零れた欠片が埋まる時
第36話 清香、人生最長の一日(2)②

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(しまった! あいつの事は、祖父さんに内緒にしたままだった!) (清香ちゃんに、口止めをするのを忘れていたわ!) (ちょっとまて! しかも長年うちと因縁がある、小笠原の社長の息子なんて知られたら)  そんな中、総一郎が僅かに目つきを険しくして、清香に尋ねる。  「小笠原産業の小笠原……。ひょっとしてその男は、小笠原産業前会長の、小笠原幸之助の孫かの?」 「えっと……、お祖父さんの名前は知らないんですが、お父さんは現社長の小笠原昭さんで、お母さんは由紀子さんですけど。もしかしたらお知り合いですか?」  その清香の問いかけには直接答えず、総一郎が更なる問いを繰り出す。 「その男とは、単なる知り合いじゃろうな?」 「いえ、あの……、ごく最近ですね、所謂お付き合いというものを始めまして……」  他の者が止めたり誤魔化す暇も無く、清香は若干照れながらも素直に述べてしまい、その途端総一郎は怒声を張り上げた。 「あのゲジ眉因業ジジイの孫と付き合っているだと!? 目を覚ませ清香! お前は絶対、騙されとるぞ!!」 「は、はあ?」 (え? 何でいきなり呼び捨て?)  突然両肩を掴まれ、顔を覗き込まれつつ断言された清香は当然戸惑い、真澄と雄一郎が狼狽しつつ、話に割り込んだ。 「お祖父様! そんな事どうだって良いでしょう?」 「そうですよ! せっかくの祝いの席なんですから、仕事上の諍い事を持ち込まないで下さい!」 「ふざけるな! 儂はあやつに個人的に恨みがあるんじゃ! あの守銭奴はよりにもよって、澄江の帯を横取りしたんじゃあぁぁっ!!」  そこで息子を睨みつけつつ、激昂した総一郎が叫んだ内容に、清香以外の面々も本気で首を傾げた。 「はい?」 「あの、何ですか? それは」 「……初耳なんですが」  そして皆が戸惑う中、総一郎は肩を掴んだままの清香に向き直り、切々と訴え始めた。 「清香、聞いてくれ。あれはもう五十年近く前の事じゃ」 「は、はい……」 (だから、何で呼び捨て……)  そう疑問には思ったものの、相手の気迫に押されて清香が頷き、総一郎は話を続けた。 「儂は休みの日に、澄江と一緒に観劇に行った帰り、買い物を楽しんでおったんじゃ。すると澄江が一軒の店の前でふと足を止め、『あら、素敵な帯ね』と言ってな」 「はぁ……」 「澄江は万事控え目で、普段なら物をねだる様な事もしない慎ましやかな女じゃった。これは買わねばなるまいと店に飛び込んだのだが、生憎現金も小切手もあまり持ち合わせが無かった。当時はまだ、今ほどカード決済が普及してもおらんでな」 「それでどうしたんですか?」  ちょっと興味を引かれて尋ねた清香に、総一郎が渋い顔をして続ける。 「行き着けの店ならつけ払いもできるが、その店は初めてだったからの。手付け金として店の主人に十万を渡して、明日不足分を持たせるから、その帯を押さえておいてくれと頼んだんじゃ」 「でも、当時で十万っていったら、結構大金ですよね」 「その通りじゃ。主人が快諾したのでその日は澄江と帰り、翌日使いの者に金を持たせたら……、そやつが『既に売られた後でした』と手ぶらで帰って来おったんじゃ!!」 「え? どうしてですか?」  目を丸くした清香だったが、流石に興奮してきた総一郎を見かねて、周りが騒ぎ始める。 「お父さん、もうその辺で」 「そうです! 清香ちゃんも困ってるでしょう?」 「五月蝿い、黙っとれ! その店の常連客の中に小笠原が居てな、儂らが帰った後に来店して、店の者が包もうとしていたその帯を見て、半ば無理矢理倍の金額を払って、帯を奪い取って行ったそうじゃ。店の主人は手付け金を返した上で、常連客なので断り切れなかったと謝罪したらしいが、言語道断じゃ! 店の信用を何じゃと思っとる!!」 「それは酷いですよね」  思わず清香が頷いて同意を示すと、総一郎は我が意を得たりとばかりに、声に力を込めて話し続けた。 「そうじゃろう!? それから少しして何かのパーティーで小笠原夫妻を見かけたが、奴の細君が例の帯を締めていてな。それを見た澄江が残念そうな顔をしていたのが、今でも忘れられん。あれは芸者上がりの厚化粧女にでは無く、澄江にこそ相応しい物だったんじゃ!! 金を積まれて予約品をあっさり渡す様な、商売人の風上にも置けぬ輩の店など、半年で潰してやったぞ!」 「………………」  それを聞いた清香は(それはどうなの?)とは思ったが、余計な事は言わずに口を噤んだ。そして更に総一郎の、小笠原との確執話が続いた。

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