休み明けで何となく仕事の効率が悪い、月曜日の午前中。自分の仕事に一区切りつけた聡は、席を立って壁際のコーヒーメーカーが置かれている場所へ足を向けた。各自好きな時に飲める様に、出入りの業者がコーヒーと共に、常に過不足無く備え付けているカップにコーヒーを注ぎ、砂糖を加えて飲みながら一息入れていると、背後から明るく声がかけられる。 「よう、角谷。先週招待券を渡した例の試写会、どうだった?」 その声に振り向いた聡は、同期の高橋の顔を見て(そう言えば、こいつはほぼ一週間出張だったか)と思い出した。そして出社早々自分と顔を合わせる事なく、上司や関連部署への報告を済ませ、漸く自分の部署に戻って来たらしい彼に、礼を言いながら尋ねる。 「ああ、譲ってくれてありがとう。連れも喜んでくれたしな。ところで飲むか?」 「頼む。ミルクと砂糖入りで」 「了解」 すかさず注文を付けてきた高橋に気を悪くする事なく、聡は軽く笑いながら手早くコーヒーを新しいカップに注ぎ、砂糖とミルクを入れてかき混ぜた。そして完成したそれを相手に手渡しながら、思い出した様に苦笑混じりに付け加える。 「そう言えば、『譲ってくれた会社の人に、お礼を言っておいて欲しい』と言われていたのに、今まで忘れてた。朝一番で言わなくて悪いな」 「そんな事を気にするなよ。それより……、やっぱり女と行ったんだな。男とは有り得ないと思っていたが」 途端にニヤニヤ笑いを隠さずに突っ込んできた高橋に、聡は小さく溜め息を吐いてから、微妙に視線を逸らしつつ答えた。 「誤解しないでくれ。彼女はただの知り合いだから」 勿論それで納得する高橋では無く、わざとらしく目を見開く。 「単なる知り合い? それでお前がわざわざ趣味でない作品の試写会の招待券を目にするやいなや、『譲ってくれ』と懇願するわけか? お前、経理部の美里ちゃんとか人事部の真紀ちゃんとか情報統括本部の陽子ちゃんと付き合ってた時に、わざわざそんな事をした事はないだろう?」 「だから……、清香さんはそんなんじゃ無いから。第一彼女達なら、間違ってもあの手の映画は見ないし」 「へぇ~、『さやか』ちゃんって言うんだ。可愛い名前だな。どんな字を書くんだ?」 「…………」 弁解の台詞が、却って相手の興味を引く結果になった上、入社以来の社内での女性遍歴まで口にされた聡は、憮然としてコーヒーを一口啜った。それをチラリと横目で見ながら、高橋が微かに苦笑しつつ容赦のない指摘をしてくる。 「お前、『来る者拒まず、去る者は追わず』とはちょっと違うが、基本的に女のご機嫌を取ったりしないタイプだから、長続きしないんだぞ? 皆良い子ばかりなのに、入社三年目で三人と付き合って別れたって、男としてどうかと思うが」 最後はしみじみと語った高橋に、聡が些か気分を害しながら言い返す。 「言っておくが、二股をかけたりはしてないぞ? 単に長続きしなかっただけだ。それにどうしてそんなに卑屈になって、付き合ってる女のご機嫌を取らなきゃならないんだ?」 「そりゃまあ、卑屈になるほどする事は無いと思うが、お前は逆に気を遣わなさ過ぎ」 「そうか? 自分ではそうは思っていないが」 淡々と自分の考えを述べた聡に、今度は高橋が溜め息を吐いてから口を開く。 「お前さ……、実は身内に超フェミニストの男が居て、それへの反発心から、付き合ってる女には無意識のうちに『黙って俺に付いて来い』的なオーラを発してるんじゃないのか? そんなの今時、流行らないと思うが」 「何だそれは……」 予想外の内容を聞かされた聡は思わず脱力しかけたが、高橋は真顔で続けた。 「うん、そう考えると単なる知り合いの清香ちゃんで、女への気の遣い方に関してリハビリするのも良いかもな」 「だから、リハビリって何だ」 「ところで知り合いってどんな知り合いだ? 仕事関係じゃ無いよな」 自分の話を聞かずに一方的に断定してくる高橋に、色々諦めた聡は多少自棄気味にそれに答えた。 「図書館で知り合った、二十歳の女子大生。偶々あの映画の原作者のファンだって知ってたから、券を融通して貰ったんだ」 「お!? 五歳下の女子大生とは、隅に置けないな。それで? 映画の後、機嫌の良い彼女を、どこぞに連れ込んだとか?」 「するかっ!! 第一、会場で出くわした彼女の知り合いに、俺が逆に拉致されたぞ」 「はぁ? 何だそれは」 嬉々として食い付いてきた高橋を、仕事中の周囲を憚りながら小声で叱責すると、案の定怪訝な顔をされた。ここで聡は勢いで口を滑らせてしまった事を後悔しつつ、適当に誤魔化すのを完全に諦めた。
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