零れた欠片が埋まる時
第10話 愛しのマスクメロン様④

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「確かに最上級で好きですけど、それだけで例えた訳じゃないですよ?」 「と言うと?」 「お兄ちゃんっていつも飄々としていて、意志が強くて才能があってすぐに何でも出来るスーパーマンみたいに思われがちですけど、実は結構繊細で不器用な所があるんです」 「そうなの? あまり想像しにくいけど」  意外な表情を浮かべた聡に対し、思うところのあった真澄と浩一は清香の話の行方を黙って見守った。 「基本的にお兄ちゃんは凄い努力家ですけど、それを隠すと言うか、あからさまにしたがらないタイプなんです。ああ見えて、実はある意味恥ずかしがり屋? それにいつも穏やかに笑ってるイメージがありますけど、結構感情の起伏が激しくて、それを当たり障りのない笑顔で隠してる気がします。だから交遊関係はそれなりに広いけど、本当の意味で心を許してるって人は、ほんの一握りじゃないかと。……あ、浩一さんは勿論、その一握りの筈ですよ?」 「それは光栄だね。ありがとう」  取り成す様に付け加えられた言葉を聞いて、いつもは冷たく見える眼鏡の奥の目を優しく和ませた浩一が、嬉しそうに礼を述べた。それに小さく笑い返して清香が話を続ける。 「それで、いつ頃からか、どうしてそんな風に思う様になったのかは分からないんですけど、お兄ちゃんって自分の苦しい事とか悲しい事とかは一切表に出さないで、しかも嫌な事に目を背けたりしないで真正面からぶつかった挙げ句、全部自分の中に抱えて最後には自分の力だけで昇華させてしまう、とことん不器用なタイプなんじゃないかなって思ったんです。そういう心の痛みってものが、今のお兄ちゃんを形作って、魅力的に見せてると思うんです。だからその時聞いた、自分自身が傷つきながら自らを作ってるって聞いた網目模様の話とダブって、ひょっとしたら似てるかな~って思って。う~ん、これって身内の欲目かしら? どう思います? 真澄さん」  そこで唐突に意見を求められた真澄は、些か呆然とした表情で口を開いた。 「清香ちゃんって……。天然かと思ってたけど、意外に鋭いのね……」 「姉さん。この場合、天然だからストライクゾーンど真ん中を突いてくるんじゃないか?」 「そうとも言えるわね」 「どういう意味ですか?」  思わず小首を傾げた清香の頭を、真澄が軽く撫でながら穏やかに告げた。 「清人君の妹に、清香ちゃんがいてくれて、本当に良かったって事。できるだけ一緒に居てあげてね?」 「勿論ですよ。あんまり私にかまけててお兄ちゃんが結婚できなかったら、老後の面倒を見てあげるって約束してますから」 「あら、それなら彼の老後の心配はなさそうね」  思わずくすくす笑ってしまった真澄を、横から浩一が小声で窘める。 「姉さん、清香ちゃん。そろそろ主催者の挨拶が始まるから」 「そうね。じゃあ話はまた後で」 「はい」  そうして会話は中断し、挨拶の後に上映が始まったが、聡は先程まで交わされていた会話の内容を暫く黙って頭の中で反芻していた。  それから無事映画は終了し、会場内の明かりが点くと共にざわめきが戻って来た。 「やっぱり榊原先生の作品は良いなあ、世界観が独特だし。映像化しても原作に沿ってしっかり人物描写も出来てたし」 「時代考証もしっかりしてたみたいね。ただテーマが家族愛っていう地味な物だから、売り出すのは難しいかもしれないけど」 「それはそうですよね。派手な殺陣とかもないですし、大衆受けはしないかも」 「でもそれはそれで、最近では平凡な日常とか人生とかを深く掘り下げた作品が見直されてるから、こういう物も上映期間の後半になったら観客動員数が延びるかもしれないわよ?」 「そうですよね」  女二人が上映された映画について好意的なやり取りをしていると、横から聡が声をかけた。 「清香さん、榊原先生がお帰りになるみたいだけど、もし会えたらサインをお願いしてみるとか言って無かった?」  そう言いながら聡が指差した前方を見て、一人の老人が今まさに席を立とうとしているのを認めた清香は、慌ててバッグを手に立ちあがった。 「本当だわ! 聡さん、ごめんなさい! ちょっと行ってきます!」 「焦らないで良いよ。ちゃんと待ってるから」  笑顔で言い聞かせ、自分も立ち上がりながら聡が出入り口に向かって駆け出す清香を見守っていると、横から今までとは打って変わった不機嫌そうな声がかけられた。 「小笠原さん、あなた清香ちゃんは単なるツテで、本来の目的は貴方の母親とお兄さんを会わせる事よね?」 「……そうだと言ったら、どうなんです?」  本名で問いかけた事で明らかに嫌がらせと分かる口調に、清香がこの場に居ない為聡も些か挑戦的に返したが、それ以上に冷たい浩一の声が響いた。 「止めておけ」 「あなた方には、関係ないかと思いますが?」  途端に睨み合う聡と浩一に、少ししてから真澄は疲れた様な溜息を吐いた。 「全く……。もう放っておきなさい、浩一。見ず知らずの間柄でも、一応忠告はしてあげたんだから」 「分かった」  そう言いながらも納得はしていない顔つきで自分を睨みつけている浩一を、聡も負けじと睨みかえしていたが、ここで明るい声が割り込んだ。 「聡さんっ! 榊原先生から首尾良くサインを貰えたの、ほら!」 「あ、ああ、良かったね、清香さん」  自分の背後から駆け寄って来た清香に、慌てて険しい表情を戻しながら振り向くと、満面の笑みを浮かべた清香が手にした本を差し出し、表紙を捲って流れる様に書かれたサインを示して見せた。、 「うん、もっと気難しい人かと思ってたのに、『貴方の様なお嬢さんに読んで貰っているとは嬉しい限りですね』って快くサインして貰えて! 聡さんにここに連れて来て貰ったお陰だわ。本当にありがとう!」  心の底から喜んでいるのが分かる笑顔に、聡は胸の中に溜まっている色々な物が、すっかり消え去った様な錯覚を覚えた。少しだけそんな穏やかな心地を味わいながら、自然な動きで片手を伸ばす。 「そこまで喜んで貰って嬉しいな。できればお礼してくれると、俺も嬉しい」 「お礼ですか? 私にできる事だったら何でもしますよ?」 「じゃあちょっと触らせて」 「はい?」 「え? ちょっと!」 「何をする気だ!」  さり気なく聡が口にした内容に真澄と浩一が慌てて事の真意を確かめようとしたが、それには構わず聡は清香の頭を撫で始めた。 「えっと……、聡さん。そんなに私の頭が撫でたかったんですか?」 「うん、そうだね。本音を言えば初めて会った時に言った様に、そのポニーテールを引っ張ってみたいけど我慢するから」  当惑して尋ねる清香に、聡が些か残念そうに本音を告げたが、それを聞いた清香は少しの間だけ考え込み、クルッと後ろを向いて聡に背中を向けた。 「う~ん、この際、ちょっとだけなら引っ張ってみても良いですよ?」 「本当に? じゃあ遠慮なく」  そう言いながらも実際には引っ張ったりはせず、髪の束に指を通してサラサラとした手触りを堪能している聡を見て、真澄達は顔を顰めつつ囁き合った。 「外見と違って良い度胸してるわね、こいつ。すっかり私達の存在を忘れてない?」 「この場に清人が居なくて正解だったな。これを見たら、問答無用で殴りかかる」  そうして下手するとバカップルに見えかねない行為を止めさせる為、真澄は二人の間に容赦なく割り込んだ。 「さあ、食事に行きましょう! 今夜は私が奢ってあげるから、大人しく付いていらっしゃい」 「え? 真澄さん。それは流石に悪いし、これから聡さんと」 「柏木さん、俺はそれほど親しいわけではありませんので、遠慮させて頂き」 「四の五の言わないで付いて来るのよ。この中で一番稼いでる人間が奢るのが当然でしょう? それとも何? 私の奢りじゃ食べられない理由でも?」  清香と聡が固辞しようとする台詞を遮り、真澄が半ば脅しをかけると、横から苦笑しながら浩一が言葉を添えた。 「悪いね。姉は言い出したら聞かない性格だから、付き合ってくれると嬉しいな」 そこまで言われて清香と聡は苦笑いの表情を浮かべた顔を見交わした。 「それじゃあお言葉に甘えて」 「ご馳走になります」 「最初から素直にそう言いなさい。じゃあタクシーを拾うわよ!」  そう高らかに宣言して率先して歩き出した真澄の後ろに付いて、三人は諦めた様な苦笑を浮かべつつ、ホールの外へ出て行った。

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