してくれて構わないし、殴り倒されても構わないわ。そんな事であなた達に対するお詫びになるかは分からないけど、自分自身に区切りをつけたいから」 「……へえ、それは殊勝な心掛けですね」 どこか皮肉っぽく清人が独り言の様に呟くと、その場に気まずい沈黙が漂った。そして暫くしてから、足元を見下ろしていた清人がボソッと言い出す。 「……父さんが再婚した香澄さんは、明るくて気立ての良い人で、何事にも前向きで挫けない人だった」 「そう……」 (ちょっと、お兄ちゃん! 何もここでいきなり、母さんを誉める話をしなくても良いでしょう? 由紀子さんの立場が無いじゃない!) 何と返したら良いか分からず、のろのろと頭を上げて小さく相槌を打った由紀子の心境を思って、清香は心の中で憤慨したが、続く話で頭を抱えたくなった。 「結婚してすぐの頃、父さんからあなたの事を聞いたらしくて、気を遣って消息を教えてくれた。『清人君のお母さんを、何かのパーティーで見かけた事があるわ。再婚して清人君の弟も居るそうよ』って」 「香澄さんには、お目にかかった事が無いと思ってたわ」 (お母さん……、それ、気を遣ってっていうよりは、寧ろ無神経だと思う……) ある意味天然だった母親の所業に、清香は密かに呻いた。 「それで……、香澄さんに『香澄さんの事を、お母さんって呼びますか?』と聞いたら、逆に聞き返された。『清人君はお母さんの事を、何て呼んでいるの?』って」 「……え?」 (あの、お兄ちゃん? さっきから話があっちこっちに、飛んでいるんだけど。どう繋がってるわけ?) 由紀子同様、戸惑った清香を完全に無視して、清人の話は続いた。 「当然『母親なんて居ないから、何とも呼べないな』と言ったら、無茶苦茶怒られた」 「どうして?」 「『私、清人君のお母さんらしい事を、何一つ出来ないのに、清人君を産んだ人を差し置いて、私がお母さんって呼ばれるわけにはいかないでしょう!』というのが理由だった。結婚当初、香澄さんは家事が壊滅的だったから、はっきり言って俺が面倒を見ていた。だから香澄さんがそう考える気持ちは、分からないでもない」 (お母さん、どれだけ酷かったの……) しみじみとそう語った清人を見て、驚きを隠せない様子の由紀子を見ながら、清香は自分の母親の当時の生活能力の無さに、思わず床に蹲りたくなるのを必死に堪えた。そんな清香にチラリと顔を向けてから、清人が由紀子に向き直って話を続ける。 「そうしたら『じゃあ清人君が、お母さんをお母さんって呼ぶなら、私の事もお母さんって呼んでもおかしく無いわよね。いきなり電話じゃ流石にハードルが高いだろうから、手紙を書いて』と脅迫された」 「…………あの」 「ちょっと待ってお兄ちゃん! 今の話、全っ然、意味が分からないんだけど!?」 本気で困惑した様子を見せた由紀子だったが、それ以上に納得いかない顔付きで清香が清人に大声で迫った。すると清人が盛大に溜息を吐いてから、補足説明をする。 「だから……、全く交流が無い、世話もしていない人物を俺が母親と認識するなら、全然母親らしくない自分でも、母親と呼ばれる事に抵抗感が無くなるからとか何とか言ってだな……」 「何、それ? 益々意味不明」 「香澄さんは、時々独特な物の考え方をする上に、一度言い出したら聞かなくて。それから暫くの間、毎日目の前に葉書を出されて『お母さん元気ですか? 僕も元気で頑張ってますって書こうね?』と迫られたんだ」 (お母さん……。そんな風に無理強いして、益々お兄ちゃんが意固地になったんじゃない?) そんな事を思って顔を引き攣らせていた清香の耳に、小さな清人の呟きが入ってくる。 「しかも、よりにもよってあんなのじゃ……」 「あんなの、って何?」 思わず突っ込んだ清香に、それで我に返ったらしい清人は慌てて弁解した。
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