その日、夕方になって帰宅した勝は、運転手から手渡された紙袋を手に提げながら、仏頂面でリビングに入った。 「…………戻ったぞ」 「お帰りなさい」 笑顔で声をかけた由紀子だったが、勝は表情を変えないままぶっきらぼうに言い放った。 「今すぐ聡を呼べ」 「……分かりました」 常になら「聡を呼んでくれ」という筈の夫が、命令口調で言ってきた為、由紀子は少し驚きながらも聡を呼びにリビングを出て行った。そしてほどなくして、聡が由紀子とリビングに姿を現す。 「お疲れ様です、父さん。新年会で何かあったんですか?」 ここに来るまでに、由紀子から何やら父親が不機嫌らしいと耳打ちされた聡は、勝の顔色を窺いながら慎重に問いかけたが、既にネクタイを緩めながら憮然としてソファーに座っていた勝は、自分とは向かい側の席を指し示した。 「まずそこに座れ。話はそれからだ」 「……はい」 取り敢えず聡が大人しくソファーに収まり、由紀子も勝の隣に腰を下ろすと、勝は持参した紙袋から風呂敷包みを取り出し、それを目の前のテーブルに置いた。 「お前への縁談だ。柏木が見合い写真と釣書を、大量に俺に押し付けてきた」 「は?」 前振り無しの話の内容に、聡はただ呆気に取られたが、流石に由紀子は顔色を変えた。 「あなた! 断れ無かったんですか? そんな突然に」 「興和製紙会長の前で、親しく声をかけられてな。まさか事を荒立てたり、周りの連中に変に不仲の所を見せる訳にもいかんし。……完全に、向こうにしてやられた」 「そう……、永島さんには、変にご心配をかける訳にはいかないわね」 忌々しく舌打ちした勝の説明を聞いて、由紀子は仕方無さそうに頷いた。そして固まっている聡の代わりに風呂敷包みを解き、内容を確認し始める。そして幾らもしないうちに、顔色を曇らせた。 「あなた……。この顔ぶれの方達とのお話を、無碍に断る様な真似は」 「流石にできんな。車の中で中身を確認してきたが、うちのメインバンクの頭取令嬢や、許認可官庁の幹部の娘も含まれているとあっては。全く柏木の奴、やってくれる……」 そこで勝は由紀子との話に一区切り付け、黙って二人のやり取りを見守っていた聡に声をかけた。 「さて、どうする? 聡。大人しくこの中の誰かと見合いをするか? 柏木のお膳立てはなかなかの物だ。小笠原にとって有益な縁談ばかりだからな」 半分以上皮肉を込めた父親の口調に、聡は冷え切った声で尋ねた。 「これはあれですか。大人しくこの縁談を受けて、清香さんの周りからさっさと失せろと言う、柏木側からの遠回しな脅しですか?」 「解釈はどうとでもできるが、ここで一番重要なのは、父親の再婚に関して柏木家に対して大いに含む所のある筈の“彼”と、あの損得勘定に聡い“柏木”が、全面的に手を結んだと言う事実だ。相当嫌われたな、聡」 深刻な話の筈が、勝はその顔に微苦笑を浮かべ、釣られて聡も顔を緩めた。 「そこまで嫌われれば、いっそ本望ですよ。相手が無視できなくなっている証拠ですからね。申し訳ありませんが、その話は全部断って下さい」 息子のあまりにもあっさりした言い方に、僅かに渋面を見せる勝。 「簡単に言ってくれる」 「やってやれない事は無いでしょう。父さんなら」 悪戯っぽく笑いながら言ってのけた聡に、勝は今度は笑いを堪える表情になった。 「はっ……、いつの間にか世辞も上手くなったな。分かった。何とかしておこう」 「すみません」 面倒をかける事になった父に向かって殊勝に頭を下げた聡だったが、ここで勝は真顔になって口を開いた。 「それはともかくとして……。どのみちいつまでも、現実から目を逸らしている訳にはいかないだろう。そのうち清人君と腹を割って話をしなければいけないと思うから、そのつもりでな」 「……分かりました」 思わず強張った顔で頷いた聡から、勝は由紀子に視線を向けた。 「由紀子。お前も、心構えだけはしておけ」 「はい……」 同じ様に緊張した顔つきながらも、小さく答えた由紀子を、勝は何とも言えない表情で少しの間見詰めた。
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